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灰色の街(ロザルサーレ)
68. 暗殺集団に狙われる
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――と言っても、いつもの早歩きなのだけど。そしてその早歩きも大した速度は出ないのだけど。
均衡を崩して何度もこけそうになったのに、不思議とふわふわ走りつづけていられた。
卵トリオが周囲を固めて、少しでも早く移動できるように手助けしてくれるからだ。紫小雀は風の力で、赤魚は火の力で、青蜻蛉は水の力で。
カチューシャの姿は見えない。足音はするから、後ろを守ってくれているのだと思う。
≪魔導士! 帰る! 全員!≫
フィオの大きな声が脳裏に響いた。はっとして振り返ると、四つの月に照らされた竜の姿が空に浮かんでいる。
一緒にいるのは、魔導士たちなのだろう。一人ものすごく太った影が遠くに見えた。おかっぱ鬘だ。あとは数人が、竜を取り囲むようにして、空を飛んでいる。
目を凝らすと、一人だけ高度が低い。こちらに向かおうとしていた片足の不自由な金髪染め男が、何か毒づきながら、ふたたび竜の所まで上昇した。
あ、私狙われてたのか。まったく気づかなかった。
≪芽芽、早く!≫
カチューシャに促されて、また歩きだす。いや、『走りだす』と思わなきゃ。
気持ちだけでも前へ前へと頑張るのに、足がしきりに疲労を訴えて、もつれてしまう。タウが背中を風で押して、アルンやナイアが左右から両腕を引っ張って助けてくれるけど、身体がだるい。
――無理だよ、そもそも脚がもう動かない。
地面にへたり込み、尻もちをつく。その途端に涙が溢れてきた。
違う、泣きたいのはフィオだ。ごしごし目をこすって、涙をぬぐった。
上半身を後方に捩じると、フィオの姿が小さくなっていく。まるで月に帰ってしまうかぐや姫みたい。お供の者を従えて、ときどき後ろ髪を引かれつつ……というより、さっきみたいに編隊を外れる魔導士がいないか確認してくれてるんだ。
フィオ、その人たちに囲まれて怖いよね、ごめんね。あれはお姫様なんかじゃない、連行される囚人だ。
向こうのほうに駆けつけた兵士たちも皆一様に夜空を見上げ、呆然と立ち尽くしている。やがては指さしたり、手を振ったり。こっちの世界の人にとっても珍しい光景なのかな、ちょっと意外だった。
≪芽芽、お願いだから立って! このままだと兵士たちに見つかるわ≫
カチューシャだけでなく、タウたちも私を地面から引っ張り上げようとする。私は街壁に手を沿え、時おり身体を預けながらも街道を進む。カーブを曲がり、やがて後ろの兵士からは完全に見えない位置に来た。
ちょっとしゃがんで泣いて、泣きながら歩いての繰り返し。蟻の歩みでもしばらく続けていると、明るく照らされた街が遠ざかっていく。
さっきは兵士が数人、街の外周を走って街壁の周囲を確認していたっけ。慌てて街道わきの茂みに身を潜めたのだけれど、点検の次はこっちの道までやってくるのだろうか。
≪あそこ。あの木のところまで行ったら、休んでいていいから≫
カチューシャに促されて前方を見ると、大樹が枝を広げている。あの根っこなら身を隠せそう。あと少し。あと数歩。いや、まだあったか。
でもあと一歩、あと二歩。がんばれ私。
****************
≪しんどい……≫
荷物を降ろして、木の根元に腰かける。ふぅー、と長い溜め息をついてから、やっと周囲を眺めると、なんだかやけに親近感。
≪芽芽、首のコレ、取って≫
バンダナのことかな。カチューシャが私の膝に首を押し付けてくるので、花萌葱色の布の結び目を言われるままに解く。
≪それから、私に命じなさい≫
≪何を?≫
≪いいから。『守れ』って言うの!≫
よく解らない。考えるのが億劫なので、言われたとおりに『守れ』と念話で繰り返す。木の幹にへろん、と頭を寄せると凹み具合がぴったし。
≪……あれ、ここ、朝寝てた場所?≫
もしかして、元来た道を戻ってるのか。それはマズイのでは。
慌てて立ち上がろうと思って、根元を触ると何かが地面に滑り落ちた。キラリと光った小石のようなものを拾い上げる。――『金竜』硬貨?
≪そう、朝の待機場所よ。そんなことより、チビの三匹、芽芽の周りを離れるんじゃないわよ≫
白い犬が街のほうを睨みつけ、大地を踏みしめた四肢に力をこめたまま、背後の私たちに向かって返答を放り投げてくる。兵士の姿が見えないのになぜ。
≪来る!≫
カチューシャが微かな唸り声を絞りだす。
ざざざ……と街道わきの畑が、遠くから波のようにうねり始めた。
何かがこちら目指して全速力で走って来る。また野犬?
荷物と木の根の間に膝をつき、驚いたまま何も出来ずにいると、急に黒装束の人間が何人も現れた。
頭を低くしたカチューシャが、体毛を逆立てて全身で威嚇している。タウもアルンもナイアも、私の周囲をぱたぱた気忙しく飛び交いながら、一斉に臨戦態勢に入っているのが伝わってくる。
≪芽芽、動いちゃ駄目よ。わたしたちに任せて≫
≪う、うん。……カチューシャ、この人たちって魔導士?≫
≪の手下の、暗殺集団≫
思考が一瞬停止した。え、何、魔導士ってコルシカとかシチリアのゴッドファーザー的立ち位置ですか。国の表のトップ頭脳職じゃなかったの。
頭の中が混乱したまま見上げると、筋肉隆々の不気味な塊が私たちを取り囲み、じりじりと間合いを詰めていた。
皆、両目の部分を残し、黒い布で全身を覆っている。こっちが緑のコートの魔法で幼く見せかけたって、手加減してくれそうな雰囲気じゃない。だって居並ぶのは……ロボットみたいに善悪の判断を放棄した虚ろな目。
――誰か助けて。
私はさっき拾った金竜金貨とカチューシャのバンダナをぎゅっと握りしめ、身体の震えだけでも止めようと足掻く。歯までガチガチと鳴ってしまう。
いきなり飛びかかる男たちに対して、カチューシャが地面を蹴って飛び出した。なんだか全てがスローモーション。
真っ白な大型犬が一番近くの数人を倒していく。双方の動きが早すぎてよく見えないのだけど……もしかして、いつもの『首を掻っ切る』ってやつですか。
いや、あっちの男が、ふたたび起き上がったから違うのかな。でも、さっきの男はもう起き上がらない。
殺伐とした空気に呑まれ、すっかり固まっていたら、横に回った別の男がすぐ傍で鎖鎌をじゃらじゃら鳴らしていた。
えと。火の玉、えと、魔法で出して、それでえっと――。
≪――ナ、ナイア! あの、その、あ、ありがとう≫
男はナイアが急に繰り出した水の塊を腹部に撃ち込まれ、後方へよろめいた。その間にタウが風の膜を私の周りに張り巡らせてくれる。そして尾ひれを揺らめかしたアルンが、男を目掛けて突撃していく。
一気に人間が炎に包まれ、咄嗟に目を瞑ってしまった。風の膜のおかげで視界がぼんやりと霞むようになったから、あまりエグくないとは思うのだけど……こればっかりは条件反射ってやつ。
ホラー映画が一切見れない私にどうしろと。
≪タウ、アルンもありがとう。それから、カチューシャも≫
手足を抱え首を竦めて亀状態になりながらも、せめてのお礼だけは絞り出す。
≪煩いっ≫
はい、黙ってます姐さん、すみません。
ぐじぐじぐじ、と風の膜の中でいじける。カチューシャの意地悪。もちっと言い方ってものがあると思うんだ、言い方ってもんがさ。
≪あーもう、キリがないわ。チビども! 確実に仕留めて数減らしてくわよっ≫
カチューシャの右後ろ脚が、地面を苛ついた様子でじゃり、じゃり、と掻いている。その背後で、卵トリオの声が元気よく≪合点承知の助っ≫とハモった。
こっちの世界でもそれに相当する言い回しがあるのか。そういや英語でもあったな。
にしても、私ってば本当に何も出来てないよ。多少は魔法の練習したのに、本番になったら大木を背に風のシャボン玉の中入って、震えながら皆を見守るだけ。
風の膜と夜の闇でだいぶぼやけているけれど、スプラッタな音がするたび、目をぎゅっと閉じてしまう。いやもう、血が身体のあちこちから噴水みたくドピュッとかプシャーッとか。金属だか骨だかがゴキッとかバキッとか。
でもここで死ぬわけにはいかない。フィオを助けに戻らなきゃ。ここからだと神殿まで何日だろう。えーと、今日はこの世界に飛ばされてから十日と……何日だっけ。手帳を見ないと判んないや。
爺様は魔導士に取り上げられずにいてくれるだろうか。秘密の念話でフィオを励ましてくれているだろうか。
万が一、ミーシュカの身体がボロボロにされても、中は幽霊だからきっと大丈夫。フィオは開戦まで、絶対に殺されたりしないはず。
でも全部、憶測だ。二人とも、ごめん。ミーシュカも、ごめん。こんなに無力な私でごめん。
何もかもが情けなさすぎて、うつむき加減の亀体勢のまんま、奇妙な乾いた笑いが込み上げてくる。
「******!」
上の方で人間の声がした。念話じゃなかったけど、このバリトンボイス、知ってる。
「ディル……ムド……?」
はて。なぜこんなところに。フィオを囮にすることを黙っていたカチューシャ頼みの情報だけど、今度こそ竜騎士につけられてなかったはずだよね。
まぁここも近隣の街の一つだから、可能性潰していけば当たるのかな。
「******!」
夜空に大きな雲が突然かかって――紫の竜騎士が、上空から大木のすぐわきに降り立った。黒っぽい雲はざああっと去って、近くの野原に着地して――あ、紫の竜だ。
もう一つ大きな雲じゃなくて、竜がまた大木近くまでダイブしてきて、誰かが飛び降りる。月に照らされ、横切る鱗が青く輝いた。
「******!」
私の目の前に立ちはだかったのは、青っぽいマントの、多分、竜騎士。カマキリ竜騎士と共に抜刀すると、男たちに何か言い放った。
カチューシャも卵トリオも念話通訳する余裕なんてないから、飛び交う言葉の内容は不明。それでも私に背を向けているってことは、助けに来てくれたのだと期待したい。
剣と剣がぶつかるような金属音がする。何か魔法で援護したほうがいいのかな? 間違って竜騎士を巻き込んじゃダメだよね。えっと、火炎放射器? 風のかまいたち? 水鉄砲? 土は、えっと、陥没落とし穴? じゃなくて、粉塵目つぶしとかかな。
~~~~兵隊が実戦訓練を繰り返す理由がよく解った。だって本当に、何をどうしたらいいのか、見当つかない。何より身体が動かない。
「******!」
あれ? もう一人来た。竜はそこの二頭だけだし、どっかから走ってきたっぽい。なんだろう? 騎士なのかな、普通の旅人みたいな格好なのに、滅茶苦茶強い。しかもどうやら女の人だ。
三人で私のいる大木を取り囲むように、円陣を組んでくれた。剣で薙ぎ払いながら、ときどき何か叫んでる。私のほうにも何か言ってくるんだけど、だから解んないってば!
さらに大人の倍の背丈のずんぐりむっくり体形が二頭分。紫っぽい竜と青っぽい竜がすぐ近くまで来て、私の盾になってくれる。
援軍が到着したことで、ゾンビのようにしつこかった暗殺集団がどんどん減っていく。
何度か攻撃受けてもガバッと立ち上がるから、本当にアンデッドなのかと最初は思ってた。でもちゃんと死ねるみたいで何よりっす。いったん地獄で海の底より深く反省しておくれ。そして完全に反省するまで転生しちゃ駄目だよ。
風の防御膜の中だと本当にすることがないから、命を奪った側の代表として合掌しておく。あと味方の応援も、カチューシャを怒らせないように密かにしておこう。
他に何か出来ることは……うーん、この木の葉っぱ、齧るくらい?
にしても眠い。皆が戦ってるのに一人睡魔に倒れるとかありえないから、と自分の身体のあちこちを抓ってみるのだけど眠い。やばいな、指をがぶりと噛んでも朦朧としてきた。
眠気ほど抗い難いものはない。スパイに自白させる一番確実な方法は、何日も寝させないことだってどこかで読んだことがある。
食事は抜いても耐えられるが、寝るのを妨害されつづけたら脳みそが悲鳴を上げる。もうどうにでもしてくれって発狂してしまう。
でもさ、私は宿でちゃんと寝たわけで。今朝だって、この大木に寄りかかって寝てて。なんでこんなに眠いのだろう、驚き・鯛焼き・シオマネキの………………。
****************
※芽芽の言っている「合点承知の助」の英語版は、”okey dokey”とか”okey dokey smokey”という表現のことです。(※念話はあくまで芽芽の脳内に存在する語彙のみを使って変換されます)。
均衡を崩して何度もこけそうになったのに、不思議とふわふわ走りつづけていられた。
卵トリオが周囲を固めて、少しでも早く移動できるように手助けしてくれるからだ。紫小雀は風の力で、赤魚は火の力で、青蜻蛉は水の力で。
カチューシャの姿は見えない。足音はするから、後ろを守ってくれているのだと思う。
≪魔導士! 帰る! 全員!≫
フィオの大きな声が脳裏に響いた。はっとして振り返ると、四つの月に照らされた竜の姿が空に浮かんでいる。
一緒にいるのは、魔導士たちなのだろう。一人ものすごく太った影が遠くに見えた。おかっぱ鬘だ。あとは数人が、竜を取り囲むようにして、空を飛んでいる。
目を凝らすと、一人だけ高度が低い。こちらに向かおうとしていた片足の不自由な金髪染め男が、何か毒づきながら、ふたたび竜の所まで上昇した。
あ、私狙われてたのか。まったく気づかなかった。
≪芽芽、早く!≫
カチューシャに促されて、また歩きだす。いや、『走りだす』と思わなきゃ。
気持ちだけでも前へ前へと頑張るのに、足がしきりに疲労を訴えて、もつれてしまう。タウが背中を風で押して、アルンやナイアが左右から両腕を引っ張って助けてくれるけど、身体がだるい。
――無理だよ、そもそも脚がもう動かない。
地面にへたり込み、尻もちをつく。その途端に涙が溢れてきた。
違う、泣きたいのはフィオだ。ごしごし目をこすって、涙をぬぐった。
上半身を後方に捩じると、フィオの姿が小さくなっていく。まるで月に帰ってしまうかぐや姫みたい。お供の者を従えて、ときどき後ろ髪を引かれつつ……というより、さっきみたいに編隊を外れる魔導士がいないか確認してくれてるんだ。
フィオ、その人たちに囲まれて怖いよね、ごめんね。あれはお姫様なんかじゃない、連行される囚人だ。
向こうのほうに駆けつけた兵士たちも皆一様に夜空を見上げ、呆然と立ち尽くしている。やがては指さしたり、手を振ったり。こっちの世界の人にとっても珍しい光景なのかな、ちょっと意外だった。
≪芽芽、お願いだから立って! このままだと兵士たちに見つかるわ≫
カチューシャだけでなく、タウたちも私を地面から引っ張り上げようとする。私は街壁に手を沿え、時おり身体を預けながらも街道を進む。カーブを曲がり、やがて後ろの兵士からは完全に見えない位置に来た。
ちょっとしゃがんで泣いて、泣きながら歩いての繰り返し。蟻の歩みでもしばらく続けていると、明るく照らされた街が遠ざかっていく。
さっきは兵士が数人、街の外周を走って街壁の周囲を確認していたっけ。慌てて街道わきの茂みに身を潜めたのだけれど、点検の次はこっちの道までやってくるのだろうか。
≪あそこ。あの木のところまで行ったら、休んでいていいから≫
カチューシャに促されて前方を見ると、大樹が枝を広げている。あの根っこなら身を隠せそう。あと少し。あと数歩。いや、まだあったか。
でもあと一歩、あと二歩。がんばれ私。
****************
≪しんどい……≫
荷物を降ろして、木の根元に腰かける。ふぅー、と長い溜め息をついてから、やっと周囲を眺めると、なんだかやけに親近感。
≪芽芽、首のコレ、取って≫
バンダナのことかな。カチューシャが私の膝に首を押し付けてくるので、花萌葱色の布の結び目を言われるままに解く。
≪それから、私に命じなさい≫
≪何を?≫
≪いいから。『守れ』って言うの!≫
よく解らない。考えるのが億劫なので、言われたとおりに『守れ』と念話で繰り返す。木の幹にへろん、と頭を寄せると凹み具合がぴったし。
≪……あれ、ここ、朝寝てた場所?≫
もしかして、元来た道を戻ってるのか。それはマズイのでは。
慌てて立ち上がろうと思って、根元を触ると何かが地面に滑り落ちた。キラリと光った小石のようなものを拾い上げる。――『金竜』硬貨?
≪そう、朝の待機場所よ。そんなことより、チビの三匹、芽芽の周りを離れるんじゃないわよ≫
白い犬が街のほうを睨みつけ、大地を踏みしめた四肢に力をこめたまま、背後の私たちに向かって返答を放り投げてくる。兵士の姿が見えないのになぜ。
≪来る!≫
カチューシャが微かな唸り声を絞りだす。
ざざざ……と街道わきの畑が、遠くから波のようにうねり始めた。
何かがこちら目指して全速力で走って来る。また野犬?
荷物と木の根の間に膝をつき、驚いたまま何も出来ずにいると、急に黒装束の人間が何人も現れた。
頭を低くしたカチューシャが、体毛を逆立てて全身で威嚇している。タウもアルンもナイアも、私の周囲をぱたぱた気忙しく飛び交いながら、一斉に臨戦態勢に入っているのが伝わってくる。
≪芽芽、動いちゃ駄目よ。わたしたちに任せて≫
≪う、うん。……カチューシャ、この人たちって魔導士?≫
≪の手下の、暗殺集団≫
思考が一瞬停止した。え、何、魔導士ってコルシカとかシチリアのゴッドファーザー的立ち位置ですか。国の表のトップ頭脳職じゃなかったの。
頭の中が混乱したまま見上げると、筋肉隆々の不気味な塊が私たちを取り囲み、じりじりと間合いを詰めていた。
皆、両目の部分を残し、黒い布で全身を覆っている。こっちが緑のコートの魔法で幼く見せかけたって、手加減してくれそうな雰囲気じゃない。だって居並ぶのは……ロボットみたいに善悪の判断を放棄した虚ろな目。
――誰か助けて。
私はさっき拾った金竜金貨とカチューシャのバンダナをぎゅっと握りしめ、身体の震えだけでも止めようと足掻く。歯までガチガチと鳴ってしまう。
いきなり飛びかかる男たちに対して、カチューシャが地面を蹴って飛び出した。なんだか全てがスローモーション。
真っ白な大型犬が一番近くの数人を倒していく。双方の動きが早すぎてよく見えないのだけど……もしかして、いつもの『首を掻っ切る』ってやつですか。
いや、あっちの男が、ふたたび起き上がったから違うのかな。でも、さっきの男はもう起き上がらない。
殺伐とした空気に呑まれ、すっかり固まっていたら、横に回った別の男がすぐ傍で鎖鎌をじゃらじゃら鳴らしていた。
えと。火の玉、えと、魔法で出して、それでえっと――。
≪――ナ、ナイア! あの、その、あ、ありがとう≫
男はナイアが急に繰り出した水の塊を腹部に撃ち込まれ、後方へよろめいた。その間にタウが風の膜を私の周りに張り巡らせてくれる。そして尾ひれを揺らめかしたアルンが、男を目掛けて突撃していく。
一気に人間が炎に包まれ、咄嗟に目を瞑ってしまった。風の膜のおかげで視界がぼんやりと霞むようになったから、あまりエグくないとは思うのだけど……こればっかりは条件反射ってやつ。
ホラー映画が一切見れない私にどうしろと。
≪タウ、アルンもありがとう。それから、カチューシャも≫
手足を抱え首を竦めて亀状態になりながらも、せめてのお礼だけは絞り出す。
≪煩いっ≫
はい、黙ってます姐さん、すみません。
ぐじぐじぐじ、と風の膜の中でいじける。カチューシャの意地悪。もちっと言い方ってものがあると思うんだ、言い方ってもんがさ。
≪あーもう、キリがないわ。チビども! 確実に仕留めて数減らしてくわよっ≫
カチューシャの右後ろ脚が、地面を苛ついた様子でじゃり、じゃり、と掻いている。その背後で、卵トリオの声が元気よく≪合点承知の助っ≫とハモった。
こっちの世界でもそれに相当する言い回しがあるのか。そういや英語でもあったな。
にしても、私ってば本当に何も出来てないよ。多少は魔法の練習したのに、本番になったら大木を背に風のシャボン玉の中入って、震えながら皆を見守るだけ。
風の膜と夜の闇でだいぶぼやけているけれど、スプラッタな音がするたび、目をぎゅっと閉じてしまう。いやもう、血が身体のあちこちから噴水みたくドピュッとかプシャーッとか。金属だか骨だかがゴキッとかバキッとか。
でもここで死ぬわけにはいかない。フィオを助けに戻らなきゃ。ここからだと神殿まで何日だろう。えーと、今日はこの世界に飛ばされてから十日と……何日だっけ。手帳を見ないと判んないや。
爺様は魔導士に取り上げられずにいてくれるだろうか。秘密の念話でフィオを励ましてくれているだろうか。
万が一、ミーシュカの身体がボロボロにされても、中は幽霊だからきっと大丈夫。フィオは開戦まで、絶対に殺されたりしないはず。
でも全部、憶測だ。二人とも、ごめん。ミーシュカも、ごめん。こんなに無力な私でごめん。
何もかもが情けなさすぎて、うつむき加減の亀体勢のまんま、奇妙な乾いた笑いが込み上げてくる。
「******!」
上の方で人間の声がした。念話じゃなかったけど、このバリトンボイス、知ってる。
「ディル……ムド……?」
はて。なぜこんなところに。フィオを囮にすることを黙っていたカチューシャ頼みの情報だけど、今度こそ竜騎士につけられてなかったはずだよね。
まぁここも近隣の街の一つだから、可能性潰していけば当たるのかな。
「******!」
夜空に大きな雲が突然かかって――紫の竜騎士が、上空から大木のすぐわきに降り立った。黒っぽい雲はざああっと去って、近くの野原に着地して――あ、紫の竜だ。
もう一つ大きな雲じゃなくて、竜がまた大木近くまでダイブしてきて、誰かが飛び降りる。月に照らされ、横切る鱗が青く輝いた。
「******!」
私の目の前に立ちはだかったのは、青っぽいマントの、多分、竜騎士。カマキリ竜騎士と共に抜刀すると、男たちに何か言い放った。
カチューシャも卵トリオも念話通訳する余裕なんてないから、飛び交う言葉の内容は不明。それでも私に背を向けているってことは、助けに来てくれたのだと期待したい。
剣と剣がぶつかるような金属音がする。何か魔法で援護したほうがいいのかな? 間違って竜騎士を巻き込んじゃダメだよね。えっと、火炎放射器? 風のかまいたち? 水鉄砲? 土は、えっと、陥没落とし穴? じゃなくて、粉塵目つぶしとかかな。
~~~~兵隊が実戦訓練を繰り返す理由がよく解った。だって本当に、何をどうしたらいいのか、見当つかない。何より身体が動かない。
「******!」
あれ? もう一人来た。竜はそこの二頭だけだし、どっかから走ってきたっぽい。なんだろう? 騎士なのかな、普通の旅人みたいな格好なのに、滅茶苦茶強い。しかもどうやら女の人だ。
三人で私のいる大木を取り囲むように、円陣を組んでくれた。剣で薙ぎ払いながら、ときどき何か叫んでる。私のほうにも何か言ってくるんだけど、だから解んないってば!
さらに大人の倍の背丈のずんぐりむっくり体形が二頭分。紫っぽい竜と青っぽい竜がすぐ近くまで来て、私の盾になってくれる。
援軍が到着したことで、ゾンビのようにしつこかった暗殺集団がどんどん減っていく。
何度か攻撃受けてもガバッと立ち上がるから、本当にアンデッドなのかと最初は思ってた。でもちゃんと死ねるみたいで何よりっす。いったん地獄で海の底より深く反省しておくれ。そして完全に反省するまで転生しちゃ駄目だよ。
風の防御膜の中だと本当にすることがないから、命を奪った側の代表として合掌しておく。あと味方の応援も、カチューシャを怒らせないように密かにしておこう。
他に何か出来ることは……うーん、この木の葉っぱ、齧るくらい?
にしても眠い。皆が戦ってるのに一人睡魔に倒れるとかありえないから、と自分の身体のあちこちを抓ってみるのだけど眠い。やばいな、指をがぶりと噛んでも朦朧としてきた。
眠気ほど抗い難いものはない。スパイに自白させる一番確実な方法は、何日も寝させないことだってどこかで読んだことがある。
食事は抜いても耐えられるが、寝るのを妨害されつづけたら脳みそが悲鳴を上げる。もうどうにでもしてくれって発狂してしまう。
でもさ、私は宿でちゃんと寝たわけで。今朝だって、この大木に寄りかかって寝てて。なんでこんなに眠いのだろう、驚き・鯛焼き・シオマネキの………………。
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※芽芽の言っている「合点承知の助」の英語版は、”okey dokey”とか”okey dokey smokey”という表現のことです。(※念話はあくまで芽芽の脳内に存在する語彙のみを使って変換されます)。
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