Yesと言ってほしくてⅠ

相沢蒼依

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Please say yes:眠れる森の王子様

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 翌日、ここのところの晴天はどこへやら。朝からどんよりとした曇り空だった。何かで突くと今からでも雨が降り出しそうな感じに、気分が憂鬱になる。

 1時間目の経済の授業で、バカでかい世界地図が必要だった。それなのに日直の俺が準備しなければならないのを華麗に忘れ、慌てて3階から1階の備品室に取りに行くべく、必死で走っている最中。

 昨日の衝撃が頭から離れない。どことなく気持ちも、ぼんやりしたままだった。幸いなのは頭痛の種が、朝からいないことだ。

 昨日あんなことをされたのもあるので、今日普通に対応できるとは思えなかった。

 俺に執着している理由は、さっぱり分からないが、とにかく過去に接点があったのは事実。そんな事実が分ったところで、気持ちが動くなんてことはないのだが……

 ため息をつきながら左肩に世界地図を担いで、2階の踊り場に着いたときだった。

「和馬!」

 振り返ると、下から大きな声で俺を呼ぶアンディの姿があった。いつも着ている制服じゃなく、透馬が見たという噂の正装姿だった。

『まるで童話か、ディズニーの話から出てきた、王子様みたいなんだよ』

 昨日の言葉が、鮮明に思い出される。

 ――確かにその通りだ。

 白とエンジのコントラストがとても綺麗で、ダブルのミリタリージャケットに、肩章などの豪華な装飾が施された姿は、まさに王子様といった衣装だった。

 目を奪うその姿に、思わず見惚れてしまっていた。

「どうしたのだ、和馬?」

 息を切らしながら階段を駆け上がり、俺のそばまで辿り着いたアンディ。俺は肩に担いでいる世界地図を、そっと床に置く。

「授業に使うコレ、教室まで運んでたところ。お前こそ、どうした? 濡れてるじゃないか」

「ああ……。学校前に、ロールスロイスを停めるのがイヤでな。いつも少し離れたところで、降ろしてもらっているのだ。タイミング悪く、雨に降られてしまった」

 露を含んでる金髪から、頬に滴が零れ落ちる。それがまるで涙のように見えてしまい、右手で滴を受け止めるべく、頬に触ってしまった。

「なに?」

 アンディは不思議そうな顔して、小首を傾げる。滴を受け止めた俺の右手を、素早く掴まれてしまった。

 その動きで薫ったのか、フルーティな柑橘系の香りが、ふわりと俺を包む。南国の海を連想させるその香りに、頭がひどくクラクラした。もしかしてアンディは、あのときの出来事を思い出させるのに、この香水を使っているのだろうか?

「えっと、その……顔色あまり、良くないと思って。少し心配したというか」

 俺は俯いて、しどろもどろに答えるのがやっとだった。もしかしたら、顔が赤くなってるかもしれない。

 挙動不審な俺を見てクスリと笑いながら、そっと手を離してくれた。

「これくらいの雨で寝込んでいたら、王子は勤まらん。見た目以上に頑丈に出来てるのだ、俺は」

「そ、そうか……」

「でも有難うな、和馬。お前の手、とても温かったぞ」
 
 そう言って切なそうな顔して、じっと見つめる。慌てて掴まれてた右手を、背中に隠した。

 手袋越しだったのにアンディの体温が、じわりと伝わってきて、俺の体温がなぜかいきなり上がった。

「でも早く着替えた方がいいと思う。風邪ひくぜ……」

 漂ってくる香りと一緒に、アンディの想いが伝わってきて、俺の思考をこれでもかとグチャグチャに乱した。一刻も早く、この場を立ち去りたい気持ちに駆られる。

 下唇を噛みしめながら世界地図を抱えようとした瞬間、アンディが片膝をつき、その場にうずくまる。そして左手を胸に、右手を差し出しながら、

「和馬、俺はお前を愛している。世界中の言語を使って伝えても、伝えきれないくらい、お前を愛しているのだ」

「ア、アンディ!?」

 唐突に始まった告白劇に、わたわたと戸惑った。立てかけていた世界地図を、思わず無駄にぎゅっと抱き締めてしまうくらいに。

 そんな奇妙な俺を射抜くような視線で、じっと見上げるアンディ。

「俺は和馬を――」

「止めろよ、止めてくれないか。俺は覚えちゃいないんだ、全部忘れてたんだからっ!」

 昨日まですっかり忘れ去られていた、俺の記憶。なのにアンディのヤツは、しっかり覚えていただけじゃなく、俺のことを……

「俺があのとき、あんなことを言ったのは、英会話教室で外人の先生が泣いてる女の人にそう言って、笑顔にしたからなんだ。同じことを言えばお前も泣きやむと思って、必死で言ってしまっただけで。深い意味なんか、全然ないんだからなっ!」

 ――そう。深い意味なんて、全然ないんだ。ただ、お前の笑顔が見たかっただけ――そういう理由だけだったんだから。

「覚えているではないか、和馬」

「覚えてないって言ってるだろ。しつこいなっ!」

「そういうツンデレな態度は、俺の気を惹くためか? ん?」

 いたずらっぽく笑いながら、右手を取れと言わんばかりに差し出してきた。迷わず俺は、その手をパンと弾く。

「いい加減にしてくれ。俺にその気はない、諦めろ!」

 吐き捨てるように言うと、弾かれた右手をぎゅっと握り締めてから、再び差し出してきた。

「しつこいと言われようと、諦められるワケがないだろう。この胸が張り裂けても、言い続けてやるぞ。和馬のことが好きなんだ、愛しているんだ!」

 アンディは左胸をバンバン叩きながら、悲痛な叫びで想いを告げた。

「和馬聞いてくれ。俺だってはじめは、自分がおかしくなったと思ったんだ。同性を好きになるなんてって。時間がきっと忘れさせてくれる、そう思ってたのに逆に、想いは募っていった。高利貸しの利子みたいに、どんどん増えていったのだぞ」

「……アンディお前今、自分が何を言ってるか分かってる?」

 あまりの言葉に顔を引きつらせると、キレイな青い瞳を細めて、花が咲いたようにふわりと笑う。

「和馬に伝わりやすい言葉で、自分なりに表現してみただけなのだが。これじゃ、ダメだったか?」

 日本語が堪能なだけじゃなく、その表現方法も工夫されていて、俺はなんと答えていいか、ますます分からなくなった。

「ダメじゃないけど、この場面に使う表現じゃないと思う。妙に説得力はあったけどな……」

「そうか、ハズしてしまったのか。それは残念」

 アンディは残念と言ってるクセにその口ぶりとは裏腹な、してやったりな感じだった。

 津波のように押し寄せる想いに小舟の俺は、翻弄されっぱなしだ。抗うことの出来ない、深い想い……だけど――

「一国の王子が、日本男子に向かって言う台詞じゃないだろ。パパラッチの格好の餌食だぞ、お前」

「俺はひとりの人間として、和馬に言ってるだけだ」

「自分の立場をわきまえろ。行く行くは王様になるんだろ? 男にとち狂ってる場合じゃないぜ。しっかりしろよっ!」

 誤魔化す俺に、諦めたような眼差しをしたアンディ。差し出していた右手を音もなく下ろすと、俯きながらゆっくり立ち上がった。

「――だよな、和馬の言うとおりだ。本当俺って、ダメな王子……」

 その声色は明らかに涙声で、俺が否定の言葉をかけようとした時、アンディの体がグラッと傾いた。

「あぶなっ!」

 傾いた先が階段だったので、慌てて手を伸ばす。さっき掴むことの出来なかった右手を、しっかりと握ったはずだったのに、俺が手にしていたのはアンディがつけていた手袋だけで――落ちながらアンディは、消えそうな涙声で呟いた。

「バイバイ……」

 切なく微笑みながら、ゴムで出来た人形のようにゴロゴロと階段を落ちていく姿に、ざーっと血の気が引いていった。

「アンディ!!」

 叫びながら一気に階段を駆け下りて、横たわるアンディをぎゅっと抱き締める。手にヌルリとした感触がしたので見てみると、頭から出血していた。

「アンディ、アンディ! しっかりしろよ、目を開けてくれ!」

 俺の問いかけに反応することなくアンディは青白い顔をして、ぐったりと横たわったままだった。そんな姿を目の当たりにして、胸が押し潰されそうなくらい苦しくて、張り裂けそうだった。そんな想いを遮断する勢いで、空がいっそう泣きだす。それはアンディに必死に問いかける俺の声を、かき消すようだった。

 廊下に響き渡る雨の音で我に返り、アンディの涙を拭ってから、職員室に駆け込んで救急車を呼んでもらった。

 先生方は、もう大騒ぎ。大切な来賓である、一国の王子様がケガをした。しかも階段から突き落としたのは、ウチの生徒かもしれない。

 いやぁな空気が先生方から俺に向かって、ひしひしと伝わってくる。

「アンドリュー王子、大丈夫ですか? しっかりして下さいっ!」

 教頭の問いかけに、アンディがふと目を覚ます。周りにいた先生方や俺は、安堵のため息をついた。

 眉間にシワを寄せ、痛そうな顔をしながら、

「――すみません、ご迷惑をかけてしまって……。雨で滑って、階段から落ちてしまいました……」

「そうでしたか、大丈夫ですよ。今、救急車が来ますから」

「和馬、ごめんな。お前がせっかく助けてくれようと、手を伸ばしてくれたのに……掴めなくて」

 周りにいる先生方の影になっていた俺を、何とか目で捜し出して、優しく見つめてくれるアンディ。

 その一言で、俺への疑惑は晴れたのだが――実際は違う。アンディは俺が差し出した手を一瞬掴んだのに、自ら離したんだ。

「お前……」

 俺は何と声をかけていいか分からず、困った顔をするしかなかった。そんな俺を、キレイな青い瞳を細めながら、呟くように囁く。
 
「……困らせて、悪かった……」

 細めていた瞳から見えていた青い色が、ふっと見えなくなった。アンディがまた意識を失ったから。

 俺たちがザワついてるところに、ちょうど救急車が到着し、近くの大学病院へ搬送されることとなった。

 学校が終わったら、速攻で病院に行こう。助けられなかったという自責の念じゃなく、俺は――

 アンディを乗せた救急車を見送りながら、自分の気持ちをしっかりと見つめ直す。

「せっかく掴んだ俺の手を、どうして離しやがったんだ。離すなら、最初から俺にちょっかい、かけんじゃねぇよ……」

 俺の言葉にアンディなら、どう答えるだろうか?

 この時は答えが、すぐに出ると思ったのである。
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