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6ターン目:闇に潜む魔物
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この島にかの勇者一行が訪れてから既に7日が経過した。
神殿の外は何も変わらずいつも通りの営みが繰り返されている。
「おい」
日が登り神殿の奥も差し込んだ光ですっかり明るくなった頃、すっかり添い寝の相手となった若者の頭をエルメディウスは手で突っついていた。
「お、起きろ」
ぎこちなく若者の肩を揺さぶるとやっと目を開ける。相変わらずじっと見つめられてエルメディウスは顔を逸らす。目が合うことに全く慣れない。
「昨日、捏ねた…なんとかを貴様が言うように焼いた。もう食べ物の時間だろう?貴様が決めたのだぞ」
若者がここに来てから毎日、朝と昼間と夜に食事が振る舞われる。
そのサイクルに慣れ始めた細身の魔王は目覚めると空腹に襲われるようになっていた。
すっかり気に入ってしまった人間の食べ物の事をエルメディウスは少しずつ習い始めた。
昨日は教わりながら粉と水を捏ね、二人で簡単なパンを作った。
それを早く食べてみたくて夜に眠る前からずっとソワソワしていたのだった。
「煤がついている」
まだ眠たそうな眼差しの若者はエルメディウスの白い肌に擦り付けられた煤の汚れを手で擦る。
以前はこうして触れようとするとすぐに顔を背けて、手元を角が阻んでくるものだった。
今は視線は合わないものの触れるのを拒むことはなくなった。
慣れた、のか。
懐いた、のか。
それはまだ分からない。
すぐにでも離れなければ、と思っていたはずなのにこうもズルズルと居座ってしまっている。
愛らしく愛しいこの生き物は心を掴んで離さない。
1日、また1日と魅了しては旅立つタイミングを失わされている。
出会った瞬間からもしかしたら何か強力な術でもかけられたのではないかと疑いたくなるほどに、エルメディウスの事ばかりが思考を支配するのだ。
「リデル……パン、を…」
名を呼ばれハッと気が付くとエルメディウスの腰をきつく抱き寄せていた。
密着されて苦しそうにするエルメディウスの体は、出会ったばかりの頃に比べるといくらか肉付きがよくなった。
一番変わったのは体温だ。
どの部分も触れるとヒヤッとするほど芯まで冷えていたのに、今はこうしてじっと触れているとちゃんと温もりがある。
顔付きも変わってきたような気がする。
顔色の無い悲壮な面持ちは死人そのものだった。
今は逸らして伏せた眼差しにわずかに光が見える。
誤魔化そうとはしているが微笑むときもあるようだ。
じっと夢中で観察していると盛大な腹の虫が響いた。
それがリデルのものだったのか、エルメディウスのものだったのか分からないというのに、一瞬で顔を染めたエルメディウスは両手で顔を覆う。
鋭い爪が白い顔を傷つけそうで心配になりつつ、リデルもそんな魔王のしぐさに逐一会心の一撃をくらっていたのだった。
「朝食にしよう、すぐ支度する!」
何とも言えない気恥ずかしい雰囲気にさっと立ち上がったリデルは慌ただしく薪を探しに出ながら心底焦っていた。
このままではまずい。
頭で考えることとは全く別の意志が勝手に働いては、自分でも無意識のような感覚でリデルはエルメディウスに触れてしまっている。
側に居れば居るほどその暴走は明らかに悪化している。
そしてはっきり自覚し始めていた。
あの体の白い肌や秘められた深いところを味わってみたいという欲望を。
自分がこれ程欲深いとは思わなかった。
沸き上がる欲を押さえられず溺れているようでは、あの醜い貴族や王族と同じではないか…。
自分もまた軽蔑する人間と同じ存在なのだと突き付けられて、リデルはショックを拭えなかった。
脅かしたくないのに欲しくて堪らない。
きっとこの欲を曝け出したらエルメディウスは自分を嫌忌することだろう。
この数日共に居ることで、魔王と謳われてきた魔物がいかに純真無垢であるか身をもって悟ったのだから。
自分が抱く情欲はそんな尊く清廉な者を穢すものでしかない。
リデルは改めて決意を固める。
エルメディウスが寝入った真夜中に今度こそここから旅立とうと。
最後の夜だと思うとついつい夕食をはずんでしまった。たらふく食べたエルメディウスは丸くなって眠った。初めの頃はとても警戒していたのに、今はこんなにも無防備だ。長い黒髪に触れながらリデルは離れがたい思いと格闘しつつ、別れの言葉を胸の中で囁いた。
どうか、これからは何にも脅かされずに幸せに生きてほしい…
なんの明かりもない深い暗闇の中を松明の明かりをたよりに海辺を目指す。
この島は夜はなかなか冷え込む。
風が強まってきたのは海岸が近いからだろう。
草木を切り分けながらようやく開けたところに出る。
美しい島の景色を目に焼き付けようとリデルが振り返ったときだった。
ドサッと足元に何かが放り込まれる。
何個かの果実だった。
懐かしい赤い果物を手に取りながら投げ込まれた方向をリデルは目で辿る。
「もう、あの子には飽きてしまったのか?勇者殿」
闇に溶ける色の衣を身に纏う華奢なシルエットがそこには立っていた。
強風で脱げたフードの下には左右不揃いの角と白く長い髪が隠れていた。
風で激しくなびく髪にちらつきながら覗けた顔は、夢にまで見たあの美しい顔…
エルメディウスと同じ顔だった。
寂しそうな哀しそうな、そんな微笑みを浮かべるその魔物は海の色のような澄んだ青い瞳をしていた。
続く
神殿の外は何も変わらずいつも通りの営みが繰り返されている。
「おい」
日が登り神殿の奥も差し込んだ光ですっかり明るくなった頃、すっかり添い寝の相手となった若者の頭をエルメディウスは手で突っついていた。
「お、起きろ」
ぎこちなく若者の肩を揺さぶるとやっと目を開ける。相変わらずじっと見つめられてエルメディウスは顔を逸らす。目が合うことに全く慣れない。
「昨日、捏ねた…なんとかを貴様が言うように焼いた。もう食べ物の時間だろう?貴様が決めたのだぞ」
若者がここに来てから毎日、朝と昼間と夜に食事が振る舞われる。
そのサイクルに慣れ始めた細身の魔王は目覚めると空腹に襲われるようになっていた。
すっかり気に入ってしまった人間の食べ物の事をエルメディウスは少しずつ習い始めた。
昨日は教わりながら粉と水を捏ね、二人で簡単なパンを作った。
それを早く食べてみたくて夜に眠る前からずっとソワソワしていたのだった。
「煤がついている」
まだ眠たそうな眼差しの若者はエルメディウスの白い肌に擦り付けられた煤の汚れを手で擦る。
以前はこうして触れようとするとすぐに顔を背けて、手元を角が阻んでくるものだった。
今は視線は合わないものの触れるのを拒むことはなくなった。
慣れた、のか。
懐いた、のか。
それはまだ分からない。
すぐにでも離れなければ、と思っていたはずなのにこうもズルズルと居座ってしまっている。
愛らしく愛しいこの生き物は心を掴んで離さない。
1日、また1日と魅了しては旅立つタイミングを失わされている。
出会った瞬間からもしかしたら何か強力な術でもかけられたのではないかと疑いたくなるほどに、エルメディウスの事ばかりが思考を支配するのだ。
「リデル……パン、を…」
名を呼ばれハッと気が付くとエルメディウスの腰をきつく抱き寄せていた。
密着されて苦しそうにするエルメディウスの体は、出会ったばかりの頃に比べるといくらか肉付きがよくなった。
一番変わったのは体温だ。
どの部分も触れるとヒヤッとするほど芯まで冷えていたのに、今はこうしてじっと触れているとちゃんと温もりがある。
顔付きも変わってきたような気がする。
顔色の無い悲壮な面持ちは死人そのものだった。
今は逸らして伏せた眼差しにわずかに光が見える。
誤魔化そうとはしているが微笑むときもあるようだ。
じっと夢中で観察していると盛大な腹の虫が響いた。
それがリデルのものだったのか、エルメディウスのものだったのか分からないというのに、一瞬で顔を染めたエルメディウスは両手で顔を覆う。
鋭い爪が白い顔を傷つけそうで心配になりつつ、リデルもそんな魔王のしぐさに逐一会心の一撃をくらっていたのだった。
「朝食にしよう、すぐ支度する!」
何とも言えない気恥ずかしい雰囲気にさっと立ち上がったリデルは慌ただしく薪を探しに出ながら心底焦っていた。
このままではまずい。
頭で考えることとは全く別の意志が勝手に働いては、自分でも無意識のような感覚でリデルはエルメディウスに触れてしまっている。
側に居れば居るほどその暴走は明らかに悪化している。
そしてはっきり自覚し始めていた。
あの体の白い肌や秘められた深いところを味わってみたいという欲望を。
自分がこれ程欲深いとは思わなかった。
沸き上がる欲を押さえられず溺れているようでは、あの醜い貴族や王族と同じではないか…。
自分もまた軽蔑する人間と同じ存在なのだと突き付けられて、リデルはショックを拭えなかった。
脅かしたくないのに欲しくて堪らない。
きっとこの欲を曝け出したらエルメディウスは自分を嫌忌することだろう。
この数日共に居ることで、魔王と謳われてきた魔物がいかに純真無垢であるか身をもって悟ったのだから。
自分が抱く情欲はそんな尊く清廉な者を穢すものでしかない。
リデルは改めて決意を固める。
エルメディウスが寝入った真夜中に今度こそここから旅立とうと。
最後の夜だと思うとついつい夕食をはずんでしまった。たらふく食べたエルメディウスは丸くなって眠った。初めの頃はとても警戒していたのに、今はこんなにも無防備だ。長い黒髪に触れながらリデルは離れがたい思いと格闘しつつ、別れの言葉を胸の中で囁いた。
どうか、これからは何にも脅かされずに幸せに生きてほしい…
なんの明かりもない深い暗闇の中を松明の明かりをたよりに海辺を目指す。
この島は夜はなかなか冷え込む。
風が強まってきたのは海岸が近いからだろう。
草木を切り分けながらようやく開けたところに出る。
美しい島の景色を目に焼き付けようとリデルが振り返ったときだった。
ドサッと足元に何かが放り込まれる。
何個かの果実だった。
懐かしい赤い果物を手に取りながら投げ込まれた方向をリデルは目で辿る。
「もう、あの子には飽きてしまったのか?勇者殿」
闇に溶ける色の衣を身に纏う華奢なシルエットがそこには立っていた。
強風で脱げたフードの下には左右不揃いの角と白く長い髪が隠れていた。
風で激しくなびく髪にちらつきながら覗けた顔は、夢にまで見たあの美しい顔…
エルメディウスと同じ顔だった。
寂しそうな哀しそうな、そんな微笑みを浮かべるその魔物は海の色のような澄んだ青い瞳をしていた。
続く
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