名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

アーデルハイト

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 天気の良い朝だった。空は晴れ渡っているし、空気も暖かい。歩いているうちに、アデルは背中にじんわりと汗をかいてしまった。
 今日は町でぶどう踏み乙女の大会がある。ソフィもそれに出場することになっているので、朝早くから町へ続く道を三人と一緒に歩いていた。


 町まであともう少しというところまで来て、アデルはソフィの小さな背中に視線を向けた。
 ソフィはやや緊張しているらしく、朝から随分と言葉少なめだった。
 それとなく何度か励ましの言葉をかけてみたりして、ソフィの心配を取り除こうとしてみたが上手くはいかない。それどころか鬱陶しそうに対処されてしまった。

 ソフィにとって、大勢の前に立つというのは初めての体験に違いない。それに、これから同年代の女の子たちとも会うだろう。色々な不安が圧し掛かっているに違いない。ソフィの歩みもいつもよりどこかぎこちないものに見えた。

 アデルはそんなソフィの姿を見ながら自分の胸を押さえた。

「うーむ、わしもドキドキしてきた」

 そう呟くと、隣を歩いていたリディアが笑みを漏らした。

「大丈夫だって、ソフィならなんとかするわよ。それに別に失敗したってどうってことないでしょ」
「う、うむ……、それはそうかもしれんが」

 ぶどう踏み大会で一番を取れなかったとしても、何の不利益もない。所詮はお祝い事であって、優劣を競うようなものでもないのだ。
 しかし、変な失敗をしてしまえばソフィが恥をかいてしまう。

 ソフィの心配を取り除いてやらねばならないのに、自分のほうが不安を抱えてしまっている。確かにこんな状態で人の不安を取り除こうとしても難しいに違いない。
 隣を歩くリディアは全身を覆うようなローブをまとい、さらにフードで顔を隠していた。リディアのような美人が多くの人の目に晒されれば、余計な注目を集めてしまうだろう。その選択は間違っていないと思う。
 シシィもリディアと同じようにフードを頭から被っていた。

 アデルはのんびり歩いているシシィの横へと並び、横顔を覗き込もうとした。フードに阻まれてその顔は見えなかったが、一応声をかけてみる。

「のうシシィよ、こう、なんじゃ、ソフィの心配を取り除くような何かは無いかのう?」
「……待って」

 シシィは一度こちらに首を向けた。さすがのシシィもそういったことは思いつかないようだったが、それでも何かの案を考えてくれているようだ。
 そうやってソフィのことを思いやってくれているのが嬉しい。

 やがてシシィは何か思いついたのか、ソフィの横へと並んだ。ソフィのほうへと少し体を傾けて、小声で何かを囁いている。ソフィが真剣な様子で頷き、シシィの言葉に耳を傾けた。
 何を言っているのかはわからないが、何かしらの効果があったのかもしれない。シシィの話を聞き終えると、ソフィは顎に手を当てて何か考え始めた。



 そうこうしているうちに、町の中へと入った。お祭りの雰囲気はそれほどなく、普段通りといった感じだ。しかし、町の中央の広場に行くと様子が変わっていた。
 舞台が設営されている。何十もの樽の上に板を渡して、その上に人が沢山乗れるようになっていた。せいぜい7人か8人くらいの女の子しか乗らないはずだが、随分と頑丈そうに作りこんである。
 さらに舞台の後ろには幕までかけてあって、まるで演劇でも始まるかのような雰囲気だ。

 そうやってじろじろ舞台を見ていると、野太い声で呼びかけられた。

「おーい、アデル、来たか」

 声の主に視線を向ける。誰かと思えば、町のパン屋の親方、ジルヴェスターだった。相変わらず熊のように大きな体をしている。ジルヴェスターが笑う時はいつも口を大きく開ける。その口の大きさといったら子どもの拳であれば二つくらい入るのではないかと思うほどだ。
 口の周りには黒々としたヒゲがもじゃもじゃに生えていて、それがまた熊のような見た目を熊に近づけている。

 アデルは片手を上げて挨拶を返した。

「おうジル、おぬしも祭りを見るつもりなのか」
「あったりめぇだろ、なんたってソフィちゃんが出るんだからな、ガッハッハ!」

 何が楽しいのか大口を開けて笑い出す。まったく遠慮の無い笑い声で、その大きさは町の広場いっぱいにまで響き渡るほどだった。ジルヴェスターは三歳くらいの息子を肩車しているが、ジルヴェスターの体が大きいため、乗っている息子が時折ずり落ちそうになっていた。

 ジルの隣から、その奥さんのユーリさんが進み出てきた。

「おはようございますアデルさん、いい天気ですね」
「ああ、おはようございます奥さん。いやぁ、晴れてよかったですな」
「はい、今日はソフィちゃんの晴れ舞台ですからね。わたしもがんばって応援します」

 ユーリは胸の中に小さな赤子を抱いていた。ジルの二子で、性別は女だそうだ。まだ一歳かそこらで、寝るのが仕事のような時期だ。今もユーリの豊かな胸の中ですやすやと眠っている。

 ジルヴェスターが急に目を大きく開いて驚いた顔をした。どうやら後ろにいたリディアとシシィの姿に気づいたらしい。

「おいおいおいアデル! その人がお前、あれか、噂の美人か! 聞いたぞアデルおい」

 巨大な図体でずんずんこちらに近づいてきて、大きな声で尋ねてくる。小声で話すならともかく、大声で話しながら近づいてくるというのは理解しがたい。
 ジルヴェスターはにやにやと笑みを浮かべてさらに言う。

「おいおい、どういうことだアデル? ええ? てめぇ、ソフィちゃんを泣かせたら、俺のパン屋の鉄拳 ディ・ファウスト・デス・ベッカースが火を吹くぞコラ?」
「吹かんでよい」

 でかい顔が迫ってきて、アデルはつい後ろに数歩下がってしまった。その間に、ソフィはユーリと挨拶を交わしていた。ユーリが軽く腰を曲げて、ソフィの顔をにこやかに見ている。
 向こうは微笑ましいのに、こっちは暑苦しい。

 さすがにジルヴェスターのような大男ににじり寄られるのは辛い。
 アデルは両手を胸の前に持ってきて言った。

「ええい、落ち着けジル、わしはソフィを泣かせるようなことはせん」
「本当かぁ? じゃああの美人はなんなんだよ、つーかお前、ユーリに聞いてたけど、思ってたより美人で俺もビックリだぞコラ」
「うむ、確かに美人じゃのう」
「しかもなんだよ、その隣の可愛い子は、妖精か?」
「うむ、実に可憐な娘さんじゃのう。うむ」
「で、どういう関係なんだよコラ」
「まぁそれについては今度じっくりと話す。そういうわけで、ちょいと離れんか」

 このままにじり寄られたら後ろ歩きで町を一周してしまいかねない。
 暑苦しいこちらとはうってかわって、ユーリの傍ではぽわぽわとした暖かな空間が生まれていた。

 ソフィはユーリが胸に抱いている赤子を見て、感嘆の声をあげている。

「おお、なんと小さな人間じゃ。ふーむ、実に可愛らしいのう」
「うふふ、ソフィちゃんも小さくて可愛いですよ」
「妾はこんなに小さくないのじゃ。しかし、なんじゃこの赤ん坊は、可愛いのう。ユーリに似ておる」

 どうやらリディアも赤ん坊に興味が出たらしく、軽く腰をかがめてユーリの胸元をじっと見ていた。
 たおやかな笑みを浮かべて、リディアが言う。

「食べちゃいたいわね」
「なんとっ?! リディアよ、何を言っておるのじゃ! 赤ん坊は食べ物ではないのじゃ! それに、結婚するという意味でもおかしいのじゃ!」

 ソフィの言うことは至極まともだったが、リディアが赤ん坊について言及したのかユーリの胸について言ったのかはわからなかった。

 アデルはジルヴェスターの肩にのる男の子に目を向けた。大男の子どもだけあって、三歳か四歳くらいなのに骨太なのが見て取れる。
 ユーリの血のおかげか、ジルヴェスターとは違って少々柔らかい目元をしていた。向こうの赤ちゃんもどちらかといえばユーリに似たらしく、髪の毛もユーリと同じ金色だ。

 アデルはジルの黒髪ともじゃもじゃのヒゲを見て言った。

「子どもは奥さんに似ておるようじゃな」
「喜ばしいことにな」
「あの赤ちゃんも女の子じゃからのう、ユーリさんに似ればよいが」
「おう、ユーリに似て育ちますようにと何回祈ったことか」

 ジルヴェスターは大真面目にそう言って頷いた。確かに女の子だったら、ユーリのように育って欲しいと思うかもしれない。
 アデルはジルヴェスターの大きな顔を見て、鼻から息を吐いた。

 この男のことは、この男が結婚する前から知っている。気のいい男なので、昔から一緒に飲みに行ったり、馬鹿馬鹿しい話を繰り返したりしていた。
 そんな時期を知っているからか、この男が既に二児の親だということが今ひとつ信じがたいものに思えてしまう。
 しかも結婚相手があんな美人と来たものだから、色々と話題になったものだ。

 ソフィは赤ん坊に興味津々のようで、自分の指を赤ちゃんに握らせて可愛らしい笑みを浮かべている。

「おお、妾の指を握ったのじゃ。なんとも柔らかく暖かな手じゃのう。赤ん坊よ、妾の指が気に入ったのか?」

 そうやってソフィが赤ん坊に話しかける様を、ユーリはにこやかに眺めていた。
 あっちは素敵で暖かな空間なのに、こっちは大男ジルヴェスターのおかげで蒸し暑い。

 ソフィは赤ん坊から視線を上げ、ユーリに尋ねた。

「そういえばこの赤ん坊の名はなんと言うのじゃ?」

 その言葉に、ジルヴェスターが大声で答えた。

「ハイジだ! その可愛い女の子の名前はハイジっていうんだ!」
「のわっ?! な、なんじゃ、ビックリするではないか」
「おうすまんすまん、いや、その子の名前はハイジっていうんだよ。ソフィちゃんもそう呼んでやってくれ」
「ふむ、わかったのじゃ。親方とユーリの赤ん坊はハイジという名前なのじゃな。ハイジよ、ユーリに似てすくすく育つのじゃぞ。妾のことをお姉ちゃんと呼ぶのじゃぞ」

 ソフィがそうやって話しかけているのを見て、ジルヴェスターはほっとしたように息を吐いていた。
 ユーリがにこやかな笑みを浮かべて言う。

「ソフィちゃん、この子の名前はね、アーデルハイトっていうの」
「なぬっ?! ハイジではないのか?」
「アーデルハイトちゃんの愛称がハイジなのよ。ふふ、アデルさんと一緒ね」

 ユーリがにこやかにそう言うと、ジルヴェスターは酢を口に放り込んだかのように顔をしかめた。
 ソフィとリディアが少し驚いたように体を仰け反らせる。それからソフィが赤ん坊に向かって優しく語りかけた。

「おおアデルよ、お漏らしなどしておらんか?」
「アデルちゃーん、おっぱい飲んでねんねしたいのかなー?」

 ソフィとリディアの発言を聞いてアデルはくわっと眉を吊り上げた。

「おおい! 二人とも、その子の名前はハイジじゃ! ハイジちゃんと呼んでやれ!」

 だが二人ともこちらを無視して続ける。

「アデルよ、妾のことはお姉ちゃんと呼ぶのじゃぞ」
「あっ、アデルちゃんが笑ったわ」


 アデルは渋い顔でジルヴェスターの顔を睨んだ。

「おいジル、なんでまたアーデルハイトなどと名づけたんじゃ」
「知るか、別にお前とは関係ないっつの。っていうか、お前が女みたいな名前してるから悪いんだろうが」
「ぬ」

 それを言われると弱い。普通、アデルという名前は女につけられるものだ。どちらかといえばジルの言い分が正しい。

 アデルはごほんと咳払いをして気を取り直した。ユーリの近くまで歩いていって、きゃっきゃと喜んでいる二人に声をかける。

「これリディア、ソフィ。ハイジちゃんが困っておるじゃろう。そろそろ構うのはよしてやりなさい」
「おお、なんじゃでっかいアデルよ、小さなアデルが怖がるではないか」
「そうよ、可愛いほうのアデルちゃんがびっくりしちゃうわ」
「それともなんじゃ、大きなアデルも構ってほしいのか?」
「なに? おっきなアデルもおっぱいが欲しいの?」

 アデルは眉を寄せて目を細めた。

「やめてください」

 恥ずかしい。


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