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眩い白光の中、天上の玉座が神の怒りを受け震えていた。
「ルシファー、何ゆえ掟を破った」
神の声は雷鳴のように響き、空気そのものが震える。
「……お許しください。ですが、掟は破っておりません」
ルシファーは両膝をつき、頭を垂れた。
光の神に嘘はつけない。セドリックの名を思い出すだけで胸が痛むが、過ちは犯していない。
「人の子に心を寄せた。おまえの羽は汚れた」
その瞬間、空が裂けた。
白金の光で形作られた巨大な手が、天より伸びる。
息を呑む暇もなく、ルシファーの身体を強打した。
吹き飛ばされて、石造りの柱に激突した。
衝撃とともに、羽根が散る。
痛みは肉体よりも心を砕いた。
「……申し訳……ありません」
声が震える。
ルシファー深く頭を垂れ、涙を流した。
沈黙の後、神の声が冷たく響いた。
「下界への干渉は、これで終了とする。そなたの任務はここに完了した。再び掟を犯せば、翼を折るだけでは済まさぬぞ」
「……御意に」
光が消えると、そこには荒れ果てた石床に膝をつくルシファーの姿だけが残った。
翼は裂け、衣は焦げ、呼吸ひとつするのもやっとだった。
ゆっくりと立ち上がり、足を引きずりながら天の扉を後にする。
背後では、遠巻きに見る天使たちの視線が氷のように突き刺さっていた。
(だが、これで……彼は無事だ。あれほど強い精神力を持つ王子だ。
きっぱりと執着は断ち切り、もう私を求めたりはしない……はずだ)
けれど、胸の奥で何かが軋んだ。
ルシファーは手を胸に当てる。
そこに、まだ確かに残っている。
――セドリックがルシファーを呼ぶ悲痛な声。
いったい、いつから彼に心を移していたのだろう。
瞼をぎゅっと閉じて、振り払おうとするが、振り払えない情があった。
「ルシファー、大丈夫か? ふらついているではないか」
背後から心配そうな声がかかり、振り向くとミカエルが難しい顔を見てこちらを見ている。
「大丈夫だ」
「傷だらけだな。翼も傷んでいる。誰からやられた…と聞く必要もないか。
お前にそんなことをできるのは、神しかいない」
「セドリックのことで、神の怒りを買った。私は少し心を寄せ過ぎたらしい」
「……俺の家に来い。その様子じゃ、自分で治療するのは無理だろう。俺の光で治療してやる」
そう言われて連れて行かれたミカエルの家。
「ここでうつ伏せになれ。先に翼から治そう」
そう言われ、ルシファーは寝椅子の上で膝をつき、緩慢な動作で横になる。
裂けた翼がひりひりと痛む。
認めたくないが、横になってルシファーはほっとした。
思っていた以上に、神の殴打によって、身体に傷を負っていたようだ。
自分の面倒は自分で見れると思っていたが、そうでもなかったらしい。
今は、ミカエルの優しさが身に沁みる。
クッションを抱え込みソファに身を預けていると、背中から温かい青い光に包まれた。
「かなり痛んでいるな。痛いだろう」
「そうだな。だが、折られなかっただけました」
「ふむ」
「……心配させているようだから言うが、もう地上へはいかない。任務終了を告げられた。セドリックも力をつけているし、私が守護しなくても、りっぱにやっていける」
「そうか。なら安心だ。俺は、明日から、地上へ行くことになっている。これで、心おきなく仕事ができる」
「心配かけたな」
「まあ、いいさ。無事にすんだからな。さあ、翼は終わった。翼をたたんで仰向けになれ。身体を癒すぞ」
ミカエルは静かに手を翳すと、柔らかく青い光が指先から流れ出した。
その光がルシファーの肌に触れた瞬間、ミカエルは息を呑む。
あまりにも脆く、美しい。これが、自分の愛してしまった存在かと——。
「痛みは?」
「……耐えられる」
ルシファーは答える。声は低く、少し震えていたが、感情は抑えられていた。
青い光は傷を癒すだけでなく、心の奥の疲労や軋みをも溶かすように広がる。
ルシファーは、自然と目を閉じる。
光の温かさが、神に罰された痛みと、セドリックへの想いの焦燥を、ひととき和らげてくれた。
「……もう大丈夫だ」
ミカエルは微かに微笑む。
「傷だけではない。心も少し重そうだな」
「……セドリックのことがあるからな。まさか、私が心を寄せていたとは自分でもわからなかった。神に言われてはじめて気づいた」
光は優しく、ルシファーの肩にまで広がる。
二人の間に言葉は少なく、ただ治癒の温もりが満ちていた。
「時が解決してくれる。今はゆっくり休め」
ルシファーは小さく頷く。
その頷きに、言葉以上の信頼と、痛みを帯びた想いが混ざる。
ミカエルの声は、深く、柔らかく、確かにルシファーの胸に届いた。
安らぎと共に、かすかな罪悪感が胸をかすめる。
ミカエルの優しさに救われながらも、その温もりに甘えてはいけないと分かっていた。
少しうとうとし始めた頃、翼は元の美しい白に戻り、身体の傷も、服の焦げも裂け目も跡形もなく治っていた。
肩の力も抜け、少しだけ心が軽くなった気がした。
「ありがとう、ミカエル。楽になった」
「……お前の想いは、悪いものとは思わん。だから、一人だけで背負おうとするな」
その言葉に、ルシファーは小さく息をつく。
ミカエルの光の中で、意識が揺蕩い、遠のいていく。
「そのまま少し眠るといい。適当なところで、起こしてやる」
「……悪い……そうさせてもらう」
ルシファーの寝顔を見詰めながら、ミカエルはそっと呟く。
「まったく、お前は人の気持ちも知らないで。まあ、その鈍感さもお前の魅力の一つかもな」
天界の空がざわめいた。
風が唸り、光の雲が砕け散る。
高天原に吹き荒れる暴風は、怒りでも呪いでもなく――ひとりの王の「渇望」だった。
「ルシファー様! どうか、お助けください!」
若い天使たちが翼を畳み、地に伏して泣き叫ぶ。
彼らの羽は風に裂かれ、白い羽根が嵐に舞った。
「神は?」
「呼びかけておりますが、姿を現してはくれませぬ」
「では、ミカエルはどうしている?」
ルシファーは風の音にかき消されぬよう、声を張った。
「今、任務で地上に降りておられます! このままでは天界そのものが壊れます!」
ルシファーは歯を食いしばり、外の光を見た。
黄金の閃光――いや、それは光ではなかった。
龍だった。
天の階を蹴散らし、雷鳴を引き裂いて舞い上がる巨大な金色の龍。
その鱗は太陽よりも眩く、瞳には狂おしいまでの執念が宿っていた。
その金色の瞳には見覚えがあった。
胸の鼓動が早くなる。
「……まさか、セドリック……?」
ギャアーーーーーーーーーーーーッ!
金の龍が、こちらを見て咆哮を上げた。
見つけた――そう言わんばかりに。
「……来るな!」
叫ぶより早く、龍は一気に降下した。
轟音と共に、風圧が天界の宮殿を吹き飛ば勢いだ。
光の柱が崩れ、神々の使いの像が粉々になる。
逃げ惑う天使たちの悲鳴をかき消して、龍は翼を広げたまま着地した。
ルシファーは身を翻そうとしたが、遅かった。
巨大な爪が彼の身体を掴む。
その瞬間、金の光がすべてを包み――天界の景色が、遠ざかっていった。
眩い光の中で、ルシファーは息を詰める。
(……やはり、お前か……セドリック)
金の龍の爪が、ルシファーの身体をしっかりと掴んでいた。
爪の間から漏れる光が眩しく、熱い。皮膚が焼けるほどの魔力。
「放せ! セドリック、私を天界に返せ!」
風に掻き消されるほどの叫び。
けれど龍は、答えなかった。
翼が大気を裂くたび、雷鳴が轟く。
天界の光は遠ざかり、下方には暗い雲が渦を巻いている。
「お前……聞こえているだろう!」
ルシファーは暴れようとしたが、爪はびくともしない。
まるで、その抵抗さえ愛おしいと言わんばかりに――龍は速度を上げた。
「セドリック!!」
名を叫んだ瞬間、龍の瞳がかすかに動いた。
ほんの一瞬、哀しげな光が揺れた気がした。
だがすぐに、風が唸り、世界が反転する。
目も眩むほどの急降下。
身体がちぎれそうなほどの風圧。
ルシファーの意識が遠のく。
(やめろ……私にかまうと、お前も神罰を受けるぞ……)
最後に見たのは、龍の黄金の瞳。
焦がれるような、祈るような光。
そして――闇がすべてを包んだ。
「ルシファー、何ゆえ掟を破った」
神の声は雷鳴のように響き、空気そのものが震える。
「……お許しください。ですが、掟は破っておりません」
ルシファーは両膝をつき、頭を垂れた。
光の神に嘘はつけない。セドリックの名を思い出すだけで胸が痛むが、過ちは犯していない。
「人の子に心を寄せた。おまえの羽は汚れた」
その瞬間、空が裂けた。
白金の光で形作られた巨大な手が、天より伸びる。
息を呑む暇もなく、ルシファーの身体を強打した。
吹き飛ばされて、石造りの柱に激突した。
衝撃とともに、羽根が散る。
痛みは肉体よりも心を砕いた。
「……申し訳……ありません」
声が震える。
ルシファー深く頭を垂れ、涙を流した。
沈黙の後、神の声が冷たく響いた。
「下界への干渉は、これで終了とする。そなたの任務はここに完了した。再び掟を犯せば、翼を折るだけでは済まさぬぞ」
「……御意に」
光が消えると、そこには荒れ果てた石床に膝をつくルシファーの姿だけが残った。
翼は裂け、衣は焦げ、呼吸ひとつするのもやっとだった。
ゆっくりと立ち上がり、足を引きずりながら天の扉を後にする。
背後では、遠巻きに見る天使たちの視線が氷のように突き刺さっていた。
(だが、これで……彼は無事だ。あれほど強い精神力を持つ王子だ。
きっぱりと執着は断ち切り、もう私を求めたりはしない……はずだ)
けれど、胸の奥で何かが軋んだ。
ルシファーは手を胸に当てる。
そこに、まだ確かに残っている。
――セドリックがルシファーを呼ぶ悲痛な声。
いったい、いつから彼に心を移していたのだろう。
瞼をぎゅっと閉じて、振り払おうとするが、振り払えない情があった。
「ルシファー、大丈夫か? ふらついているではないか」
背後から心配そうな声がかかり、振り向くとミカエルが難しい顔を見てこちらを見ている。
「大丈夫だ」
「傷だらけだな。翼も傷んでいる。誰からやられた…と聞く必要もないか。
お前にそんなことをできるのは、神しかいない」
「セドリックのことで、神の怒りを買った。私は少し心を寄せ過ぎたらしい」
「……俺の家に来い。その様子じゃ、自分で治療するのは無理だろう。俺の光で治療してやる」
そう言われて連れて行かれたミカエルの家。
「ここでうつ伏せになれ。先に翼から治そう」
そう言われ、ルシファーは寝椅子の上で膝をつき、緩慢な動作で横になる。
裂けた翼がひりひりと痛む。
認めたくないが、横になってルシファーはほっとした。
思っていた以上に、神の殴打によって、身体に傷を負っていたようだ。
自分の面倒は自分で見れると思っていたが、そうでもなかったらしい。
今は、ミカエルの優しさが身に沁みる。
クッションを抱え込みソファに身を預けていると、背中から温かい青い光に包まれた。
「かなり痛んでいるな。痛いだろう」
「そうだな。だが、折られなかっただけました」
「ふむ」
「……心配させているようだから言うが、もう地上へはいかない。任務終了を告げられた。セドリックも力をつけているし、私が守護しなくても、りっぱにやっていける」
「そうか。なら安心だ。俺は、明日から、地上へ行くことになっている。これで、心おきなく仕事ができる」
「心配かけたな」
「まあ、いいさ。無事にすんだからな。さあ、翼は終わった。翼をたたんで仰向けになれ。身体を癒すぞ」
ミカエルは静かに手を翳すと、柔らかく青い光が指先から流れ出した。
その光がルシファーの肌に触れた瞬間、ミカエルは息を呑む。
あまりにも脆く、美しい。これが、自分の愛してしまった存在かと——。
「痛みは?」
「……耐えられる」
ルシファーは答える。声は低く、少し震えていたが、感情は抑えられていた。
青い光は傷を癒すだけでなく、心の奥の疲労や軋みをも溶かすように広がる。
ルシファーは、自然と目を閉じる。
光の温かさが、神に罰された痛みと、セドリックへの想いの焦燥を、ひととき和らげてくれた。
「……もう大丈夫だ」
ミカエルは微かに微笑む。
「傷だけではない。心も少し重そうだな」
「……セドリックのことがあるからな。まさか、私が心を寄せていたとは自分でもわからなかった。神に言われてはじめて気づいた」
光は優しく、ルシファーの肩にまで広がる。
二人の間に言葉は少なく、ただ治癒の温もりが満ちていた。
「時が解決してくれる。今はゆっくり休め」
ルシファーは小さく頷く。
その頷きに、言葉以上の信頼と、痛みを帯びた想いが混ざる。
ミカエルの声は、深く、柔らかく、確かにルシファーの胸に届いた。
安らぎと共に、かすかな罪悪感が胸をかすめる。
ミカエルの優しさに救われながらも、その温もりに甘えてはいけないと分かっていた。
少しうとうとし始めた頃、翼は元の美しい白に戻り、身体の傷も、服の焦げも裂け目も跡形もなく治っていた。
肩の力も抜け、少しだけ心が軽くなった気がした。
「ありがとう、ミカエル。楽になった」
「……お前の想いは、悪いものとは思わん。だから、一人だけで背負おうとするな」
その言葉に、ルシファーは小さく息をつく。
ミカエルの光の中で、意識が揺蕩い、遠のいていく。
「そのまま少し眠るといい。適当なところで、起こしてやる」
「……悪い……そうさせてもらう」
ルシファーの寝顔を見詰めながら、ミカエルはそっと呟く。
「まったく、お前は人の気持ちも知らないで。まあ、その鈍感さもお前の魅力の一つかもな」
天界の空がざわめいた。
風が唸り、光の雲が砕け散る。
高天原に吹き荒れる暴風は、怒りでも呪いでもなく――ひとりの王の「渇望」だった。
「ルシファー様! どうか、お助けください!」
若い天使たちが翼を畳み、地に伏して泣き叫ぶ。
彼らの羽は風に裂かれ、白い羽根が嵐に舞った。
「神は?」
「呼びかけておりますが、姿を現してはくれませぬ」
「では、ミカエルはどうしている?」
ルシファーは風の音にかき消されぬよう、声を張った。
「今、任務で地上に降りておられます! このままでは天界そのものが壊れます!」
ルシファーは歯を食いしばり、外の光を見た。
黄金の閃光――いや、それは光ではなかった。
龍だった。
天の階を蹴散らし、雷鳴を引き裂いて舞い上がる巨大な金色の龍。
その鱗は太陽よりも眩く、瞳には狂おしいまでの執念が宿っていた。
その金色の瞳には見覚えがあった。
胸の鼓動が早くなる。
「……まさか、セドリック……?」
ギャアーーーーーーーーーーーーッ!
金の龍が、こちらを見て咆哮を上げた。
見つけた――そう言わんばかりに。
「……来るな!」
叫ぶより早く、龍は一気に降下した。
轟音と共に、風圧が天界の宮殿を吹き飛ば勢いだ。
光の柱が崩れ、神々の使いの像が粉々になる。
逃げ惑う天使たちの悲鳴をかき消して、龍は翼を広げたまま着地した。
ルシファーは身を翻そうとしたが、遅かった。
巨大な爪が彼の身体を掴む。
その瞬間、金の光がすべてを包み――天界の景色が、遠ざかっていった。
眩い光の中で、ルシファーは息を詰める。
(……やはり、お前か……セドリック)
金の龍の爪が、ルシファーの身体をしっかりと掴んでいた。
爪の間から漏れる光が眩しく、熱い。皮膚が焼けるほどの魔力。
「放せ! セドリック、私を天界に返せ!」
風に掻き消されるほどの叫び。
けれど龍は、答えなかった。
翼が大気を裂くたび、雷鳴が轟く。
天界の光は遠ざかり、下方には暗い雲が渦を巻いている。
「お前……聞こえているだろう!」
ルシファーは暴れようとしたが、爪はびくともしない。
まるで、その抵抗さえ愛おしいと言わんばかりに――龍は速度を上げた。
「セドリック!!」
名を叫んだ瞬間、龍の瞳がかすかに動いた。
ほんの一瞬、哀しげな光が揺れた気がした。
だがすぐに、風が唸り、世界が反転する。
目も眩むほどの急降下。
身体がちぎれそうなほどの風圧。
ルシファーの意識が遠のく。
(やめろ……私にかまうと、お前も神罰を受けるぞ……)
最後に見たのは、龍の黄金の瞳。
焦がれるような、祈るような光。
そして――闇がすべてを包んだ。
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