2 / 3
中編
しおりを挟む
「あらサイード、久しぶり。
しばらく見ない間に、あなた、ずいぶんお変わりになった気がいたします」
「ふん」
妻の言葉に、おれは鼻を鳴らして居間のソファに身を預けた。
妻――ジャクリーヌは美しい顔立ちをしているが、女としては、モーリンに比べると月とすっぽんもいいところだ。
美人に不必要な知性があるのがよくない。
これはおれの持論だが、女の知性は美を損なう。
爵位という餌がなければ、おれがこいつを口説き落とすことはなかっただろう。
もう七年もまえになるが、あのときは必死にジャクリーヌをオトしにかかった。
身なりもきちんとし、品行方正を装った日々がどんなにつらかったか。
おかげでまんまと爵位を手に入れることができた。
先代が死んでからは装うこともやめ、楽に過ごすことにした。
金は好きなようにつかい、女も好きなように買う。
我慢した日々への褒美と考えれば、どんなに好き勝手やってもバチは当たるまい。
催眠術というすばらしい能力を手に入れたことからも、いかにおれが神に祝福されているかがわかるだろう。
「すこし、お話でもいたしましょうか」
ジャクリーヌが使用人に紅茶を出させた。
おれのまえに置かれたカップのその香りは、おれに、ここ数ヶ月むせ返るような女のにおいしか嗅いでこなかったことを気づかせる。
「ずっとお部屋にこもって、なにをなさっていたのですか?
侯爵の務めは、わたしが名代をつとめさせていただいておりますが」
「おれがなにをしようと、おまえには関係のないことだ。
そんなことより……どうだ?
おれの目を見て、なにか感じないか?」
「?」
催眠術をかけようとしたが、やはり、この女には効かない。
モーリンのようにはいかないようだ。
相性というものがあるのかもしれないとおれは思った。
そもそもこの女が、おれの命令で乱れ狂うさまを想像することができない。
おれが想像できないから、催眠術がかからないのかもしれない。
「あなた、疲れた目をされています。
お身体は大事になさっていますか?
お部屋から話し声が聞こえると侍女が申していましたが、だれか客人でもいらっしゃっている?」
「だれでもいいだろう。
おれにはおれの付き合いがあるんだ」
言い放ったおれを、ジャクリーヌはじっと見つめる。
怒ったか?
怒ったところで、もはやどうでもいいのだが。
できるなら最後に、この女が怒りで取り乱すところを見てみたいと思った。
が、
「そうおっしゃるなら、そうなのでしょう。
わたしは妻として、夫のことを信じておりますから」
あろうことか、ジャクリーヌは微笑んだ。
なんという胆力。
この女の余裕は、いったいどこからくるのだろう。
パチン。
妻は笑顔のまま、指を鳴らして紅茶のおかわりを呼んだ。
その乾いた音が妙に心に響く。
なんだ……?
なんだこの胸騒ぎは……。
「それで本日は、なにかご用がおありで居間に来られたのではなくて?」
「あ、ああ。
そうだった、おまえに話がある」
おれは気を取り直すように、低い声で妻にいった。
すこしでもこいつに衝撃を与えたい。
これまで、奔放にふるまうおれに、一度たりとも離縁をにおわせなかった女だ。
離れることは望んでいないはず。
つんと澄ましてはいるが、まちがいなくおれに心底惚れている。
「おれと別れてくれ。
爵位はもういい、そんなものは捨ててやる。
手切れ金だって、おまえの家の金など、もう銅貨一枚だっていらない」
言った。
ついに言ってやった。
ジャクリーヌ自身も、爵位も、金も、おれはすべてを否定した。
おまえに価値などないとつきつけてやったのだ。
しばらく見ない間に、あなた、ずいぶんお変わりになった気がいたします」
「ふん」
妻の言葉に、おれは鼻を鳴らして居間のソファに身を預けた。
妻――ジャクリーヌは美しい顔立ちをしているが、女としては、モーリンに比べると月とすっぽんもいいところだ。
美人に不必要な知性があるのがよくない。
これはおれの持論だが、女の知性は美を損なう。
爵位という餌がなければ、おれがこいつを口説き落とすことはなかっただろう。
もう七年もまえになるが、あのときは必死にジャクリーヌをオトしにかかった。
身なりもきちんとし、品行方正を装った日々がどんなにつらかったか。
おかげでまんまと爵位を手に入れることができた。
先代が死んでからは装うこともやめ、楽に過ごすことにした。
金は好きなようにつかい、女も好きなように買う。
我慢した日々への褒美と考えれば、どんなに好き勝手やってもバチは当たるまい。
催眠術というすばらしい能力を手に入れたことからも、いかにおれが神に祝福されているかがわかるだろう。
「すこし、お話でもいたしましょうか」
ジャクリーヌが使用人に紅茶を出させた。
おれのまえに置かれたカップのその香りは、おれに、ここ数ヶ月むせ返るような女のにおいしか嗅いでこなかったことを気づかせる。
「ずっとお部屋にこもって、なにをなさっていたのですか?
侯爵の務めは、わたしが名代をつとめさせていただいておりますが」
「おれがなにをしようと、おまえには関係のないことだ。
そんなことより……どうだ?
おれの目を見て、なにか感じないか?」
「?」
催眠術をかけようとしたが、やはり、この女には効かない。
モーリンのようにはいかないようだ。
相性というものがあるのかもしれないとおれは思った。
そもそもこの女が、おれの命令で乱れ狂うさまを想像することができない。
おれが想像できないから、催眠術がかからないのかもしれない。
「あなた、疲れた目をされています。
お身体は大事になさっていますか?
お部屋から話し声が聞こえると侍女が申していましたが、だれか客人でもいらっしゃっている?」
「だれでもいいだろう。
おれにはおれの付き合いがあるんだ」
言い放ったおれを、ジャクリーヌはじっと見つめる。
怒ったか?
怒ったところで、もはやどうでもいいのだが。
できるなら最後に、この女が怒りで取り乱すところを見てみたいと思った。
が、
「そうおっしゃるなら、そうなのでしょう。
わたしは妻として、夫のことを信じておりますから」
あろうことか、ジャクリーヌは微笑んだ。
なんという胆力。
この女の余裕は、いったいどこからくるのだろう。
パチン。
妻は笑顔のまま、指を鳴らして紅茶のおかわりを呼んだ。
その乾いた音が妙に心に響く。
なんだ……?
なんだこの胸騒ぎは……。
「それで本日は、なにかご用がおありで居間に来られたのではなくて?」
「あ、ああ。
そうだった、おまえに話がある」
おれは気を取り直すように、低い声で妻にいった。
すこしでもこいつに衝撃を与えたい。
これまで、奔放にふるまうおれに、一度たりとも離縁をにおわせなかった女だ。
離れることは望んでいないはず。
つんと澄ましてはいるが、まちがいなくおれに心底惚れている。
「おれと別れてくれ。
爵位はもういい、そんなものは捨ててやる。
手切れ金だって、おまえの家の金など、もう銅貨一枚だっていらない」
言った。
ついに言ってやった。
ジャクリーヌ自身も、爵位も、金も、おれはすべてを否定した。
おまえに価値などないとつきつけてやったのだ。
2
あなたにおすすめの小説
ドレスが似合わないと言われて婚約解消したら、いつの間にか殿下に囲われていた件
ぽぽよ
恋愛
似合わないドレスばかりを送りつけてくる婚約者に嫌気がさした令嬢シンシアは、婚約を解消し、ドレスを捨てて男装の道を選んだ。
スラックス姿で生きる彼女は、以前よりも自然体で、王宮でも次第に評価を上げていく。
しかしその裏で、爽やかな笑顔を張り付けた王太子が、密かにシンシアへの執着を深めていた。
一方のシンシアは極度の鈍感で、王太子の好意をすべて「親切」「仕事」と受け取ってしまう。
「一生お仕えします」という言葉の意味を、まったく違う方向で受け取った二人。
これは、男装令嬢と爽やか策士王太子による、勘違いから始まる婚約(包囲)物語。
お母様!その方はわたくしの婚約者です
バオバブの実
恋愛
マーガレット・フリーマン侯爵夫人は齢42歳にして初めて恋をした。それはなんと一人娘ダリアの婚約者ロベルト・グリーンウッド侯爵令息
その事で平和だったフリーマン侯爵家はたいへんな騒ぎとなるが…
不愛想な婚約者のメガネをこっそりかけたら
柳葉うら
恋愛
男爵令嬢のアダリーシアは、婚約者で伯爵家の令息のエディングと上手くいっていない。ある日、エディングに会いに行ったアダリーシアは、エディングが置いていったメガネを出来心でかけてみることに。そんなアダリーシアの姿を見たエディングは――。
「か・わ・い・い~っ!!」
これまでの態度から一変して、アダリーシアのギャップにメロメロになるのだった。
出来心でメガネをかけたヒロインのギャップに、本当は溺愛しているのに不器用であるがゆえにぶっきらぼうに接してしまったヒーローがノックアウトされるお話。
【完結】小さなマリーは僕の物
miniko
恋愛
マリーは小柄で胸元も寂しい自分の容姿にコンプレックスを抱いていた。
彼女の子供の頃からの婚約者は、容姿端麗、性格も良く、とても大事にしてくれる完璧な人。
しかし、周囲からの圧力もあり、自分は彼に不釣り合いだと感じて、婚約解消を目指す。
※マリー視点とアラン視点、同じ内容を交互に書く予定です。(最終話はマリー視点のみ)
私は『選んだ』
ルーシャオ
恋愛
フィオレ侯爵家次女セラフィーヌは、いつも姉マルグレーテに『選ばさせられていた』。好きなお菓子も、ペットの犬も、ドレスもアクセサリも先に選ぶよう仕向けられ、そして当然のように姉に取られる。姉はそれを「先にいいものを選んで私に持ってきてくれている」と理解し、フィオレ侯爵も咎めることはない。
『選ばされて』姉に譲るセラフィーヌは、結婚相手までも同じように取られてしまう。姉はバルフォリア公爵家へ嫁ぐのに、セラフィーヌは貴族ですらない資産家のクレイトン卿の元へ嫁がされることに。
セラフィーヌはすっかり諦め、クレイトン卿が継承するという子爵領へ先に向かうよう家を追い出されるが、辿り着いた子爵領はすっかり自由で豊かな土地で——?
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
【完結】婚約破棄されたら、呪いが解けました
あきゅう
恋愛
人質として他国へ送られた王女ルルベルは、その国の人たちに虐げられ、婚約者の王子からも酷い扱いを受けていた。
この物語は、そんな王女が幸せを掴むまでのお話。
ワザとダサくしてたら婚約破棄されたので隣国に行きます!
satomi
恋愛
ワザと瓶底メガネで三つ編みで、生活をしていたら、「自分の隣に相応しくない」という理由でこのフッラクション王国の王太子であられます、ダミアン殿下であらせられます、ダミアン殿下に婚約破棄をされました。
私はホウショウ公爵家の次女でコリーナと申します。
私の容姿で婚約破棄をされたことに対して私付きの侍女のルナは大激怒。
お父様は「結婚前に王太子が人を見てくれだけで判断していることが分かって良かった」と。
眼鏡をやめただけで、学園内での手の平返しが酷かったので、私は父の妹、叔母様を頼りに隣国のリーク帝国に留学することとしました!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる