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décor ー拙い悪役ー
しおりを挟む元の予定通り壁際に進めようとした足は一歩踏み出したところで止まった。止まらざるを得なかった。
「……現実でもこんなことってあるのねぇ」
あまりの出来事に感心して呟いてしまった。
完璧に役を作っていたからこんなこと言葉にする予定はなかったはずなのに。気を抜いた瞬間だったし思わず溢れ出てしまった。
そりゃぁね、少しくらい考えたことなんだけど、まさか本当にそんなことが起こるなんて、誰が考えるっていうの?
それくらいに衝撃的だった。驚きよりも呆れが強いけど。
「あら、何か言ったかしら」
目の前には綺麗などこかのご令嬢。
いえ、どこの家の誰か、なんて頭に入っているから分かってるけど。
少しつり目のきつめの顔立ち。けれど美人。
結い上げた赤髪の遅れ毛が項に垂れていて、その毛先を目で追えば胸元に誘われる。
下品にならない程度の最上級の露出。
胸の膨らみを覆うように、素肌の上にはレースとオーガンジーで白い肌が透けて見え隠れしていて、とても唆られる。
自分の魅力をよく分かっていてそれを最大限に引き出すドレスを仕立ててるわ。
素晴らしい、と拍手を送りたい。
見た目と雰囲気だけなら。
視界を覆う湿った私の髪。じわりと感じる冷たい感触。
せっかく綺麗に整えてもらったのに台無しだわ。
ぽたぽたと落ちる水滴はどこかベタついていて、服も髪も暗い色だから目立たないでしょうけど、確実に染みになっていそう。
目の前の美女は空っぽのグラスをこれ見よがしに持ったまま、逆の手で扇子を持って細めた目で私を見下ろしている。
浮かんでいるのは隠す気もない侮蔑と嘲笑。
ああ、くだらない。くだらないわ。
やるならもっと物語を彩れるくらいに派手にやってくれるか、もっと巧妙に仕掛けてくれないと困るのよ。
こんな中途半端な子供だましでどうにかなるとでも思っているの?
私が泣いて逃げだすとでも?
この姿を見て周りの人間も同調してくれると、自分が選ばれると、そう思っているというの?
あぁ、でもここはお膳立てされた舞台だから、味方になって賛同して褒めてくれるのかしら。予想していた通りこの為の会場だったのだから。
でも、そんなこと、物語の中でだってありえないと言うのに。脳内お花畑なんじゃないの。
まあ、頭が空っぽのお花畑のそれだとしても、よ。
お花畑は可憐なあざといヒロインだけで十分と相場が決まってるの。
お花畑な悪役令嬢なんてお呼びじゃないわよ。完全に解釈違い。
見た目は完璧でも中身は零点。
私は王太子殿下が目にかけている優秀なルーカス様の婚約者よ。たとえ釣り合わないように見えても、形だけだったとしても。その事実は変わらないっていうのに。
こんな目立つ形で、大層な肩書きを持っている私に、この程度の陳腐な嫌がらせをして後先考えていなさすぎるわ。
視界の端に目を見開いたカリア様がいた。
手に持つ扇子を落としそうになっているけど、驚かない方が無理な話よね。
「いいえ、なんでもありませんわ。お美しいと噂で聞いていた方をこんな近くで拝見することができて感嘆のため息が出てしまっただけですわ」
濡れた髪をかきあげるように手で整えて、視線を上げた私が作るのは微笑み。
お生憎様。私は自分自身の魅せ方をよく理解しているの。
美しくて、完璧な笑顔。化粧が無いと少しだけ迫力は足りたいけど、そこは仕方ない。
投げつけられた液体は何なのかしら、赤かったからワインかしらね。
そんなものでこの私が負けるとでも思われたのなら心外だわ。
水も滴るいい女。
よく言うでしょう? むしろ美しく見せるためのアクセサリーよ。
ふふ、と目の前の彼女の顔を見て笑みが零れてしまう。
呆然とした間抜けな顔。ダメよ、一瞬でも気を抜いてしまったら。最後までおバカで高飛車な悪役令嬢風の道化を演じてくれないと。
「な、何よ。貴女みたいな地味な女は彼に似合わないわ!」
ルーカス様の元婚約者。パレル・シロエ。
この侯爵家のお姫様だった彼女は確かルーカス様と同じ歳だったはずだけど、既婚者とは思えないほど行動に荒が多い。
外見だけならルーカス様と並んでお似合いなのに。パーシヴァル家の方たちは落ち着いていて、勿論作法も完璧だから浮いてしまいそう。
「そうですね。ルーカス様はとても素敵なので」
そこは素直に認めましょう。
でも私達は何より利害関係で成り立っているし、そういう意味では相性最高なんだけど。
「分かっているなら身を引きなさい! 貴女がいなければ彼の隣にいるのは私だったのに!」
悲壮感たっぷりに叫ばれる言葉には首を傾げる他ない。
ルーカス様のことを降ったのはむしろそちらだったはず。何がどうなってそんなことに?
しかも二人の婚約が無くなったのはもう何年も10年近く前のこと。私なんてまだ子供で、影響出なんてどこにも無かったはずなんだけど。
つまり実はルーカス様のことがずっと好きだったとかそういうあれですか?
惨めな悪役一転、今度は悲劇のヒロイン。
ある意味面白いかなぁ、とぼーっと考えてしまうけど、真似をしたいとは思えない。
「クレア様! あちらで着替えましょう。ルーカスお兄様には急いで連絡が行くようにしましたわ」
理解の追いつかない頭で固まってしまった私を現実に戻してくれたのはカリア様の声だった。
「ルーカスが来るのね!」
名前に反応して瞳を輝かせるその思考回路がよく分からない。カリア様も同じようで、冷えきった視線を向けている。
「シロエ夫人。貴女頭に花でも湧いているのではなくて? 今回のこと見過ごしてもらえるとは思わないことね」
行きましょう、と支えてくれるカリア様に寄りかからないように気をつける。せっかくのドレスに染みが移ったら大変。
酔っぱらいが変なことを言い出した、なんて理由でテキトーに幕を閉じようかと思ったのに、このままだと大事になってしまいそう。
庇ってあげようとかそんな気は無いけど、つまらない脇役は早く退場した方がいいでしょ?
もう少し素敵な悪役を期待してたのに、興醒めな演技だった。
慣れた様子で控え室に案内してくれたカリア様に続いて部屋に入れば、チェルが驚いた顔でこちらを見ていた。
珍しい表情。こんな顔は久しぶりに見たわね。
「クレア様! 何があったんですか!?」
駆け寄ってくるチェルに、カリア様が手で静止をかける。
「待って。わたくしの侍女に着替えを用意させたから、そちらが先よ。風邪を引かせたらルーカスお兄様に怒られてしまうわ」
カリア様はそういうけど、ルーカス様は別に怒らないと思うの。心配は少しはしてくれるかもしれないけど、そこまで私に興味はないでしょう。
怒るとしたら団長だし、怒られるのは体調管理もできない私。
カリア様の侍女たちに身支度を整えられている間に、チェルはカリア様から事のあらましを聞いたらしい。
というか、何で私は公爵家の侍女にお世話されてるのかしら。気合いの入った侍女達の腕でさっきより豪華に仕上がってる気がするんだけど。
化粧も普段より濃いめ。流石に舞台役者のクレアにはまだ遠いけど。
そんな完成された私を見たチェルは、真顔で一言。
「あの女狐、叩き潰して来ていいですか」
真顔、しかもうっすら笑ってるように見えるのがまた怖い。
チェルは普段あんなだけど、実は誰より私のことを想ってくれてるのを知ってる。昔からずっと私付きの侍女で、一番の理解者。
「ダメよチェル。一応格上のお相手なんだから」
「あら、わたくしがいるから問題ありませんわよ」
「カリア様、煽らないでください」
全く血の気が多いんだから。こんな陳腐なちょっかいで私が傷つくわけもないなんてこと、分かってるでしょうに。
「あの方、嫁いだ隣国で子供ができずに、しかも溺愛されてると思っていたら愛人が何人もいたらしくてよ。それで今は出戻り状態。何を考えてるのか、以前捨てたはずのルーカスお兄様は実は自分を愛していた、なんて吹聴して回ってるのだから救えないわね」
頭の医者を紹介機してあげようかしら、と真面目に呟くカリア様も容赦が無い。
「クレア様、こんな家潰してしまいましょう」
「お手伝いするわ」
「何もしなくて大丈夫です。怪我をしたわけでも無いですし」
正直私に被害は無い。強いて言うならドレスの弁償をして欲しいかな、くらい。
「クレア様は優しすぎますわね」
いい子だわ、となぜか頭を撫でられている。私ってどんな位置づけなのかしら。
別に優しいわけではない。だって、ルーカス様は大して何も思っていないと思うから。
覚えてはいるでしょうけど、義務的な付き合いしかしてなかったみたいだし、何かしらの情があるとも思えない。
何をしたって自滅するだけでしょう。
もちろん私に対して特別な想いもある訳ないけど、だからこそ私と比べて選んでもらえるなんて考えが甘すぎると思うのよ。
応援ありがとうございます!
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