故に彼女は人を読む

四十宮くるふ

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3.血酒の果て

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「ハンナは知らないだけだよ! あの人が、ルチアナさんがどれだけ強い人かを! 例えこの状況下で一人きりになったとしても、きっと大丈夫なんだよ! ハンナは知らないだけ、知らないだけなんだ!」
「そんなの知りたくもないよ! 人を殺して平気とか、人を殺せることが凄いとか、そんなことわたしは知りたくない! それにヨハンは知らないかもしれないけど、ルチアナはすっごい優しい人なの! 誰かを傷付けたいなんて絶対に思わない!」
「ルチアナが優しいことぐらい、僕だって知ってるよ……! ……ハンナ、お願いだから僕の言うことを聞いてくれ! このまま此処に居るのは本当に危ないんだ!」
「だから、この場に居るのが危ないから、早くルチアナを捜そうってさっきから言ってるでしょ!」

 両者の言葉には棘が付随し、高ぶる想いは言葉を歪める。
 根底にある気持ちはとても似ているのに、交わされる言葉はどこまでも交わらない。

「僕はルチアナさんに頼まれたんだ! ハンナを頼むって、何かあったら自分のことは放っておいて良いから、ハンナを最優先にして欲しいって……!」
「それはわたしも聞いてたけど、でもだからってルチアナの心配をしなくていい理由にはならないよ!」
「どうして分かってくれないの、この分からず屋! わたしはただ――」

 ハンナが激昂し感情を剥き出しにして居る時だった。ハンナの背後から迫る何かに気付いたヨハンが、目を見開く。

「――危ないっ!」

 そして言葉を遮り、ハンナの華奢な身体を強引に抱き寄せる。
 いったい何事かと事態が飲み込めないハンナは、ヨハンの大きな身体に包まれると同時に苦悶の声を聞く。

「あがっ……危ないっ、じゃないかああああああ!」

 苦悶が激怒に変化するや否や、ハンナは身を包んでいた暖かいものから解放され、ようやく事態を飲み込む。
 ヨハンが屋敷内で暴れていただろう男を槍で殺していた。
 男が手に持っていた剣で切られたのか、ヨハンの右肩からは血が出ていた。
 そこまで来てハンナはようやく事態を把握する。
 その男がハンナを襲い、ヨハンがそれを庇い、結果として右肩を斬られたのだ。
 服の上から血が滲み、じわりじわりと血が溢れていくのが目に見えて分かる。
 それを見た途端、ハンナの中にあった怒りが冷水を掛けられたかのように鎮静化し、ヨハンに対する心配だけが脳裏を埋め尽くす。

「ヨッ、ヨハン!? 肩がっ!」
「大丈夫。掠り傷だよ」

 強がるようにそう言うヨハンだが、言葉通りの掠り傷などではなかった。
 熱い鉄でも押し当てられているかのような痛みを表に出さないよう強がるヨハンは、相手の心臓を突いた槍を持つ右手を見て、顔を歪めた。そしてすぐさま反対の手に持ちかえる。

「で、でも! 血が! 血が止まらないよぉ……!」
「そりゃ生きているからね。斬られれば血も出るよ。一歩間違えればハンナがこうなってた……良かった、気付いて良かった……」

 そう言うヨハンは、後悔を噛み締め泣きそうな顔をする。それは大切なものを護れたと安堵する表情と、大切なものを危険に晒してしまったと悔いている表情が綯い交ぜになった、言葉では形容し切れぬ表情だった。
 その表情にハンナは言葉を失い、呆然と立ち尽くす。
 自分は何を、やっていたのかと。
 そんなハンナの前に近付いて来たヨハンは、ハンナを抱き寄せそっと頭を撫でる。

「ごめん……感情的になって、ハンナを危険に晒した。あれだけ護ると豪語したのに、危険な目に合わせてちゃった……」
「……ヨハン」

 遠くで喧騒が聞こえるも、ヨハンは構わず続ける。言葉を紡ぎ続けながらも、その意識だけはしっかりと周囲に向けられ、殺気立つ獣が如く周囲を威嚇していた。

「ルチアナさんに頼まれたって言ったけど、本当はそれだけじゃないんだ。僕はハンナを傷付けたくないし、ハンナが誰かに傷付けられるのも嫌なんだ。一人ぼっちで街を彷徨っていた僕に声を掛けてくれて、孤独と不安から僕を救い上げてくれたハンナが傷付けられるなんて、僕は絶対に許せない。ハンナが傷付けられるくらいなら、僕がその代わりに傷を負うよ。僕はハンナのことを大切な人だと思うから、僕は僕が思った通りに生きると決めたから、僕は僕が護りたいと願うハンナを護る。例えその果ての行動が、ハンナの意志とは違うものであっても……!」

 それは心からの言葉だった。
 だからこそハンナもまた、素直に思いの丈をぶつける。

「でも、わたしはやっぱり納得できない……ルチアナを見捨てるのも、殺されそうになるから殺すってことも……それが綺麗事だって分かっていても、わたしはそんな悲しいことは嫌だよ。ヨハンが人を殺すなんてことをするのを、認めたくない」

 だから、ハンナは問題を棚上げすることにした。

「もし……もしわたしの意志を無視してでもスパイルに帰るって言うなら、強引に連れて行って……優しい言葉で説得されたら、わたしはきっと自分の我儘でヨハンを困らせちゃうから。だから……、だから……!」

 それはハンナにとって最大限の譲歩だった。
 ハンナもヨハンの気持ちが分からないわけじゃない。ルチアナがヨハンに自分のことを頼んでいたのだってちゃんと聞いているし、何よりハンナもまたルチアナの普通でない一面を薄々ながらも感じ取っていたのだから。けれど自分の気持ちに嘘を吐くことはしたくなかった。
 だからこそ、力で屈服させて欲しいと願った。
 そしてそれを聞き届けたヨハンは、殊更強くハンナを抱き締めると、そのまま首と膝裏に手を回し抱き上げる。それと同時に、左手に握っていた槍をその場に捨てた。

「わわっ! ヨ、ヨハン!?」

 槍が床に落下する重低音が響き、それを皮切りにヨハンの顔付きが一変する。
 戸惑いや不安といった行動に陰りを落とす要素が一切消え去り、目的を達するという一点にのみ意志を捧げる迷いのない表情。それを見上げるハンナは、自然と唇を噛み締めていた。

「帰るよ、ハンナ。ハンナが望むように、今は誰も殺さない。僕の目的は人を殺すことじゃなくて、ハンナを傷一つ付けずにスパイルへ連れて帰ることだから」

 力強いその言葉を聞き届けたハンナは、そっとヨハンの首に手を回し、力を込める。
 本当は肩を怪我している状態で抱き上げて欲しくなかった。ヨハンの負担になるようなことをしたくは無かった。自分の足では足手まといかもしれないが、肩への痛みに繋がるのなら必死に走るぐらいはするつもりだった。
 だが、ヨハンの胸に抱かれたハンナは、不覚にも胸が高ぶるのを感じてしまった。
 喜んでしまった。
 この命の危険がある問う状況下で、こうして抱き上げられると言う状況に、心躍らせてしまったのだ。そしてこの人の胸に抱かれたまま、お姫様のように扱われてみたいと、利己的な欲求に呑まれてしまった。
 だからハンナは、これが迷惑であると頭の片隅で考えながらも、ヨハンに甘え、胸元に顔を埋める。

「ふふっ……行くよ」

 そしてハンナの行動を微笑ましいと感じたヨハンは、胸に抱いた宝物を決して離さぬようにしっかりと抱き止め、駈け出した。
 誰にも止められぬ。
 誰にも今の自分は止められぬと、ヨハンは動乱の刹那を駆け抜ける。
 その歩みを止められるものは、この場に誰一人として存在しなかった。


◆◇◆


 ルチアナの力強い宣告を受けたザンは、どうしたものかと額に汗を滲ませ思案していた。
 これが平時であれば素知らぬ振りでルチアナを煽るのだが、今回ばかりはそうもいかなかった。目の前で八名もの部下が殺されてしまったのだ。それも至極簡単に。
 想定外にも程がある。
 今のザンにとって、眼前に居るルチアナは不確定要素の塊であり、一歩間違えれば自分の首を掻き切られているのではないかと錯覚するほどであった。
 ザンとて相応の手練であることに変わりはないが、だからこそ先のルチアナの動きが尋常でないと理解し、まともにやって敵う相手ではないと本能的に悟ったのだった。無論、こういう事態を想定していないわけではなかった。念には念をと部下を八名も外で待機させ、最高のタイミングで部屋に招き入れたと思ったら、このザマである。

「……戦争、か。いやはや、まさかこんな事態になるとは」

 それでも虚勢を崩さなかったのは、ドゥという盗賊集団のリーダーであるプライド故か、その本心はザンにしか分からない。

「人生は想定外の連続ですよ。貴方の人生にだって、そういった想定外の事象が多々あったではありませんか」

 すぐさま襲われると思っていたザンは、饒舌なルチアナに安堵すると同時に必死に会話を長引かせることに従事する。まるでこの状況を打開できる切欠を待つかのように。

「俺の人生……? それはどういうことだ?」
「貴方が二本あるから一本ぐらいは構わないと自宅の地下室から酒を持ち出さなければ、盗賊になんてなることもなかったかもしれないのに」
「……っ!」
「正直、私は貴方のことを知ってしまったせいで、貴方のことを悪だとは思いません。むしろ貴方は被害者であり、同情されるべき弱者にさえ思えます」
「俺がっ、弱者だと……?」

 その言葉は聞き捨てならなかった。
 ドゥという盗賊集団を作り、その規模を年々に大きくし国にさえその名を知らせたというのに、そのリーダーである自分が弱者などと、ザンには断じて認められるものではなかった。

「随分と悩んだみたいじゃないですか。どうして騎士になりたいと願っていた自分が、何かを壊したい、盗みたいという欲求に苛まれるのか。吹っ切れる前は死ぬほど悩んでいたんじゃないんですか?」
「それは……」

 ザンは心の奥底にあったはずの記憶を語られ絶句する。だがそれは、誰も知る筈のないことを語るルチアナに対するものではなく、むしろ過去を穿り返され動揺している自分に絶句していた。

「とはいえ、ここで貴方の過去を語ることに、意味はないです。むしろ私の目的はこの時点で果たされていますから、すぐにでも帰ることにします」

 そう言うと、ルチアナはテーブルの家に置かれていた『魔女の涙』を手に取ると、じりじりと後ろに後退りながら扉へ近付く。

「貴様っ……!」

 逃げられると思い、いっそ乾坤一擲、突撃してやろうとザンは思った。
 しかしザンがルチアナに突撃を敢行する前に、部屋の扉が開き、新たな人物がこの場に現れる。
 入って来たのはザンと似たような体格の男だった。違いがあるとすれば、この男には敵意がなかった。聖人を前にしているかのような錯覚さえ覚えるその男は、よくよく見ればあの時ルチアナ達を襲ってきた男達の内の一人であるとルチアナは気付き一驚する。
 おぼろげだった容姿が妙にハッキリと浮かび上がったのだ。

「失礼する」

 それはザンも同様だったようで、意表を突かれたように表情を固めていた。

「ようやく見つけました、ザン」

 その言葉にハッとしたザンは、不敵に口元を歪める。

「久しいなっ、ヴォルフラム!」

 言われ、ルチアナはこの人物が誰なのかを悟る。
 ヴォルフラム・ルッケンバイン。ザンが騙っていた、本物の騎士。
 そうと分かれば、ルチアナの行動は迅速だった。

「あ、あの!」
「どうしました?」
「わ、私、この人に捕まっていて……」

 ルチアナは敢えて詳細に事を語らず、ヴォルフラムの想像力に全てを託した。するとヴォルフラムなりに事情を察したのか、力強く頷くと出入口の扉を指差す。

「早く逃げて下さい。ここには既に火を放ってあります。こちらに火が回るのも時間の問題です。今ならきっと間に合いますから、どうか急いで」

 火を放ったという言葉に胸騒ぎを覚えるも、ルチアナは黙って頷き『魔女の涙』を手にしたまま部屋から飛び出した。

「おい、待て!」
「待つのは貴方の方ですよ、ザン」

 そんな二人のやり取りを背中で聞きながら、ルチアナはその場から立ち去った。
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