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重い石の扉が軋んで開き、冷たい空気がセドリックの頬を撫でた。地下牢の闇は厚く、燭台の火は孤独に揺れている。彼は一歩ずつ、音を立てずに床を踏んで進んだ。
牢の影のなか、長い髪は灰色に混じり、薄汚れた衣の呪術師が身体を丸めて座っていた。顔を上げると、瞳には不敵な光が灯る。
「お前が、昔――俺を襲った呪術師だな」
セドリックの声は冷たく、決意が剥き出しだった。
呪術師は嘲るように笑みを浮かべる。
「そうですとも、王子様。実にお久しゅうございます。どうされました? 何かご用命ですかな?」
過去の記憶が、短く閃く。幼い彼を襲ったあの大蛇の蠢き。
あの日、命を繋げたのはルシファーのおかげだった。
呪術師は捕らえられ、即刻処刑が決まっていたが、セドリックの口添えによって終身刑になった。
彼はこの呪術師の腕が、国から失われることを惜しんだのだ。いつか使える時がくるかもしれない。――そういう意図があり、いまだ地下牢で生かされている。
セドリックは一歩近づき、牢の鉄格子越しに低く問うた。
「天使を監禁する方法を知っているか?」
呪術師の目に光が灯り、まるで舌なめずりをしたように見えた。
「……知っておりますよ。天使とて、血の鎖に縛られます。だがそれには――条件が必要です」
「条件とは何だ」
「王族に流れる龍神の血。――つまりあなた様の血が不可欠です。私がお作りする鎖に呪を刻み、殿下の血を吸わせれば、決して逃れられぬ枷と鎖が作れます。
枷は天使の力を吸い、鎖は天使の肌にあなた様の愛を注ぐでしょう。それは、龍神の血が濃ければ濃いほど、より強く天使の身体に作用いたします」
セドリックの顔に笑いはない。彼の言葉は短く、寸分の揺らぎもなかった。
「私に協力すれば、褒美をやろう」
「褒美とは?」
「お前を貴族牢へ移してやる。部屋は広くなり、食事も改善するし、書物も与えられる。お前が自分の価値を私に示したなら、それに見合った対価を与えよう」
呪術師の目が鋭く光る。唇が薄く割れて、期待と計算が交差する。
「貴族牢となれば、術を研究する役に立ちますな。では、私が丹精込めて、天使が逃れられぬ枷と鎖を作りましょう。抗えば抗うほど、理性を失っていく甘美なる鎖。
ただし、天使には代償があります。――天使は堕天すれば、神に翼を折られ、千年天界の門に吊るされます」
「天界の門に吊るす?」
「ええ。天に近き者の堕落した心を正す罰。なにせ、私の鎖は抵抗するほどに、天の秩序から引き剥がされる鎖です。普通の拘束とは意味合いが違う。──天使にその痛み与える覚悟ができるなら、私はそのご依頼を引き受けましょう」
セドリックは格子を握りしめ、指の先に白さが滲む。静かに、だが確かに決意の火が揺らめく。
「やれ。罰は受け入れる」
呪術師は満足げに微笑み、薄暗がりで指を折った。
「ならば、まずは対象の“神の刃”を奪う算段からです。
天使がいつも持っている長剣です。王子様、ご存知か。
神の剣とは、いかなるものでも切り裂く特性を持つ。鎖も、符も、塔の格子も——その前では全ての物は無力です。ゆえに、まず『刃』を奪い、手の届かぬ場所へ隔離する必要がある」
セドリックの瞳が鋭く光る。
「どうやって手に入れる? いつも身に着けているだろう、あの剣は」
「それはおいおい考えましょう。王子様の望みが叶うよう、私は全力を尽くします――ですが、ひとつだけ、忠告を」
おどけた声で呪術師は囁く。
「愛は美しい。だが、愛が鎖と成ったとき、それはまだ愛と言えるのかわかりませんよ」
「……余計なことは言うな。お前は黙って鎖を作れ」
格子越しに交わされた視線が、深い静寂を裂いた。
「天使を鎖で繋いで監禁……。ぞくぞくしますな」
呪術師は下卑た笑みを浮かべた。
セドリックはその表情を見て、静かに目を閉じた。
(それでもいい。ルシファーがこの手に戻るなら、どんな鎖でも構わない)
◇
夜の私室。王子は机に肘をつき、額に手を当てていた。
ルシファーの微笑、冷たい視線、そして彼が去っていく後姿が、何度も何度も脳裏に焼きついて離れない。
「……ルシファー」
小さく名前を呼ぶ声が、喉の奥で震える。
――こんなことはしたくなかった。
あなたの翼を撫で、手を伸ばせば抱きしめられる日を、何年夢見てきたことか。
けれど、あなたは決して僕を受け入れてくれない。
「ならば……閉じ込めるしかない。それに、天に帰さなければ、ルシファーが罰を受けることもない」
呟く王子の瞳に、狂おしいほどの愛情と決意が宿る。
失うくらいなら、手に入らないなら、
せめて僕の腕の中だけに閉じ込める。
どんな罰を受けようとも、後悔はしない――。
数日後の夜、部屋の扉を小さく叩く音がした。
「……入れ」
現れたのは王子の秘密の使いだった。黒いローブに身を包み、細い笑みを浮かべている。
「殿下、例のものを預かって参りました」
薄布に包まれた枷と鎖が、音もなく差し出される。
王子はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取る。冷たく重い鎖が掌に食い込み、指先がかすかに震えた。
セドリックは薄布を外した。
鎖は黒曜石のように艶めき、光を吸い込んでいる。
枷に触れた瞬間、微かに肌を焦がすような熱が走った。
呪われた呪具——それは天使の縛るためだけに作られたものだった。
少しの間、王子の耳には何も聞こえなかった。息の音さえ、遠くに消えた。
しばらく後、微かに息を呑み、目を閉じる。
――これで、あの美しい人は僕のものになる。
――どんな神罰を受けても、構わない。
牢の影のなか、長い髪は灰色に混じり、薄汚れた衣の呪術師が身体を丸めて座っていた。顔を上げると、瞳には不敵な光が灯る。
「お前が、昔――俺を襲った呪術師だな」
セドリックの声は冷たく、決意が剥き出しだった。
呪術師は嘲るように笑みを浮かべる。
「そうですとも、王子様。実にお久しゅうございます。どうされました? 何かご用命ですかな?」
過去の記憶が、短く閃く。幼い彼を襲ったあの大蛇の蠢き。
あの日、命を繋げたのはルシファーのおかげだった。
呪術師は捕らえられ、即刻処刑が決まっていたが、セドリックの口添えによって終身刑になった。
彼はこの呪術師の腕が、国から失われることを惜しんだのだ。いつか使える時がくるかもしれない。――そういう意図があり、いまだ地下牢で生かされている。
セドリックは一歩近づき、牢の鉄格子越しに低く問うた。
「天使を監禁する方法を知っているか?」
呪術師の目に光が灯り、まるで舌なめずりをしたように見えた。
「……知っておりますよ。天使とて、血の鎖に縛られます。だがそれには――条件が必要です」
「条件とは何だ」
「王族に流れる龍神の血。――つまりあなた様の血が不可欠です。私がお作りする鎖に呪を刻み、殿下の血を吸わせれば、決して逃れられぬ枷と鎖が作れます。
枷は天使の力を吸い、鎖は天使の肌にあなた様の愛を注ぐでしょう。それは、龍神の血が濃ければ濃いほど、より強く天使の身体に作用いたします」
セドリックの顔に笑いはない。彼の言葉は短く、寸分の揺らぎもなかった。
「私に協力すれば、褒美をやろう」
「褒美とは?」
「お前を貴族牢へ移してやる。部屋は広くなり、食事も改善するし、書物も与えられる。お前が自分の価値を私に示したなら、それに見合った対価を与えよう」
呪術師の目が鋭く光る。唇が薄く割れて、期待と計算が交差する。
「貴族牢となれば、術を研究する役に立ちますな。では、私が丹精込めて、天使が逃れられぬ枷と鎖を作りましょう。抗えば抗うほど、理性を失っていく甘美なる鎖。
ただし、天使には代償があります。――天使は堕天すれば、神に翼を折られ、千年天界の門に吊るされます」
「天界の門に吊るす?」
「ええ。天に近き者の堕落した心を正す罰。なにせ、私の鎖は抵抗するほどに、天の秩序から引き剥がされる鎖です。普通の拘束とは意味合いが違う。──天使にその痛み与える覚悟ができるなら、私はそのご依頼を引き受けましょう」
セドリックは格子を握りしめ、指の先に白さが滲む。静かに、だが確かに決意の火が揺らめく。
「やれ。罰は受け入れる」
呪術師は満足げに微笑み、薄暗がりで指を折った。
「ならば、まずは対象の“神の刃”を奪う算段からです。
天使がいつも持っている長剣です。王子様、ご存知か。
神の剣とは、いかなるものでも切り裂く特性を持つ。鎖も、符も、塔の格子も——その前では全ての物は無力です。ゆえに、まず『刃』を奪い、手の届かぬ場所へ隔離する必要がある」
セドリックの瞳が鋭く光る。
「どうやって手に入れる? いつも身に着けているだろう、あの剣は」
「それはおいおい考えましょう。王子様の望みが叶うよう、私は全力を尽くします――ですが、ひとつだけ、忠告を」
おどけた声で呪術師は囁く。
「愛は美しい。だが、愛が鎖と成ったとき、それはまだ愛と言えるのかわかりませんよ」
「……余計なことは言うな。お前は黙って鎖を作れ」
格子越しに交わされた視線が、深い静寂を裂いた。
「天使を鎖で繋いで監禁……。ぞくぞくしますな」
呪術師は下卑た笑みを浮かべた。
セドリックはその表情を見て、静かに目を閉じた。
(それでもいい。ルシファーがこの手に戻るなら、どんな鎖でも構わない)
◇
夜の私室。王子は机に肘をつき、額に手を当てていた。
ルシファーの微笑、冷たい視線、そして彼が去っていく後姿が、何度も何度も脳裏に焼きついて離れない。
「……ルシファー」
小さく名前を呼ぶ声が、喉の奥で震える。
――こんなことはしたくなかった。
あなたの翼を撫で、手を伸ばせば抱きしめられる日を、何年夢見てきたことか。
けれど、あなたは決して僕を受け入れてくれない。
「ならば……閉じ込めるしかない。それに、天に帰さなければ、ルシファーが罰を受けることもない」
呟く王子の瞳に、狂おしいほどの愛情と決意が宿る。
失うくらいなら、手に入らないなら、
せめて僕の腕の中だけに閉じ込める。
どんな罰を受けようとも、後悔はしない――。
数日後の夜、部屋の扉を小さく叩く音がした。
「……入れ」
現れたのは王子の秘密の使いだった。黒いローブに身を包み、細い笑みを浮かべている。
「殿下、例のものを預かって参りました」
薄布に包まれた枷と鎖が、音もなく差し出される。
王子はゆっくりと手を伸ばし、それを受け取る。冷たく重い鎖が掌に食い込み、指先がかすかに震えた。
セドリックは薄布を外した。
鎖は黒曜石のように艶めき、光を吸い込んでいる。
枷に触れた瞬間、微かに肌を焦がすような熱が走った。
呪われた呪具——それは天使の縛るためだけに作られたものだった。
少しの間、王子の耳には何も聞こえなかった。息の音さえ、遠くに消えた。
しばらく後、微かに息を呑み、目を閉じる。
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