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Love too late:おとしもの

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 桃瀬の家に行くときは二人の仲の良さをきっと見せつけられるんだろうなと、どこか躊躇した気持ちがあったけど、今は清々しい気持ちに満たされていた。

(今までこんなに、完敗って思ったことがなかったしな。涼一くんになら安心して、桃瀬を任せられる。うん――)

 はじめは頼りなさを感じて、こんなヤツには桃瀬を渡せないってイライラした。だけど何とかして俺を攻略しようと、いろいろ行動する姿に驚かされつつ胸を打たれてしまった。

 攻略なんて言葉はダメか。桃瀬が聞いたら発狂するだろう。俺にガバッと抱きついてきた涼一くんを見たら、一体どうなっていたか――これはこれで娯楽になるな。

 笑みを浮かべて、澄んだ秋空を眺めた。底抜けに明るい青が、差し込むように目に眩しく映る。これくらい俺の心も綺麗だったらな――

 そんなことを考えていたら、ポケットに入っているスマホが震えた。画面を確認すると、さっきまで死んだように寝ていた桃瀬からだった。

 おや、思っていたよりも目覚めが早いな。もっと薬を盛っておけば良かったか――まったく大人しく寝ていればいいのに、変に気を遣うんだから。

 やれやれと思いながら、ゆっくりと電話に出る。

「もしもーし。もうお目覚めとは早すぎるんじゃないの。ゆっくり休みなさいって」

 じと目をして、ぼやくように言ってやった。

「悪かったな周防、迷惑かけてさ。昼からオフだったろ?」

「オフってわけでもなかったけどね」

「……おまえこそ、ちゃんと休みとってるのか? 疲れた顔してたし」

 こっちの心配をする言葉に、胸がじわりと熱くなる。耳の傍で響く、桃瀬の声が心地いい――

 嬉しくて口元に笑みが浮かんでしまった。

「バカにしないでよ。きちんと休息しているってば」

「そうか。何かイラついてたから、疲れが溜まってるのかと思ったんだが」

 それって、涼一くんに八つ当たりしたことだろう。歩きながら視線を伏せて、小さいため息をついた。

「イラつきもするさ。あんな桃瀬の姿、見たくなかったし。涼一くんは俺を見て、おどおどしているし」

「怒ってるおまえは俺だって怖いぜ。普段仏のように優しい顔をしてるから、尚更なんだ」

 ――そんなに優しい顔、している覚えはないんだけど。

「とにかくっ、もうこんな往診は、まっぴらゴメンだからね。倒れる前に、病院に顔を出しなさいよ」

 次の角を右に曲がって真っ直ぐ突き進めば、自宅である病院に着く。電話をしながら視線をそちらに向けると、病院前にある塀を背にして、伺うようにこっちを見る男に目が留まった。

(む……? 小児科の患者にしては、デカすぎるぞ――)

「分かってるって。親友の言うことはきちんと聞くから」

 ――親友、ね……

「親友の前に俺は医者だっつーの! 手を煩わせてくれるなよ」

 いろんな悔しさを噛みしめてカバンの持ち手をぎゅっと握り、とぼとぼ足を進めると、こっちを見ていた男がわざわざ向かってやって来る。身に着けているエンジ色のブレザーは、涼一くんが通っていた学校の高等部の制服だ。

「周防ホント、ありがとな。おまえがいてくれて良かった」

 桃瀬の言った言葉が片耳に入りながら、もう片方の耳は向かい合った男から告げられた、艶のあるバリトンボイスが忍び込むように入る。

「そんな寂しそうな顔して、泣かないで?」

 切なげに微笑むと音もなく顔を寄せてきて、右の目尻辺りにいきなり唇を押し当ててきた。

「ギャッ!?」

 背筋がゾワッとしたので迷うことなくカバンを放り出し、勢いよく振りかぶって平手打ちをしてやる。

 パシーン!!

「おい、周防!? どうした、何かあったのか?」

 カバンは落としたけどスマホは手放さず、そのままの状態をキープしていたので、電話の向こう側では俺の身に何か起こったのが、雰囲気で伝わったのかもしれない。

 男は叩かれた頬を摩りながら苦笑いを浮かべて、じっとこちらを見つめていた。

「大丈夫なのか? 返事をしてくれ!」

「……大丈夫だ、ちょっとしたアクシデントだから。人の心配よりも自分の心配しろよ。ちゃんと寝ておけ!」

 慌しく低い声で告げてプツッと通話を切り、こっちを見る男に改めて対峙する。ボサボサした髪型に、ちょっとサル顔っぽいトコは愛嬌があるような、ないような。

「綺麗な顔してやること半端ないね、おにーさん」

「いきなり同性にあんなことされたら、誰だって拒否るだろ。殴られなかっただけ、ありがたいと思え。俺はそっち側の人間じゃないよ。通ってる学校で相手捜しな」

 へらっとした笑みを浮かべて反省する様子が見えない男のあまりな態度に、顔を思いっきり引きつらせながら言ってやった。

 放り出したカバンを手に取って苛立ちながら、バシバシッと土ぼこりをはらう。

「ウソついてもバレバレだぜ。野郎からの電話で、泣きそうな顔してたじゃん」

 面倒くさいな、コイツ――

「ところで聞きたいことがあってさ。そこにある周防小児科医院って、イイ感じ?」

 何をどう、イイ感じだと言えばいいんだ? 今時のガキは、何を考えているのか分からん。

「……知り合いの子どもが掛かりたいのか?」

「いいや、俺が掛かりたい」

「高校生ならもう、普通に内科に通える年齢だ。そっちにまわってくれ」

 診れないワケではないが、病気の種類によっては見過ごしてしまう恐れがある。市販薬の用量が十五歳以上から大人と同じ薬量になるので、普通は内科に通える年齢なんだ。

 普段子どもを診慣れているから病気の見過ごすリスクを考えると、コイツは微妙なんだ――パッと見は元気そうにしてるヤツほど、大病を抱えていたりするし。

「もしかしてアンタが、周防 武?」

 いきなり呼び捨てなんて、随分と生意気な高校生だな。

「そうだけど。どう見たっておまえ、病人には見えないツラしてるよね」

 ちょっとだけ顔色が悪い感じなのは、成長期によくある貧血かもしれない。

「名医だって聞いたから、てっきりじいさんだと思ってた。綺麗な先生でラッキー」

「俺の話を聞いてなかったのか。だったらまずは、耳鼻科にかかったらどうだ?」

「待ってくれって! 俺、本当に病気なんだよ、不治の病なんだ!」

 必死な顔してすがりついてくる姿に対し、不快感を示すように、はーっと深いため息をついてやった。

「不治の病なら尚更、ウチじゃあ診られない。他所をあたってくれ」

 管轄外だと内心思いながら、すがりついてきた手を外そうとしたら、外されないようにぎゅっと握りしめる。

「アンタじゃなきゃ、ダメなんだって」

「俺は町のお医者さん的な小児科医なんだ。重病人は診られない」

「ああ、そうだよ重病人だわ。アンタに恋をした、一目惚れだから」

 堂々と告げられた言葉に、一瞬息を飲んだ。が――

「大人をからかうのも、いい加減にしろっ!」

 頭頂部をグーで殴りつけてやると途端にしゃがみ込んで、でかい背中を丸めながら頭を抱える。

「いって~……。からかってなんかいないのに」

「おまえは病人じゃない。ただの変態クズ野郎だ、もう顔を見せるなよ」

 ムカつきながら靴音を立てて、立ち去った瞬間――

「…くっ、うぅっ……」

 告げた言葉がキツかったのか、呻くような声が耳に聞こえてきた。どことなく気になって振り返ってみると、男は路上に仰向けになってグッタリしているではないか!

 一瞬仮病を疑ったが、それにしては迫真の演技に見えたので慌てて近寄ってみる。

「おい、どうした? どこか痛むのか?」

「む、胸が痛い……っ、息ができな……」

 カバンから聴診器を出すのがもどかしくて、男の胸に耳を押し当てつつ手首を掴んでみた。

(――右肺はクリア、左肺は若干空気が通っているような感じだな。動悸と頻脈アリ、そして呼吸困難ね)

「おまえ、この発作は初めてか?」

「いいや、二回目。ケホケホッ!」

 ――ったく面倒くさい。どうして今日は、デカい患者ばかり重症なんだよ!

「俺に掴まれ、病院に運んでやるから」

 苦しそうに唸る男を背負って自分たちのカバンを手に持ち、ヨロヨロしながら病院に辿り着いた。そのまま診察室に担ぎ込んでベッドに寝かせてから、急いで酸素マスクを装着する。

「俺の見立てだと、軽い自然気胸なんだけど。前の発作のときに病院へ行ったんだろ?」

「ああ、その通り……。さっすが……」

「医者から言われなかったか? 安静にしておけって」

「言われたからさっき学校に休学届け出して、これから軽井沢の別荘に養生しに行こうと思ったんだけど」

 先ほどよりも楽になったのか喘いでいた呼吸が変わり、顔色も良くなっていった。

 そんな男の傍らに立ち、腕を組んで見下ろしてやる。俺の蔑んだ視線をまともに受けても、平然と笑いかけてきた。桃瀬といいこの男といい、無理をする患者ばかりでほとほと嫌になる。

「何で、ウチに来た?」

 軽井沢の別荘って、やっぱり裕福な家の育ちなんだろう。持っていたカバンも、ブランド製だったしな。

 そう思いながら診察室の隅に置いたカバンを横目で確認したのだが、別荘へ養生に行くにしては小ぶりすぎやしないか? 通学するのに、支障のない大きさだぞ。

「妹が言ってたのを思い出して。周防先生に診てもらっただけで、風邪が良くなったって。だったら俺も診てもらったら、治っちゃうんじゃないかと思ってやって来た」

「患者の名前は?」

「プライバシー保護のため、お伝えできません。ご了承ください」

 コイツ――

「だったらお前の名前を教えろ。一応診てやったんだ、カルテを作らなきゃならない」

「わん♪」

「は――?」

「わわん、わん!」

 面食らった俺に満面の笑みを浮かべて、ワンワン言いだした男。この犬語を、何と訳せばいいんだ!?

「ふざけるな、ちゃんと日本語を話せ!」

「周防先生は家の前に捨てられていた、可愛い犬を拾いました。あまりの可愛らしさに、飼うことに決めたのです」

 どこが可愛いっていうんだ!? 見た目も中身も、全然可愛くないぞ!

「何、勝手なことを物語仕立てに言いやがって! おまえのような変態クズ野郎の面倒なんて、誰が見るか!」

「病気で苦しんでる患者を放り出すなんて、噂が流れたら大変だよなー。放り出すというより、ぽいっと見捨てる的な?」

「くっ……」

 なまじ頭が切れるんだろう。大人の痛いところを、ズバッと突いてくる。

「軽井沢の別荘で発作が起きたら大変だから、ここで養生するよ。ヨロシクね、タケシ先生♪」

「――分かった。でも名前くらい教えろよ、何て呼べばいいんだ?」

「わん♪」

 あくまでも口を割らないつもりか。それなら――

「だったら飼い主になる俺がつけてやる。四択にしてやるから、そこから選べ」

「わん……」

 顎に手を当てて考えること数秒。ワクワクした眼差しでこっちを見やる視線に、ニッコリと笑いかけてやった。

 驚くがいい――この中から選ばなきゃならないんだからな。

「ボサボサ・サル・太郎・坊ちゃん」

「……って何だよ、それ!?」

「それが嫌なら、自分の名前を言え」

 見たまま感じたままを名前に当てはめてやった。絶対に嫌がるであろうことが分かるので、名前を名乗るしかないだろ。

「ちくしょう! 太郎でいいよ、もう!!」

 ええっ!? そんなに名前を言いたくないのか?

「だったら太郎、シャツを脱げ。きちんと診察してやる」

 ――やっぱり、面倒くさいヤツ!

 顔を引きつらせつつ自分のカバンから聴診器を取り出し、いつものように耳に装着する。渋々振り返るとネクタイを外して、ワイシャツを肌蹴た太郎が言った。

「診察終わったらこのまま抱いてあげるけど、どうします?」

「やっぱ耳鼻科に行け。人の話をよぉく聞こえる様に左右の耳の穴を貫通してもらえ」

 安静にしろと言われてるクセに、何なんだコイツ。ヤることしか考えていないのか……。

「耳の穴よりも、タケシ先生の穴を貫通してみたいなと思いまして」

 ゲッ! 面倒くさいヤツよりもヤバいヤツを、家に入れてしまったかもしれない。

「そんなこと思うな、考えるな、想像するな! 俺はソッチの気はないんだ。気色悪い……」

 貞操の危機だぞ、これは――

 震える手で聴診器を使いながら考える。自然気胸が早く治る薬と言って、眠剤を渡して安らかに眠らせてやろう。正当防衛だ、これは!
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