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黄色い街(ボウモサーレ)

63. 街から逃げる

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≪ここよ≫

 雨が容赦なく降りしきる中、カチューシャが振り返った。家から漏れる明かりもわずかで、視界は最悪。
 でもそのおかげで、フィオはリュックの中に隠れる必要がない。私と同じ背丈のまま荷袋をぽってりしたお腹側に抱え、隣を歩いてくれているのが心強かった。

 タウは私のフードの中、よん豆大福は左右のポケットの中に入っている。熊爺様は首からぶら下がっている。カチューシャとフィオは、自分の魔力を変形させて風の傘を頭上に作れる。
 精霊四色の折り畳み傘を差した私だけが、ねずみの一途を辿たどっていた。美魔女さん宿のメリアルサーレで購入できたけど、この雨の勢いだもの。

 狐火きつねびのような火の玉を作り、前面を照らす。数メートルの高さに積み上げられた分厚い石の街壁が、そびえ立っていた。

 今朝くぐった小さな出入り口も、偵察に行ってくれたカチューシャによると、扉の上に探知式の魔道具が新たに取り付けられていたらしい。ぐぬぬ、竜騎士め。
 なので街の反対側、さらに私の脚力を考えて、その中でも宿から一番近い街壁を目指したのだけど――。

≪扉はどこ?≫

≪扉はない。壁を動かす≫

 爺様がさらりと答えた。でも街をぐるりと囲む壁には、結界が組み込まれていたはず。

≪この街は新しい。畢竟ひっきょうここの街壁には古代の魔力の影響もなければ、長年数多あまたの魔導士が増築や改築のたびに、雑然と付け加えた無駄な結界もない。
 あるのは、ワシが開発した魔獣除けの結界だけだ≫

 そういえば、いろんな魔道具を開発した御仁でした。結界もお手のモノだったもんね、『しがない教師』ってば。

 街壁の結界を突破しようとする魔力が感知されると、まず自動的に詰所へ通知が行く。確認しにきた兵士が付属の魔道具で解除しないと、しばらくして自動的に街全体で非常事態宣言が鳴り響く作りなのだそうだ。
 さらに一定時間が経つと、この地方の管轄者へ自動的に応援要請の連絡が飛んでいく。もっと経つと、王様へ自動的に連絡が飛ぶ。
 何その国家レベルで超はた迷惑な、ドミノ式目覚まし装置。

≪……うわぁ、うかつに手が出せないじゃん≫

≪問題ない。ワシが作ったものは全て、“不完全”にしてある≫

≪へ?!≫

≪完璧にしておくと、それを悪用されたときに止められぬじゃろーが≫

 なるほど。マッドサイエンティストにもありんこほどの良心は残っていたのね。つまりこの結界も完璧に作ってないから、知識さえあれば突破できる、と。

≪通常稼働には“のびしろ”も考えて、余裕を持たせているからな。新米の魔導士が多少無茶をしても受け止められるぞ≫

 ご配慮に感謝です、かつての爺様。下手にいじって、冬でもないのに魔獣襲来だと勘違いされたらアウトだ。

 それにしても。何重もの通知が必要って、どんだけ危険な魔獣がウロついているのだろう。もしかして攻撃用の仕掛けもあるの? といたら、しばし無言になった。
 入れてるな、これは。爺様の性格だと、絶対こじゃんと組み込んでるっ。

≪ワシの言うとおりに動かせば問題ない!≫

≪言うとおりに出来る自信がない新米だから不安なんでしょっ≫

 爺様とカチューシャの言うことって、いっつも大事な情報が抜けてるんだよね。いいように手の平で転がされている感じ。
 まぁ、教えたら緊張しすぎて余計に失敗するって思われている可能性もあるのだろうけど。何かが何か、納得できないよなぁ。

≪ひとのほおつねるなっ≫

 ぬいぐるみの中の爺様の片ほおを引っ張るイメージをしたら、しっかり伝わったらしい。

≪二人とも! ぐだぐだ遊んでないで、さっさと結界に穴を開けなさいっ≫

 はいいいっ。カチューシャから大音量で念話の雷が落とされ、一気に周囲の空気がしゃきーんとなる。
 やります、謹んで取りかからせていただきます!



≪土の魔術、使い方は教えたな?≫

 うん、覚えてる。用意していた土の指輪を握りしめた。
 結界は、土の魔術の領域。黄色い月から降り注ぐ光線が基礎となる。私は霊山で結界の穴から魔石を取り出したときのことを思い出した。それからフィオの首周りの黒い糸が見えるようになったときのこと。

 眉間の心眼を開くイメージだ。
 外を見るのに必ずしも肉眼は必要ない。人間にはもっと別の次元の認識力がある。必要なのは、『難しい』とか『出来ない』って頭の中の思い込みを排除すること。

≪――見えた。もう少しこっちがいい≫

 結界の隙間が地面により近く、大きいほうへ移動する。

≪芽芽、傘が邪魔になるわよ。
 タウに命じなさい。その子、風は得意でしょ≫

 私が頼む間もなく、フードの中に隠れていた小さな紫の鳥が元気よく外に飛び出す。そして私の頭の真上でホバリングし始めると、雨が当たらないように私を風で覆ってくれた。

≪タウ、ありがとう≫

 下からお腹をエアーなでなでする。横に立つフィオも、タウと私に≪頑張って≫と励ましてくれた。火の玉の灯りも解除。
 よっしゃ、深呼吸して、壁に集中!

≪結界を構成する主線の影には触れるな。まずは外周の偽物の線から、魔法陣の文字を塊ごと移動させる≫

 爺様がどこを触って、どこを動かしていいか解説してくれる。指示通り、目の前の複雑な線に両腕を伸ばすイメージをする。ゴムひもで作った綾取あやとりと一緒。
 結界を崩さずにびよーんと伸ばして、間にある文字や図形を動かして、フィオが通れるくらいの大きさを確保した。

≪石自体は森での訓練と同じじゃ≫

 石壁の一つ一つを構成する石。じっと見つめて、ゆっくり押し出す。無理強いはしない。土を司る全ての存在に助力を祈り、石たち自身に動いてくれるようお願いする。
 私の身体を通して、雨雲の上の黄色い月から光が石に降り注ぐイメージ。

≪よし、そのくらいで通れるであろう≫

 爺様の声で現実の物質世界へ意識を戻すと、本当に壁穴が形成されていた。
 カチューシャがさっと先に出て、外の様子をうかがい、ふたたび街中に入ってくる。

≪大丈夫よ≫

≪じゃあ、フィオ。続いてきてね≫

 タウと私が先陣となって石壁をまたぎ、後ろで不安そうなフィオの腕を取る。そして、しんがりはカチューシャ。頼もしさピカイチなのだ、このあねさんは。

 外に出ると、皆そろって街壁を見上げた。眉間に集中して、周囲の空中に浮かんだままの石を元に戻し、引っ張ったままの結界や移動させた文字をゆっくり戻していく。
 焦りは禁物。追手とか見張りとか、何コレ夢じゃないのかとか、余計なことは一切考えない。

 土の神様と黄色いお月様と石たちに、お礼を伝えたら完了。



 街の外側をぐるりと取り囲む、大きな街道を歩いていく。こけないように、火の玉を常備。
 訓練された兵隊のように暗闇をザクザク突き進むとか、どうやったって無理。赤外線カメラみたいな視野があると便利なのだけど、自分の身体を改造する魔術はまだ手が届かない。

 体力をセーブするためにも折り畳み傘は差さず、タウに風の傘の作成を引きつづきお願いした。先導するカチューシャの白い尻尾が示す、わずかな地面だけが頼りだ。
 街壁がすぐ横手に感じられなくなってからは、どの道をどっちに歩いているのやら。暗くて右も左も判らない。

≪ねぇ、足がもう限界≫

 どのくらい歩いたのか判らないけど、これ、我慢していたら足がる。歩いてばっかりだから、この世界で何回か経験済みの症状だ。

≪あと少しだけ≫

≪ごめん、ほんとに痛い≫

 カチューシャに断って、その場でしゃがみ込む。お尻がれないよう、ぎりぎり地面には付けていない。そうしたら、タウが風の座蒲団ざぶとんを間に張ってくれた。
 ううう、情けが身にみるぜ。芸が細かいのう、おまいさん。あ、金蓮花きんれんかのお宿の浪花節が出ちまったい。

 しばらく足をほぐして、休憩して。また立ち上がって、雨の中を進んで。
 多分、カチューシャやフィオが普段歩く速度からしたら、相当遅かったと思うのだけど、夜が明けて雨脚が弱まった頃には、別の街が見えてきた。

 道の傍らに大きな広葉樹がぽつんと立っている。ポケットから飛び出したよん豆が、お互い競うように樹の根元へとぴょんぴょん跳ねて行った。

≪こんなところでお目に掛かれるとは珍しいな≫

 爺様が驚いている。

≪道路わきではあんまり見かけない樹なの?≫

≪うむ。普通は山奥じゃ≫

 風で種が飛ばされちゃったのかな。言われてみれば、同じ種類の樹はどこにもない。

≪樹さん、樹さん、根っこで休憩してもいいですか?≫

 話しかけてみたら、そよそよと枝を揺らしてくれた。にっこり笑いかけられたような、ほんわかした気持ちになる。

≪もしかして魔樹?≫

≪そーよ。芽芽ったら、何回注意しても無用心なんだから≫

 カチューシャが眉をうんとひそめて怖い顔してみせるけど、声はそんなに怒ってない。てことは、あんまり危険じゃないってことだ。

≪どんな魔樹?≫

≪葉も枝も根も、病気治療に重宝されるのよ。人里には生えないから、出会えるだけで物凄く珍しい樹。芽芽を気に入ったようね。ほら、根元に座れって≫

 およ。地面から根っこが盛り上がって椅子になった。フィオの分もお願いすると、何本かの根っこがダマになる。竜のぽよよんお尻を丁度乗せられるではないか。

≪ここなら安全だわ。少し待ってて≫

 白い犬の姿が街壁を目指して遠ざかるのを見送りつつ、休憩することにした。
 魔樹の根っこを迷路にしてコロコロ遊んでいたよん豆が、低めの枝にぶら下がる。それぞれ葉っぱに擬態しはじめたよ。ホント相変わらずの意味不明っぷり。

 水筒の紫果実水で喉を潤し、木の容器に入っていた夕食残りの紫デザートを摘まむ。
 林檎りんごジュースとミンスパイだ。今、初めて気がついた。
 パイの中身はスパイスがきつめだし、生地も含めて全体的に濃い紫色になっちゃってるから不明だけど、ナッツは入っていない。何かのドライフルーツかな。そしてやっぱり楓葉メイプルの形。

≪その樹に葉を分けてもらってんでおけ。疲労回復になる≫

 爺様が親切に教えてくれる。すまないねぇ、心配かけて。熊頭をなでなでしておこう。

 樹を見上げて≪いいですか?≫と断ると、パラパラと葉を落としてくれた。全部拾って左ポケットに入れて、一枚だけ試してみる。
 甘さや味はトロピカルフルーツのランブータン。そこにユーカリの清涼感が加わっている。うん、これ好きかも。

 隣にしゃがんだフィオは、自分がしょっていた荷袋から生果を取り出し、おいしそうに味わっている。
 「ガウバ」とがいう、念話不能なこちら独特の果物だ。一口かじらせてもらったら、台湾の棗子ツァオズみたい。林檎りんごと梨の中間っぽい味だった。
 薄い外側の皮と中央の種は辛子色で、果肉が真紅。色の組み合わせが、オルラさんを思い出す。

≪タウは?≫

≪んー、お腹空いてない≫

 元気じゃのう、きみは。もう雨はほとんど止みかけだし、木の下だし、傘作らなくていいんだよ、と言ったけど、まだ頑張りたいそうなのでお任せしている。

 人間と同じ食事はしないし、お腹が空いても自分で勝手に供給するとか言ってるから、やはりカチューシャと同じ魔獣方式なのね。爺様も気にするなと言っているので、自分の食事に専念した。



 なんだかなぁ、歩き疲れましたよ、わたしゃ。

 太い木の幹に、こてんと身体を預ける。前の日は、見知らぬ男の人が一緒の野宿で緊張したし。今夜は寝ずにずっと歩いたし。魔力もさんざ使ったし。

 オルラさん家のふかふかのお布団で寝たかったなぁ。ウーナさんの灯してくれる暖炉の火が無性に恋しいや。
 お姉さんのシャイラさんの姫部屋で、フィオが端っこに幸せそうに丸まって。カチューシャは常に警戒態勢のお方なので、ドアの前に陣取って丸まって。
 爺様は書き物机の上でふんぞり返るでしょ。タウやよん豆はどこでまったりするのかな……。

 呼吸がどんどん規則正しく、ゆっくりとしたものになっていく。遠くの街から、時を告げる鐘の金属音が響く。
 地平線から完全に姿を現した太陽の光に包まれて、私はそのまま夢の国へ旅立っていた。






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