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06 人間のやり方
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「愛だって?
相手はトロール、ただのモンスターだぞ?」
「関係ありゃしないよ」
そう言って、女は暴れているトロールに背後から飛びつき、その首にしがみついた。
巨体が動くたびに振り落とされそうになる、スリル満点のあすなろ抱きだ。
「あんた、落ち着いてったら!
こんな美人に大怪我させちまったら、それこそもう離婚するしかなくなるよ!」
「グゥ……?」
動きが止まった。
隙だらけだが、さすがのアリアネも空気を読んで成り行きを見守る。
「リコン ハナレバナレ?」
「そうさ、一生会えなくなる。
あんただってあたしのこと愛してるだろう?
だったらそれを置いて、おとなしくしな」
「ウウ……」
文字どおり頭を抱えてしばし悩んでいたトロールだったが、女が頬にキスをしたことで一気に毒気が抜けたのか、棍棒を手放すとそのまま地面にあぐらをかいた。
警戒しながらアリアネも剣を納める。
「ご婦人、事情を説明してもらいたい。
村で依頼された以上、私もこのまま何もなしに帰るわけにはいかないのだ」
「ええ、分かりました」
女はタニアと名乗り、トロールをダズと紹介した。
二人は夫婦で、この村外れに住み始めてから、もう1年半になるらしい。
2年ほど前、タニアは森の中でダズと出会った。
トロールに個体名はなく、ダズも当時は名もなきトロールの一人に過ぎなかったが、森で狼に囲まれていたタニアを彼が救ったのだという。
本当に助けようと思ったのか、狼を殺して食べたかっただけなのかは分からない。
心からの感謝を示したタニアに、トロールは危害を加えることをしなかった。
その後のことは、人間のカップルと大差ない。
逢瀬を重ね、気持ちを確かめ合い、絆を深める。
ただ違うとすれば、ダズと名をつけたそのトロールが、並の人間より好戦的で、下手な軍隊より強かったということだろう。
「私に突然襲いかかったのは、戦いに飢えていたというわけか?」
呆れ顔で尋ねるアリアネに、タニアは苦笑しながら答える。
「悪く言えばそうなのですが、じゃれても大丈夫そうな相手がきて嬉しかったんですよ」
「あんたも巻き添えで吹っ飛んでたが」
「心は子どもみたいな感じですから、楽しくなるとつい周りが見えなくなってしまって……」
幸い、タニアの傷は深くなかったようで、もう出血はおさまっている。
落ち着いた今となってはダズのほうが心配して、しきりにタニアの顔色を気にしているくらいだ。
「まあ……今日の件はそれでいい。
だが、私は村で聞いた話を忘れていない。
あんたの夫は、他人のニワトリを食って、子どもを怖がらせて、エディサマルに怪我を負わせた。
まるでモンスターじゃないか」
ダズが何か言おうとしていたが、その前にタニアが「子どもは濡れ衣です」と反論した。
「剣士様も経験ありませんか?
子どもというのは、肝試しみたいなことをしたがるものです。
村から離れて住んでるあたしたちの家を窓から覗き見て、ダズと目が合ったら叫んで逃げるという遊びをしている子がいます。
本人に尋ねたらきっと白状しますよ」
「なるほどな」
剣術をおぼえてからのアリアネにはそんな無邪気な経験はないが、それより以前のことを思い起こすと、野犬にわざと近づいたことがたしかにあった。
「それから、エディサマル様の件は、たしかにダズも悪いけど、おあいこだと思いますけどねえ」
「というと?」
「エディサマル様は、あたしらのことを気にかけてたまに立ち寄ってくださるんです。
昨日いらした時にはお酒が入っていて、ダズと力比べをしたいとおっしゃって。
さっきも言ったように、この人は力が余ってうずうずして暮らしてるでしょう?
だもんで、つい嬉しくて加減を間違って、気がついたら壁を突き破って可哀想なことに……」
「うーん」
エディサマルらしくないエピソードに、アリアネは思わずうなった。
スマートで優雅な印象しかない彼の人生の1ページに、そんなみっともない挿話を入れてほしくない。
だが、酒が入っている時の愉快な振る舞いのひとつと考えれば、かろうじて許容してもいいだろう。
「本音を言えば、酒を飲んでも顔色ひとつ変えないエディサマルであってほしかったが……」
「はい?」
「あ、いや、こっちの話だ。
あとは、じゃあニワトリの件だけだな。
食ったのか?」
アリアネとタニアが見つめると、ダズは決まりが悪そうに「クッタ……」と認めた。
「あんた、人様のニワトリを食べたのかい!
あんなに盗みはいけないって教えたのに」
「ゴメンナサイ……
サクカラ デテタ
ヒトサマノ モノ チガウ オモッタ」
「ここいらに野生のニワトリなんていないよ!
ああ、なんてことを……」
顔を覆い、「どうしよう。出ていくしかないのかね」と思い悩むタニア。
「ドロボウ デテイケ?」
「いいや、村の掟は追放じゃなくて手落としだよ。
あんたの利き手を無理やり斬り落とせる者なんていないから、二人でどこかに逃げるしかないってこと」
タニアに邪魔さえされなければ、アリアネだってダズに負ける気はない。
それでも、暴れるトロールを相手にして、右手だけを器用に落とすのは難しいと言わざるをえない。
たとえどうにか落とせたにしても、苦痛にもだえる巨体を鎮めるには、結局首まで落とすことになってしまう。
「テオトシ……」
ダズは自らの右手をまじまじと眺めると、傍らに立つタニアの背を優しく撫で、はっきりと言った。
「テオトシ ヤル
ニンゲンノ ヤリカタ マモル
オレ ニンゲン ナレル」
相手はトロール、ただのモンスターだぞ?」
「関係ありゃしないよ」
そう言って、女は暴れているトロールに背後から飛びつき、その首にしがみついた。
巨体が動くたびに振り落とされそうになる、スリル満点のあすなろ抱きだ。
「あんた、落ち着いてったら!
こんな美人に大怪我させちまったら、それこそもう離婚するしかなくなるよ!」
「グゥ……?」
動きが止まった。
隙だらけだが、さすがのアリアネも空気を読んで成り行きを見守る。
「リコン ハナレバナレ?」
「そうさ、一生会えなくなる。
あんただってあたしのこと愛してるだろう?
だったらそれを置いて、おとなしくしな」
「ウウ……」
文字どおり頭を抱えてしばし悩んでいたトロールだったが、女が頬にキスをしたことで一気に毒気が抜けたのか、棍棒を手放すとそのまま地面にあぐらをかいた。
警戒しながらアリアネも剣を納める。
「ご婦人、事情を説明してもらいたい。
村で依頼された以上、私もこのまま何もなしに帰るわけにはいかないのだ」
「ええ、分かりました」
女はタニアと名乗り、トロールをダズと紹介した。
二人は夫婦で、この村外れに住み始めてから、もう1年半になるらしい。
2年ほど前、タニアは森の中でダズと出会った。
トロールに個体名はなく、ダズも当時は名もなきトロールの一人に過ぎなかったが、森で狼に囲まれていたタニアを彼が救ったのだという。
本当に助けようと思ったのか、狼を殺して食べたかっただけなのかは分からない。
心からの感謝を示したタニアに、トロールは危害を加えることをしなかった。
その後のことは、人間のカップルと大差ない。
逢瀬を重ね、気持ちを確かめ合い、絆を深める。
ただ違うとすれば、ダズと名をつけたそのトロールが、並の人間より好戦的で、下手な軍隊より強かったということだろう。
「私に突然襲いかかったのは、戦いに飢えていたというわけか?」
呆れ顔で尋ねるアリアネに、タニアは苦笑しながら答える。
「悪く言えばそうなのですが、じゃれても大丈夫そうな相手がきて嬉しかったんですよ」
「あんたも巻き添えで吹っ飛んでたが」
「心は子どもみたいな感じですから、楽しくなるとつい周りが見えなくなってしまって……」
幸い、タニアの傷は深くなかったようで、もう出血はおさまっている。
落ち着いた今となってはダズのほうが心配して、しきりにタニアの顔色を気にしているくらいだ。
「まあ……今日の件はそれでいい。
だが、私は村で聞いた話を忘れていない。
あんたの夫は、他人のニワトリを食って、子どもを怖がらせて、エディサマルに怪我を負わせた。
まるでモンスターじゃないか」
ダズが何か言おうとしていたが、その前にタニアが「子どもは濡れ衣です」と反論した。
「剣士様も経験ありませんか?
子どもというのは、肝試しみたいなことをしたがるものです。
村から離れて住んでるあたしたちの家を窓から覗き見て、ダズと目が合ったら叫んで逃げるという遊びをしている子がいます。
本人に尋ねたらきっと白状しますよ」
「なるほどな」
剣術をおぼえてからのアリアネにはそんな無邪気な経験はないが、それより以前のことを思い起こすと、野犬にわざと近づいたことがたしかにあった。
「それから、エディサマル様の件は、たしかにダズも悪いけど、おあいこだと思いますけどねえ」
「というと?」
「エディサマル様は、あたしらのことを気にかけてたまに立ち寄ってくださるんです。
昨日いらした時にはお酒が入っていて、ダズと力比べをしたいとおっしゃって。
さっきも言ったように、この人は力が余ってうずうずして暮らしてるでしょう?
だもんで、つい嬉しくて加減を間違って、気がついたら壁を突き破って可哀想なことに……」
「うーん」
エディサマルらしくないエピソードに、アリアネは思わずうなった。
スマートで優雅な印象しかない彼の人生の1ページに、そんなみっともない挿話を入れてほしくない。
だが、酒が入っている時の愉快な振る舞いのひとつと考えれば、かろうじて許容してもいいだろう。
「本音を言えば、酒を飲んでも顔色ひとつ変えないエディサマルであってほしかったが……」
「はい?」
「あ、いや、こっちの話だ。
あとは、じゃあニワトリの件だけだな。
食ったのか?」
アリアネとタニアが見つめると、ダズは決まりが悪そうに「クッタ……」と認めた。
「あんた、人様のニワトリを食べたのかい!
あんなに盗みはいけないって教えたのに」
「ゴメンナサイ……
サクカラ デテタ
ヒトサマノ モノ チガウ オモッタ」
「ここいらに野生のニワトリなんていないよ!
ああ、なんてことを……」
顔を覆い、「どうしよう。出ていくしかないのかね」と思い悩むタニア。
「ドロボウ デテイケ?」
「いいや、村の掟は追放じゃなくて手落としだよ。
あんたの利き手を無理やり斬り落とせる者なんていないから、二人でどこかに逃げるしかないってこと」
タニアに邪魔さえされなければ、アリアネだってダズに負ける気はない。
それでも、暴れるトロールを相手にして、右手だけを器用に落とすのは難しいと言わざるをえない。
たとえどうにか落とせたにしても、苦痛にもだえる巨体を鎮めるには、結局首まで落とすことになってしまう。
「テオトシ……」
ダズは自らの右手をまじまじと眺めると、傍らに立つタニアの背を優しく撫で、はっきりと言った。
「テオトシ ヤル
ニンゲンノ ヤリカタ マモル
オレ ニンゲン ナレル」
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