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第9話 ジンと初の…俺

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 俺は無我夢中だった。

 土地勘のまったくない異世界の街の中を、どこをどう走ったかはあまり覚えてはいないが、俺は気がつくと小高い広場のような場所にいた。そこは見晴らしがよくて、この街を一望することができた。

「うわあ…。」

 俺は景色の美しさに嘆息するばかりで、言葉を失ってしまった。ちょうど夕陽が沈むときで、白い石造で統一された街並みが白色から夕焼け色に染まっていくところだった。
 その光景はたしかに綺麗だったけど、逆に俺の中のなにかを強く刺激したらしかった。

「家に…帰りたい…。」

 今のこの体が年端もいかない少年だからだろか、俺はかなりの泣き虫になってしまったようだった。生きかえることができた喜びはつかのまで、目的もわからない異世界で俺が頼れるのはジンだけだったのに、それにも見放されようとしていた。
 もう色々と限界だったみたいで、気がつくと俺はしゃがみこんで泣いていて、大粒の涙が尽きることはなかった。


 俺が足もとの涙でできた水たまりを大きくしていると、誰かが俺の肩にそっと手を置くのを感じた。

「ジンさん…。」

 見あげた俺が驚いたことに、ジンはいつもの鋭くて冷たい眼光ではぜんぜんなくて、俺を慈しむようなやさしい眼差しをしていた。

「どうしてここに?」

「コロ、つらいか?」

 俺は無言でうなずいた。ジンはさりげない動作で俺の隣に座った。

「ここはこの街の名物でな。誰そ彼(たそがれ)の広場と呼ばれている。」

「どうでもいい情報をありがとう。」

 俺は涙を手でふきながら精いっぱいの悪態をついたが、ジンには効き目はなかったらしかった。

「どうでもいい、か。ふふ、確かにそうだな。コロ、今まであえて聞かないほうが良いかと思っていたのだがな。貴様はどこから来た? 故郷は遠いのか?」

 ついに来たか、という質問だった。

 ジンは俺にたくさんのことを教えてくれたが、今までなぜか俺の正体にはいっさい触れてこなかった。だが今、ジンはストレートに俺に探りをいれてきている。
 さて、なんと答えるのが一番いいのやら、俺はない知恵を絞って考えた。

「すみません。実は僕は捨て子で、しかも事故に遭って記憶がないのです。だから、故郷を探して旅をしているのです。」

 我ながら完璧な返事だと俺は思った。記憶がないならこれ以上つっこまれようがないし、まさかあの神さまのことを言うわけにはいかないし、俺はこれでおし通すことに決めた。

「そうだったのか。なんと不憫なやつ。」

 いきなりジンが俺の背中に手をまわし、思いきり抱きしめてきたものだから、俺は想定外の効果にドギマギするやら罪悪感やらでいっぱいいっぱいになってしまった。ジンは俺の嘘を完全に信じこんだ様子だった。
 なにかの香水をつけているのか、なんだかジンはとても良い香りがして、しかもその体は俺の思っている以上に細くて柔らかだった。

 それに、俺はクラクラしながらもなにか違和感を感じたが、その時にはそれがなんなのかに全く気がつかなかった。


 抱擁はしばらく続き、俺の全身はカッカッと熱を帯び、意識が朦朧としてきた頃合に俺は解放された。ジンは俺の目をまっすぐにのぞきこみ、俺はその視線に囚われたかのように顔を逸らすことができなかった。

「コロ。一度しか言わないからよく聞け。私はただ、貴様のその不思議な馬鹿力だけが目当てではない。私には貴様が必要だ。」

「僕が…必要…。」

 ジンに必要と言われただけで、どうして俺はこうも舞い上がるような気持ちになるのだろう。そう言えば、俺は今までに誰かから面と向かって必要だと言われたことがあっただろうか。
 思わずゆるみそうになる口もとを俺はなんとかおさえこんだ。

「そう、私には貴様が必要だ。なぜなら。」

 なぜなら…の続きが聞きたくてたまらなくて、俺はジンの言葉をひと言もききもらすまいと耳をすませた。

「なぜなら、剣術がダメなら拳法があるではないか! 私としたことが、もっと早く気づくべきだったな。さあ、今から特訓再開だ!」

「へ?」

 ジンが俺の手を無理やりひっぱって立たせたあとは、地獄の練習の始まりだった。何の練習かって、もちろん拳法のだ。ジンは剣技だけではなくて拳法も達人級だった。
 ジンの拳法は空手などとは違う不思議な型だった。もっとも、俺の空手についての知識はオリンピック中継程度だが。

 幸い、その広場には他に誰もいなくて不審な目では見られなかったが、ジンは容赦なく俺に稽古をつけてきた。俺も、まったく才能がなかった剣術よりは拳で戦うほうがまだマシだったし、ジンの教えかたもうまいし、なによりも早く覚えなければジンに本気で殺されそうだった。


 こうしてジンにみっちりとしごかれた俺は、育ち盛りの少年の体なのに食欲も失せてしまい、全身筋肉痛で宿屋の一室のソファに倒れこんだというわけだった。

 たしかに俺の体は全身悲鳴をあげていたが、なんだか心地よい疲れだった。思えば、こんなに何かに夢中になって取り組んだことが今まで俺にはなかったような気がした。

「はやくジンの役に立ちたいな。」

 そのまま俺は、深い眠りに落ちたようだった。

 
 なんだか寝苦しくて、俺は目を覚ました。夢の中でまで俺はジンと拳法の特訓をしていたみたいで、体が勝手にピクピクと動いていたようだった。おそらく真夜中で、部屋は真っ暗で静まりかえっていた。俺は今ごろになって自分がひどく空腹であることに気づき、なにか食べ物がないか探そうと身を起こした。

「ひゃっ!?」

 俺が我ながらなさけない悲鳴をあげた理由は、俺のいるソファのすぐそばに、誰かが立って無言で俺を見下ろしている気配があったからだ。なにせ部屋は真っ暗だし気配しかわからなかったが、間違いなく誰かが俺のすぐそばにいた。

「ジ、ジンさん? ジンさんですよね? どうしたのですか?」

 俺は喉も唇もカラカラに乾いていて、声を出すのもやっとだった。だから、次に起こった信じられない出来事に対して悲鳴をあげることもできなかったのだ。
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