5 / 48
4
しおりを挟む麻由は慌てて視線をそらした。
「こんなところで寝ているなんて馬鹿じゃないのか。お持ち帰りしてくださいって言ってるようなものだ」
突き放すような言い方についいらだってしまう。
「関係ないれすっ。私は恋人を作りに来たんだからっ」
突っかかる麻由をあしらうように男は鼻を鳴らした。
「恋人、ね。あんな下心だらけの奴にいいようにされるのが理想の恋なら止めないが」
理想の恋。その言葉が胸にグサリと突き刺さった。そうだ、自分が今まで恋人を作ろうとしなかったのはそんな素敵な恋を追い求めていたからじゃないか。
学生の頃、周りにどう言われようと誰とも付き合わなかったのは自分なりの理想ってものがあったからで。
(そんなこと考えてるうちに恋の仕方もわからないままここまで来ちゃった……)
情けなくなって、鼻の奥がツンとした。視界が涙の膜で歪む。
「悪い、言い過ぎた。ほら送っていくから」
泣き出しそうな麻由の顔を見て男はばつが悪そうに謝ると、肩を貸して立ち上がらせる。
「とりあえず、デパート出るまではしゃんとしてくれよ。同期の星なんだろ」
どうしてそのことを知ってるんだろう。麻由は思考のまとまらない頭でぼんやりと考えた。
通用口に止まっていたタクシーに二人で乗り込むと、麻由の体はまたシートに鉛のように沈んでいってしまう。
まぶたが重くて、急激な睡魔が襲ってくる。
「君、住所は」
「んー……」
頭の中にはきっちり番地まで住所が浮かぶ。同時に、薄暗く静まりかえったワンルームの映像も。
今ぬくもりのない一人暮らしのアパートへ戻ったらさみしさで死んでしまうんじゃないかと思った。
「住所」
「帰りたく、ない」
男の促す言葉に、答える気にはならなかった。
運転手が迷惑そうにこちらを振り返っている。男は眉をしかめて一つため息をついていた。
「とりあえず流してくれ」
男の一言でタクシーが出発する。振動が心地よくて、ずっとこのまま走り続けてほしいと麻由は思った。
「酒弱いんだな……麻由は」
男の低く響く声が自分の名前を紡いだことが意外だった。
同期の星といい、まるで自分のことを知っているような口ぶりだ。デパートの関係者なのだろうか。
「あの、あなた誰ですか?」
「……隼人、という」
「隼人さん……部署は?」
下の名前を言われたことは気にならなかった。自分も麻由、と下の名前で呼ばれたからだろうか。
「企画営業部だ」
「いーいですねぇ。花形部署で」
「そうか?」
「そうですよぉ、みんなの憧れですもん」
悔しさを隠すように絡んだ口調になったのが自分でもわかった。みんな、などと言ったが憧れているのは自分だ。半年以上採用されなかった自分の企画。その枠はずっと企画営業部の発案で催事が行われている。
それもマーチャンダイザーである空閑が中心となって。
付箋の文字が頭にちらついて、麻由は歯を食いしばった。
「そこに空閑って人いるじゃないですか。MDって気取った肩書きの」
「ああ、いるな」
「隼人さんは平気ですかぁ? パワハラ、されてないですかぁ?」
だらしなく語尾を伸ばした麻由の言葉に、隼人は意外そうな顔をする。
「隼人さんは、って……君はされてるのか? そんな口ぶりだが」
「されてますよぉ。企画書もう出してくるなって言われましたもん」
「それがパワハラか?」
「ですよぉ。お前には才能がないから仕事の邪魔するなってことじゃないですか……!」
「そういう意味じゃないと思うが……」
隼人は困ったように眉を下げる。
「そういう意味です……っ、空閑MDのあほっ」
話しているうちに興奮してきて、つい口汚い言葉が出てしまう。
引かれるかと思ったが、予想に反して隼人は心底おかしそうに腹を抱えて笑いをこらえていた。
(気持ち、わかってくれたのかな)
きっとこの分だと隼人も空閑には苦労をかけられているに決まっている。密かに仲間意識が芽生えた。
「空閑MDはきっと私のことが嫌いなんです」
「それは違うと思うぞ」
笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を拭いながら、隼人がきっぱりと言う。
「逆に好きなんじゃないのか」
「あり得ませんよ! どういうことですか」
「無理して企画を考えて、疲れた君を見たくなかったんじゃないのか」
ずいぶん好意的な解釈だと思って、ついあきれたように鼻で笑ってしまった。
「ないですって。それに疲れてなんかいません」
「どうかな。無理して企画をやる必要なんかないと思うが。君の接客は評判がいいし」
自分の接客は別の部署にまで届くほどの評価なのかと、素直に嬉しくなる。つい頬をゆるめてだらしなくにやけてしまう。
「確かに売り場に立つのは好きですよ。でも、だからこそ、自分で企画をしてみたいって……」
売り場に立ち、なにが売れるか自分なりに研究した。客のニーズに合う売り場を心がけ、喜んでもらえることも増えた。同時にあの売り場ではやれることに限界があると気づいた。
「今の部門、好きなんです。若者向けの『フルール』っていう売り場が。だからこそもっとお客さんに寄り添いたい」
販売の仕事を心から好きだと思えるようになったのは部門長になってからだった。新しい部門で不安が大きかったが、一から育てるつもりで売り場を作ってきた。
結果、今までデパートを利用してこなかったであろう客層が訪れ、笑顔で買い物をしていく。自分へのちょっとしたご褒美や大切な人へのプレゼント、そんな買い物を自分が手伝えるのが嬉しい。
その場を作ったのが空閑だ。悔しいけれど、空閑の手腕は本物なのだ。
(だからこそ、認められたかった。空閑MDにすごいと思ってもらえる企画を出したかった)
はじめはそんな尊敬の気持ちを向けていたが、今は怒りや憎しみしかわいてこない。
「そこまで言うならそうとう自信のある企画だったんだろうな」
隼人の言葉に深くうなずく。
出し続けた企画の中でも、今回のものは特に自信があった。これならいける、と確信すら持っていたのだ。
「若い女性向けの癒やしグッズの企画だったんです。目玉商品はパジャマで」
企画書の内容など、見なくてもすらすら言うことができる。それほど入れ込んでいた企画だった。
良質な綿花を使用した着心地の良さを売りにしているパジャマのブランド、鮎川コットン。今までは年配者向けのデザインばかりだったのだが、最近になって若い女性向けの『フェアリー』というラインを発売したのだ。
着心地の良さはそのままに、パステルカラーを基調としたかわいらしいデザインのパジャマを見て、麻由はいけると確信した。
この商品を中心に、若い女性が喜ぶ癒やしグッズを集め、売り場を作り上げたら集客は間違いなしだと思っていた。
「なるほどね」
企画書をそらんじる麻由に、隼人はさほど興味のない様子で相づちを打つ。
0
あなたにおすすめの小説
極上イケメン先生が秘密の溺愛教育に熱心です
朝陽七彩
恋愛
私は。
「夕鶴、こっちにおいで」
現役の高校生だけど。
「ずっと夕鶴とこうしていたい」
担任の先生と。
「夕鶴を誰にも渡したくない」
付き合っています。
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
神城夕鶴(かみしろ ゆづる)
軽音楽部の絶対的エース
飛鷹隼理(ひだか しゅんり)
アイドル的存在の超イケメン先生
♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡-♡
彼の名前は飛鷹隼理くん。
隼理くんは。
「夕鶴にこうしていいのは俺だけ」
そう言って……。
「そんなにも可愛い声を出されたら……俺、止められないよ」
そして隼理くんは……。
……‼
しゅっ……隼理くん……っ。
そんなことをされたら……。
隼理くんと過ごす日々はドキドキとわくわくの連続。
……だけど……。
え……。
誰……?
誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜
来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、
疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
溺愛のフリから2年後は。
橘しづき
恋愛
岡部愛理は、ぱっと見クールビューティーな女性だが、中身はビールと漫画、ゲームが大好き。恋愛は昔に何度か失敗してから、もうするつもりはない。
そんな愛理には幼馴染がいる。羽柴湊斗は小学校に上がる前から仲がよく、いまだに二人で飲んだりする仲だ。実は2年前から、湊斗と愛理は付き合っていることになっている。親からの圧力などに耐えられず、酔った勢いでついた嘘だった。
でも2年も経てば、今度は結婚を促される。さて、そろそろ偽装恋人も終わりにしなければ、と愛理は思っているのだが……?
15年目のホンネ ~今も愛していると言えますか?~
深冬 芽以
恋愛
交際2年、結婚15年の柚葉《ゆずは》と和輝《かずき》。
2人の子供に恵まれて、どこにでもある普通の家族の普通の毎日を過ごしていた。
愚痴は言い切れないほどあるけれど、それなりに幸せ……のはずだった。
「その時計、気に入ってるのね」
「ああ、初ボーナスで買ったから思い出深くて」
『お揃いで』ね?
夫は知らない。
私が知っていることを。
結婚指輪はしないのに、その時計はつけるのね?
私の名前は呼ばないのに、あの女の名前は呼ぶのね?
今も私を好きですか?
後悔していませんか?
私は今もあなたが好きです。
だから、ずっと、後悔しているの……。
妻になり、強くなった。
母になり、逞しくなった。
だけど、傷つかないわけじゃない。
あなたがいなくなった後 〜シングルマザーになった途端、義弟から愛され始めました〜
瀬崎由美
恋愛
石橋優香は夫大輝との子供を出産したばかりの二十七歳の専業主婦。三歳歳上の大輝とは大学時代のサークルの先輩後輩で、卒業後に再会したのがキッカケで付き合い始めて結婚した。
まだ生後一か月の息子を手探りで育てて、寝不足の日々。朝、いつもと同じように仕事へと送り出した夫は職場での事故で帰らぬ人となる。乳児を抱えシングルマザーとなってしまった優香のことを支えてくれたのは、夫の弟である宏樹だった。二歳年上で公認会計士である宏樹は優香に変わって葬儀やその他を取り仕切ってくれ、事あるごとに家の様子を見にきて、二人のことを気に掛けてくれていた。
息子の為にと自立を考えた優香は、働きに出ることを考える。それを知った宏樹は自分の経営する会計事務所に勤めることを勧めてくれる。陽太が保育園に入れることができる月齢になって義弟のオフィスで働き始めてしばらく、宏樹の不在時に彼の元カノだと名乗る女性が訪れて来、宏樹へと復縁を迫ってくる。宏樹から断られて逆切れした元カノによって、彼が優香のことをずっと想い続けていたことを暴露されてしまう。
あっさりと認めた宏樹は、「今は兄貴の代役でもいい」そういって、優香の傍にいたいと願った。
夫とは真逆のタイプの宏樹だったが、優しく支えてくれるところは同じで……
夫のことを想い続けるも、義弟のことも完全には拒絶することができない優香。
財閥御曹司は左遷された彼女を秘めた愛で取り戻す
花里 美佐
恋愛
榊原財閥に勤める香月菜々は日傘専務の秘書をしていた。
専務は御曹司の元上司。
その専務が社内政争に巻き込まれ退任。
菜々は同じ秘書の彼氏にもフラれてしまう。
居場所がなくなった彼女は退職を希望したが
支社への転勤(左遷)を命じられてしまう。
ところが、ようやく落ち着いた彼女の元に
海外にいたはずの御曹司が現れて?!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる