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07 夜の聖女
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妹が空の向こうに消えてから数日後――
フェリシアは夜の王都を歩いていた。
服装は聖女にふさわしくない、肩の露出した扇情的なものを着ている。
歩いている場所も、大通りから離れた、薄暗い路地裏だった。
彼女はさっきから娼館の近くで、通りかかる男に近寄ろうとしては立ち止まり、立ち止まってはまたほかの男に近寄ろうとするという、不審極まりない行動を繰り返している。
「つ、次こそちゃんと声をかけるわ。
かけないと、ここまできた意味がないんだから」
独りごとで空元気を出す。
本当は怖くて仕方がないが、次に通りかかった男性に声をかけることを決めた。
絶対に声をかける。
絶対に。
絶対に――
「来たわ、男のひと!」
娼館に向かおうとしている男のまえに、フェリシアは走って身を乗り出した。
通せんぼをする形だ。
男は虚を突かれ、立ち尽くす。
フェリシアは薄暗いガス灯の明かりで、男の顔を見た。
丸々と肥えた、赤ら顔のおじさんだった。
「う……あの、わ、わたし……!」
「あー?
なんだ? 立ちんぼか?」
男がフェリシアの顔を覗き込む。
目に染みるほどの酒の臭いがした。
「わ、わた、わたしを、抱いて……」
「おう、いいぜ~。
あんためちゃくちゃ良い匂いするなあ」
「ひっ」
いきなり抱きつかれた。
濃い男の臭いが、酒の臭いと混じって鼻をつく。
この男に身体を許せば、間違いなく神の加護は失われるとフェリシアは思った。
(ひと晩我慢すれば、目的は果たせる。
我慢して抱かれるのよ。
我慢……我慢……ッ)
が、ダメだった。
「おいっ!」
宿に連れ込まれる直前、酔いでふらついた男を突き飛ばしてフェリシアは逃げ出した。
耐えられなかったのだ。
彼女は男と一夜をともにしたことがないばかりか、親密になったことすら一度もない。
できるだけ汚くて醜い男に抱かれるのが確実だと考えたのだが、自分がそれを受け入れるという現実に、想像がまるで追いついていなかった。
まさかここまで嫌悪感をおぼえるとは、彼女自身がいちばん驚いていた。
酔っ払っている男はまるで追いかけてこないが、フェリシアは涙を流しながら必死に走った。
どこをどう曲がったのか、もはや全然わからない。
いまはとにかく走り回って、身体にまとわりついたあの男の臭いを消してしまいたかった。
――と、そのとき。
「きゃっ!」
「おっと、危ない」
人にぶつかってしまった。
涙でにじんだ視界で無闇やたらと走っていたのだから当然である。
フェリシアは、がっしりと抱き止めてくれた相手に慌てて謝った。
「す、すみません!
わたし……その……」
「泣いているのか?
どうした? 襲われたのか?」
心配そうな男性の声が聞こえ、フェリシアの顔を覗き込んできた。
さっきの記憶が蘇り、思わず身をすくめる。
だが、彼女を見ているその顔は、赤ら顔の酔っ払いなどではなく、とても整った顔立ちの美青年だった。
さらりとした金色の髪に、澄んだ青い目をしている。
フェリシアは安心した途端に腰が抜け、彼にもたれかかった。
自分ではわからなかったが、逃げなければという危機感だけで恐怖を押し殺していたらしい。
「よほど怖い思いをしたのだな。
もう大丈夫だ。
私が貴女を守ろう」
「……」
素性も事情もわからないのに、男性はフェリシアを抱き抱えると、守護するようにあたりを警戒した。
フェリシアは胸が高鳴るのを感じた。
(なにこれ? すごくどきどきする。
これが恋というもの?
ううん、聖女は恋なんてしない。
弱っているときに助けてもらったから、きっと心が勘違いしているんだわ)
でも、勘違いでもちょうどいい。
渡りに船を得るとは、まさにこのことだ。
「あの……えっと……」
「イアンだ」
「イアン、ひとつお願いしたいことがあるの。
わたしを……わたしを抱いてください!」
フェリシアは夜の王都を歩いていた。
服装は聖女にふさわしくない、肩の露出した扇情的なものを着ている。
歩いている場所も、大通りから離れた、薄暗い路地裏だった。
彼女はさっきから娼館の近くで、通りかかる男に近寄ろうとしては立ち止まり、立ち止まってはまたほかの男に近寄ろうとするという、不審極まりない行動を繰り返している。
「つ、次こそちゃんと声をかけるわ。
かけないと、ここまできた意味がないんだから」
独りごとで空元気を出す。
本当は怖くて仕方がないが、次に通りかかった男性に声をかけることを決めた。
絶対に声をかける。
絶対に。
絶対に――
「来たわ、男のひと!」
娼館に向かおうとしている男のまえに、フェリシアは走って身を乗り出した。
通せんぼをする形だ。
男は虚を突かれ、立ち尽くす。
フェリシアは薄暗いガス灯の明かりで、男の顔を見た。
丸々と肥えた、赤ら顔のおじさんだった。
「う……あの、わ、わたし……!」
「あー?
なんだ? 立ちんぼか?」
男がフェリシアの顔を覗き込む。
目に染みるほどの酒の臭いがした。
「わ、わた、わたしを、抱いて……」
「おう、いいぜ~。
あんためちゃくちゃ良い匂いするなあ」
「ひっ」
いきなり抱きつかれた。
濃い男の臭いが、酒の臭いと混じって鼻をつく。
この男に身体を許せば、間違いなく神の加護は失われるとフェリシアは思った。
(ひと晩我慢すれば、目的は果たせる。
我慢して抱かれるのよ。
我慢……我慢……ッ)
が、ダメだった。
「おいっ!」
宿に連れ込まれる直前、酔いでふらついた男を突き飛ばしてフェリシアは逃げ出した。
耐えられなかったのだ。
彼女は男と一夜をともにしたことがないばかりか、親密になったことすら一度もない。
できるだけ汚くて醜い男に抱かれるのが確実だと考えたのだが、自分がそれを受け入れるという現実に、想像がまるで追いついていなかった。
まさかここまで嫌悪感をおぼえるとは、彼女自身がいちばん驚いていた。
酔っ払っている男はまるで追いかけてこないが、フェリシアは涙を流しながら必死に走った。
どこをどう曲がったのか、もはや全然わからない。
いまはとにかく走り回って、身体にまとわりついたあの男の臭いを消してしまいたかった。
――と、そのとき。
「きゃっ!」
「おっと、危ない」
人にぶつかってしまった。
涙でにじんだ視界で無闇やたらと走っていたのだから当然である。
フェリシアは、がっしりと抱き止めてくれた相手に慌てて謝った。
「す、すみません!
わたし……その……」
「泣いているのか?
どうした? 襲われたのか?」
心配そうな男性の声が聞こえ、フェリシアの顔を覗き込んできた。
さっきの記憶が蘇り、思わず身をすくめる。
だが、彼女を見ているその顔は、赤ら顔の酔っ払いなどではなく、とても整った顔立ちの美青年だった。
さらりとした金色の髪に、澄んだ青い目をしている。
フェリシアは安心した途端に腰が抜け、彼にもたれかかった。
自分ではわからなかったが、逃げなければという危機感だけで恐怖を押し殺していたらしい。
「よほど怖い思いをしたのだな。
もう大丈夫だ。
私が貴女を守ろう」
「……」
素性も事情もわからないのに、男性はフェリシアを抱き抱えると、守護するようにあたりを警戒した。
フェリシアは胸が高鳴るのを感じた。
(なにこれ? すごくどきどきする。
これが恋というもの?
ううん、聖女は恋なんてしない。
弱っているときに助けてもらったから、きっと心が勘違いしているんだわ)
でも、勘違いでもちょうどいい。
渡りに船を得るとは、まさにこのことだ。
「あの……えっと……」
「イアンだ」
「イアン、ひとつお願いしたいことがあるの。
わたしを……わたしを抱いてください!」
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