故に彼女は人を読む

四十宮くるふ

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2.槍鬼霊は振るわれない

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 時間の経過は、どこまでも無情だった。
 何より平等で、何より残酷な時間と言う存在を普段より一層強く感じるルチアナは、何をするわけでもなく、ただ茫然と待ち続けた。
 そして結局、ハンナとヨハンの安全が確認されることもなく、陽はすっかり沈んでしまっていた。
 一度アルベルが店に戻って来たが、結局二人を見つけることはできていなかった。ルチアナはそのことに落胆しながらも、一人辛抱強く店帰りを待った。

「せめて……せめて杞憂であればいいんです」

 そう切に願うルチアナは、何でもない顔で帰ってくる二人を想像した。
 けれどアルベルがもう一度二人を捜しに出て行ったきり、何の変化も起きない。時計の針がくるくると回り、無為に流れる時間に歯痒さを覚える。

 ルチアナは暗がりに包まれた店内を灯す為に、蝋燭の火を点けるべく立ち上がった。そして店内の蜀台の蝋燭全てに火を灯した所で、出入り口の戸が乱暴に開かれる音が聞こえた。
 それは来客が来た時のような、穏やかな入店ではなかった。乱暴に開け放たれ、突入するかのように転がり込み、敷居で足をつんのめらせながら彼はやって来た。

「や、槍は……どこですか!?」

 開口一番そんなことを口走ったのは、肩を大きく上下させ呼吸を乱す、銀色の髪の少年――ヨハン・ケンプファーであった。普段着代わりにしていた燕尾服はだらしなく着崩れていて、額には玉のような汗をかいていた。
 そしてそれを出迎えたルチアナは、険しい顔をしたままヨハンに詰め寄る。

「ハンナちゃんはどうしたんですか!?」

 ヨハンの知るルチアナからは想像できないような剣幕に思わずたじろぐが、それどころじゃないヨハンはグッと拳を握りルチアナと対峙する。

「すみません、攫われました」

 その言葉にルチアナは顔を顰め、けれど努めて冷静に問うた。

「手短に話して下さい」
「話は移動しながらでお願いします。僕は槍を持ってハンナを助けに行きます」

 ヨハンは自分の話がルチアナに理解されていないのを承知しながらも、それを説明する時間がないと判断し店内を物色しようとする。しかしその行動を、ルチアナは許さなかった。

「槍を持っていくことは許しません。ですから、これを使って下さい」

 そう言ってルチアナがヨハンに突き出したのは、アルベルが持ち込んだデッキブラシである。

「ヨハンさんの得物が槍であるのは承知しています。これなら長さも充分ですから、これを使って下さい」
「どうしてそれを……」
「話は移動しながらするんですよね? でしたら今は、一秒でも早くハンナちゃんを助けに行くのを優先して下さい。助けに行くということは、ハンナちゃんの場所は分かっているんですよね?」

 有無を言わせぬルチアナの態度に、ヨハンは困惑しながらも頷いた。

「……分かりました。行きます」

 ルチアナの態度が頑なであると悟ったヨハンは、ここでごねて時間を浪費するのを恐れ、突き出されたデッキブラシを受け取ると、踵を返し店から飛び出す。
 ロングスカートの裾を翻しながらルチアナもそれに続く。店を飛び出す際に、スカートの裾が扉に擦れ、固定されたベルがカランと金属音を僅かに響かせた。
 そして金属音が溶け切り、消え去った頃、入れ違いで一人の人物が店に訪れる。
 その人物は店内に人が居ないのを確認すると、夜であるにも変わらず叫んだ。

「ぬ!? どうして誰も居ない!? ルチアナさん!? ルチアナさーん!?」

 近所迷惑同然のアルベルの叫びが、無人の店内に反響した。


◆◇◆


 ルチアナとヨハンは、人気の消えた街道を全力で走っていた。
 目的地は数日前に全焼した教会の跡地。それを聞いたルチアナはどんな冗談だと内心で苦笑したが、事実を受け止めヨハンと一緒に人気の消えた街道を走る。

 そしてヨハンは走りながら一人驚愕に打ち震えていた。
 これでも兵士として訓練されてきたヨハンは、自分の運動能力に絶対の自信を持っていた。だからルチアナがついて来ると言った時、一抹の不安を感じていた。
 ハンナが心配なのは十二分に理解出来る。けれど、だからといって足手まといになられては意味がない。そんな不安が確かにあったのだ。

 しかしそんなヨハンの不安を払拭するかのように、ルチアナは全力で走るヨハンに並走していた。ロングスカートの裾を手で掴み、走り易いように体勢を工夫しながら、器用に、そして滑るように街道を掛け抜けていく。
 余裕綽々といった表情で顔色一つ変えずに走り、あまつさえ会話をし始めた時には、ヨハンは吃驚し舌を巻いた。

「ハンナを攫った人物は、ガラルド・マティスと言うエクティリアの将校です」
「エクティリアの? どうしてそんな人物がヘイブンに居るんですか?」
「全部僕が悪いんです。僕が第十三人間牧場から槍を持ち出してしまったから」
「槍?」

 ルチアナはその言葉の意味を知っていたが、あえて問う。
 そしてそんなルチアナの心中など知らぬヨハンは、淡々と語り始めた。

「人間牧場で研究、開発されていた精霊の力を宿すとされる槍です。眉唾物にしか聞こえませんが、それでもあそこではその研究が行われていて、一つだけですが完成品を作り出すことに成功しました。そしてその完成品を僕が持ち出したんです。いえ、正確には持ち出す結果となってしまったんです」
「どうして槍なんですか?」
「たまたま完成したのが槍だったというだけで、失敗作には剣や棍なども含まれていました。そしてその槍には確かに精霊が宿ったんです。死者の霊魂という、精霊が」

 それを聞いたルチアナは、神妙な顔をしながらも真偽を疑う。

「やっぱりどうして、嘘臭い事この上ないです」
「ええ、僕もそう思います。見た目はただの槍でしかないのに、どうしてこれを完成品だと言うのか、僕にも甚だ疑問でした。でも……演習でその槍を持たされた時、その槍が完成品であるという理由が分かったんです」
「…………」

 ルチアナはヨハンの口から直接聞かされる内容を、素早く反芻して飲み下す。

「あの槍には間違いなく怨念が宿っています。あの槍で殺された人達の怨念が……霊魂が。そしてそれは槍を手にした人を狂気へと誘い、鬼に変えてしまいます。全てを壊したいという衝動が全身を掛け抜け、理性が瓦解し衝動を抑えきれなくなって……。だから僕はあらゆるものを、人間牧場を、そこに居た人達を……その全てを壊し殺してしまいました。研究者も、憎い監督官も、好きな監督官も、家族同然だった大切な仲間も、全てっ! 何もかもを! だからっ……! だから僕は――」

「――ごめんなさい」

 そこまで言った所で、ルチアナが唐突に口を挟んだ。
 唐突に差し込まれた謝罪に、ヨハンは戸惑い、結果として足を縺れさせよろけてしまう。

「っ!」

 ルチアナはすぐさま立ち止ると、よろけたヨハンの手を掴み、ぐいっと引き寄せ体勢を立て直させる。ルチアナの胸の中へと引き寄せられたヨハンは、ルチアナに抱きすくめられ、ようやく反動を逃がすことができた。身体に柔らかいものが押し付けられたことによる戸惑いを覚えながらも、ヨハンは平静にルチアナから離れる。

「すみません」

 首を振って髪を乱すヨハンは、デッキブラシを杖代わりにして項垂れる。

「謝らなければいけないのは私の方です。私は事情を知っていたのに、ヨハンさんの主観で話を聞きたくて、言いたくもないことを喋らせてしまいました。だから、ごめんなさい」
「え……?」

 おずおずと顔を上げたヨハンは、ルチアナが何を言っているのかサッパリ分からなかった。けれどルチアナは、止まることなく言葉を紡いでいく。

「手にした者を悪鬼へと変えてしまう神秘の槍。エクティリアはそれを――槍に鬼の霊が宿る、その危険で不思議な槍を"槍鬼霊そうきれい"と名付け、それを手にしたまま国外へ逃亡したヨハンさんを、槍鬼霊・ケンプファーという二つ名で指名手配しました」
「どうして槍の名前を……? ルチアナさん、あなたはいったい……」

 知られているとは考えていなかったヨハンは、一歩後退ると燃えるような赤い目を細め睨む。しかしルチアナはヨハンの行動には意識を向けない。

「ヨハンという名は、番号で管理されていた第十三人間牧場の子供達のことを不憫に思った監督官によってつけられた名前であり、ケンプファーはその監督官の姓です」
「なんでそれを……」
「私は、ハンナちゃんの為にヨハンさんを読みました」
「僕を……読んだ……」
「だから、私はヨハンさんがハンナちゃんを攫ったガラルド・マティスと何度も交戦していることを知っています」
「……っ」

 理解の追い付かないヨハンは、言葉を詰まらせ視線を泳がす。
 今のヨハンにとって、自分しか知り得ないだろう過去の事実を知るルチアナが、なんだかとても恐ろしい存在のように感じられていた。
 けれど、

「良く分からないけど……でも、そんなの……」

 ヨハンにとってそれは、疑問に感じるという程度の、些事でしかなかった。

「そんなの、どうでもいい!」

 だからヨハンはルチアナの目をしっかりと捉え、宣言する。

「どうして僕の過去を知ったかとか、僕を読んだとか、そんなのはどうでもいい! 僕はただ、ハンナを助けたい! だから……」

 そしてその先をルチアナが強い言葉で繋げる。

「はい、助けに行きましょう」
「っ……はい!」

 その言葉を聞き届けたヨハンは、デッキブラシを肩に担ぐと、深く頷いた。
 そしてルチアナは、再び走りだす為にロングスカートの裾を掴みながら、ヨハンに宣告した。

「金輪際何があろうと、槍鬼霊は振るわれない。これは決定事項です」
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