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第二章 

32.王太子

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 私とライル様は、サッと立ち上がり、礼をとった。

 「兄上、何故こちらに。」

 ライル様が緊張した面持ちで尋ねる。

 「今日は隣国からの来賓も多いだろう、顔を出した方が良いかと思ってきたのだ。何か問題が?」

 アルファ様は鋭い視線をライル様に送る。
 近くにいるだけの私でさえ身が縮こまりそうな眼光だ。

 「…いえ。」

 「それよりこんなところで何をしている?
 婚約者と密会か?お前は父上からあの場を任されたのであろう。こんなことをしている暇はないと思うのだが。」

 アルファ様の厳しい指摘にもライル様は動じることはなく淡々と応じる。

 「少し話をしていただけです。もう戻ります。」

 「じゃあ、さっさとそうしろ。」

 アルファ様はそう言うと、ベンチに腰を下ろした。

 「兄上は?」

 ライル様が訝しげにそう尋ねると、アルファ様は微かに笑ったように見えた。

 「たまにはお前の婚約者と話すのも悪くなかろう。」

 ライル様の声が強張るのが分かる。

 「こんなところに二人でいて、変な噂が立ったら困りますので。」

 「融通が効かない奴だ。そんなにこの婚約者が大切か?」

 「はい。」

 即答だった。パーティーに参加する前はあんなに不安だったのに、アルファ様の前でもこうして大切だと言ってくれることが心から嬉しかった。

 しかし、アルファ様に面白くないようだった。
 手を振って、ライル様を追い払おうとする。

 「ちっ…。ほら、さっさと行け。
 誰かに見られるようなヘマはしない。」

 「ですが…っ!」

 そうライル様が言った瞬間、アルファ様は眉を吊り上げた。
 このままじゃ喧嘩になってしまう!と思った私は、慌ててライル様に言った。

 「ライル様!大丈夫です。私も王太子殿下とゆっくりお話ししたいと以前から思っておりましたの。お話が終わったら違うタイミングで戻りますので、ご心配なく。」

 そう言って微笑むが、ライル様の表情は険しい。

 「だが、アンナ……!」

 ライル様はどうしても私が心配らしく、なかなか引き下がらない。確かに私もアルファ様と二人きりで話すのは少し不安だが、ライル様に頼ってばかりもいられないし、これ以上粘れば、アルファ様がキレてしまいそうな気がした。

 「ライル。そんなに俺が信用できないのか?それとも、父上に公務をサボって婚約者と密会していたと報告されたいのか。」

 「……っ。」

 ライル様がキュッと唇を噛み締める。

 「ライル様、大丈夫ですわ。ほら、早くお戻りになって?」

 「……兄上、アンナを宜しくお願いします。」

 ライル様は足早に去っていった。振り返りもせず、真っ直ぐに会場に向かうその背中を見て、少し心細くなる。
 アルファ様は私に座るよう促し、話し始めた。

 「ちゃんと腰を据えて話すのは初めてだな、婚約者殿。」

 「はい。改めましてクウェス公爵家のアンナと申します。」

 何度かお会いしたことがあるから、大丈夫かと思ったが、婚約者殿…と呼ばれるのもおかしな話なので、念のため名乗る。

 「そうか。将来王族になるかも分からん奴の名前なんて覚えていられないからな、名乗ってもらえて良かった。」

 ……何か、嫌味が混じってた?
 お前なんか王族になれないとまるで言われているような…。

 「アンナ嬢。」

 「は、はい!」

 「学園はどうだ?」

 普通の質問に安堵する。
 ……私ったら考えすぎよね。

 私は笑顔を浮かべて答えた。

 「様々なことが学べてとても楽しいですわ。」

 「何か不都合はないか?」

 アルファ様はニコリともしない。
 婚約者の姫様がご存命の頃は、もう少し表情が柔らかったと思うんだけど…。

 「特にはございませんが……。」

 「そうか?俺は学園内に知り合いがいるんだが、嫌がらせを受けたとか聞いたものでな。心配していたのだ。」

 なんで、アルファ様がそんなことを知っているのだろう?
 ……もっと大きな事件や事故ならともかく、生徒同士のいざこざレベルの話が王家の方にまで報告されるはずがない。

 私は顔に笑みを貼り付ける。

 「ご心配には及びません。既に解決いたしましたわ。」

 アルファ様の眉間に皺が寄る。

 「どうやって解決したんだ?」

 「え?」

 一度で意味がわからなかった私にイラついたようにアルファ様は声を低くした。

 「どうやって解決したんだ、と聞いている。」

 恐ろしい圧を感じた。
 きっとアルファ様は私やライル様をよく思っていない…。
 向けられた視線からは敵意まで感じられた。ライル様と同じ透き通るような碧眼なのに、その瞳は酷く濁って見えた。

 「……わ、私は…存じ上げません。」

 「本当か?」

 アルファ様は私を睨みつける。
 今にも恐ろしさに震え出しそうだ…しかし、この人に情報を与えてはいけないと、私の頭が警鐘を鳴らしている。

 「…本当です。」

 「……チッ。使えない奴だ。」

 アルファ様はあからさまに舌打ちをすると、立ち上がる。

 「申し訳ございません…。」

 慌てて立ち上がり、礼をするが、アルファ様はそれも無視して歩き去ろうとする。

 「……殿下、会場はあちらでございます。」

 先ほど隣国の来賓にご挨拶をすると言っていたため、私は会場の方を指し示した。

 アルファ様はそちらをチラリと見たが、面倒そうにため息を吐いた。

 「気分が悪いので、もう帰ることにした。
 ライルがいるし、いいだろう。では、また、婚約者殿。」

 私は頭を下げて、アルファ様を見送る。
 結局、婚約者って……きっと私を知るつもりがないのね。

 なんで…アルファ様はあんなに私のことを嫌っているのかしら。
 ご自身の婚約者の姫は亡くなったのに、ライル様の婚約者である私は生きているから…?ライル様ともあまり仲が宜しくないようだったし…。

 その時、少し遠くで「アンナ!」と呼ぶ声が聞こえた。
 この声はジョシュア様だ。

 私は茂みからぴょこっと顔を出した。

 「ジョシュア様!」

 「アンナ!……良かった、無事で。」

 急いで探していたのか、ジョシュア様の息は切れていた。
 そんなに必死に探してくれたのかな…?

 「ふふっ、心配し過ぎですよ。
 それにしても、どうしてこちらに?」

 「殿下に隙をつかれて、連れて行かれたと思ってたら、戻ってきたのは殿下お一人だったから、心配してたんだ。

 …それに戻ってきた殿下は私のところに一番に来て、すぐに庭園奥の天使像近くのベンチに行け、アンナを頼む、と指示を出されたものだから、アンナに何かあったのかと思って、急いて来たんだ。」

 「ライル様が……。」

 足早に帰ったのは、私の身を案じて、ジョシュア様に託すためだったんだ。私はライル様に本当に大切にしてもらってるみたい…。

 ジョシュア様は眼鏡の位置を直すと、言った。

 「あぁ、殿下は酷く焦った顔をしていたが…何かあったのか?」

 「……今まで王太子殿下とお話していて。」

 ジョシュア様の表情が曇る。

 「王太子殿下が?」

 「はい…。」

 ジョシュア様が眉を顰め、何かを考えるような仕草をする。

 「そうか……。何かされなかった?」

 「な、なにも。
 でも…嫌がらせをどう解決したのか気にしてました。」

 よりジョシュア様の眉間の皺が深くなる。

 「アンナはそれになんて答えた?」

 「私は何も存じ上げません、と。」

 私がそう言うと、ジョシュア様はホッとしたように息を吐いた。

 「そうか。良かった。」

 ジョシュア様はそう言って、私の頭を撫でてくれた。
 大きな手に、優しい笑み……ジョシュア様の側は安心するな…。

 ジョシュア様と視線を交わし、笑い合う。

 「それにしても、戻らなくてはいけないのだがー

 月の光に照らされたアンナがこうも美しいと…
 戻したくなくなるな。」

 「……へ?」

 ジョシュア様の顔がだんだん近づいてくる。
 夜空のようにその瞳が綺麗で…まるで吸い込まれそう…。

 その時ー

 「アンナー?」

 私を呼ぶ声がした。

 そこでようやくハッとしてー

 「ソフィア!!」

 私はそちらに駆けて行った。

 「アンナ!もう、どこに行ってー……
 ってお兄様もいらっしゃったんですか?」

 「あ、あぁ。」

 ジョシュア様は気まずそうに頬を掻く。

 ソフィアは私とジョシュア様を交互に見て、ジョシュア様に咎めるような視線を向けた。

 「お兄様の想いをぶつけるのは勝手ですが、アンナに醜聞が立つようなことは止めてくださいね。アンナは殿下のー」

 「分かっているから、そううるさく言うな。
 今ここに私がいるのだって、殿下にお願いされたからだ。」

 「そうですか。なら、構いませんが。
 じゃあ、私はアンナと戻りますので。」

 ソフィアは私に手を絡ませてくる。
 なんだか独占欲を出されているようで、胸がキューンとなる。

 もうソフィアったら、本当に可愛いんだからっ!!

 ジョシュア様は不満そうについてこようとする。

 「ソフィアもいるなら、私も一緒で構わないだろう。」

 「嫌ですわ。お兄様と戻ると、他の御令嬢から邪魔な妹、という目で見られますから。」

 ソフィアがツンとそっぽを向くと、ジョシュア様はその場に立ち尽くした。

 「ソフィア……。お前、最近、私に冷たくないか?」

 ソフィアがフッと笑う。

 「私はそれだけ仲が良くなった証拠だと思っていますが。」

 「それもそうか…。」

 ジョシュア様も納得したように頷いた。

 結局、私達は三人並んで会場に向かった。
 が、ジョシュア様は少し遅れて会場に入ってもらうのだった。
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