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黄色い街(ボウモサーレ)

59. 街に逃げる

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≪……私たちって絶対目をつけられてるよね≫

 さっきから人っ子一人いない静かな森の中を歩いているのだが、斜め後ろに紫マントのエリート竜騎士がずっといる。
 私の歩幅は小さいこと限りなし。しかも速度だって『人間カタツムリ』と命名しても良いくらいに遅いじゃないか。なぜいくら進んでも追い抜かされない、脚長カマキリよ。

 不貞腐れた私の心を反映したかのように、太陽が雲の合間に隠れることが多くなってしまった。生暖かい風も増えてきた。これはふたたび雨が降るかな。

≪タウ、雨降りそうか、ひょっとして判ったりする?≫

≪降るよ。あと一刻でぽつぽつ。さらに半刻でざぁざぁ≫

 ホントに地球製の小石から孵化ふかしたのかな。なぜだかタウは、こちらの時間配分を最初から解っている。
 この国は朝・昼・夕方・深夜に、それぞれ四刻あって、一日16刻だ。単純計算だと、こちらの一刻が地球でいうところの一時間半になりそうだけど、惑星の自転速度がまったく同じとは限らない。
 スマホの電源を長時間つけっぱなしで、比較するのは電池がもったいない。せめて分刻みか秒刻みのこちらの時計をゲットしてからでないと。

 それはともかく。タウってば、気象予報士もびっくりだね。
 左肩に留まったシマエナガのくちばしのちょっと先の空気を、右手の人差し指でちょいちょい、となでるフリをした。
 向こうからしたら私はとてつもない巨人で怖いだろうし、こちらからの接触は両手の中にすっぽり入って来るとき以外、あくまでエアーなのだ。

≪カチューシャ、街で宿を取ろう。この男をまきたいし、あと雨も降るし≫

 白い犬がうなずき、颯爽さっそうと走りだす。手のひらサイズのタウやよん豆はいいとして、問題はフィオだな。

≪フィオ、この男の前で大きさ変えたら怪しまれちゃうから、街に出る直前で私たちとは別れて、そのまま森の中の道を進むフリ出来る?≫

≪えっ……≫

 あー違うから。早合点してそんなにショック受けない。

≪それで、男の視界から消えたら、小さくなって私たちの後を追うの。私、ちゃんと街の入り口で待っているから≫

 こう、びゅーんと高速で道沿いに飛んでだな。入り口横の陰で待機している私のところにささっと来て、荷物の中にすぽんとジャンプ。
 この森って旧街道側だから、いつもみたく街への入り口は小さいでしょ、きっと。兵士も立っていないだろうし。

≪そ、そっかぁ。ボク、頑張る≫

 うん、頑張れ。緑の腕にぽんぽんと触れる。ほっとめ息をつくフィオに、にかっと笑いかけた。

≪ただし、この男がしつこくくっついていた場合は、見つからないように方向転換して森に隠れてね。他の人が見てても一緒だよ。
 静止しなければ大丈夫。あの速さなら、大きめの鳥だと勘違いしてくれるだろうから≫

≪了解っ≫

 フィオが指二本だけ立てて、ピース・サインに挑戦して……苦戦してるね。親指だけ立てた『いいね!』サインの方が楽だよ、これね。

≪こう?≫

≪お、いい感じ!≫

 本当はこのシチュエーションだと、『ラジャー』って敬礼するか、ガッツポーズが似合いそうなのだけど、水は差すまい。
 まずは興味を持って、真似するのが大事。少しずつ人間の動作にも慣れて、人間の習慣や考え方にも慣れて、二度とだまされないでほしい。

 どうも話を聞いていると、霊山に閉じ込められたのも、奴隷契約を結ばされたのも、人間の悪知恵と欲深さをちゃんと警戒しなかった結果って感じがするのだもの。
 こっちの文字の勉強も、フィオと一緒にしている。昨夜からは邪魔者がいるから無理だけど、二人で手帳を眺めては朝晩おさらいしていたのだ。

 スキエンティア・エスト・ポテンティア、『知識は力なり』だよ、フィオ。

≪もう少し先で分れ道。右に曲がれば街へ行けるわ≫

 カチューシャが戻ってきた。あともうちょっとの辛抱か。それまで横のカマキリ男は透明人間。見えているけど、見ない。無の境地を会得するための知育教材だと思おう。



「フィオ、セイレ」

 私はフィオがお腹側にずっとしょってくれていた一番大きな荷袋を受け取り、背中に背負いなおす。フィオに向かってわざとらしく手を振りつつ、森を横切っている旧街道から外れて、街へ続く脇道に入った。

 フィオも緑のちいちゃな手を振って、森の中の道をゆっくりゆっくり歩いて行く。その後ろを飛ぶのは、ラベンダー色したシマエナガもどき。
 一人だけだとさびしそうなので、タウにもフィオ組としてのグループ行動をお願いしたのだ。

「あの竜と鳥とはここで別れるのかい?」

 ちょいちょい話しかけてくるよね、この人。面倒だから、ひたすら笑顔で誤魔化し、てくてくてく。
 よん玉精霊もフィオを追うのかと思いきや、なぜかこっちに転がってくる。困ったな、人里が近いのに。

「森の使いを連れていく気かい? 長年の研究で、大陸のこちら側では魔術は一切効かないと判明しているのだが……南方の術を施したとか?」

 だから黙秘だってば。魔術狂の爺様だって答えを知らないもの。いつも通り風の指輪を握って、重たい荷物へ防音と軽量化の風の膜を張ることに専念する。
 紫の宝石部分は手の内側に隠しているし、コートの袖自体が長いから、多分バレない。きっとバレない。




 そうしてやっと森を抜けました! ストーカー付きだけど。
 荷物を傍らに置き、風の指輪もポケットの中に滑らせる。森へ振り返り、まずは両腕をすっとわきに垂らした。
 『お邪魔しました』と心の中でお断わりしながら、この森の神様に一拝し、ここに住まう植物に一拝、獣に一拝、この森の虫と虫類両生類微生物たちに一拝。そしてこの国の四大精霊に因んで、四拍手。

 合わせた手を少しずらし、静かに目を閉じて、諸々皆々様に御礼を伝える。竜騎士には出会ってしまったけど、誰も斬られなかったし。守ってくださってありがとうございます。
 清らかなお水も頂戴いたしました。万福柿も美味しかったです。雲の樹に頂いた香枝も大変良い香りでした。星の樹に頂いた火の花も大切にします。
 あと、野営地あとでお別れした月下美人もどきの女王様、再会できてうれしかったです!

 あふれ出す感謝の気持ちが小さな小さな光の粒となって、まるで身体から森へと流れ出す気がする。そして左右ピタリと手を合わせると、今度は逆に優しい光が森から全身へ入ってくるような。
 最後に目を開けて、腰から深々と一拝。

「……今のは、南方の風習、かな?」

 さあ? もしかしたら、そういう風習があるかもね。お辞儀や拍手かしわでの回数はさっきのと違うけど、日本のおじいちゃんは山や林に出入りするとき、欠かさなかった。
 物心つく頃には横に並んで真似してたからなぁ。今更やめるほうが収まり悪い。

「誰にお辞儀していたんだい?」

 お兄さんしつこいな。仕方ないので後ろを振り返り、右腕全体をまっすぐ森へと指し示す。そして森全体をぐる~り、と囲うように円を描く。

「……森にお礼?」

「ソウソウ」

 あ、その目は『こいつ変わった奴だ』と思っているときの目だ。変人扱いは慣れてるからいいけどね。ふんだ。
 自分の領域じゃない場所にお邪魔するなら、ご挨拶するのが礼儀じゃないか。なんで変だと決めつけるんだろう。

 指輪をはめるついでにコートのポケットを広げると、よん豆が地面から華麗にジャンプした。左右の腰ポケットに大福餅が二つずつ、ポコポコ入っていく。
 よし! 街に行くぞ。

「今日はあの街に泊まるのかな」

 ふむ。街も見えてきたし、戦術を変えるか。

「リュウキシ、リュウ、ココ?」

 私は街を指差した。

「そうだ。私の竜は『**』サーレ、唯一の外宿そとやどで待っている」

 街の名前の最後によく付いている「サーレ」という音が、『街』という意味だと私が理解してからは、念話通訳でもそのまま聴こえてくるようになった。

 ただし個々の街の名称自体は、爺様やカチューシャが『大きい坂』とか『埋めた田んぼ』とか、わざわざ意味をしっかり意識しながら念じてくれないと伝わらない。
 地名や人名って、普段は語源だの定義だの一々考えないもの。さらっと『オーサカ』だの『ウメダ』だの言われた日には、相変わらず『**』と変換される。

「リュウ、ココ? ココ? ココ?」

 あちこち指差す。まだ『そこ』って単語が言えないから、全部『ここ』になってしまう。

「いや、そこら辺ではなく。そうだな、外宿は東側へだいぶ回った所になるかな」

 なんと通じちゃった。昨日から思うのだけど、この人すごく勘がいいんじゃないだろうか。それとも頭がすごくいいのかな。こちらが言いたいこと、片言なのに次々に当ててくれる。
 ……やっぱり、要・警戒カマキリだ。

 有能なんだろうけど、事情を話して頼るにはリスクが高すぎる。騎士って、兵士ってことでしょ。国の命令一つで誰かを殺せるように訓練された人だよ。
 おまけにすでに私たち以外の存在へ忠誠を誓ったからこそ、騎士になれたのだ。離反してくれる可能性は一般市民より低い。

 爺様も言ってたしね、神殿の魔導士が何人も関与しているから、国の上層部の誰とつながっているのか判らないって。



「リュウキシ、セイレ!」

 街壁のきわまで来ると、私は長身の竜騎士を見上げて、手を振った。旧街道への寂びれた出入り口だからか、やはりここも兵士が詰めていない。外に出た住民がいるのか、置き忘れたままなのか、こちら側にも精霊四色の飾りひものついた鍵がぶら下がっている。
 この裏扉を押して、街に入って行くなり、外宿の騎竜に会いに行くなり、お好きにどーぞ。

「街に入らないのかい?」

 うーん。首を傾げてから、こくん。
 入るけど、入る前にちょっと待つ。えーと、そうだ。お花摘みなのです! 下腹部を押さえて、視線を逸らして、気まずそうにそわそわそわ。

「……一人で本当に大丈夫か。親は?」

 ふるふるふる。
 いるけど、いない。向こうの世界の人だからね、この世界では天涯孤独。

「保護を求める気は?」

 ぶるんぶるんぶるん。
 断固拒否だ、そんなことしたら暴れて舌かみ切るよ。

「……まぁ無理にとは言わないが、子どもが一人旅なんて危険過ぎる。この地方は王都に近いからまだ治安も良いし、伝統的に異国との交流も盛んな土地柄だが、ここより北は天候も人もどんどん厳しくなる。余所者は大変だよ」

 あれ、この人ってもしかして、ちゃんと心配してくれてたのか。フィオに剣向けたから敵だと警戒していたけど、ミジンコほどなら考えを改めてあげてもよくなくないかな。

「私の名前は『**』、風の第四師団、参謀本部の『**ムッド』だ」

「むどっ?」

 すんません、爺様の念話通訳と被って聞き取れませんでした。

「そう。ディル・ムッド、だ。ディルムッド」

「でぃぃむっっど」

 今日も頭をぽんぽんされる。うむ。これは、悪くないぞ、黒竜。じゃない、カマキリお兄さん。

「何かあれば、頼っておいで」

 竜騎士は切れ長の瞳を優しく細めた。諦めの混じった微笑みのまま、濃い紫のマントを鯔背いなせにひるがえして、外宿がありそうな方向へと消えていった。あーなんか、いい人っぽかった、少なくとも最後は。
 生贄いけにえささげるような魔導士はともかく、大半の人間は根っからの悪人ってことはないか。

 ちょっと失礼なことしたかな。サンドイッチ、ケチらずにもう少し塗ってあげておくんだった。



≪芽芽ちゃん!≫

 うわっ。フィオがマッハで来た。君そのスピードで突っ込んで、よく突然停まれるね。って、荷物開けてなかった、今開けるから早く入って!
 後からオタオタと追いかけてきた小鳥はどうしよう。

≪タウも一緒に中でいい?≫

≪いいよ!≫

 元気で何より。小さな紫鳥と小さな緑竜を、もう一度だけ見納めて、皆でニッコリ今日も笑顔。
 オリーブグリーンの大袋の口を締め、背中に背負い、風の指輪を握りしめた。さあ、新しい街に入りますかっ。






****************

Scientiaスキエンティア estエスト potentiaポテンティア、ラテン語です。英語圏や欧州では、時々ラテン語が登場します。日本人にとっての四字熟語や漢文みたいなものです。
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