光の果ての君へ~天使の落ちる罠

ノエル

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禁忌。それは天使と人間の交わり。破れば神は天使の翼を折り、人間は魂を消される。


ダルヴィア王国、満月の夜。
天空から、一際輝く紫の光が宮殿に向けて落ちて来た。

第一王子セドリックは息を止め、寝室の窓ガラスに張り付くようにしてそれを見た。

寒い日だった。
ガラスは冷たく凍っていたが、それすら感じないほど、彼は見入っていた。

そのとき――
背後で、きぃ、と扉の軋む音。
小さな音なのに、王子の全身が粟立った。

(誰か来る)

セドリックは急いで窓から離れ、ベッドの脇で呼吸を殺した。

暗闇の中、何者かがこちらの気配を探っている。
音を立てずに、距離を詰めているようだ。

暗殺者だ―――まだ八歳だが、王子であるセドリックにはそれがわかった。
血の繋がらない王妃はいつもセドリックの命を狙っているのだから。

「伏せろ」

別の方向から短い声がした。
さっきまで立っていた窓の方からだ。
眩い紫の光が部屋を照らすのと、暗殺者の発する殺気が満ちたのは同時だった。

シュッ。

短剣が空を裂く音。
続けざまに、何かが叩き落とされる鈍い衝撃音。

静寂が戻った。

「……終わった。立っていい」

恐る恐る顔を上げたセドリックの目に飛び込んできたのは――光の中に立つ、一人の女。

驚くほど白い肌に、闇を吸い込んだような長い黒髪。
切れ長の目がまっすぐ前を見据えていた。
そして、背中に輝く白い翼。紫の光が羽根から溢れ出ている。
彼女から放たれる光によって、まるでこの寝室の中が月に照らされたように明るかった。

(黒い髪に紫色の瞳……こんな綺麗な人……見たことない……)

その姿を見た瞬間、セドリックの胸は、恐怖よりもむしろ美しさに打たれていた。
彼は放心して、ただ女を見つめていた。
女は、細長い指の間に、暗殺者の投げた“針”を両手に2本ずつ挟んでいた。足下に落ちているのは数本の短剣。

「王子の命を狙う貴様は何者だ? 誰から依頼された?」

答えはなかった。
セドリックが部屋の扉の方向に視線を移すと、
黒装束の男が、床に倒れ、既に絶命しかけていた。

「お姉さん。あの男は死んだの?」

女はセドリックを見た。
セドリックは真正面から女の顔を見ることができた。
見た途端、鳥肌が立った。
吸い込まれるように美しい瞳だ。


「死んではいない。だが虫の息だ。任務に失敗した暗殺者が、自ら死を選ぶのは珍しいことではない」

女にしては低い声だ。

「お姉さんは……誰? その翼、とても綺麗だね」

「私は大天使ルシファー。神の命でお前を守護しに来た。まさか、任務初日から暗殺者と鉢合わせするとはな」

「大天使……」

本の中だけの存在だろ、とセドリックは思っていた。
だけど、人間でこんな綺麗な人がいるはずがない。本当かもしれない……。


「私のことは、誰にも言うな。……いいな、秘密は守れよ」

「ルーと僕だけの秘密なんだね! わかったよ!」

「ルー? 私のことか? ……まあ、よい。だがひとつだけ訂正しておく。お前は私を“お姉さん”と呼んでいたが、私は男だ。間違えるな」

「え……?」

「天使は性を自由に選べる。私は男を選んだ。そして、もう一つ言おう。お前は馬鹿にされる存在ではない」

そう言うと、ルシファーは跳躍して王子の前に降り立った。
白いローブの裾がふわりと舞い、白いふくらはぎとそれに続く足首が、月光に照らされちらりと見えた。

セドリックの胸がどきどきした。
見てはいけないものを見てしまったような気がする。


「手を怪我しているな」

「ああ、これ? 昼間、転んだんだ。石で切っちゃって……また傷口が開いたみたい」

「血が出ている。こちらへ」

セドリックが両手を差し出すと、美しい紫の目で一心に見つめてくる。
天使の指先が触れる。冷たくも柔らかい。
そのうち傷口から滲む血を指先ですくい上げ、眺め始めた。
じっと見られているのが恥ずかしくて、セドリックは落ち着かない気分になった。

「血を……見たことがないの?」

「ああ。天使には、血が流れないからな」

短く答える声の奥に、ほんの微かな興味の色があった。

ルシファーが手をかざすと、温かな光が王子の手を包む。
金色の粒子が空気に溶け、傷は瞬く間に消えた。

「すごい……一瞬で治った」

驚きに息を呑むセドリック。やはりこの人は本当に大天使なんだ。
自慢できないのが悔しいが、自慢できる相手もいないことを思い出した。

「殿下! 殿下、どうかされましたか!」
「殿下、ご無事ですか!」

扉の外で大声がする。
近衛たちが異変に気づいたに違いない。

ルシファーは扉の方を見た。
そして、セドリックの手を離す。

一瞬にして、温もりが遠のいた。
セドリックの胸に、小さな寂しさが広がる。

「また会えるの?」

少年の瞳が熱を帯びる。
ルシファーは一拍置き、うなずいた。

「これからは、見えないようにお前を護る。そのうち、会うこともあるだろう。暗殺者の件は……お前が片付けたことにしておけ」

そう告げると、黒髪がふわりと舞った。
光の粒が彼の身体を包み、紫の閃光となって天へと昇る。

「それは無理だよ!」

セドリックの叫びは、夜の静寂に溶けて消えた。
残されたのは、窓辺に漂うかすかな光の余韻だけだった。


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