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しおりを挟む空閑は社長一族だが、マーチャンダイザーという特別な肩書きを背負っているのはなにも身内へのひいきではないだろう。空閑の経営センスは本物だ。だからこそ余計に怒りがわいてくるのだ。
誰でも企画書を出せると知って、麻由は早速それを提出した。ボツになるのはしょうがない。元々企画の仕事に関わっていないハンデがある。だから自分なりに勉強して、何度も何度も提出した。
半年以上企画がボツになったあげく、受け取ったのはもう出してくるなという最後通告だ。
企画が面白くなかったのは自分が悪い。だからボツになるのは仕方がない。けれど、出してくるなという権利は誰にもないはずではないか。
社内に周知されたのは部署の垣根を越えて広く企画を募るという話だ。麻由にも企画書を出す権利はある。あの付箋を見るたびに、つまらないものはもう見たくもないと傲慢に言い放つ空閑の姿が頭によぎる。
(まあどんな人かは知らないんだけど)
イメージの中の空閑は金と欲にまみれ、高級なスーツに高い葉巻を持つでっぷりと太った男だった。もちろん麻由の勝手なイメージだが。
元々販売の仕事に憧れて入社したデパートだ。販売部に配属されたことに不満はなかった。けれどこうして日々客のニーズに触れるたび、自分でも客を喜ばせるような企画をしたいという気持ちが大きくなっていった。
麻由は気付かれないように小さくため息をついた。
空閑に不本意な付箋を貼られたことはおろか、企画書を出していたことすらこの二人には言っていない。同期のだれにだって愚痴を言えなかった。
蘭の言う、同期の星という言葉にはからかいもあるだろうが、本気で言ってくれていることもわかっている。だからこそ、弱音を吐いて頼りない自分を見せられないと思ってしまう。
なんの気兼ねもなくだれかに愚痴を言うことができればどんなにいいだろうと思うこともある。だが、あいにく相談できるような恋人もいなかった。
(こうやってなんでもため込んで、平気なふりをするところがかわいげないのかなあ)
女性誌をチェックしていると避けて通れないのが恋愛の話題だ。カラーページの後ろにはその手の読み物がわんさか載っている。流行のアイテムをチェックする傍ら、そういった特集も隅々まで読んでいることももちろん誰にも言っていない。
読み物には、女の子に大切なのはとにかくかわいげだと、隙なのだと毎月書いてある。頭ではわかっていてもそれがどうやったら身につくのか麻由にはわからなかった。
時間がたつにつれ客が増え、閉店の時間が近づく頃には仕事に忙殺されて空閑の付箋のことは忘れてしまっていた。
閉店を告げる蛍の光が流れ、麻由がレジ閉めの作業に取りかかろうとするのを蘭が止める。
「やっておくよ。今日は用事でしょ」
「え、塚原先輩なにかあるんですか?」
埃よけのクロスを裏から持ってきたエリナも興味津々で輪に入ってきた。
「お見合いよ、お見合い」
「ま、マジですか!?」
いたずらっぽく言う蘭に、エリナが頓狂な声を上げる。
麻由はその様子に苦笑した。
「上のレストランでブライダル会社とコラボした婚活パーティーがあるでしょ。それに参加するだけだよ」
「参加者増やすためにフリーの従業員は全員強制参加になったものね」
蘭は同情するような表情を浮かべている。エリナはそれにさらに驚いた様子だった。
「塚原先輩、彼氏いないんですか!?」
「しょうがないわよ、今は忙しいもの」
フォローしてくれた蘭の言葉に、麻由は曖昧に笑うことしかできなかった。
こういうところで自虐を明るく話せるほうがかわいげがあるだろうか。けれど自分が話すとどうしても悲壮感が漂いそうではばかられる。今、どころか産まれてから一度も彼氏がいたことがないなんて。
(でも、それも今日で終わりだから)
かわいげを出して、隙を見せて、きっと恋人を見つけてみせる。
参加させられる従業員は大方、面倒だとか残業代は出るのかと、今回のイベントをあまり快く思っていないようだったが、麻由は違う。
今日が自分の運命の恋人を見つけられる日なのではないかと密かに期待しているのだ。
自分を変えたい。弱ったときには甘えさせてくれるような恋人を作りたい。そうしたらお硬いばかりでかわいげのない自分を変えられるはずだから。
少しだけフォーマル感のあるシフォン素材のセットアップに着替え、一つにまとめていた髪を下ろして整えた。薄暗いところでも映えるようにメイクはこっそりラメ感のあるものに変えた。
エレベーターで飲食店のフロアに行き会場であるレストランに入ると、すでにパーティーは始まっていた。
ウェイターにシャンパングラスを渡され、会場をぶらつきながら麻由はこっそりあたりを見回す。
立食スタイルのレストラン内には意外にもデパート従業員の姿は見当たらない。
(も、もしかしてみんなサボったとか? 真面目に出席してるのって私だけ?)
だとしたらがっついているようでちょっと恥ずかしい。おめかししてきたやる気が急にしぼんで、やっぱり帰ろうかと思い始めたとき、声をかけられた。
「こんばんは、今来たところ?」
顔を上げると二人組の男性がにこやかに立っていた。
話しかけてきた方の男性は短い黒髪とよく焼けた肌がいかにもスポーツマンといった風情で、その隣にいるのは茶髪にスーツの着こなしがおしゃれな男性だ。どちらも麻由より少し年上だろうか。清潔感のある見た目に、少なからず好感を抱いた。
「あ、そ、そうなんです。仕事が長引いちゃって」
「それはお疲れ様」
「まあ飲んで飲んで」
軽くグラスを合わせて乾杯すると、男性たちが自己紹介を始める。二人は大学時代の同級生であること。はじめに麻由に話しかけてきた男性は名前を宮田といい、スポーツインストラクターをしているということ。もう一人の彼はIT企業に勤めているということ。
「で、麻由ちゃんは仕事なにしてるの?」
仲のよさそうな二人の話しぶりに麻由も緊張がほぐれたところでそう尋ねられた。
「待って、当てるよ。えーとね、社長秘書とか!」
「ありそう! なんか仕事できそうだし、美人だし」
「そうそうキリッとしててさ」
二人からの評価をどう捉えたらいいのかわからなくて麻由は困ったように笑った。
「私はここで働いています。三階の売り場で」
何の気なしにそう言うと宮田たちは顔を見合わせ、なにやらひそひそと二人だけで話し出す。
「このパーティーってデパートが主催だよな」
「だから言ったじゃねーか」
「あの……?」
なにかまずいことを言ってしまっただろうか。不安になって表情を曇らせていると、男たちは苦笑した。
「いやー、おかしいと思ったわ。こんな美人な子くるんだって」
「麻由ちゃん、サクラなんでしょ」
「は……」
言われた言葉に意味がわからずしばし呆然としてしまう。
サクラ。つまり自分は婚活する気もないのに数あわせに参加している人間だと思われたということだ。
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