転生ショコラティエは白銀の騎士にとろける恋を捧げる

相沢蒼依

文字の大きさ
4 / 49
第一章 白銀の騎士とショコラティエ、はじめての甘い出会い

しおりを挟む
***
 王都アルセリアの朝は、澄み渡るように眩しかった。夜明けとともに市場が開き、通りには焼きたてのパンや果実の香りが漂う。けれどどの香りにも、どこか“甘さ”が足りなかった。

 ――ここは、チョコレートのない世界。

 その現実を知って以来、僕の頭の中はずっとレシピでいっぱいだった。

(この世界の素材で、どうすれば“あの味”を再現できるだろう――)

 昨日出会ったリオン様は、王都の警備隊を率いる副団長だと知れた。勇気を出して、自分が異世界から来たことを打ち明けると――。

「もしや君は……十数年に一度、精霊が異界より連れてくるという“勇者”ではないか?」
「い、いえ! 勇者なんてとんでもないです。ただ僕は、“甘味の力”で人々を笑顔にしたいだけで!」

 慌てる僕を見て、彼は「少し失礼」と言って胸に手を当てた。蒼の瞳が淡く光り、まるで深い湖の底に吸い込まれるような錯覚に陥る。

(すごい……これが、この世界の“力”なんだ)

 目の前の状況に驚いていると光が静かに消え、彼はやさしく微笑んだ。

「確かに、精霊の加護が宿っている。ようこそ、アルセリアへ。君の名を、聞いてもいいか?」
「清水真琴といいます。前の世界では、ショコラティエという菓子職人をしていました」
「清水真琴殿、か。覚えておこう。では、街を案内する」

 その導きによって、街外れの古い工房を借りられることになった。石窯と調理台が残るその場所は煤で黒く汚れていたけれど、がんばって掃除をすれば何とかなりそうだった。

「ここが……僕の、新しい場所になるのか」

 胸の奥で静かな熱が灯る。《スイートセンス》がかすかに反応し、空気の中に“可能性の香り”を感じ取った。

 かつて勤めていたホテルでは、こだわりが強すぎるせいで浮いていた。けれどこの世界なら、誰かに否定されることもなく“理想の味”を追い求められる――そんな予感がした。

 そのことに胸を高鳴らせた瞬間、ノックの後に扉が小さく開く。

「おはようございます。真琴さん、いますかぁ?」

 顔をのぞかせたのは、昨夜出会った露店の少女・ニナだった。両腕にはミルクや卵、果実の入った大きな籠を持っている。

「昨日のお礼に、材料を少し持ってきました! うちの店で仕入れたばかりなんです」
「ありがとう、助かるよ」

 籠を受け取ると、彼女は興味津々に工房を見回す。

「ここでお菓子を作るんですか?」
「うん。この国にない“甘味”を作ってみようと思って」
「“チョコレート”ってやつですね?」
「そう。だけど原料の“カカオ”が、この世界にあるかどうか――」

 不安が口から漏れ出た刹那、胸の奥がわずかにざわめいた。

(――もし素材がなければ、僕の夢はここで終わってしまう)

 胸元に手を当てて唇を噛みしめたら、《スイートセンス》がふっと光を放った。淡い粒子が空間を舞い、工房の隅に降り注ぐ。粉袋の間から、黒い小さな果実の種のようなものが転がり出た。

「……まさか」

 慌てて実を拾い上げ、鼻を近づける。ほろ苦く、深い香り――間違いない、それはカカオ豆だった。

(でも、この量じゃ足りない。これだけで、誰かの心を満たせるほどの甘さが作れない。どうしたものか――)

 思案する僕に、ニナが目を丸くした。

「初めて見ました。まるで精霊からの贈り物みたい」
「フェリシュ……君がやってくれたの?」

 すると空気の粒子がふわりと集まり、小さな光の渦が形を成した。手のひらほどの大きさの、うさ耳のような飾りを持つ小さな精霊が、背中の大きなリボンをぱたぱたと動かしながら浮かんでいる。

 透き通るような白金の髪をなびかせて、淡いピンクの大きな瞳で僕を見、鈴のような声で話しかける。

『――フェリシュですぅ。真琴さまの《スイートセンス》をお手伝いするために来たのだわぁ。私はあなたの加護の精霊なのです』

 ニナが口を開けたまま見とれている。僕も言葉を失った。

「君が……僕の加護の精霊?」
『はいなのですぅ。甘味の香りでこの世界を癒すために、フェリシュが導きましたのです』

 そう言って小さな手を合わせると、工房の空気がふんわりと甘く満ちた。煤けて黒く汚れていた工房が、少しずつ使える程度には整っていく。

「ありがとう、フェリシュ。必ずこの世界を“甘く”してみせるよ」
『はいなのですぅ。真琴さまのチョコ、楽しみにしてるのだわぁ♪』

 フェリシュはくすりと笑い、光の粒となって僕の胸へ溶け込んだ。

 その後、ニナと一緒に工房の大掃除をしてから、創作の時間が始まった。カカオ豆を砕き、石窯の熱で丁寧に焙煎すると、香ばしさの奥に甘さがふわりと芽生える。その粉末を練り上げ、ミルクと砂糖を加えて木べらを回すたびに、滑らかな茶色の光沢が広がっていく。

「なんだか……胸の奥があたたかくなる匂いですね」
「それが、“チョコレート”の始まりの香りだよ」

 指先ですくい、口に含む。懐かしい甘さが舌に溶け、心を震わせた。かつて届かなかった想いも、今度こそ誰かに届くかもしれない――そんな希望が胸に灯った。

「……できた!」

 思わず漏らした声に、ニナがぱっと顔を上げた。

「これが真琴さんの“魔法”なんですね」
「ううん。心を甘くする技術だよ」

 そのとき、外で鎧の擦れる音がした。扉を開けると、そこにはリオン様の姿があった。

「通りまで漂っていた香りは……君の仕業か?」
「はい。チョコレートを作ってみました。よろしければ、味見をしてみませんか?」

 彼は僕が差し出したスプーンを受け取り、一口含む。静かに瞳を閉じ、そして満足そうに口角を上げて微笑んだ。

「うむ……温かい。不思議な甘さだ。心が……少しだけ、ほどけていくようだな」

 その言葉に、胸の奥がじんわりと熱くなる。誰かの心を癒したい――その願いが、ようやく形になった瞬間だった。

「これが“チョコレート”です。僕がいた世界では、愛の象徴でした」
「愛……か」

 リオン様の瞳に、淡い哀しみの色が浮かぶ。《スイートセンス》が“苦くて優しい香り”を拾った。

(――この人にも、癒せない傷があるのかもしれない。けれど今は、それすらも包み込むような香りに変えたいな)

 そう思ったらチョコレートの蒸気に混じって、心が溶けるようにあたたまる。

 そのとき、フェリシュの声が胸の中で囁いた。

『次はその人の心も、甘くできますように……なのですぅ』

 僕はそっと笑みを返し、もう一度リオン様を見つめた。陽の光に透けた彼の横顔は、溶けかけたチョコレートみたいにやわらかく、とても美しかった。

――チョコレートが生まれた朝。

 その香りに包まれながら、僕はふと思った。

 ここへ来てから、何かが変わったのは世界だけじゃない。かつての僕は、チョコレートを「仕事」として作っていた。評価されず、理解されず、それでも黙々と甘さを追い求めていた。

 けれど今は違う。

 この世界で、誰かの心に届く甘さを捧げたい。ここでなら、ここで出会った人のためなら、チョコレートも想いも、惜しみなく差し出せる。

 こんな気持ちになれたのは、アルセリアの地に来たことで、ショコラティエとしての心が、もう一度生まれ変わったからなのかもしれない。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

村娘あがりの娼婦ですが、身請けされて幸せです

春月もも
恋愛
村を飛び出して王都に来たリリアは、いまは高級娼婦として生きている。 ここは通過点のはずだった。 誰かに選ばれて終わる物語なんて、わたしには関係ないと思っていたのに。 触れない客。 身体ではなく、わたしの話を聞きに来るだけの商人。 「君と話す時間を、金で買うのが嫌になった」 突然の身請け話。 値札のついた自分と向き合う三日間。 選ばれるのではなく選ぶと決めたとき、 通過点は終わりになる。 これは救いではなく対等な恋の話。

妖精です、囲われてます

うあゆ
BL
僕は妖精 森で気ままに暮らしていました。 ふと気づいたら人間に囲まれてました。 でもこの人間のそばはとても心地いいし、森に帰るタイミング見つからないなぁ、なんて思いながらダラダラ暮らしてます。 __________ 妖精の前だけはドロ甘の冷徹公爵×引きこもり妖精 なんやかんやお互い幸せに暮らします。

病み墜ちした騎士を救う方法

無月陸兎
BL
目が覚めたら、友人が作ったゲームの“ハズレ神子”になっていた。 死亡フラグを回避しようと動くも、思うようにいかず、最終的には原作ルートから離脱。 死んだことにして田舎でのんびりスローライフを送っていた俺のもとに、ある噂が届く。 どうやら、かつてのバディだった騎士の様子が、どうもおかしいとか……? ※欠損表現有。本編が始まるのは実質中盤頃です

君を選ぶ理由 〜花の香りと幼なじみのΩ〜

なの
BL
幼い頃から、桐生湊は桜庭凪のそばにいると、花が咲いたような香りを感じていた。 祖父同士が幼馴染という縁もあり、二人は物心つく前からいつも一緒だった。 第二性の検査で湊はα、凪はΩと判明。 祖父たちは「完璧な番」と大喜びし、将来の結婚話まで持ち上がる。 ――これはαとΩだから? ――家のため? そう疑う湊。一方、凪は「選ばれる側」としての不安を胸に、静かに距離を取ろうとする。 湊の兄・颯の存在も、二人のすれ違いを加速させる。 花の香りの奥に隠れた本当の気持ち。 役割や運命ではなく、「君だから」と選び直す、 幼馴染オメガバースBL

2度目の恋 ~忘れられない1度目の恋~

青ムギ
BL
「俺は、生涯お前しか愛さない。」 その言葉を言われたのが社会人2年目の春。 あの時は、確かに俺達には愛が存在していた。 だが、今はー 「仕事が忙しいから先に寝ててくれ。」 「今忙しいんだ。お前に構ってられない。」 冷たく突き放すような言葉ばかりを言って家を空ける日が多くなる。 貴方の視界に、俺は映らないー。 2人の記念日もずっと1人で祝っている。 あの人を想う一方通行の「愛」は苦しく、俺の心を蝕んでいく。 そんなある日、体の不調で病院を受診した際医者から余命宣告を受ける。 あの人の電話はいつも着信拒否。診断結果を伝えようにも伝えられない。 ーもういっそ秘密にしたまま、過ごそうかな。ー ※主人公が悲しい目にあいます。素敵な人に出会わせたいです。 表紙のイラストは、Picrew様の[君の世界メーカー]マサキ様からお借りしました。

琥珀の檻

万里
BL
砂漠の王国の離宮「琥珀の間」で、王・ジャファルは、異母弟であるアザルを強引に抱き、自らの所有物であることを誇示していた。踊り子の息子として蔑まれ、日陰の存在として生きてきたアザルにとって、兄は憎悪と恐怖の対象でしかなかった。 しかし、その密事を見つめる影があった。ジャファルの息子であり、次期王位継承者のサリムである。サリムは叔父であるアザルに対し、憧憬を超えた歪な独占欲を抱いていた。 父から子へ。親子二人の狂おしい執着の視線に晒されたアザルは、砂漠の夜よりも深い愛憎の檻に囚われていく。

定時後、指先が覚えている

こさ
BL
職場で長く反目し合ってきた二人。 それでも定時後の時間だけは、少しずつ重なっていく。 触れるはずのなかった指先。 逸らさなかった視線。 何も始まっていないのに、 もう偶然とは呼べなくなった距離。 静かなオフィスでゆっくりと近づいていく、 等身大の社会人BL。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

処理中です...