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 やっと自分がどう見られていたのかを察して麻由は慌てて口を開いた。
「ち、違います! 確かにフリーの従業員は全員参加って言われましたけど、私は……」
「いや、もういいって。断れなかったんでしょ」
「ほらー、俺の言ったとおりだっただろ。こういうところにはサクラがいるんだよ。美人は大体釣りなの!」
「確かに。いかにもデパートの子っぽいもんな」
 宮田たちは互いを励まし合うように小突き合いながら、麻由を残して去ってしまった。
(ち、違うのに。本当に、私は真面目に……)
 デパート側から打診があったのは事実だ。けれど、麻由は本心から恋人を探そうと思っていた。だから少しばかりおしゃれをして急いで来たというのに。自分の本気を冷やかしだと決めつけられるのがこんなに屈辱的なことなのだと麻由はこのとき初めて知った。
 悔し紛れに持っていたシャンパンを一気にあおる。
「……おかわりください」
 近くにいたウェイターの盆から新しいグラスを取るとそれも飲み干した。
 本当ならもっと強い酒がいい。手っ取り早く酔っ払ってしまえるような。麻由はやけになって杯を重ねていく。
 生まれ育った街では恋愛観が合わず、ずっと男性に積極的になれないまま上京した。気づけば隙の見せ方も知らないまま、鉄壁のガードを張ってこの年になってしまった。
(私、男の人から見て全然魅力的じゃないんだ……)
 自分なりにガードをゆるめたつもりだった。服もメイクも雑誌で研究したモテコーデだし、感じよく話していたつもりだ。なのにサクラだと見なされてしまった。
 自分ではもうどうしたらいいのかわからなかった。脳裏に大きな黄色い付箋の映像が思い出されて泣きたくなる。
 ――もう出してこないでください。
 企画書の勉強は自分なりにやってきた。雑誌でモテを研究しているときには「かわいげ」や「隙」が大事なのだと繰り返し出てきたが、企画書を学ぶために読んだ本には「遊び心」こそが大事なのだとどの本にも載っていた。
 宮田たちの言った「きっちりしてる」という自分への評価を素直に受け止められなかった原因が自分でもわかってきた。
 仕事をする上で褒め言葉であろう言葉が嬉しくなかったのは、自分のきっちりとした部分こそがかわいげや隙、そして遊び心に欠けた部分なのだと。
 そう思い至って、泣きたくなる。確かに自分はきっちりとした性格だと思う。真面目で誠実に仕事や生活に向き合ってきたつもりだ。それが今、自らの足かせになっている。自分を全否定するような考えに心が重く沈んでゆく。
「すみません、もう一杯おかわりを」
 ウェイターの返事を聞く前にグラスを取ると黄金色のシャンパンをあおった。
 何杯飲んだのか、途中から数えるのをやめた。気づいたときには体が内側から熱くて、足元は立っているのもやっとなほどおぼつかなくなっていた。
 レストランの外に出ると、休憩用のソファに倒れ込む。レストラン内と違って人のいないフロアの空気は幾分か涼しくて、ほてった体を冷ましてくれる。
 酒はそこまで強くない。それ以上に、アルコールの失敗は社会人として恥ずかしいものだと思っていたからやけ酒なんてしようと思ったことがなかった。こんなに酔ったのは人生で初めてだ。
(なんか頭がふらふらして、世界がぐるぐるまわって、なんにも考えられない……)
 酒でつらいことを忘れようという人の気持ちがわかった気がした。なにせアルコールに占拠された頭では思考がまとまらないのだ。いやなことを考えずにすむ。
 自分のものではないように体が重くて動かなかった。まるで鉛にでもなったようにソファに沈んでいく。
「あれ、麻由ちゃん?」
 しばらくぐったりとしていると、自分の名前を呼ぶ声に我に返った。
 顔だけをそちらにやると、去って行ったはずの宮田が自分を見下ろしている。
「大丈夫?」
「らいじょうぶれす」
 舌がもつれてうまく話せない。宮田は驚いて目を丸くしている。
「え、もしかしなくても酔ってる?」
「よってないれす」
 むきになって答えると宮田が吹き出した。
「そんなに酔っ払うってことは、マジでサクラじゃなかったってこと?」
「最初からそう言ってるじゃないれすかっ」
 恨みがましくにらみつけるが、宮田は笑うばかりだった。
「ごめんごめん。だってさっきの麻由ちゃん、隙がなさそうで」
 宮田が麻由の隣に腰掛けると、ソファが沈み、体が密着したのがわかった。
 男の手が自分の腿に置かれ、一瞬違和感を観じたものの、正常な判断ができない脳みそがそれを無視した。
 それよりも「隙」という言葉に意識が取られる。
(やっぱりさっきの私、全然隙がなかったんだ……)
 つまり、女性としての魅力に欠けると言うことだ。改めて突きつけられた現実に胸が痛んだ。
「でも、今の麻由ちゃんすっごくかわいいよ」
「かわい、い……?」
 だから、宮田の言葉に過剰に反応してしまった。
 まじまじと宮田を見つめると、男も麻由が喜んでいることに気付いた様子で、さらに言葉を重ねる。
「うん、かわいい。めっちゃかわいいよ。俺、隙のある女の子っていいと思うな」
 腿に置かれた手が少しずつ上に上がってくる。そのことに気づいているが、嫌悪感までがアルコールによって麻痺しているようだった。
(この人、私のことかわいいって……)
 お硬いガードは酒に酔って溶かされてしまって、お手軽な言葉に、折れかかっていた心は簡単にぐらついてしまう。
「どう? このあと一緒に抜け出さない?」
 軽薄なお誘いは麻由の心を簡単に動かした。鉄壁のガードに守られていたのはあまりに脆くか細い自尊心だったのだと思い知る。
 かわいいと言ってくれる人ならもう誰だっていいのかもしれない。麻由がうなずきそうになったとき――
「おい、なにしてる」
 静かな、けれど怒気を含んだ声にそろってそちらへ顔を向けた。
 宮田は後ろ暗さからか、麻由の腿からさっと手をどける。
「な、なにって……婚活っすよ。婚活パーティーなんだから」
「悪いが俺の連れだ。どいてもらおうか」
「げ」
 宮田は盛大に顔をしかめると「やっぱサクラじゃん」とぶつくさ言いながらレストランへと戻っていった。
 麻由はその後ろ姿をぼんやりと見つめる。
「おい、立てるか」
「んー」
 宮田を追い払った男が麻由の前にしゃがみ込む。二の腕を軽くつかまれるが、それだけではとても自分の体を起こせそうになくて、つい男の手を振り払ってしまった。
「まったく……」
 男が麻由の顔をのぞき込む。
 一瞬、酔っていることなど忘れそうになった。
(すごく、きれいな顔の人……)
 さらさらと流れる漆黒の髪から覗く瞳は、涼やかな印象の切れ長だった。すっと伸びた鼻梁も、あきれるように軽く歪められた薄い唇も怜悧な印象を受ける。
 自分よりも三つか四つ年上だろうか。
 体の熱を確かめるように指先で額に触れられると、筋張った手に男性的な色気を感じてしまう。
 胸が高鳴ると同時に体がさらに熱くなった。
(これ以上この人を見ていたらドキドキしておかしくなりそう)

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