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décor ー哀れな悪役ー

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 綺麗に液体を拭き取った髪に仕上げの超高級な香水まで振りかけてもらって部屋を出たあたりで「あれ」と思う。
 エントランスの辺りが妙に騒がしい。

 その原因はすぐにわかった。
 遠目から見ても輝きが段違いだから、すごく目立つ。

 夜会用の煌びやかな衣装よりも普段使いのシンプルな服装のルーカス様のが存在感があるって、美形すぎる。
 存在がもう神と言っても過言では無い。照明でも舞台効果でもなく、何かが輝いている。どうしてこんなに差が出てしまうのか、理不尽だわ。

 はぁ、と漏れ出た溜息は感嘆から来るものだったけど、周りは何故か優しげな瞳を向けてくる。
 カリア様、もう大丈夫よ、みないな頷きやめてください。

 ふと視線を上げたルーカス様としっかりと視線が交わった。舞台下から役者と目が合った瞬間のドキドキと同じ胸の高鳴りを感じたわ。キャーキャー騒ぎたいけど、ここは空気を読んで我慢しないと。

「クレア嬢」

 声まで素晴らしいんだから、ほんと、ずるい。私が舞台でどれだけ作り込んだ声よりもよく響く、澄んでいて深い響の、低いけど聞きやすい音程の声。
 ざわめきを突き抜けて耳に届く声と共にルーカス様が一歩足を踏み出した瞬間、割り込むように誰かが飛び出してきた。

 あれは。さっき見たばかりのパレル・シロエ夫人、ね。
 妖艶な後ろ姿に靡く髪。それだけ見たらさっぱり最高なんだけど。行動が毎回いただけない。

「ルーカス! 来てくれたのね」

 喜色満面な声。ルーカス様を見ているその顔は見えないけど、きっと潤んだ瞳を向けているんだと思う。
 私も役者クレアである間は私も相当な自信家だけど、どこからその自信が湧き出てるのか不思議だわ。

 さて、ルーカス様の反応は、と。
 私の背後から怒りの空気が漂っている気がするけど、気づかなかったふりをして見守っている。

「エバンス侯爵令嬢、いや、今はシロエ伯爵夫人でしたね。お久しぶりです」

 義務的に綺麗な仕草で挨拶をしたルーカス様が、するりとその横をすり抜けて私の方へ再び踏み出した。

「待って、ルーカス! 少し、二人で話せないかしら。ね、いいでしょう?」

 私たちの仲じゃない、と言葉にしなくてもそう言いたいのがわかる。
 ルーカス様の腕を掴んで足を止めさせて、私に視線を向けながらそう言うパレル夫人は自分が選ばれると絶対的な自信を持っているらしい。
 もちろん、嫉妬、なんて感情はわかないけど、その行動力だけは褒めてもいいかもしれない。演技力はあまり無いみたいだけど。

「なぜ?」

 乱暴にはならない程度に、だけど有無を言わさない様子で細い腕を解いたルーカス様が少しだけ首をかしげる。その声は純粋に疑問に思っているだけで、怒りも喜びも見えてはこない。
 うん、ルーカス様って感じね。彼らしい反応だと思うんだけど、唖然としているパレル夫人はこうなるとは思わなかったのかしら。

「なぜ、って。ルーカスはずっと婚約もしていなかったじゃない。私のこと、好きでいてくれたんじゃないの?」
「婚約は今まで必要性を感じなかっただけですが」
「だって、あの頃、プレゼントも手紙もよくくれてたじゃない」
「あぁ、家族と使用人たちに送れと言われて仕方なくやっていたものか……。確か貴女は毎回気に入らないと言っていたはずでは」

 気を使う、なんて芸当はルーカス様にできるはずが無いわよね。デリカシーってやつがないんだもの。
 淡々と思い出すまま口に出していくルーカス様の様子に、パレル夫人は怒りか悔しかさ悲しさか、その全部かもしれないけど、何かを耐えるように俯いて震えている。
 周りの人たちも気まずそうに目を逸らし始めた。

「私、後悔してたの。今の主人が優しかったのは最初だけで、全然私のこと大切になんてしてくれないし、ルーカスのことが忘れられなかったの」 
「それは、私には関係ないことだと思いますので、失礼します。クレア嬢、帰ろう」

 今度こそ人並みを抜けてきたルーカス様の手が私に伸びてくる。
 反射的に手を重ねた私の全身を視線が巡る。それは今日一日たくさん感じた品定めするようなものじゃなくて。
 
「ルーカス様?」
「怪我はないようだな」

 ふ、と空気が和らいで、満足そうに頷いたルーカス様のその顔。激レアすぎて画家を呼んで絵を描いてもらいたい。こんな間近で見ちゃっていいんですか? いくら払えば怒られないかしら?

「もうっ。ルーカスお兄様ったら遅いですわ。クレア様、びしょ濡れでしたのよ。一人で夜会に送り出すなんて信じられませんわっ」

 カリア様のお小言に、ルーカス様が顔を顰める。相変わらず弱いルーカス様。

「それは、すまなかった」
「いえ、私が好きで来ただけですし、気にしないでください」
「今日は帰ろう。このままでは私が怒られてしまう。次は一言声をかけてくれ、クレア嬢」

 さぁ、とそっと乗せた手が包み込まれて、私も手を繋ぐように握り返した。
 私ももう飽きたし、ルーカス様もカリア様やチェルの視線から逃げたいのが伝わってくる。あんまり長居すると私にまでチェルからお小言が降ってきそうだしね。
 予想していた悪役の参考になるものがなくて本当に残念だけど。

 そんな肝心の人物は、と顔を向けてみれば、信じられないものを見るような顔をしたパレル夫人がこちらを凝視していた。

「ルーカス。そんな優しい言葉を……なんでそんな地味な子に……」

 地味な子に、は事実だけど、ちょーっと失礼よね。

「クレア嬢は私の婚約者なのだから当たり前だ」

 とは言っても、カリア嬢に呼ばれたから来ただけのはず。私に対して愛があるからじゃなく、義務的に。それは以前婚約していた頃と何も変わってないと思う。
 
 それにすら気づかないのは、ルーカス様に興味が無さすぎる証拠でしかない。それなのにこんな小芝居を始めるなんて、演劇を舐めてもらっちゃ困るのよね。

 ルーカス様エスコートされて歩き出したけど、私たちの歩みを妨げる人は今度こそ現れなかった。パレル夫人もその場で立ち止まったまま動こうとはしていない。

 ルーカス様が大事にしている、みたいになってしまった私を寄ってたかって笑いものにしようとしたんだから、エバンス侯爵夫妻は顔を青くさせている。

 ……少しくらい仕返ししても許される気がするのよね。私だって悪役なんだし。

 ルーカス様に手を引かれながら、数歩歩いたところでできるだけゆっくりと振り返る。
 そこからは全てを丁寧に、指が一番美しく見える角度で曲げながら、静かに腰を折って。

「とても楽しい夜会でした。皆様、ありがとうございます」

 多分、この方はもう絡んでこないでしょう。これで諦めずに近づいてくるならまだ好感が持てたのに。

「私のせいで迷惑をかけてしまったようで申し訳ない。この婚約を後悔しているだろうか」
「いえ、後悔なんて全然しませんよ」

 条件は完璧だし、ルーカス様の顔は芸術品だし、こんな刺激的な事件も楽しいし。
 こっちはあのアルスキールで鍛えられてるのよ。街の奥様達にだって負けない度胸と愛嬌を持ってるんだから。

「そうか。それならこれからもよろしく頼む」

 僅かに微笑えむルーカス様、なんてまた今日は珍しい顔がたくさん見られるわね。
 馬車の外からこちらを見るチェルも満足気な顔に変わっているし、これで終幕ね。
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