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黄色い街(ボウモサーレ)

60. 街で雨宿りする

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 街壁の扉を開けた瞬間、時を告げる鐘の音が街中に響いた。

 今はお昼の部だと思う。四刻1セットで、順に地の刻・水の刻・火の刻・風の刻。それぞれ音が違って……短調で高音だから多分、『昼の風の刻』かな?

 黄色い土壁と黄色い石畳を多用した明るい家が並んでいる。マンチキンたちが踊りながら行進してきそう。
 行き交う人々の背丈は私よりもずっと高いから、ロリポップ・ギルドが飛び出す可能性は低いのだろうけど、気分は完全に愛犬トトをリュックに背負ったドロシーだ。
 とりあえず、『黄色い煉瓦れんがの道』を進め! 街の中心地、広場を目指そう。

 今日は現代の休日、『風の精霊の日』。メリアルサーレでもそうだったように、精霊の日には毎週、広場でいちが立つ。ただし風の精霊だから、風に分類された職種である輸送・運送・配送関係や繊維服飾関係、街と街をつなぐ駅馬車がお休みだ。
 ちなみに、『秋の土の月』の最終日でもある。

 竜騎士のせいで一気に減ったパンも、買っておいたほうがいいのだけど……気分的に固形物より果汁が飲みたい。

≪芽芽、あそこ。空いてる≫

 広場に到着すると、カチューシャが中央花壇を鼻先で示す。なんでだ?

≪とにかく行く!≫

 はぁ。

≪荷物降ろす!≫

 こうですか。

≪唄う!≫

 いやちょっと待て。

≪私、なんで唄うのっ≫

≪だってあんたは旅芸人でしょ≫

 花萌葱はなもえぎ色のバンダナを巻いた白い犬が、淡々と答える。――かのように見せかけているけど、微妙に目を逸らしているのを私は見逃さないぞ。

≪今までそんなことしなかったよねっ≫

≪昨日したじゃない≫

≪あれは突発的非常事態っ≫

 犬っぽくうなったって誤魔化されないよ。

≪ボク、芽芽ちゃんの歌聴きたい≫

≪タウもーっ≫

 わちゃ。変なところから援護射撃が来ちまったい。

≪一曲だけじゃ。確かめたいことがある。唄ってみよ≫

 熊爺からもミッション来た。何かまたカチューシャと企んでいやがるわね。いっそのことお線香を大量点火して、幽霊のおき上げでもしてやりたい。

≪……理由は?≫

≪確かめてからじゃ≫

 こーなると絶対話してくれない。一応ミーシュカを両手でつかんで、わさわさ揺すってはみるが、反応ゼロ。肉体死んでるからって、魂まで死んだフリするなっ。

≪神殿の魔導士は関係ない?≫

≪安心しろ、周囲にそれらしき気配はない≫

 爺様だけでなく、カチューシャもうなずいている。もー、一曲だけだかんね。
 水筒を取り出して、一口含んで喉を潤す。首と肩をほぐして、目を閉じる。

 やっぱりこの街で唄うなら、ドロシーちゃん一択でせう。

 思い描くは、七色に輝く虹。雨が空気を清め、風が大地のちりはらい、雲間からはふたたび陽の光が降り注ぎはじめる、その刹那。
 虹の向こう、はるか彼方にある理想郷。夢がかなう場所。

 目を覚ましたら、本当にすべての問題がレモンあめのように溶けてしまえばいいのに。フィオの首の黒い糸も。人間が戦争を望む気持ちも。
 そして竜の大陸に皆で旅立つのだ。青い鳥が虹を越え、羽ばたいていくかのように。

 ――ちゃりん、と足元から金属音がして、現実に引き戻された。広場にいた人たちがいつの間にか周囲に集まって、爺様の背負い袋の上部に出来たくぼみへと、入れ替わりお金を置いていってくれる。
 およ、拍手ももらってしまいましたよ。どうしませう。
 えーと。お辞儀しよう、ぺこり。

≪もっと唄えって言ってるわよ≫

 カチューシャ、それ貴女が言っているだけではないかね。

≪自分でちゃんと見なさいよ。ほら、あっちとかそっちとか口々に≫

 周囲の拍手が催促っぽくなってきた。これはあれか、アンコールってやつですか。

 調子こいて、そこから二曲歌ってしまった。残りは恋の流行歌。兵役で戦争なんか行かずに、幸せな家庭を築きたくなるような、純粋に相手を想う歌。愛がいかに素晴らしいかを語った歌。
 ぺこり、とお辞儀して、拍手の催促を抑えるためにも、大慌てで爺様の斜め掛け袋ボディバッグに頂いたお金を仕舞った。風の指輪を握り、フィオたちの隠れている荷袋も背負い込む。

 井戸横のベンチに座っていた白髪のおばあさんトリオが、いつの間にかつえをつきながらやってくる。私の手の上にそっと馬助銀貨を置き、しわくちゃの両手で大事そうに包んでくれた。
 フィオや私の食事を買おうと市場を回ったら、店主のおばさんやおじさんも笑顔でおまけしてくれる。こんなに手放しで褒められたこと、人生初かも。

 皆さん、なんていい人たちなんだっ。技巧はともかく、気持ちは精一杯込めたよ。おばさんもおじさんも、権力者どもの金稼ぎせんそうなんかそっちのけで、好きな人と幸せになっておくれ。
 恋はいいよー、恋は。したことないけど、いいはずだ、きっと。



****************



 パラつきだした雨の中、テンション舞い上がったまんま、カチューシャが探してくれた宿に入った。オルラさん発の伝言葉書を見せて交渉して、自分の名前を宿帳に書き込む。
 なんだか今日は、字が輝いているように見えるよ。人間、褒められるって大事だね。心の主要栄養素の一つだと思う。

 カチューシャと一緒に部屋へ入ると、タンポポ型の鍵を閉める。腰ポケットを引っ張ると、よん豆がぽよよよーんと飛び出して、床をコロコロ転がりだす。リュックの口も開けて、フィオとタウが出てこれるようにした。
 巻いていた爺様の勝色ローブはハンガーへ。窓枠の楓葉メイプル型の木彫りをつかみ、窓を一つ、わずかに開けて風を呼び込む。ベッドの横のサイドテーブルを部屋中央に移動させ、風の指輪を設置して、部屋全体に防音膜を張った。
 タウは初参加だけど、他はどれも宿に泊まったときの定番となってきた動作だ。

 もう一度外出して御伽おとぎ話を読んでくれる人を探したかったが、部屋で一息ついた頃には、雨が本格的に降りだしてしまう。
 仕方ないので窓も閉め、月下美人さんが別れ際、私の足元に落としてくれた精霊各色の花四つを机に飾る。ジャスミンみたいな甘い香りが漂った。すると花の横にぴょーんとジャンプしたよん豆が、昨日みたいにぱふんと花に変身してしまう。

≪な、なんで変身するの?≫

 いてみても、花びらがふよふよ揺れるだけ。困っていなさそうだし、好きにさせますかね。私は私で、手帳のお小遣い記録を開いた。

≪芽芽は生真面目すぎるな≫

 なぜそんなことを、とあきれ気味の声がした。

≪爺様、お小遣い帳は大事だよ≫

 机の上のミーシュカを真っ直ぐこちらに向け、中の爺様をじっと見つめる。

≪普段、わずか1イリをバカにしている人はお金を雑に扱うクセが付いて、いつかたった1イリが無くて泣くハメになるんだよ≫

 本当は1イリより下の単位もあるけど、イギリスのペニーみたく会話では省略しているのか、発音してくれない。ということで『イリ』で説明した。
 『1銭を笑う者は1銭に泣く』である。お小遣い帳をきちんと付けるのは、お金を大切にする第一歩だ。
 金銭感覚だって養われるでしょ、物価の変化も把握できるでしょ、そしたら世間の動向も解るでしょ、と指摘すると、爺様が≪むむむ≫とうなっている。

 きっと魔術ばっかりに情熱を傾けてきた人生だったのだろう。実生活の情報がすこーんと抜けてるのよね、爺様って。困ったもんだ。

≪あのさ、爺様。提案があるのだけど≫

 手元の硬貨を種類毎に分類して、数も確認した。ひと段落ついたので、荷物の中から裁縫セットと、爺様が霊山の結界に穴を開けるために使った四つの魔石を取り出す。

≪これ、一つずつ、ミーシュカの手足の先に入れてみない?≫

 だって魔道具って、魔石のエネルギーを使って動かしているのでしょ。もしかしたら爺様も手足が動かせるようになるかもしれないじゃない。あるいは、魔石を通してのエネルギー補給くらいはかなうかもしれない。

≪魔道具の魔石は、魔法陣を組み込んであるから作動するのじゃが≫

≪だったら爺様、得意じゃん。自分で書けばいいでしょ≫

 たんたんたぬきさん袋の話の時に、≪肉体があればぁぁっ≫て、超残念がってたじゃん。熊のミーシュカは指が分かれてないから、イリュージョンで中指おっ立てられるように頑張って。

≪芽芽は、自分の人形から出ていってほしいんじゃなかったの?≫

 カチューシャが怪訝けげんそうに首を捻っている。

≪んー。最初はね。でもいろいろ助けてもらったし、お礼、かな。今だって本当は、他の入れ物に移動できるようになったら、ミーシュカを返してほしいけど。
 でももう爺様が中にいるのに慣れてきちゃったからなぁ。だったらより快適になるかもしれない方法を試してみよっかなって≫

 まぁ、ダメで元々だよ。これから先、荷物を検査される日が来るかもしれない。その時のことを考えたら、高価な魔石は見えにくい所に隠しておきたい。爺様に何ら効果がなくたって、少なくともそれで一石一鳥。
 おじいちゃんのお守り石が一つ紛失したのも不安になった原因の一つ。野営地あとで出発するまであちこち探して、結局どこにもなかった。本当にタウに変身したのかもしれないけれど、見慣れた石が朝起きて消えてしまうのはさびしい。

 とりあえず黒光りする魔石を机に並べて、その上で音叉おんさと鈴を鳴らしておく。向こうの世界で天然石を浄化する方法だ。

≪解った。試してみよう≫

 爺様の許可が出たので、ミーシュカの手足の縫い目をスイスナイフで解いていく。糸は勿体もったい無いから、一か所切ったら、そこからはナイフの刃を逆さにして、切らずに丁寧に引っ張り出す。

 一か所準備が整ったら、魔石を一つ、両手の中に包み込む。心の中で、爺様へ力を貸してくれるよう、石にお願いするのだ。

 精霊卵でなくたって、どの石もどんな金属も彼らなりに『生きている』と私は思っている。水晶が気の遠くなる年月をかけてむくむく成長していく様は、とても無機物では片づけられない。きっとこの子たちも『いる』のだ。
 だから真摯に、誠実に話しかけて、最後によしよし、となでて愛情を伝える。

 それからミーシュカの体内の綿を動かして、魔石をねじ込んで、今度は針でちくちく縫った。

 両手両足の先に石が入ってぬいぐるみが重くなったけど、小学校の頃から大量の本抱えて毎日移動してる身としては、どうってことない。
 手足のもみもみ具合が固くなってしまったのは残念だが、ミーシュカは爺様に身体を提供してあげちゃうくらいの心の広さだ。しばらく我慢してくれるだろう。

 壮大な外科手術に耐えたミーシュカの頭もよしよし、となでてあげた。中を開けるなんて、ガムラン心臓の移植以来だよ。偉い子だ。

 それから一日ぶりにフィオとアルファベットの復習して、単語リストを音読して、御伽おとぎ話本を爺様やカチューシャに念話翻訳してもらって。
 今日はタウも加わり、五人でワイワイ過ごしていると、夕食の時間が来るのはあっという間だった。






****************

※今回の歌は、『オズの魔法使い』から“Over the Rainbow”です。

 アメリカのセントもそうですが、英国のお金の最小単位ペニーは、例えば£1.50(1ポンドと50ペンス)だったら「1ポンド50」と、発音しないことが多いです。
 ペンスはペニーの複数形で、わざわざ言うとしても頭文字のPだけ、「50ピー」と言ったり。向こうの世界も、そんな感じで会話しているのだと思います。

「たんたんたぬきさん袋」については、「17.夜、おしゃべりする」をご参照くだされば。
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