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第4章 1
しおりを挟む早出シフトの日は夕方で勤務が終わる。まだ外がうっすらと明るい中、更衣室で私服に着替えた麻由は従業員用の出入り口へと向かっていた。
廊下の角を曲がったところで人とぶつかりそうになって、慌てて体にブレーキをかけた。
「っ、悪い……」
「いえ、こちらこそ。って、隼人さん」
出くわしたのは隼人だった。なんだかふらついていて、心配になってくる。
「大丈夫ですか?」
隼人が疲れているのはこの間からずっとだ。催事の準備も本格化してきて、さらに先日のようなイレギュラーなトラブルもあり疲労がたまっているのだろう。
「麻由は早番か? 気をつけて帰るんだぞ」
「隼人さんこそ。もう帰れるんですか?」
「麻由が添い寝してくれるなら帰るが」
「もうっ、真剣に話してるんです!」
麻由がムキになると隼人は苦笑する。
「冗談だ。今日は外せない用がある」
「用事って?」
「空閑グループのほうの会議に呼ばれてる。さすがに出ないとまずい」
「それは……」
たいしたことのない用事であればさっさと帰るように言おうと思っていたのだが、確かにそれは出席しないとまずいだろう。
「でも、そういうのって本部の上席とかが出席するものだと思ってました」
「まあそうなんだが、どうやらこの間のポカが本部を通り越してグループのほうの耳に入ったらしい。一度聞き取りしたいんだろう」
「この間って……」
鮎川コットンの在庫ミスの件だ。麻由は苦い顔をする。
「まあただの事実確認だろう。問題ない」
「あの……それって私もついて行っちゃだめでしょうか」
「君が?」
隼人は驚いて目を見開いた。
「荷物持ちでもなんでもいいので。今の隼人さんなんだか危なっかしくて」
「いい。子供じゃないんだ」
「強がらないでください」
「あのなあ……」
しばらくなにか考え込んでいた隼人は、急にひらめいたように顔を輝かせた。
「いや、それもいいな。来てくれ」
「え……」
隼人は私服の麻由を連れて売り場へ出て行った。向かったのは婦人服売り場だ。
こんなところになんの用事があるのだろうと首をひねっていると、隼人は一着の服を選んだ。
「これに着替えて」
「はい?」
試着室を開けて入るように促される。麻由は釈然としないものを感じながらも言われるままに着替えた。
隼人が選んだのは紺色のワンピースだった。形はシンプルなAラインだが、生地にラメが織り込んであり、照明の下だと動くたびにキラキラと光る。いわゆる、ちょっとしたパーティーに着ていく服、というやつだ。
「着替えたか? うん、いいな」
「あの、これは一体……」
「これ、空閑につけておいてくれ」
隼人は疑問に答えることなくレジの女性従業員に言いつけると、また店内を歩き出す。
靴とアクセサリーの売り場を回って、そのたびに麻由の身につけるものが増えていく。
「これ一体何の意味が……」
「ついてくると言っただろう」
確かに言ったが、なぜ会議に行くのにこんなにもドレスアップしているのかがわからないのだ。
一体どこに行くつもりなのだろうと疑問を抱きながら隼人と一緒にタクシーに乗り、ついたのは老舗の高級ホテルだった。
「こんなところで会議をやるんですか!?」
「そうだが」
隼人は麻由の驚きに純粋に不思議そうだった。
麻由はと言えば、会議と聞いたものだからてっきりビルの一室かどこかでやるものだろうと思っていたのだが、自分の想像とはまるきり規模の違う世界に呆然としてしまう。
「グループの会合に出席する空閑だ」
「お待ちしておりました」
隼人はベルボーイが誘導しようとするのを制する。
「いい、自分で行ける。彼女を先に控え室に案内してくれ」
「かしこまりました」
隼人はそれだけ言うと勝手知ったる様子でエレベーターホールに消えていった。
よっぽど呼び止めようかと思ったが、この絢爛かつ静謐な雰囲気のロビーで大声を出すのははばかられた。
「こちらでございます」
「はい……」
洗練された動きのベルボーイについて行くと、控え室と案内の出た部屋に案内される。豪華な調度がいかにも高級ホテルだ。
大きな円卓に一人席に着き、出されたコーヒーをすすった。
(私なんのために来たんだろう……)
隼人の役に立てればとついてきたのに、早々に引き離されてしまった。
役に立ちたいという思いはあるのに、それがいまいち実現できていない気がしてならない。
隼人は自分に頼れと言ったが、だったら反対に自分にだって頼ってほしい。
(頼れることがないと言われたらそれまでなんだけどね)
胸を張って頼ってくださいと言えるほどの技量が自分にないのが心苦しかった。
控え室にはだんだんと人が増えてくる。
身なりのいい年配の人たちは、もちろん麻由の知らない人ばかりだが、おそらく空閑グループの関連企業の役員たちだろう。
隼人はこんな人たちの中で対等に渡り合っているのだと思うと、やはり簡単に頼ってほしいなんて言えないと思ってしまう。
「待たせた」
背の高い隼人が控え室に入ってくると、すぐに気づいた。
「行こう」
「どこにですか?」
「懇親会がある。隣が会場だ」
隼人について大広間に移動すると、中は立食形式のパーティー会場になっている。
隼人が服を着替えさせた理由がわかった。ここでは確実に麻由の私服では浮くだろう。
隼人は険しい顔で周りに視線を走らせている。
「大丈夫ですか? やっぱり具合が……」
「平気だ」
隼人は麻由の手を取るとエスコートしながら人の輪の中に向かっていった。
近づくと、その輪の中心にいた人物がこちらに笑顔を向けてくる。
「おお、隼人来てくれたか!」
「ご無沙汰しています、父さん」
(父さん!?)
目の前にいる恰幅のいい男性は隼人の父親、つまり空閑グループの社長だ。
一体どう挨拶すればいいのかと焦っていると、隼人が麻由を紹介してくれる。
「こちらは東京店の塚原さん。今度の催事の責任者です」
「あ、ああ。そうか」
隼人の父は麻由のほうをちらりと見たきり興味を示さなかった。
それよりもうかがうように隼人のほうをちらちら見ている。
なんだか遠慮がちな態度に親子らしいものを感じず、麻由は少しだけ違和感を持った。
(でも、男性同士なら親と子供ってこんな感じなのかな。会うの久々みたいだし)
「隼人……たまには家に顔を出さないか。ゆっくり食事でもしようじゃないか」
「仕事が忙しいんですよ」
突き放すような隼人の言い方に、違和感はさらに大きくなる。
父親でありグループ全体の社長でもある人物にこんな冷たい、失礼とも言える態度を取るなんてちょっと隼人らしくない。
「たまにでいいんだ。そのほうが治美も喜ぶ――」
隼人の父がそういった瞬間、隼人の纏う空気がさっと冷ややかなものに変わった。
あからさまな嫌悪感をあらわに隼人は父親をにらみつけると、麻由の腰に手を回してぐっと引き寄せる。まるでその仕草を見せつけるように大げさな手つきだった。
「余計なお世話だ。俺は俺で勝手にやっている。あまり口を挟まないでほしいものですね」
「あ、ああ、いや。そうだな。悪かった」
隼人のあんまりな態度に父親のほうは怒るどころか、さらに萎縮しているようだ。
不可解なのは麻由の腰に置かれた隼人の手を見てどこか安堵したような表情を浮かべていたことだった。
「おまえが楽しくやっているならそれでいいんだ。塚原さんといったか。今後ともどうぞよろしく――」
「麻由、行くぞ」
「え、ちょっ」
まだ話が途中だというのに、隼人は強引にそれを切り上げてしまう。
隼人の父はこちらの関係を勘づいた上で、とがめるでもなく優しく認めようとしてくれたのではないのか。それならば隼人の態度はひどすぎだ。
会場の外に連れ出されると麻由は早速抗議する。
「さすがにひどいですっ。挨拶するならもっとちゃんと……」
「あれでいいんだ。恋人がいないと思われたらどんなお節介を焼いてくるかわからないからな」
「だからって――」
言いたいことは山ほどある。そもそも自分は空閑グループの傘下で働いている身だ。その面から見てもあの挨拶はひどい。
すねて、気分屋で、まるで反抗期の子供ではないか。
「なんかおかしいですよ、隼人さん。いつもはもっと冷静なのに」
「君に、関係な――」
言い終わる前に隼人がふらついて壁にもたれかかる。そのままずるずると崩れ落ちてしまった。
「隼人さんっ!?」
「ちょっと立ちくらみがしただけ、だ……」
「ちょ、しっかりしてくださいっ、誰かっ!」
ぐったりとする隼人の体を抱きかかえ、周りに助けを求めた。
(やっぱり体調悪かったんだ)
そのことに気付いていたのになにもしてあげられなかった。
情けなさで涙がにじんだ。
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