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蒲公英の街(チェアルサーレ)

72. 名付けされる (19日目)

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「ルルロッカ様がトゥットルッカを飲んでる!」

 緑の口裂け魔女と化して翌日。相変わらずベッド生活から抜け出せてない。


 長い脚を組んだ男装のお婆さんが、あっちのソファでチョロリン赤ひげおじさんに私の観察記録を口述している。土の竜騎士団長ガーロイドさんの母親で、ここ一帯を治める領主の奥さん。
 背筋がピンと伸びて威風堂々としていて、バレエ教室の現役の鬼教師なのかなって雰囲気の美お婆だ。

 実はご本人も引退した竜騎士で、しかも当時は水の団長さんだったって言うんだから驚きたい焼きシオマネキだよ。私がちびちびと温かい青汁スムージー飲んでることなんかよりはるかに。
 はっきり言って、山賊みたいな風貌の中年息子とミジンコも似てない。

「うむ。ルルロッカ様のお顔色もずいぶんと良くなられたのである」

 左右に細く跳ね上がった赤い口ひげを指でなでながら、したり顔でうなずいているファンバーさんは、この中では一番背が低い。
 ひげの形だけじゃなく、服のセンスも画家のダリみたいなサイケなお洒落しゃれさんだな、と思ってたら、外務省のナンバーツーだった。帝国と正面から交戦中じゃないはずなんだけど、お顔も体型も丸っと球体だけど、力持ちなムキムキ上腕二頭筋。

 その横に座って、おつまみのナッツをかじっている暗黒街のウェイロンさんは、この国の監査長官だ。濃い紫のもみあげと左ほおの切り傷が迫力ハンパない。監査って犯人やナイフじゃなくて数字と取っ組み合いする部署だと思うのだけど、威圧的なムキムキ僧帽筋。

 お茶や軽食を補充しているシュナウザー犬口ひげのイーンレイグさんは、王様に仕える侍従次長。髪の毛だけでなくジュストコールまで空色だ。宮殿内での筋肉の必要性がイマイチ解らないけど、ぴっちり上着が物語るムキムキ腹直筋。

 持参したお酒を飲みはじめた山賊竜騎士のガーロイドさんは……どこの筋肉がどうというより、全身がゴツゴツした岩の集合体ゴーレムだ。

 壁際には直立不動のがっしり軍人、シャイラさんもいるし、この部屋の骨密度ならぬ筋肉密度がすごいことになっている。

「失礼いたします、只今ただいま戻りました」

 若手が三人、色とりどりのマントをひるがえして颯爽さっそうと入室してきた。紫の竜騎士ディルムッド、青の竜騎士クウィーヴィン、そしてディルムッドのお姉さん代わりとかいうヘスティアさん。

 ガーロイドさんたち年輩のゴリマッチョ四人組カルテットに対して、細マッチョ三人組トリオと私は呼んでいる、心の中限定で。バレリーナお婆様も後者かな。長身大柄のシャイラさんは、中間地点。
 どっちにせよ筋肉が語り合っている。皆さんに給仕してるオルラさんまで筋肉で見えてきたから、ゲシュタルト崩壊の一歩手前だ。

「やはりトゥットルッカが効いてますね。ルルロッカ様は魔力も多いですから」

 ヘスティアさんは、私の体内魔素の流れが判るらしく、一昨日も診察してくれた。正式に竜騎士になる手前で帝国に留学して、魔導士の資格も取って、医療魔術という特殊技術も習得しているスーパーウーマンなのだ。
 暗殺ギルドに襲われた時に助けてくれた、男装の旅装束のまま。地球だと30代後半か40代って感じ。シャイラさんと似たような年齢だと思うけど、輪をかけて強そうで、ナチュラルに偉そう。

 だがしかし。
 されど、さりとて、しかれども。

 この屋敷で目覚めた時には、すでに私の通称が出来上がっていたのがにもかくにもかめにもせぬぞよ。
 大っぴらに『聖女』と呼ぶのが危険だからなんだろうけど、魔法の若竹わかたけ色コートを脱いでも小さい生き物扱いされているとはコレ如何に。

 ルルロッカは、伝説の小鼠ちびねずみなのだ。こちらのお金の基本単位、1イリの穴銅貨は通称『小花』。深い雪の下で咲く幻の花、光緑果トゥルロッカを模し、四弁の花の形をしている。
 薄緑色のラズベリーのような実は、一粒食べると一日飢えをしのげるという伝説がある。それを守っているのが、氷緑鼠ルルロッカ

 ――キュルルルとくトゥルロッカのルルロッカにトゥトルッカを処方。

 最初に説明を聞いた時には、早口言葉かと思った。コードネームって普通はもっとカッコよい単語にするよね、自分で選ばせてもらえたアメリカ大統領だっていたよね、むききっ。

「今日は二杯目だ。昨日は三杯飲めたぞ」

 美お婆が、ヘスティアさんにチビねず観察日記を報告してる。気分は動物園の客寄せ子パンダだ。もしトイレの回数とかまでチェックされてたら軽く死ねる。

 ちなみに、美お婆さんのお名前はタレイア。それってギリシャ神話じゃん。旦那さんはルキアノス。それって完全にパクス・ロマーナローマじだいじゃん!

 なのになぜここまで言語体系が地球と一致してないのよ、数字の読みすら被らないって説明つかないでしょ。とカチューシャに物言いつけたら、名前は『精霊の渡り人』と呼ばれる異世界人たちが遺した『精霊の名づけ表』から選ぶんだそうだ。
 召喚儀式なしでも、時空間のゆがみのせいで生き物や物品が時たま、こっちに紛れ込んでくるらしい。とはいえ人間は非常にまれで、ここ百二十年、少なくとも大陸の北側では確認されていない。

 そんなわけで名前にこめられた意味とか歴史とか、ここの人たち全然理解してなかった。だって帝国の皇帝の名前が『マルヴォリオ』で、隣国の国王が『シャイロック』だよ? どっちもシェイクスピア作品の超有名かつ超醜悪な悪役なんだけどな。
 流石に聖書の悪役『ユダ』は無いよねと確認したら、発音変えて『ジュダス』は存在した。
 ここに飛ばされた西洋人の感性が総合的に病みすぎて引く。逆に会えなくて良かったかも。

 私が名前で騒いだせいで、渡り人と同じ世界から来た可能性が高いと向こうにも理解してもらえた。名前を巡る蘊蓄うんちくについては黙っておいた。知らないほうが幸せなことって世の中にはあると思う。

「メメ様、あの、生贄いけにえの少女のことなのですが……」

 さっきから何か言いたげだったディルムッドが、意を決して私の元へと詰め寄ってきた。すかさず無言で首を振っておく。
 めいっ子さんかもしれないけど、心臓にナイフ突き立てられた人間なんてじっくり観察してないもん。あれ以上の証言は無理。

 同期だというクウィーヴィンって水の竜騎士がなだめている。二人はこの夏から、休暇返上で王都の行方不明事件を追ってたそうだ。めいっ子さん以外にも、五人の子どもが消えた。現場では、爺様と契約していたカチューシャみたいな片耳へにょりん灰色猫が、毎回目撃されたとうわさになった。
 でもそれは魔導士によるうそっぱちの情報操作で、小児性愛にふけっていたところを逮捕された。めいっ子さんの耳飾りも神殿奥で発見された。

 ウェイロンさんたちは、神殿長の公金横領疑惑を捜査していた。帝国のお偉いさんを過剰接待していたらしい。
 法律上、王宮は神殿のことに口を出せない。だけど前監査長官を始めとして、まともな役人さんが何人もれ衣で失脚させられて、命も狙われて、実際に事故に見せかけて殺された人もいて、介入を決めたそうな。

「こちらをお確かめいただけますでしょうか」

 ヘスティアさんが、精霊十字の宝石をめ込んだ四角い箱から契約書を取り出した。仕事の出来る女上司って雰囲気で、濃い紫色の髪をタレイアさんみたいに首元でまとめている。
 対して、オルラさんやシャイラさんは頭の上の方でお団子にしている。これは未婚か既婚かで高さが変わるらしい。
 男性は結婚するとヒゲを伸ばせる。だから永遠お嫁さん募集中のガーロイドさんは、無精ひげだけど短い。

 私を診察してくれた当初、ヘスティアさんは『単なる王都学園のただの養護教員』と名乗っていた。この口上、とってもとってもよく知ってる。爺様もね、『しがない学校のしがない教師』だったもん。
 『で、本当のところは?』的に冷ややかな笑顔で追及したら、王様お抱えの諜報ちょうほう員だった。
 隣国出身の帝国諜報ちょうほう員が神殿周囲で不穏な動きをしていたし、王都で立て続けに帝国魔導士が不審死をしたので、調べていたんだそう。

 ということで以上、皆さん手持ちのカードを切るにはイマイチ不十分。

 子供の奪い去りも二重帳簿も帝国人の怪死も、神殿魔導士の関与が見え隠れするのに、決定的な証拠がない。
 言葉もまともにしゃべれない正体不明女を、馬鹿丁寧にホイホイ持ち上げてくるから変だと思ったよ。

 私を聖女として矢面に立たせれば、彼らは神殿長の長年の暴挙に真っ向から引導を渡せるのだ。精霊信仰の大事な象徴を、政治闘争に巻き込む気まんまんである。
 フィオを助け出すためなら私もなんだって利用するから、お互い様だ。

≪カチューシャ、これって本物?≫

≪ええ。魔法陣も入っているし、正式な国王印よ。署名もね≫

 私が確認できるのは、これが限界かな。ウェイロンさんたち個々人に宣誓署名させた誓約書は回収済みだし、この国の王様とも契約できたと信じよう。

 爺様の魔道具ペンで、契約書に名前を書き込む。用心して英語のつづりにして、苗字も省いた。流麗すぎる筆記体で、さらにアルファベットの形まで誤魔化す。
 悪魔じゃないけど、真名まなって縛られそうなんだもの。だからカチューシャたちの正式名称も誰にも教えていない。

 アルンとナイアも愛称ってことにして、この豪華な地下室で契約書を待っている間にもう一つの名前を贈った。

 アルンはサンスクリット語で赤。アルファベットだとARUN。母音Uの読み方を英語風に変えてみた。アランデール、意味は『わしの谷』だ。

 そしてナイアはハワイ語でドルフィン。正式名は、ロシア語やアラビア語で近い音があった。『柔らかい』とか、『希望』って意味のナイヤナに決定。

 黄色の針鼠ハリネズミ『ベアトリーチェ』がビーで蜂、
 青の蜻蛉トンボ『ナイヤナ』のナイアでイルカ、
 赤の闘魚ベタ『アランデール』のアルンがわし
 紫の小雀シマエナガ『タウシーク』のタウが獅子しし

 この子たちは二つ名かつ二つ姿とも言える。今もベッド上の天井でくるくる回りながら、四匹きゃっきゃと喜び合っているのがなんとも愛らしい。
 一方、正式名イェカチェリーナの白犬は、観客を意識しておすましモード。『聖獣』としての面子メンツってもんがあるらしい。

「では、名前の箇所に体内の魔素を流していただけますか」

 う゛。本来は、魔導士なら魔杖まじょうの先端を当てる。でも爺様から譲り受けたはずの魔杖まじょうを使いこなせてないのがバレようものなら、疑いの目を向けられちまう。

 いやモチとーぜん魔杖まじょうは使うつもりなんだよ助さん格さん、ただ小指が先に紙にかすっちゃうっかり八兵衛、というテイでだなココは。
 ……よし、カチューシャが言ってたとおり、署名部分のインクの色がちゃんと変わったぞ。

≪あれ? 皆なんで驚いてるの?≫

≪アンタねぇ。普通は小指の先からなんて、契約書に必要な量だけ絞って魔素を流せないからよ。
 一般人は手の平全てを魔紙に接触させるの。だから今朝、『手を紙にくっつけろ』って説明したでしょ! 魔導士だって指じゃ不安定だから、魔素を練り上げて、魔杖まじょうの先端から流すのに≫

 横で寝そべっていた白犬が盛大なめ息をつく。ヤバイ、魔杖を使ったスタンダードな契約方法を回避できたと思ったのに。一度に考えることが多すぎて、『やらかし』が多発している。

 ううん。終わったことは取り戻せないから、落ち込みは時間の無駄! 私はパチパチとほおたたいて気合を入れた。私の戦いは現在進行形なのだ!






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