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Ep.5-1《現実からの刺客》

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遮光カーテンの隙間から差す光がまぶしくて、1ミリの隙間もないようにカーテンを引っ張り、そしてまた布団の中に引きこもる。

あの日から数日が経った。

黒ずきんのアーニャこと現実を生きる少女、藤島杏奈は布団の中でただ何も考えずに時間が過ぎるのを待っていた。
どんな辛いことであっても、いつかは時間が癒してくれる。
そう信じてぎゅっと目を瞑る。

だが思いの外、何も考えないというのは難しい。
ふとした瞬間に、あの日のことを思い出してしまう。
不敵に笑うレオの顔。
首を絞められて、息ができなくなる感覚。
お腹の奥が、ギュッと熱くなる感覚。

「んっ、あぁ……っ!」

それを思い出してしまうと、体もその感覚を思い出したかのように下腹部の辺りに甘く痺れる感覚がやってくる。
ギュッと股を押さえて、その痺れが消えるまで待ち続ける。
発作的な体の痺れが、あの日からずっと続いていた。

甘い痺れに悶えてる最中、床に転がるVRヘッドセットが目に映り、ふとギルドのメンバーの顔を思い出す。

(エイミーさん、ルリちゃん……それに、サナちゃん……)

数日ログインしてないアーニャのことを、みんなはどう思っているのだろうか。
心配してくれているのだろうか、それともいつまで経っても戦線に復帰しないアーニャに愛想を尽かしているのだろうか。
本当は今すぐにでもフロンティアにログインして、みんなと他愛のない会話をしたい。
杏奈は地面に転がるヘッドセットに少しだけ手を伸ばして、そしてすぐに手を引っ込めた。

(いや……呪いを解く手段を失った今、フロンティアに私の居場所はない、よね……)

ため息をつき、再び布団を深く被ろうとしたその瞬間、ドアの向こうから声が響いた。

「お姉ちゃーん、朝ごはん食べないのー?」

「――ッ!」

それは聞き慣れたできた妹の声。
彼女は別に敵でもなんでもないはずなのに、杏奈はなぜだか息を潜め、あたかもそこにいない振りをする。
まるで逃走中の罪人のように。


「うーん……まーたフロンティアに潜ってるのかな? ご飯食べないで体壊しても知らないよー」

妹はそう言い残し、足音が廊下の向こうに消えていく。
杏奈は妹がもうそこにいないことを確信すると、布団の中からひょっと顔を出した。

「はぁ……いい加減、心配させるのも疲れた」

乾燥して掠れた声でそんな愚痴を漏らす。
こんなところで引きこもってても何も変わらないのは重々承知。
だけど何をすればいいのか分からない。
視界にVRヘッドセットが映る度に胸が苦しくなって、無意識に視線を逸らしてしまう。
半ば失踪したようにフロンティアに姿を出さなくなった自分が周囲からどう思われているのか知るのが怖くて、今はとにかくそれを意識したくなかった。

「……図書館に行こう」

色々と考えて、思いついた策がそれだった。
この部屋にいても苦しいだけ。
できればネットのない環境で、気分転換がしたかった。

転がるようにベッドから抜け出して、よろよろとした足取りで立ち上がる。
机の上に置いてある鏡に、ボサボサな髪の幽霊みたいな女性の姿が映る。
VR世界の自分の姿よりやや細くて色白な体つき。
もちろんファンタジーな髪色や瞳の色をしているわけもない。
久々に見た自分の姿はひどいものだった。
杏奈は家を出る前に、まずはこのひどい顔を直すところから始めた。


 ***


久方振りに浴びる本物の日光が、まるでスリップダメージのように杏奈の体力を奪う。
図書館までの道のり、たった十数分程度を歩いただけで杏奈はすでに息切れを起こしていた。
逃げこむように私立図書館の中に入ると、今度は冷房で冷え切った空気が出迎える。

平日の昼間ということもあってか、あるいはこういった図書館などの施設も仮想空間での再現ができるようになってきたというご時世もあってか、館内に人の姿は少なかった。
受付に一人座る小柄な女性に会釈をし、特にあてもなく館内をうろつく。
もとよりフロンティアマッチ以外に特に趣味もなかった杏奈は、気付けば仮想世界フロンティアに関する特集が組まれたコーナーに立ち止まっていた。

(スポーツコーナーのすぐ横に……そんなに人気あるのかな……)

エイミーの姿だけを追ってフロンティアの世界に入った杏奈は、存外この手の情報に疎かった。
フロンティアで起こる情報をまとめた月刊誌なるものがあるということも今目の前にして知ったくらいだ。
その最新刊を手にしてパラパラと捲ると、先日のフロンティアリーグの記事も出てきた。

『彗星のように現れた若き死神!』『フロンティアの魔女エイミーの一番弟子、公式リーグに降臨!』

何やら大々的な見出しの元、自分自身が記事にされていることに気づいた瞬間、杏奈は咄嗟にバタンと音を立てて本を閉じる。

「はぁ……はぁ……」

心臓がバクバクと鼓動する。
よく分からない感情が胸の中に渦巻いて、吐き気がする。

(や、やめよう……私は気分転換にここに来たんだ……)

そう自分に言い聞かせて、杏奈は本を元の場所に戻す。
その時だった。
本を戻そうと伸ばした右手が誰かに掴まれる。

「……えっ」

背後から伸びた誰かの手。
綺麗なネイルが施されていて、女性の手だということは分かる。
振り返ると見覚えのない女性がそこに立っていた。
赤いメッシュが入ったショートカット、濃いアイシャドウ、耳にはいくつ付いたピアス。
図書館には不釣り合いなビジュアル系のメイクをしたその女性は、杏奈と目が合うとふっと微笑む。

「フロンティアマッチ、好きなんですか?」

見た目の割には丁寧な口調で彼女がそう言う。

「い、いや別に……」

「そうなんですか、でもそれフロンティアの情報まとめた雑誌ですよね?」

「……ちょっとだけ、気になっただけです。これ読みたいんですか? 私はもういいので、どうぞ」

目の前にいるのは、明らかに普段接することのないタイプの人間。
不意に声をかけられたのがなんだか怖くて、杏奈は早くこの場から逃げようとする。
だがなぜだか、本を譲ると言っても女性は杏奈の手を離してくれない。
ただじっと、杏奈の顔を凝視してくる。

「私が手に取ったのは、本じゃなくて、あなたなんですけど」

「……は? えっ?」

「くふっ、嘘が下手だなぁ……」

何も理解できないまま、女性は一人で笑い出す。
そして杏奈の耳元に口を近づけ、囁く。

「アーニャちゃんみっけ」

その言葉が耳に届いた瞬間、背筋がゾワリと震え杏奈の体が固まる。
そこにいる女性は確かに、自分のことを杏奈ではなくアーニャと呼んだ。
理解が追いつかない。
頭の中がぐちゃぐちゃになっておかしくなりそうだった。

「い、いや……ッ!」

直感的に危機を感じ取った杏奈は女性の手を振りほどいて、すぐさまその場から逃げようとする。

「だめ」

だが背後から両腕で抱き寄せられ、非力な杏奈の力では女性の腕を振りほどけない。
彼女が何者なのかも、その意図もまるで分からない。
ただ体を抱き寄せられた瞬間、その手つきに身に覚えがあるような気がした。
そこで杏奈の記憶から、ある一人の人物の顔がハッと浮かぶ。

「り、リリア……?」

ベータアリーナで参加したトーナメント、その二回戦の相手。
サキュバスの姿となりアーニャを苦しめた彼女の名前を無意識に口にしていた。

「……ふふっ、せいかーい。よく分かったね。会えて嬉しいよ、アーニャちゃん。いや、今はあんなちゃんだったね」

不敵に笑う彼女。
そう言われると、目の前の彼女は仮想世界で会った彼女とどこか似た顔つきをしていた。
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