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第一章
第32話 死霊術士、忖度する②
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今は深夜の二時くらいだろうか。
俺は酔いざましも兼ねてこっそりとギルドを抜けた。
閑散としたサラマンドの街並みを、涼しい夜風を受けながら歩く。
街を歩いている者はほとんどいないが、酒場や食堂からは温かな灯りが漏れており、人々の飲食に興じる声がどこかしらから聞こえてくる。
そんな灯りや声と、俺の靴が石畳とこすれる乾いた音を楽しみながら、当てもなく街を歩く。
深夜のこういった空気が俺は好きなのだ。
あの後、仕事上がりのオデットやゴルドーさんも加わり、それはもう飲んで騒いでの賑やかな宴席となった。
肉の骨が散らばり、酒の飛沫が飛び交う酒場。
荒くれ者の多い冒険者ギルドにはよくある光景ではあるが、よくよく考えてみれば俺があの輪の中に入ることができたのはこの町に来てからだ。
以前の俺はろくに友人もおらず、いい年してC級の役立たずであるという負い目もあってか酒場で騒ぐことなどとてもできなかったからな。
だから酒の席をたくさんの友人たちと楽しむというのは俺にとってとても新鮮で魅力的な行為ではある。
しかし、俺自身の生来の陰鬱な気質はどうしようもないのか、長時間ああいった賑やかな場にいると食あたりのような反応を起こしてしまうのだ。
気がつけば俺の足は町の外れへと向かっていた。
大通りを外れてここまで来ると人通りはほとんどなく、辺りは静寂に包まれている。
昨日の朝リリスの剣舞を眺めた空地の前まで来ると、俺は妙な気配を感じた。
誰かいる。
それも、明らかに俺を尾けてきている動きだ。
リリスと出会う前の俺なら気がつかなかったかもしれない。
だが今の俺は身体能力だけではなく、感覚までが以前とは比べものにならないほど研ぎ澄まされている。
「誰だ?」
周囲に警戒しつつ、振り返って俺は言った。
もっとも、こんなことを言って素直に出てくる尾行者はいないとは思うが――
「俺だよ、クラウス」
しかし予想に反して、尾行者は俺の斜め後ろの建物の陰から出てきて俺の前に姿を現した。
その姿を見て、俺は驚愕した。
「お前……ジョーキットか!?」
「何だ、まるで幽霊でも見ているような顔だな」
くつくつと笑うその男は、確かに俺の知る勇者ジョーキットだった。
暗くて顔はよく見えないが、あの背格好と声をまごうはずもない。
だがかつての雄々しく凛々しい風貌はどこへやら、上体は半裸で胴には雑に包帯が巻かれており、足元はふらついている。
胴体に巻かれた包帯には痛々しい赤い染みが滲んでいる。
もちろん、こいつは霊魂なんかではない。
正真正銘の生きた人間だ。
「あれだけの怪我を負ったのに生きていたのか!?」
「俺があれしきの攻撃でくたばると思っていたのか? 本当に甘い奴だな、お前は」
何て頑丈な奴だ。
しかし強がってはいるが、このままではあいつはもう長くないだろう。
医者ではない俺が見てもわかる。
息遣いは荒いし、足どりはおぼつかない。よく見れば血が包帯から漏れ出して石畳にポタポタと滴っている。
「いつから俺を尾けていた?」
「ついさっき目を覚ましてからさ。見ての通り、俺はもうすぐ死ぬ。だがどうせ死ぬなら、最期にフローリアの仇を討ってからでも良いだろ?」
ジョーキットは上体を不気味に揺らしながらゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「そう思って治療院を抜けだしたんだ。そしたらクラウス、お前がフラフラと歩いてやがるじゃないか。気持ちよさそうによぉ。酒でも飲んだのか? フローリアが死んだのに。なぁ?」
もはや勇者であった頃の面影はない。
最愛の女性を失った哀しみで我を失った孤独な男がそこにいるだけだった。
俺はどうすればいい。
生きていたことには驚いたが、この様子ではジョーキットはもうまともにパンチを放つことさえ不可能だろう。
だから俺が奴に殺されたりするようなことはない。
今ここで楽にしてやることもできるし、面倒なら走って逃げてしまうことも可能だ。
それに、どっちみち奴の身体は朝まで持たないだろう。
「なぁ、クラウス。何とか言えよ。なぁ?」
だがどういうわけか、俺はジョーキットから目が離せなかった。
あいつのことはもちろん憎い。
俺の絶望の表情を見るためだけに俺を仲間に入れたクズ野郎だからな。
だが今のあいつはどうだ。
剣も握れないほどに衰弱し、半ば八つ当たりのような形で俺に恨みを向け、残り少ない時間を俺への復讐に費やそうとしている。
何と哀れな様だろうか。
あれがかつて王都を騒がせたS級冒険者の姿だと?
「クラウスゥゥゥ……お前にはフローリアの百倍の苦しみを与えても足りないぞ……」
俺はジョーキットが泣いていることに気がついた。
月明かりが当たって、彼の血色の悪い頬を流れ落ちる水滴が一瞬光ったのが見えたのだ。
瞳は俺の方を向いてはいるが、まるで虚空を見ているかのように空っぽで生気がない。
死にかけとはいえ、これがまだ生きている人間の表情なのか?
これでは、まるで――。
「クラウスさん!!」
突然、ジョーキットを挟んで向こう側にもう一つの人影が現れると同時に、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
人影は凄まじい速度でジョーキットを追い抜き、こちらへと走り寄ってきて、俺の隣で止まった。
リリスだ。
酒場で飲んでいるはずなのに。
「クラウスさん、どうしてこんなところに?」
「リリスこそ、酒場に居たんじゃないのか?」
「わたしは、その……」
やや言い淀んで、リリスは続けた。
「ああやってみんなでお酒を飲んで騒ぐのって楽しいんですけど、正直まだ慣れないんですよね。わたし、五百年前は鍛錬と旅ばかりしていたので……。それで、抜け出してきちゃいました」
「……実は俺もだ。宴が嫌なわけじゃないんだけど……何でだろうな」
「あはは……似た者同士ですね、わたしたち」
リリスが俺と同じような気質を持っていたことは意外だったが、理解し合える相手ができたことは少なからず嬉しかった。
――と、こんな世間話をしている場合じゃない。
「おいクラウスよぉ……デスマウンテンで死ぬはずだったお前が生きていたのはその女のお陰なんだろう? カスだったはずのお前が強くなっていたのはそいつと出会ったからなんだよなぁ?」
「クラウスさん、この人……!」
「ああ。俺の元パーティーメンバーのジョーキットだ」
道場でジョーキットたちと戦ったことはリリスにも話してある。
だがリリスも俺と同様、まさかジョーキットが生きているとは思わなかったようで、彼女の横顔には困惑の色が見えた。
俺を助けに道場へ来てくれたときに、リリスもジョーキットたちの倒れている姿を見ているからな。
「さぞや良い気分だろうなぁ? リザードマンのアジトに捕まった惨めな俺らを助けて恩を売った挙句、俺らを殺すことができてなぁ。満足か? え?」
足を止めてジョーキットは言った。
「満足したかって? 正直、満更でもなかったよ」
「ハッ……そりゃそうだろう。自分より弱い者を弄び、蹂躙するってのはこの上ない喜びだからな。ましてやその相手がかつて自分を愚弄した者なら、その愉悦はひとしおだろうよ」
虚ろな瞳で俺を捉え、ジョーキットは口角を歪ませる。
「そうかもしれないな」
「ハッハッハ……素直で良いじゃないか、クラウス」
視線を石畳へと落とし、両腕を不規則にぶらぶらさせてからジョーキットは夜空へと視線を上げた。
雲で星が覆われて濁った夜空を仰ぎ、何度か力なく目を瞬いた。
「俺にもわかってるんだよ。俺らは報いを受けただけなのさ。クラウス、お前をコケにした報いを受けたんだよ」
再び視線を俺へと戻し、続けた。
「わかってるんだ。俺も、どうしようもないカスなんだ。勇者だなんだと祀り上げられたけど、結局のところ俺の根っこはただの獰悪な人間でしかなかった」
「ジョーキット……」
「俺が孤児だったのは知ってるよな? 俺は親の顔も知らないんだ。物心もつかないガキの頃から残飯を漁って喰らう生活に、常に人目を気にしながら盗みを働く毎日。俺はそんな賤しい自分が嫌で嫌で仕方なかった。だから俺は貴族になりたかったんだ」
孤児だというのは聞いたことがあったが、まさかそんな過酷な幼少時代を過ごしていたとは知らなかった。
「金だけじゃない。貴族は決して残飯なんて食わないし、もちろん盗みもしない。教養や、品のある礼儀作法も身につけて、他人に尊敬される存在。賤しさなんて欠片もない、自分とは対極に位置する気高い人種。俺はそんな貴族になりたかった。だから冒険者になって勇者になった。だけどな……」
ジョーキットは続けた。
「あるとき、気づいちまったんだよ。俺はどうひっくり返っても、本当の意味での貴族になんてなれないんだってな。俺は気高い人間になんてなれない。俺は一生賤しい人間なんだって気づいちまった。そこからは速かったよ。俺は夏場の果物みたいに急速に腐っていった……」
声を震わせ、ジョーキットはその場で頽れた。
石畳に膝と額をベッタリつけて背中を震わせ、嗚咽を漏らすその姿にはかつての面影はなかった。
「でも……でもな。クラウス、お前に言っても仕方ないことなんだけどさ。もしもう一度人生をやり直せるなら……俺はもう一度だけ魔王討伐に挑戦してみたいよ。そして今度こそ気高い人間になれるよう努力してみたい。だがそれが無理なら――せめてフローリアを守りたい。フローリアのことを幸せにしたい。俺が死ぬのは自業自得だと思うが、フローリアを死なせてしまったことだけが心残りなんだ……」
かつての勇者の情けない姿を前に、俺の心の片隅にあった何かが融解した。
これがこいつの本心だったのだ。
フローリアを殺した俺への復讐に憑りつかれたように振る舞っていたのは、自分の人生への後悔を覆い隠すためだった。
「すまない、フローリア……。俺がこんなクズじゃなかったら、君は死ぬことはなかったんだ。君は俺を恨んでいるだろう?」
「なぁ、ジョーキット。そんなに気になるなら、フローリアに直接訊いてみたらどうだ?」
決して情が湧いたわけではない。
ただ、俺自身もこいつとの問題にケリをつけたいだけなのだ。
経緯はどうであれ、俺がフローリアを死なせたのは事実だからな。
このままこいつに死なれるのも寝覚めが悪いというだけだ。
俺の言葉に、ジョーキットは声を詰まらせて顔を上げた。
「フローリアもお前と話がしたいみたいだぞ。霊魂ってのは大抵死んだ場所か死体のある場所に留まるものなんだが、こうして人に纏わりついているのは珍しいからな」
「クラウス……お前、何を言っているんだ?」
「もしかして、クラウスさん……居るんですか? ここに」
俺はリリスに向かって頷いた。
「ジョーキット。俺が今からフローリアを呼んでやる。そしたら言いたいことを言えばいいし、謝りたきゃ謝ればいい。だからその情けない繰り言はやめろ」
「……何だって?」
怪訝そうなジョーキットの言葉を無視し、俺は脇の空地へと入った。
勘違いするなよジョーキット。
俺はお前のために死霊術を使うわけじゃないからな。
「霊魂よ。彷徨い留まりし霊魂よ。我が魔力を介し、汝に実体を与えん」
呪文を唱え練った魔力を放つと、暗い空地を仄明るい光が一瞬だけ支配し――
「う……嘘だろ……?」
光の中心があった場所には、困惑するジョーキットの方を見て同じく困惑した表情で立ち尽くすフローリアがいた。
俺は酔いざましも兼ねてこっそりとギルドを抜けた。
閑散としたサラマンドの街並みを、涼しい夜風を受けながら歩く。
街を歩いている者はほとんどいないが、酒場や食堂からは温かな灯りが漏れており、人々の飲食に興じる声がどこかしらから聞こえてくる。
そんな灯りや声と、俺の靴が石畳とこすれる乾いた音を楽しみながら、当てもなく街を歩く。
深夜のこういった空気が俺は好きなのだ。
あの後、仕事上がりのオデットやゴルドーさんも加わり、それはもう飲んで騒いでの賑やかな宴席となった。
肉の骨が散らばり、酒の飛沫が飛び交う酒場。
荒くれ者の多い冒険者ギルドにはよくある光景ではあるが、よくよく考えてみれば俺があの輪の中に入ることができたのはこの町に来てからだ。
以前の俺はろくに友人もおらず、いい年してC級の役立たずであるという負い目もあってか酒場で騒ぐことなどとてもできなかったからな。
だから酒の席をたくさんの友人たちと楽しむというのは俺にとってとても新鮮で魅力的な行為ではある。
しかし、俺自身の生来の陰鬱な気質はどうしようもないのか、長時間ああいった賑やかな場にいると食あたりのような反応を起こしてしまうのだ。
気がつけば俺の足は町の外れへと向かっていた。
大通りを外れてここまで来ると人通りはほとんどなく、辺りは静寂に包まれている。
昨日の朝リリスの剣舞を眺めた空地の前まで来ると、俺は妙な気配を感じた。
誰かいる。
それも、明らかに俺を尾けてきている動きだ。
リリスと出会う前の俺なら気がつかなかったかもしれない。
だが今の俺は身体能力だけではなく、感覚までが以前とは比べものにならないほど研ぎ澄まされている。
「誰だ?」
周囲に警戒しつつ、振り返って俺は言った。
もっとも、こんなことを言って素直に出てくる尾行者はいないとは思うが――
「俺だよ、クラウス」
しかし予想に反して、尾行者は俺の斜め後ろの建物の陰から出てきて俺の前に姿を現した。
その姿を見て、俺は驚愕した。
「お前……ジョーキットか!?」
「何だ、まるで幽霊でも見ているような顔だな」
くつくつと笑うその男は、確かに俺の知る勇者ジョーキットだった。
暗くて顔はよく見えないが、あの背格好と声をまごうはずもない。
だがかつての雄々しく凛々しい風貌はどこへやら、上体は半裸で胴には雑に包帯が巻かれており、足元はふらついている。
胴体に巻かれた包帯には痛々しい赤い染みが滲んでいる。
もちろん、こいつは霊魂なんかではない。
正真正銘の生きた人間だ。
「あれだけの怪我を負ったのに生きていたのか!?」
「俺があれしきの攻撃でくたばると思っていたのか? 本当に甘い奴だな、お前は」
何て頑丈な奴だ。
しかし強がってはいるが、このままではあいつはもう長くないだろう。
医者ではない俺が見てもわかる。
息遣いは荒いし、足どりはおぼつかない。よく見れば血が包帯から漏れ出して石畳にポタポタと滴っている。
「いつから俺を尾けていた?」
「ついさっき目を覚ましてからさ。見ての通り、俺はもうすぐ死ぬ。だがどうせ死ぬなら、最期にフローリアの仇を討ってからでも良いだろ?」
ジョーキットは上体を不気味に揺らしながらゆっくりとこちらへ近づいてくる。
「そう思って治療院を抜けだしたんだ。そしたらクラウス、お前がフラフラと歩いてやがるじゃないか。気持ちよさそうによぉ。酒でも飲んだのか? フローリアが死んだのに。なぁ?」
もはや勇者であった頃の面影はない。
最愛の女性を失った哀しみで我を失った孤独な男がそこにいるだけだった。
俺はどうすればいい。
生きていたことには驚いたが、この様子ではジョーキットはもうまともにパンチを放つことさえ不可能だろう。
だから俺が奴に殺されたりするようなことはない。
今ここで楽にしてやることもできるし、面倒なら走って逃げてしまうことも可能だ。
それに、どっちみち奴の身体は朝まで持たないだろう。
「なぁ、クラウス。何とか言えよ。なぁ?」
だがどういうわけか、俺はジョーキットから目が離せなかった。
あいつのことはもちろん憎い。
俺の絶望の表情を見るためだけに俺を仲間に入れたクズ野郎だからな。
だが今のあいつはどうだ。
剣も握れないほどに衰弱し、半ば八つ当たりのような形で俺に恨みを向け、残り少ない時間を俺への復讐に費やそうとしている。
何と哀れな様だろうか。
あれがかつて王都を騒がせたS級冒険者の姿だと?
「クラウスゥゥゥ……お前にはフローリアの百倍の苦しみを与えても足りないぞ……」
俺はジョーキットが泣いていることに気がついた。
月明かりが当たって、彼の血色の悪い頬を流れ落ちる水滴が一瞬光ったのが見えたのだ。
瞳は俺の方を向いてはいるが、まるで虚空を見ているかのように空っぽで生気がない。
死にかけとはいえ、これがまだ生きている人間の表情なのか?
これでは、まるで――。
「クラウスさん!!」
突然、ジョーキットを挟んで向こう側にもう一つの人影が現れると同時に、聞き慣れた声が耳に飛び込んできた。
人影は凄まじい速度でジョーキットを追い抜き、こちらへと走り寄ってきて、俺の隣で止まった。
リリスだ。
酒場で飲んでいるはずなのに。
「クラウスさん、どうしてこんなところに?」
「リリスこそ、酒場に居たんじゃないのか?」
「わたしは、その……」
やや言い淀んで、リリスは続けた。
「ああやってみんなでお酒を飲んで騒ぐのって楽しいんですけど、正直まだ慣れないんですよね。わたし、五百年前は鍛錬と旅ばかりしていたので……。それで、抜け出してきちゃいました」
「……実は俺もだ。宴が嫌なわけじゃないんだけど……何でだろうな」
「あはは……似た者同士ですね、わたしたち」
リリスが俺と同じような気質を持っていたことは意外だったが、理解し合える相手ができたことは少なからず嬉しかった。
――と、こんな世間話をしている場合じゃない。
「おいクラウスよぉ……デスマウンテンで死ぬはずだったお前が生きていたのはその女のお陰なんだろう? カスだったはずのお前が強くなっていたのはそいつと出会ったからなんだよなぁ?」
「クラウスさん、この人……!」
「ああ。俺の元パーティーメンバーのジョーキットだ」
道場でジョーキットたちと戦ったことはリリスにも話してある。
だがリリスも俺と同様、まさかジョーキットが生きているとは思わなかったようで、彼女の横顔には困惑の色が見えた。
俺を助けに道場へ来てくれたときに、リリスもジョーキットたちの倒れている姿を見ているからな。
「さぞや良い気分だろうなぁ? リザードマンのアジトに捕まった惨めな俺らを助けて恩を売った挙句、俺らを殺すことができてなぁ。満足か? え?」
足を止めてジョーキットは言った。
「満足したかって? 正直、満更でもなかったよ」
「ハッ……そりゃそうだろう。自分より弱い者を弄び、蹂躙するってのはこの上ない喜びだからな。ましてやその相手がかつて自分を愚弄した者なら、その愉悦はひとしおだろうよ」
虚ろな瞳で俺を捉え、ジョーキットは口角を歪ませる。
「そうかもしれないな」
「ハッハッハ……素直で良いじゃないか、クラウス」
視線を石畳へと落とし、両腕を不規則にぶらぶらさせてからジョーキットは夜空へと視線を上げた。
雲で星が覆われて濁った夜空を仰ぎ、何度か力なく目を瞬いた。
「俺にもわかってるんだよ。俺らは報いを受けただけなのさ。クラウス、お前をコケにした報いを受けたんだよ」
再び視線を俺へと戻し、続けた。
「わかってるんだ。俺も、どうしようもないカスなんだ。勇者だなんだと祀り上げられたけど、結局のところ俺の根っこはただの獰悪な人間でしかなかった」
「ジョーキット……」
「俺が孤児だったのは知ってるよな? 俺は親の顔も知らないんだ。物心もつかないガキの頃から残飯を漁って喰らう生活に、常に人目を気にしながら盗みを働く毎日。俺はそんな賤しい自分が嫌で嫌で仕方なかった。だから俺は貴族になりたかったんだ」
孤児だというのは聞いたことがあったが、まさかそんな過酷な幼少時代を過ごしていたとは知らなかった。
「金だけじゃない。貴族は決して残飯なんて食わないし、もちろん盗みもしない。教養や、品のある礼儀作法も身につけて、他人に尊敬される存在。賤しさなんて欠片もない、自分とは対極に位置する気高い人種。俺はそんな貴族になりたかった。だから冒険者になって勇者になった。だけどな……」
ジョーキットは続けた。
「あるとき、気づいちまったんだよ。俺はどうひっくり返っても、本当の意味での貴族になんてなれないんだってな。俺は気高い人間になんてなれない。俺は一生賤しい人間なんだって気づいちまった。そこからは速かったよ。俺は夏場の果物みたいに急速に腐っていった……」
声を震わせ、ジョーキットはその場で頽れた。
石畳に膝と額をベッタリつけて背中を震わせ、嗚咽を漏らすその姿にはかつての面影はなかった。
「でも……でもな。クラウス、お前に言っても仕方ないことなんだけどさ。もしもう一度人生をやり直せるなら……俺はもう一度だけ魔王討伐に挑戦してみたいよ。そして今度こそ気高い人間になれるよう努力してみたい。だがそれが無理なら――せめてフローリアを守りたい。フローリアのことを幸せにしたい。俺が死ぬのは自業自得だと思うが、フローリアを死なせてしまったことだけが心残りなんだ……」
かつての勇者の情けない姿を前に、俺の心の片隅にあった何かが融解した。
これがこいつの本心だったのだ。
フローリアを殺した俺への復讐に憑りつかれたように振る舞っていたのは、自分の人生への後悔を覆い隠すためだった。
「すまない、フローリア……。俺がこんなクズじゃなかったら、君は死ぬことはなかったんだ。君は俺を恨んでいるだろう?」
「なぁ、ジョーキット。そんなに気になるなら、フローリアに直接訊いてみたらどうだ?」
決して情が湧いたわけではない。
ただ、俺自身もこいつとの問題にケリをつけたいだけなのだ。
経緯はどうであれ、俺がフローリアを死なせたのは事実だからな。
このままこいつに死なれるのも寝覚めが悪いというだけだ。
俺の言葉に、ジョーキットは声を詰まらせて顔を上げた。
「フローリアもお前と話がしたいみたいだぞ。霊魂ってのは大抵死んだ場所か死体のある場所に留まるものなんだが、こうして人に纏わりついているのは珍しいからな」
「クラウス……お前、何を言っているんだ?」
「もしかして、クラウスさん……居るんですか? ここに」
俺はリリスに向かって頷いた。
「ジョーキット。俺が今からフローリアを呼んでやる。そしたら言いたいことを言えばいいし、謝りたきゃ謝ればいい。だからその情けない繰り言はやめろ」
「……何だって?」
怪訝そうなジョーキットの言葉を無視し、俺は脇の空地へと入った。
勘違いするなよジョーキット。
俺はお前のために死霊術を使うわけじゃないからな。
「霊魂よ。彷徨い留まりし霊魂よ。我が魔力を介し、汝に実体を与えん」
呪文を唱え練った魔力を放つと、暗い空地を仄明るい光が一瞬だけ支配し――
「う……嘘だろ……?」
光の中心があった場所には、困惑するジョーキットの方を見て同じく困惑した表情で立ち尽くすフローリアがいた。
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