6 / 10
05 怯む
しおりを挟む
ファビオ王子はついに病の床に臥した。
病、とはいうものの、王宮お抱えの老医には衰弱していることしか理解できていない。
わからないのだから、ただ見守るしかできない状況で、両親である国王と王妃も頭を抱えていた。
そんな折、アタシが呼ばれた。
これまで立ち入ったことのない、ファビオの部屋に来るようにと呼び出されたのだ。
(まさか……とは思うけれど)
毒薬を盛っていたことが露見したのだろうか?
いや、バレるわけがない。
まとまった量を部屋に置くことさえ避けていたし、充分に病状が悪化してからはもはや不要と判断してすべて破棄した。
人の口から漏れるとすればコリンだが……。
それも絶対にないと確信している。
彼はアタシの下僕として、ゆうべも痴態を晒しながらアタシのなかで思うさま果てたばかりだ。
(つまり、バレてない)
アタシはただ、ファビオ王子の弟の家庭教師として、親交ある彼を心配しながら扉を開けることにした。
「おお、よくきてくれましたミリアム先生」
ファビオのベッドの横には王妃が座っていた。
気丈にしているが、その目は赤く、顔にはうっすら涙のあとが残っている。
日に日に弱っていく息子を見て絶望していたのだろう。
「王妃、ファビオ王子のお加減は……」
すっとぼけて尋ねるアタシに、王妃は静かに首を振る。
かなりよくないということか。
そうだろう、アタシの見立てではもうあと数日で死ぬのだから。
アタシは喜びを噛み殺して言葉をしぼりだす。
「そうですか……。
それでアタシは、なぜここに?」
「藁にもすがる気持ちでお尋ねします。
我が子コリンのために、すべての教科をお教えになられている博識なミリアム先生。
もしや、医学や薬学にも精通しておられるのではありませんか?」
「え……」
返答に詰まる。
正直なところ、かなり精通している。
毒殺とわからないように身体を蝕む毒を、かろうじて排出されきらずに蓄積する分量だけ彼に与えてきたのだ。
勉強も下調べも万全だし、もはや専門といっても過言ではないほどに詳しい。
が、そのことを知られると、彼の病状が毒薬によるものと知れたときに、アタシが容疑者筆頭に挙げられることになってしまう。
だからこれまで黙っていた。
「この子の……ファビオの病状はうちの医者ではなにもわかりませんでした。
彼の能力を疑っているわけではないのです。
ですが、もし、ほかのかたのご意見を伺えたら、わたくしのこの気持ちもすこしは整理がつくかもしれません」
懇願する王妃。
ここで恩を売ることは、ファビオが死んだあとの計画にとって、プラスになることはあれどマイナスにはなりえないとアタシには思えてきた。
「……医学にも薬学にも、多少の心得があります。
アタシが診てもよろしいですか?」
「ぜひ!」
すぐに立ち上がってアタシを息子の横に導く。
そこには骨のように痩せこけ、見る影もなくなったあの男が、生気のない顔で横たわっていた。
「ファビオ様、失礼いたします」
「……センセ。
あんた、添い寝しにわざわざきてくれたのか」
口と鼻に蓋をして殺そうかと思ったが、こらえる。
本当はさっさと打つ手がないことを伝えたかったが、心得があると言ってしまった手前、なにもしないわけにはいかない。
ひととおり診察のまねごとをしたアタシは、顔色だけでも改善させる薬を飲ませることにした。
指定した薬を使用人に持ってきてもらい、水とともに彼に渡す。
彼はゆっくり、コップの半分ほど水を飲む。
そして、アタシにコップを返そうとしたところで――
「あっ!」
受け渡しに失敗して、アタシの服に水がかかった。
「悪い、センセ。
手がしびれて落としちまった」
「気にしないで。
アタシも悪かったから」
薄手の服を着ていたアタシは濡れた部分が肌にまとわりつくので、手早く拭くことにした。
タオルで腹部を拭いていると、ものすごく強烈な視線を感じ、ファビオ王子のほうを見た。
「センセ……それ……」
身を起こしてアタシを凝視している。
すこし離れた位置にいた王妃が苦笑し、たしなめる。
「これファビオ、レディの身体をそんなにじっと見てはなりません。
ほんとにもう、こんなときばかり元気になって」
そうは言いながらも、王妃はどこか嬉しそうだ。
それはそうだろう。
さっきまでほとんど死にかけだった息子が、まるで嘘のようにベッドの上であぐらをかいているのだから。
「ああ、失礼したセンセ。
でも、あんたが出してくれた薬のおかげで、なんだか元気が出てきた気がするよ。
なあおふくろ、これからの療養について相談したいから、すこしミリアム先生とふたりきりにしてくれないか?」
「え……」
王妃はよほど嬉しかったのか、狼狽するアタシをよそに、小躍りしながら部屋を出ていった。
出ていってしまった。
アタシは、10年ぶりにファビオと……アタシを捨てた憎きクソ野郎とふたりで取り残された。
「まあ落ち着きなよ、ミリアム先生」
「な、なによ」
いつもの軽い調子ではなくなっている。
すぐにでも部屋を出たかったが、わざわざ名前で呼ばれたことに動揺し、アタシは椅子から立ち上がれない。
「あんた、まえは違う名前だったよなあ。
ミリアムってのは、偽名なのかい?」
病、とはいうものの、王宮お抱えの老医には衰弱していることしか理解できていない。
わからないのだから、ただ見守るしかできない状況で、両親である国王と王妃も頭を抱えていた。
そんな折、アタシが呼ばれた。
これまで立ち入ったことのない、ファビオの部屋に来るようにと呼び出されたのだ。
(まさか……とは思うけれど)
毒薬を盛っていたことが露見したのだろうか?
いや、バレるわけがない。
まとまった量を部屋に置くことさえ避けていたし、充分に病状が悪化してからはもはや不要と判断してすべて破棄した。
人の口から漏れるとすればコリンだが……。
それも絶対にないと確信している。
彼はアタシの下僕として、ゆうべも痴態を晒しながらアタシのなかで思うさま果てたばかりだ。
(つまり、バレてない)
アタシはただ、ファビオ王子の弟の家庭教師として、親交ある彼を心配しながら扉を開けることにした。
「おお、よくきてくれましたミリアム先生」
ファビオのベッドの横には王妃が座っていた。
気丈にしているが、その目は赤く、顔にはうっすら涙のあとが残っている。
日に日に弱っていく息子を見て絶望していたのだろう。
「王妃、ファビオ王子のお加減は……」
すっとぼけて尋ねるアタシに、王妃は静かに首を振る。
かなりよくないということか。
そうだろう、アタシの見立てではもうあと数日で死ぬのだから。
アタシは喜びを噛み殺して言葉をしぼりだす。
「そうですか……。
それでアタシは、なぜここに?」
「藁にもすがる気持ちでお尋ねします。
我が子コリンのために、すべての教科をお教えになられている博識なミリアム先生。
もしや、医学や薬学にも精通しておられるのではありませんか?」
「え……」
返答に詰まる。
正直なところ、かなり精通している。
毒殺とわからないように身体を蝕む毒を、かろうじて排出されきらずに蓄積する分量だけ彼に与えてきたのだ。
勉強も下調べも万全だし、もはや専門といっても過言ではないほどに詳しい。
が、そのことを知られると、彼の病状が毒薬によるものと知れたときに、アタシが容疑者筆頭に挙げられることになってしまう。
だからこれまで黙っていた。
「この子の……ファビオの病状はうちの医者ではなにもわかりませんでした。
彼の能力を疑っているわけではないのです。
ですが、もし、ほかのかたのご意見を伺えたら、わたくしのこの気持ちもすこしは整理がつくかもしれません」
懇願する王妃。
ここで恩を売ることは、ファビオが死んだあとの計画にとって、プラスになることはあれどマイナスにはなりえないとアタシには思えてきた。
「……医学にも薬学にも、多少の心得があります。
アタシが診てもよろしいですか?」
「ぜひ!」
すぐに立ち上がってアタシを息子の横に導く。
そこには骨のように痩せこけ、見る影もなくなったあの男が、生気のない顔で横たわっていた。
「ファビオ様、失礼いたします」
「……センセ。
あんた、添い寝しにわざわざきてくれたのか」
口と鼻に蓋をして殺そうかと思ったが、こらえる。
本当はさっさと打つ手がないことを伝えたかったが、心得があると言ってしまった手前、なにもしないわけにはいかない。
ひととおり診察のまねごとをしたアタシは、顔色だけでも改善させる薬を飲ませることにした。
指定した薬を使用人に持ってきてもらい、水とともに彼に渡す。
彼はゆっくり、コップの半分ほど水を飲む。
そして、アタシにコップを返そうとしたところで――
「あっ!」
受け渡しに失敗して、アタシの服に水がかかった。
「悪い、センセ。
手がしびれて落としちまった」
「気にしないで。
アタシも悪かったから」
薄手の服を着ていたアタシは濡れた部分が肌にまとわりつくので、手早く拭くことにした。
タオルで腹部を拭いていると、ものすごく強烈な視線を感じ、ファビオ王子のほうを見た。
「センセ……それ……」
身を起こしてアタシを凝視している。
すこし離れた位置にいた王妃が苦笑し、たしなめる。
「これファビオ、レディの身体をそんなにじっと見てはなりません。
ほんとにもう、こんなときばかり元気になって」
そうは言いながらも、王妃はどこか嬉しそうだ。
それはそうだろう。
さっきまでほとんど死にかけだった息子が、まるで嘘のようにベッドの上であぐらをかいているのだから。
「ああ、失礼したセンセ。
でも、あんたが出してくれた薬のおかげで、なんだか元気が出てきた気がするよ。
なあおふくろ、これからの療養について相談したいから、すこしミリアム先生とふたりきりにしてくれないか?」
「え……」
王妃はよほど嬉しかったのか、狼狽するアタシをよそに、小躍りしながら部屋を出ていった。
出ていってしまった。
アタシは、10年ぶりにファビオと……アタシを捨てた憎きクソ野郎とふたりで取り残された。
「まあ落ち着きなよ、ミリアム先生」
「な、なによ」
いつもの軽い調子ではなくなっている。
すぐにでも部屋を出たかったが、わざわざ名前で呼ばれたことに動揺し、アタシは椅子から立ち上がれない。
「あんた、まえは違う名前だったよなあ。
ミリアムってのは、偽名なのかい?」
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
地味な私では退屈だったのでしょう? 最強聖騎士団長の溺愛妃になったので、元婚約者はどうぞお好きに
有賀冬馬
恋愛
「君と一緒にいると退屈だ」――そう言って、婚約者の伯爵令息カイル様は、私を捨てた。
選んだのは、華やかで社交的な公爵令嬢。
地味で無口な私には、誰も見向きもしない……そう思っていたのに。
失意のまま辺境へ向かった私が出会ったのは、偶然にも国中の騎士の頂点に立つ、最強の聖騎士団長でした。
「君は、僕にとってかけがえのない存在だ」
彼の優しさに触れ、私の世界は色づき始める。
そして、私は彼の正妃として王都へ……
急に王妃って言われても…。オジサマが好きなだけだったのに…
satomi
恋愛
オジサマが好きな令嬢、私ミシェル=オートロックスと申します。侯爵家長女です。今回の夜会を逃すと、どこの馬の骨ともわからない男に私の純潔を捧げることに!ならばこの夜会で出会った素敵なオジサマに何としてでも純潔を捧げましょう!…と生まれたのが三つ子。子どもは予定外だったけど、可愛いから良し!
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
溺愛王子の甘すぎる花嫁~悪役令嬢を追放したら、毎日が新婚初夜になりました~
紅葉山参
恋愛
侯爵令嬢リーシャは、婚約者である第一王子ビヨンド様との結婚を心から待ち望んでいた。けれど、その幸福な未来を妬む者もいた。それが、リーシャの控えめな立場を馬鹿にし、王子を我が物にしようと画策した悪役令嬢ユーリーだった。
ある夜会で、ユーリーはビヨンド様の気を引こうと、リーシャを罠にかける。しかし、あなたの王子は、そんなつまらない小細工に騙されるほど愚かではなかった。愛するリーシャを信じ、王子はユーリーを即座に糾弾し、国外追放という厳しい処分を下す。
邪魔者が消え去った後、リーシャとビヨンド様の甘美な新婚生活が始まる。彼は、人前では厳格な王子として振る舞うけれど、私と二人きりになると、とろけるような甘さでリーシャを愛し尽くしてくれるの。
「私の可愛い妻よ、きみなしの人生なんて考えられない」
そう囁くビヨンド様に、私リーシャもまた、心も身体も預けてしまう。これは、障害が取り除かれたことで、むしろ加速度的に深まる、世界一甘くて幸せな夫婦の溺愛物語。新婚の王子妃として、私は彼の、そして王国の「最愛」として、毎日を幸福に満たされて生きていきます。
【完結】男装して会いに行ったら婚約破棄されていたので、近衛として地味に復讐したいと思います。
銀杏鹿
恋愛
次期皇后のアイリスは、婚約者である王に会うついでに驚かせようと、男に変装し近衛として近づく。
しかし、王が自分以外の者と結婚しようとしていると知り、怒りに震えた彼女は、男装を解かないまま、復讐しようと考える。
しかし、男装が完璧過ぎたのか、王の意中の相手やら、王弟殿下やら、その従者に目をつけられてしまい……
追放された悪役令嬢は辺境にて隠し子を養育する
3ツ月 葵(ミツヅキ アオイ)
恋愛
婚約者である王太子からの突然の断罪!
それは自分の婚約者を奪おうとする義妹に嫉妬してイジメをしていたエステルを糾弾するものだった。
しかしこれは義妹に仕組まれた罠であったのだ。
味方のいないエステルは理不尽にも王城の敷地の端にある粗末な離れへと幽閉される。
「あぁ……。私は一生涯ここから出ることは叶わず、この場所で独り朽ち果ててしまうのね」
エステルは絶望の中で高い塀からのぞく狭い空を見上げた。
そこでの生活も数ヵ月が経って落ち着いてきた頃に突然の来訪者が。
「お姉様。ここから出してさし上げましょうか? そのかわり……」
義妹はエステルに悪魔の様な契約を押し付けようとしてくるのであった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる