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第五章「美しすぎる魔女」
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魔女アンブローネと思しき人物が初めて物語の中に登場するのは、当時からさかのぼっておよそ十五年前――年齢で言えば二十代半ばのころに当たる。
簾中に隠れて内密にクライオ王子を出産したアクセラ妃は、産褥の重さからなかなか起き上がれず、しばらく寝たきりで過ごす日々が続いた。
生後間もない我が子を手放してしまった罪悪感や喪失感もあってか、粥をこさえたり薬を煎じてもほとんど口にしなかった。
そこで北方オスルタイン公国の領主であるオルスター卿は、お抱えの侍医を下がらせて怪しげなまじない師を呼ぶことにした。
「誰ぞ、魔女はおらぬか。精霊を降ろして回復を祈ってくれ」
ここで言う魔女とは、おそらく儀式において祭司を担った女性――とくに分娩に際して赤子を取り上げる産婆や、生殖を伴わずに性交を指南する夜伽衆を指していたと思われる。
当時の女性がおおむね早婚だったことを考えると、黒衣をまとって素性を隠していたアンブローネも、この時点ですでに既婚者もしくは未亡人であった可能性が高い。
「つかぬことをお伺いしますが、奥方様はまことに流産でございましょうか?」
「世の中には、他人に妻を寝取られて喜ぶ男もいると聞く。そなた、浮気について何か心当たりはあるか?」
「……まさか、実際に現場を目撃なされたので?」
「いいや、そういう男は想像するだけでも興奮するのだよ。よもやあの貞淑な妻が、わしに隠れて淫らな行為に及んでおったと思うとな」
「今のお話は、何も聞かなかったことにいたします」
「頼む、この際だからはっきりとさせておきたい。あの赤ん坊の本当の父親は誰なのだ?」
「お望みとあらば占って進ぜますが、答えを知ってどうなさるおつもりで?」
「わしは、ついに目覚めてしまったのかもしれん。おのれ自身の中に秘められた、大いなる神の声に……」
のちに皇帝暗殺の疑いをかけられて反乱を起こすオルスター卿は、帝国の評議会に席を列する諸侯であり、信仰のために童貞を捧げた神官でもあった。
もともと貴族の名跡を継ぐつもりがない次男だっただけに、いささか気弱で優柔不断なところがあり、困ったことがあれば何でもかんでも身近な者に相談した。
愚かにも正直すぎる人物だったためか、敵味方を問わず友人が多く、兵士たちからの信望も厚かった。
ところが、ちょうどアクセラ妃の妊娠が発覚した時期を境にして、おのが主君である皇帝アクセル一世への忠誠心を失い、あからさまな叛意を抱くようになる。
簾中に隠れて内密にクライオ王子を出産したアクセラ妃は、産褥の重さからなかなか起き上がれず、しばらく寝たきりで過ごす日々が続いた。
生後間もない我が子を手放してしまった罪悪感や喪失感もあってか、粥をこさえたり薬を煎じてもほとんど口にしなかった。
そこで北方オスルタイン公国の領主であるオルスター卿は、お抱えの侍医を下がらせて怪しげなまじない師を呼ぶことにした。
「誰ぞ、魔女はおらぬか。精霊を降ろして回復を祈ってくれ」
ここで言う魔女とは、おそらく儀式において祭司を担った女性――とくに分娩に際して赤子を取り上げる産婆や、生殖を伴わずに性交を指南する夜伽衆を指していたと思われる。
当時の女性がおおむね早婚だったことを考えると、黒衣をまとって素性を隠していたアンブローネも、この時点ですでに既婚者もしくは未亡人であった可能性が高い。
「つかぬことをお伺いしますが、奥方様はまことに流産でございましょうか?」
「世の中には、他人に妻を寝取られて喜ぶ男もいると聞く。そなた、浮気について何か心当たりはあるか?」
「……まさか、実際に現場を目撃なされたので?」
「いいや、そういう男は想像するだけでも興奮するのだよ。よもやあの貞淑な妻が、わしに隠れて淫らな行為に及んでおったと思うとな」
「今のお話は、何も聞かなかったことにいたします」
「頼む、この際だからはっきりとさせておきたい。あの赤ん坊の本当の父親は誰なのだ?」
「お望みとあらば占って進ぜますが、答えを知ってどうなさるおつもりで?」
「わしは、ついに目覚めてしまったのかもしれん。おのれ自身の中に秘められた、大いなる神の声に……」
のちに皇帝暗殺の疑いをかけられて反乱を起こすオルスター卿は、帝国の評議会に席を列する諸侯であり、信仰のために童貞を捧げた神官でもあった。
もともと貴族の名跡を継ぐつもりがない次男だっただけに、いささか気弱で優柔不断なところがあり、困ったことがあれば何でもかんでも身近な者に相談した。
愚かにも正直すぎる人物だったためか、敵味方を問わず友人が多く、兵士たちからの信望も厚かった。
ところが、ちょうどアクセラ妃の妊娠が発覚した時期を境にして、おのが主君である皇帝アクセル一世への忠誠心を失い、あからさまな叛意を抱くようになる。
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