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第18話
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フードの奥から睨むように見据えながら告げた言葉に、アナスタシア王女は驚いたように目を丸くした。そのまま数回瞬きを繰り返すと、こてりと首を傾げて口を開いた。
「どうして?」
と、心底不思議そうに私を見詰めてくる。
「それは、私の元にあるべきものなのに」
その様子は自信に溢れている、とは違う。そもそもとして何が問題なのか、全く理解していない。……ううん、理解しようともしていないみたいだ。
まるで、自分の行動も要求も、何もかも全て全て正しいのだと疑いもしていないかのような、そんな様子だ。
なんなんだろう、この違和感。
話が通じないという以前に、見ているものも何もかもズレているような気がしてならない。目の前にいる筈なのに、ここにいないような、そんな。
薄ら寒さを感じて思わずリフを抱きしめる力を僅かに強くすると、テオは私とリフをアナスタシア王女から隠すように体を移動させ、
「そこまでにしてもらえるでしょうか?」
「テオさま?」
「貴方がそのような事柄を口にするためだけに呼び止めたのならば、これ以上のお付き合いは致しかねますので、我々はこれで失礼させていただきます」
「っ! 待ってください、まだ用は終わってなどおりませんわ!」
引き止めようとする声を無視するように私達を促して背を向けるテオは、それでも手を伸ばそうとするアナスタシア王女へと怒りでもなくかといって平静とも違う、何とも形容し難い表情を向けて口を開いた。
「先ほど申したはずですが、この者達はこの国の客人です。その中には、当然仔竜も含まれます。……まだ幼体といえども竜を招いたと知られれば不要な混乱を招きかねないから、と隠してはおりましたが、等しく善意と厚意により預かった大切な我が国の客人です。いくら隣国の姫君であり〈竜巫女〉といえど、彼らに対するこれ以上の無礼は看過出来ません」
「で、でも、だって……!」
「失礼させていただきます。――あとの事はお前たちに任せるぞ、リュシアン、アルノー、ティート」
納得をする様子もなく言葉を探すアナスタシア王女に言い切った以上の言葉を掛けることなく、ちらりとアナスタシア王女の後方へと目を遣ったテオは尋ねるでもなく三人の名を口にした。
その中の一人、ティートという人がアルノーさんと共にリュシアン王子に付き従っていたひとだという事が分かったけれど、テオに改めて促されればそこまでで。
「待って! どうして! わたくしは間違ったことなど言ってないのに!」
すたすたと足早に進むテオを、カノンと並ぶようにして小走りで追い掛ける背からはアナスタシア王女の叫びが聞こえてきたけれど、追いすがってくる事はない。
その理由を確かめようとして、カノンにやんわりとした声で必要ないと言われ、振り向くのを阻まれる。けれども穏やかな声とは裏腹にちらりと見上げた先のカノンの表情はとても険しかった。
「あの王女サマ、ヤバすぎるだろ」
テオに案内された一室に入ってすぐ、カノンはリフを頭に乗せた姿ではっきりとそう言った。
気品ある豪奢な貴賓室はとても広々としていて、すぐにもう自由にして大丈夫だと告げてリフを離したのだけれど、飛び回るより先にリフはカノンの頭にしがみついたのだ。そんなリフをカノンは降ろす事もなく。
「国王陛下とテオの話で警戒はしてたのに、予想以上の頭のおかしな奴って何なんだよ」
「カノン、落ち着いて。あまり失礼な事を言っちゃダメだよ」
眉を寄せたしかめっ面で吐き捨てるカノンを宥めようとするけれど、
「キュキャウ!」
「失礼な事をしたのはあの小娘の方だろう」
「ンキュー!」
「リフでさえこの怒りっぷりだぞ? 何処で誰に聞かれてるか分からないからって躊躇うなんて毒だっての」
「想定してる上で言ってるのね……」
聞き耳が既に立てられているとは思ってないけれど、それでも気をつけておいたほうがいいんじゃないかと思ってたんだけど、そもそもカノンは幻獣種だもの愚問ってやつだったわね。
それにリフもまた大変ご立腹だ。此処まで怒りを示しているのは珍しいけれど、それも仕方ないよね。
「でもそうだよね、物みたいに扱われたらリフだって嫌だよね」
と、告げた直後。
「「違う、そうじゃない」」
「キュゥ……」
異口同音、カノンとテオが口を揃えて一字一句相違ない言葉を口にして、リフが憐れむような鳴き声を上げた。なんでよ。……ちょっと、首を傾げたら溜息つくのはやめてよカノンもテオも。
「まあ、リリィの鈍さは今に始まったことじゃないからとりあえず気にしない事にして、だ」
「そこに異論はない」
なんで二人して呆れたように頷き合うのよ? 何で分かり合ってるの?
怪訝そうに見つめてはみるけれど返ってくる答えは当然というべきか一つもなく。
「それよりも、すまなかった。俺のミスで三人には不快な思いさせてしまった」
代わりに話題を変えるようにテオは真剣な面持ちでそう切り出した。
部屋に入るなりソファに着く事を私とカノンに促したテオは、決して椅子にさえも腰掛けることなく立っている。
それはカノンも同じなのだけれど、そんな中で私一人だけソファに座っていると本当に良いのだろうかと不安になってしまうのは当然の感覚だと思う。
だってテオはスィエルの王子様なわけだし。……居心地悪くしていたら気にしなくていいと微笑まれたから、気にしなくてもいいんだろうけれど。
「迂闊だった。アナスタシア王女に心酔しているに等しいアルノーが彼女と会ったなら、聞かれたことの殆どに答えを返すだろうことなど分かりきっていた事だったのに」
はあ、と深く息を吐きながらテオが額を押さえる。そんなテオを見上げながら私は首を傾げる。
「アナスタシア王女が駆け付けたのは、アルノーさんが話したからで間違いはないの?」
そう尋ねた理由は、テオももちろんわかっている筈だ。
アナスタシア王女は予知能力者なのではないか、という話はテオとアルノーさんも交えての夕食の席でレイン兄とシル姉と話していたのだから。
テオは額から手を離すと、私を見下ろして一つ頷く。
「間違いない、とは言い難いがその可能性が高いと俺は思っている。俺が何処に何の為に向かったかを知るものは限られていたとはいえ、城を離れていたという事は尋ねさえすればアナスタシア王女でも分かることではあったし、城に着いた時間であれば馬車で学園まで通う王女やリュシアンと鉢合わせてもおかしな事はないからな」
「ああなるほど。それなら駆けつけてもおかしくはないな。どうやらテオドール第二王子はあの王女サマに大層気に入られているようだし?」
「茶化すように言わないでくれ。……迷惑してるんだ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべるカノンに、テオがげんなりとした様子で肩を落とした。
苦労は、していないはずないよねえ。だって話が噛み合っているようで噛み合ってないんだもの。今のアナスタシア王女と改めて対峙して極僅かな私でも強く感じたのだから、テオが感じない筈もないだろう。
ただ、知っていたといえばもう一つ気になることがある。
「ねえ、カノン」
視線を遣りながら名前を呼ぶと、怒りが落ち着いたのかぴったりと頭にひっついてしっぽを揺らすリフをそのままにカノンが首を傾げる。
「うん? どうした?」
「カノンとアナスタシア王女って、私が知らなかっただけで見知った間柄、ってことじゃないんだよね?」
アナスタシア王女はカノンを見て、驚きながらも嬉しそうな様子で親しげに話しかけていた。
そんなアナスタシア王女に対するカノンの反応は終始冷ややかで、その様子を見ていた限り初対面なんだと思いはしたけれど、確認するように問い掛けるとカノンは嫌そうに眉を顰め、
「あんな異様な人間の小娘と見知った間柄にだなんて、望まれたって願われたってならないし、なった覚えは全くない」
断言するように吐き捨てた。
大変不愉快そうだから、出来ればこの話題はもう止めたい気持ちはあるけれど、カノンは長命種だ。彼の中では無意味で無価値なものとして薄れている記憶の中も可能な限り辿ってもらう必要はある。
「見掛けたことさえもない?」
「ないな。フェルメニアの王都に近付いたことさえないと言ったら嘘になるが……フェルメニアの王族もスィエルの王族と同様に一目でわかるんだ、接触するともなれば忘れるはずがないんだよ」
リリィは知っているだろ? とカノンに尋ねられて思い当たる事といえば、フェルメニア王家の遠い祖先には治癒能力者がいたということと、それが姉さんには発露していたという事実だ。
もしカノンが正しくこのことを言っているのだとしたら、勘違いなどもなく本当に会ったことはないんだろう。
それなら私はこれ以上、このことに関して聞くことはない。と、そっか、と納得していると、カノンはただ、と切り出した。
「千里眼――予知能力の有無についてはまだ結論は出せないだろうが、ひとつ言い切れる事がある」
「言い切れる事?」
はからずもテオと顔を見合わせてから聞き返すと、カノンはああ、と頷いて思いもよらない事を言い放ったのだった。
「あの王女サマは、未来に起こりうるような事柄を間違いなく知ってる」
「どうして?」
と、心底不思議そうに私を見詰めてくる。
「それは、私の元にあるべきものなのに」
その様子は自信に溢れている、とは違う。そもそもとして何が問題なのか、全く理解していない。……ううん、理解しようともしていないみたいだ。
まるで、自分の行動も要求も、何もかも全て全て正しいのだと疑いもしていないかのような、そんな様子だ。
なんなんだろう、この違和感。
話が通じないという以前に、見ているものも何もかもズレているような気がしてならない。目の前にいる筈なのに、ここにいないような、そんな。
薄ら寒さを感じて思わずリフを抱きしめる力を僅かに強くすると、テオは私とリフをアナスタシア王女から隠すように体を移動させ、
「そこまでにしてもらえるでしょうか?」
「テオさま?」
「貴方がそのような事柄を口にするためだけに呼び止めたのならば、これ以上のお付き合いは致しかねますので、我々はこれで失礼させていただきます」
「っ! 待ってください、まだ用は終わってなどおりませんわ!」
引き止めようとする声を無視するように私達を促して背を向けるテオは、それでも手を伸ばそうとするアナスタシア王女へと怒りでもなくかといって平静とも違う、何とも形容し難い表情を向けて口を開いた。
「先ほど申したはずですが、この者達はこの国の客人です。その中には、当然仔竜も含まれます。……まだ幼体といえども竜を招いたと知られれば不要な混乱を招きかねないから、と隠してはおりましたが、等しく善意と厚意により預かった大切な我が国の客人です。いくら隣国の姫君であり〈竜巫女〉といえど、彼らに対するこれ以上の無礼は看過出来ません」
「で、でも、だって……!」
「失礼させていただきます。――あとの事はお前たちに任せるぞ、リュシアン、アルノー、ティート」
納得をする様子もなく言葉を探すアナスタシア王女に言い切った以上の言葉を掛けることなく、ちらりとアナスタシア王女の後方へと目を遣ったテオは尋ねるでもなく三人の名を口にした。
その中の一人、ティートという人がアルノーさんと共にリュシアン王子に付き従っていたひとだという事が分かったけれど、テオに改めて促されればそこまでで。
「待って! どうして! わたくしは間違ったことなど言ってないのに!」
すたすたと足早に進むテオを、カノンと並ぶようにして小走りで追い掛ける背からはアナスタシア王女の叫びが聞こえてきたけれど、追いすがってくる事はない。
その理由を確かめようとして、カノンにやんわりとした声で必要ないと言われ、振り向くのを阻まれる。けれども穏やかな声とは裏腹にちらりと見上げた先のカノンの表情はとても険しかった。
「あの王女サマ、ヤバすぎるだろ」
テオに案内された一室に入ってすぐ、カノンはリフを頭に乗せた姿ではっきりとそう言った。
気品ある豪奢な貴賓室はとても広々としていて、すぐにもう自由にして大丈夫だと告げてリフを離したのだけれど、飛び回るより先にリフはカノンの頭にしがみついたのだ。そんなリフをカノンは降ろす事もなく。
「国王陛下とテオの話で警戒はしてたのに、予想以上の頭のおかしな奴って何なんだよ」
「カノン、落ち着いて。あまり失礼な事を言っちゃダメだよ」
眉を寄せたしかめっ面で吐き捨てるカノンを宥めようとするけれど、
「キュキャウ!」
「失礼な事をしたのはあの小娘の方だろう」
「ンキュー!」
「リフでさえこの怒りっぷりだぞ? 何処で誰に聞かれてるか分からないからって躊躇うなんて毒だっての」
「想定してる上で言ってるのね……」
聞き耳が既に立てられているとは思ってないけれど、それでも気をつけておいたほうがいいんじゃないかと思ってたんだけど、そもそもカノンは幻獣種だもの愚問ってやつだったわね。
それにリフもまた大変ご立腹だ。此処まで怒りを示しているのは珍しいけれど、それも仕方ないよね。
「でもそうだよね、物みたいに扱われたらリフだって嫌だよね」
と、告げた直後。
「「違う、そうじゃない」」
「キュゥ……」
異口同音、カノンとテオが口を揃えて一字一句相違ない言葉を口にして、リフが憐れむような鳴き声を上げた。なんでよ。……ちょっと、首を傾げたら溜息つくのはやめてよカノンもテオも。
「まあ、リリィの鈍さは今に始まったことじゃないからとりあえず気にしない事にして、だ」
「そこに異論はない」
なんで二人して呆れたように頷き合うのよ? 何で分かり合ってるの?
怪訝そうに見つめてはみるけれど返ってくる答えは当然というべきか一つもなく。
「それよりも、すまなかった。俺のミスで三人には不快な思いさせてしまった」
代わりに話題を変えるようにテオは真剣な面持ちでそう切り出した。
部屋に入るなりソファに着く事を私とカノンに促したテオは、決して椅子にさえも腰掛けることなく立っている。
それはカノンも同じなのだけれど、そんな中で私一人だけソファに座っていると本当に良いのだろうかと不安になってしまうのは当然の感覚だと思う。
だってテオはスィエルの王子様なわけだし。……居心地悪くしていたら気にしなくていいと微笑まれたから、気にしなくてもいいんだろうけれど。
「迂闊だった。アナスタシア王女に心酔しているに等しいアルノーが彼女と会ったなら、聞かれたことの殆どに答えを返すだろうことなど分かりきっていた事だったのに」
はあ、と深く息を吐きながらテオが額を押さえる。そんなテオを見上げながら私は首を傾げる。
「アナスタシア王女が駆け付けたのは、アルノーさんが話したからで間違いはないの?」
そう尋ねた理由は、テオももちろんわかっている筈だ。
アナスタシア王女は予知能力者なのではないか、という話はテオとアルノーさんも交えての夕食の席でレイン兄とシル姉と話していたのだから。
テオは額から手を離すと、私を見下ろして一つ頷く。
「間違いない、とは言い難いがその可能性が高いと俺は思っている。俺が何処に何の為に向かったかを知るものは限られていたとはいえ、城を離れていたという事は尋ねさえすればアナスタシア王女でも分かることではあったし、城に着いた時間であれば馬車で学園まで通う王女やリュシアンと鉢合わせてもおかしな事はないからな」
「ああなるほど。それなら駆けつけてもおかしくはないな。どうやらテオドール第二王子はあの王女サマに大層気に入られているようだし?」
「茶化すように言わないでくれ。……迷惑してるんだ」
にやりと意地の悪い笑みを浮かべるカノンに、テオがげんなりとした様子で肩を落とした。
苦労は、していないはずないよねえ。だって話が噛み合っているようで噛み合ってないんだもの。今のアナスタシア王女と改めて対峙して極僅かな私でも強く感じたのだから、テオが感じない筈もないだろう。
ただ、知っていたといえばもう一つ気になることがある。
「ねえ、カノン」
視線を遣りながら名前を呼ぶと、怒りが落ち着いたのかぴったりと頭にひっついてしっぽを揺らすリフをそのままにカノンが首を傾げる。
「うん? どうした?」
「カノンとアナスタシア王女って、私が知らなかっただけで見知った間柄、ってことじゃないんだよね?」
アナスタシア王女はカノンを見て、驚きながらも嬉しそうな様子で親しげに話しかけていた。
そんなアナスタシア王女に対するカノンの反応は終始冷ややかで、その様子を見ていた限り初対面なんだと思いはしたけれど、確認するように問い掛けるとカノンは嫌そうに眉を顰め、
「あんな異様な人間の小娘と見知った間柄にだなんて、望まれたって願われたってならないし、なった覚えは全くない」
断言するように吐き捨てた。
大変不愉快そうだから、出来ればこの話題はもう止めたい気持ちはあるけれど、カノンは長命種だ。彼の中では無意味で無価値なものとして薄れている記憶の中も可能な限り辿ってもらう必要はある。
「見掛けたことさえもない?」
「ないな。フェルメニアの王都に近付いたことさえないと言ったら嘘になるが……フェルメニアの王族もスィエルの王族と同様に一目でわかるんだ、接触するともなれば忘れるはずがないんだよ」
リリィは知っているだろ? とカノンに尋ねられて思い当たる事といえば、フェルメニア王家の遠い祖先には治癒能力者がいたということと、それが姉さんには発露していたという事実だ。
もしカノンが正しくこのことを言っているのだとしたら、勘違いなどもなく本当に会ったことはないんだろう。
それなら私はこれ以上、このことに関して聞くことはない。と、そっか、と納得していると、カノンはただ、と切り出した。
「千里眼――予知能力の有無についてはまだ結論は出せないだろうが、ひとつ言い切れる事がある」
「言い切れる事?」
はからずもテオと顔を見合わせてから聞き返すと、カノンはああ、と頷いて思いもよらない事を言い放ったのだった。
「あの王女サマは、未来に起こりうるような事柄を間違いなく知ってる」
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