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34.王妃からのお願い
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アズリエールを衣裳部屋から連れ出したオルクティスは、何故か執務室とは逆方向に歩き出した。
その行動にアズリエールが、不安そうな表情を浮かべる。
「オルク、あの……」
そう呼びかけると同時にオルクティスは、近くの空いている客室らしき部屋へとアズリエールを引きずり込み、そのまますぐに扉の鍵をかけた。
「えっと、すぐに確認しなきゃいけない事があるから執務室へ行くんじゃ……」
「あれは嘘。ああでも言わないと、あそこからアズリルを連れ出せなかったから――」
そう言ってアズリエールの全身を眺めた後、盛大にため息をついた。
「アズリル……母の要望でも嫌な事は拒否して構わないって、僕は言ったよね?」
「…………」
「アズリルは今着ているその紫色のドレスを気に入っているの?」
「それは……」
「もし君が気に入っているとしても僕は、そういうドレスを君に着て欲しくはないのだけれど?」
「で、でも! 外交関係を担っている第二王子の婚約者としては、こういう華やかなドレスも着こなせた方がいいかと……」
「華やかというよりも僕にとっては、目の毒だ。そんな艶っぽいドレス姿の君を間近でエスコートする身にもなって欲しい。正直、前回よりも更に目のやり場に困る」
「ご、ごめん……」
しゅんとしながら項垂れるアズリエールにオルクティスが、もう一度盛大にため息をついた。
「ごめん。一番、問題行動をしているのは僕の母なのに。君の事を責めてしまって……」
「私の方こそ、ごめん……。テイシア様のご要望でも、しっかりとお断りすればよかったのに。また顔色を窺って、流されるような返答をしてしまったから……」
お互いに謝罪し合うと、重苦しい沈黙が二人の間に伸し掛かる。
それを払拭するようにオルクティスが、短く息を吐いた。
「とにかく、二週間後の夜会に着るドレスは、僕が選んだものしか着させないようにするから、君は母に何を言われても僕の所為にして断っていいからね?」
「うん……。本当にごめんね? 何か手間掛けさせちゃったみたいで……」
「僕が頼って欲しいと言ったのだから、アズリルは気にしなくていいんだよ?」
そう言って、少し困った表情を浮かべながら、オルクティスがアズリエールの頭を撫でだす。しかし、その手の動きは急にピタリと止まった。
「オルク?」
「そのドレス……本当に目の毒だな……」
ポツリと呟きながら、再びオルクティスがアズリエールの全身へと目を這わせる。
「出来れば、あまり目線を向けないで欲しいのだけれど……」
「僕もそうしたいのだけれど、これはちょっと不可抗力だと思う……」
先程とはまた違った気まずい沈黙が訪れるが、その空気を切り替えるようにオルクティスがアズリエールの頭をポンポンと優しく叩く。
「この後、母の元に戻ったら、また無理難題的な事を言われると思うけれど、適当に流すようにね?」
「一応、頑張ってはみる……」
自信なさげに答えるアズリエールにオルクティスが苦笑した。
「無理そうなら、すぐに僕を頼って」
いつも以上に優し気な表情を向けられたアズリエールは、一瞬目を見開いた後、少し照れながら大きく頷いた。
しかし衣裳部屋に戻った後、その安心感はすぐに失われる事となる。
「失礼致します。途中で抜けてしまい、大変申し訳ございませんでした……」
「まぁ! あの子は本当にその格好のあなたを執務室まで引きずって行ったの!?」
「え、ええ……」
「本当に仕方のない子ね!」
衣裳部屋に戻ると、プリプリ怒るテイシアにハルミリアが苦笑した表情を向けていた。
しかしアズリエールの方は、そんな二人の様子よりも先程部屋を出て行く前と違う状況に首を傾げる。
「あの……姉は何所へ?」
「ユリアエール嬢には、ドレスのサイズ調整の為、別室でサイズ寸法をして貰っているの。あなた達、顔立ちは瓜二つなのに体型は微妙に違っているのね」
確かに顔の作りなどは姉とほぼ同じだが、肌の色や筋肉の付き方は微妙に違っている。
その一番の違いは、胸囲だろう。
姉が試着したドレスは、アズリエールのサイズで作られた物だ。
身長や大体の体型はほぼ同じだが、胸囲だけは筋肉の付き方の関係で、ややアズリエールの方が豊かだ。
恐らくその辺りに直しが入っているのだろう。
「ユリアエール嬢のサイズ調整が終わるまで、わたくし達は先にお茶でもしながら待とうと思っているのだけれど……。もちろん、アズリルもお付き合いしてくれるわよね?」
「はい。喜んで」
そう答えたアズリエールに何故かテイシアが、目を細めながら笑みを深める。
「それではわたくし達は先に部屋に戻っているから、あなたは着替えてから来てちょうだいね」
「はい」
一瞬だけ、意味ありげな表情を浮かべたテイシアの反応が少し気になったが、先程のオルクティスの言葉を思い出し、その不安を頭の隅に追いやる。
もしテイシアから無理難題を言われても、すぐにオルクティスに相談すればいい。
そう思うと、今までテイシアから受けていた不安が少し和らぐ。
少し落ち着きを取り戻したアズリエールは、早々に着替える事にした。
そして着替えを手伝ってくれた侍女にテイシアの部屋へ案内される。中ではすでにハルミリアと一緒にお茶を始めていた。
「アズリル、早くいらっしゃい」
「はい」
誘われるまま、テーブルの席に着く。
「それにしても、あなた達双子姉妹は、本当に飾り甲斐のある素敵な容姿をしているわね」
「そのような事は……」
「あら、謙遜などしないで頂戴。事実だもの。特に――」
そう言いかけたテイシアは、瞳に悪戯でも企んでいるような光を浮かべる。
「ユリアエール嬢は、わたくしにとっての理想の娘そのものだわ!」
テイシアのその言葉にアズリエールだけでなく、ハルミリアまでもビクリと体を強張らせる。
「お、お義母様! それはわたくしとアズリルでは娘として満足出来ないと言う意味に聞こえるのてすが!?」
「嫌ね……勘ぐり深い子は。そんな事あるわけないでしょ? あなたもアズリルも可愛らしいわたくしの本当の娘のような存在よ。でもね、ユリアエール嬢は特別! もうわたくしの理想そのものなの! 容姿の素晴らしさは、もちろん。柔らかで優雅な所作と清楚な雰囲気! 何よりも守りたくなるような儚げな印象は、全力で愛情を注ぎたくなるわ!」
珍しく興奮気味でテイシアが、うっとりとした表情を浮かべる。
その様子から、何故か嫌な予感を抱いてしまったアズリエールの顔色が、少しづつ色を失っていく。
「でも残念だわ……。一ヶ月後にはサンライズへと、お帰りになってしまうなんて……」
そう呟きながら、何故かテイシアはチラリとアズリエールに視線を向けた。
しかし、すぐに何かを閃いたようなに顔を輝かせ始める。
「そうだわ! オルクの婚約者をアズリルからユリアエール嬢に変更すると言うのは、どうかしら? そうすれば二人ともこの国に長く滞在出来るわよね!」
冗談なのか分からないテイシアの突飛な提案にアズリエールが大きく目を見開き、更に顔色を失う。ハルミリアなど、白いどころか顔を真っ青にしてワナワナと小刻みに震え出していた。
「お……お義母様!! ご冗談だとしてもこれは許されないレベルです!!」
「あら? 冗談など言っていないわよ? だってアズリルとオルクの婚約は、元々政略的な要素が強いのだから、お互いに恋愛感情等ないはずでしょ? ならばアズリルはオルクの婚約者ではなく、派遣的に風巫女として来て貰って、ユリアエール嬢をオルクのお嫁さんにした方が良いかと思って」
「そ、それでは折角、アズリルの風巫女としての派遣費用を抑えた意味がなくなるではありませんか!!」
「確かにその部分ではデメリットだけれど、先を見据えた場合、ユリアエール嬢がオルクと婚約した方がメリットが多いと思ったのよ」
「「先を見据えた場合?」」
思わずハルミリアと声を重ねてしまったアズリエールにテイシアが、にっこりと深い笑みを浮かべる。
「だってアズリルがオルクのお嫁さんになった場合、風巫女の力を失わない為に夫婦的な行為はしないという条件があるのでしょう? その条件を満たす為にあなたは、今後オルクが愛人を持ち、子供を作っても構わないとも承諾してくださっているのよね? でもね、わたくしはどうせ孫を持つのならば、正妻の子であり、更にあなたかユリアエール嬢のような愛らしい容姿の孫が望ましいの。でもアズリルは巫女力を失いたくない為、オルクとの間に子を成すつもりはないのでしょ? ならば、同じ容姿をしているユリアエール嬢を婚約者にすれば、あなた達の容姿に似た愛らしい孫が生まれるはずよ。同時に風巫女としてアズリルもこの国に滞在するのだから、わたくしのお気に入りの二人と長く共に過ごせる事ができるでしょ?」
あまりにも大胆で突飛なテイシアの提案にアズリエールは、血の気の引いた顔色の状態で口をハクハクさせる。逆にハルミリアの方は怒りでブルブルと震え出し、今度は真っ赤な顔をし始める。
「お義母様、酷過ぎるわ!! そんなアズリルとユリアエール嬢を簡単に取り換えられる物のような言い方をなさるなんて!!」
「ハミ、あなたこそ、そのような解釈するだなんて酷いのではなくて? そもそもアズリルにとってオルクは、気の合うお友達という感覚なのでしょう? むしろそのような関係性の二人に男女の営みが必須となる夫婦という役割を押し付ける方が酷いと思うの。だからと言って、折角深まった友情を壊すのも心苦しいわ……。何よりもわたくしは、ユリアエール嬢とアズリル二人をわたくしの傍に置きたいの。ならば婚約者をユリアエール嬢に変えた方が、全てが丸く収まると思って」
「それはお義母様にとってという意味ですよね!? それではアズリルとユリアエール嬢のお気持ちを蔑ろにするご提案ではありませんか!!」
珍しくハルミリアが正論で、テイシアに食ってかかっている様子に茫然としてしまったアズリエールは、口を挟む事をすっかり忘れてしまっていた。だが、そのテイシアの提案には大きな穴がある。
「あ、あの、テイシア様。仮に姉をオルクティス殿下の婚約者に変更されても問題が……」
「問題? どの部分で?」
「姉は長女の為、エアリズム家を継ぐ人間となります。サンライズの巫女の家系は、長女のみがその巫女力を次世代に伝承させる事が出来るので、仮にオルクティス殿下と夫婦となった場合、殿下は我がエアリズム家に婿入りして頂く形になってしまうのです……。そうなれば殿下に公爵位を与え、国内の侯爵御三家を抑える御役目が出来なくなってしまいます」
「その心配はないわ。その件は、特に急ぎではないから。そもそも将来的にハミとティスに子供を二人以上産んで貰えばいいのだもの。時間は少し掛かるけれど、その子に公爵位を与えればいいのよ」
「そ、そんな! わたくし、まだお世継ぎすら授かっていないのすよ!? 急に二人もだなんて……」
「だからあなた達には、もっとお世継ぎ作りに励みなさいと、わたくしは何度も言っているでしょう? 仲は良いのに何をやっているの!?」
「そ、そんな事を急におっしゃられても! ノクティス様は日々の公務で夜はお疲れでして……」
「あら~? わたくしの方では、あなたが恥ずかしがって消極的だと報告を受けているのだけれど?」
「ほ、報告って……そのような夫婦のプライベートな部分までもですかっ!?」
「当たり前じゃない。あなた達は王太子夫妻なのよ? 影達の護衛もそうだけれど、プライバシーはほぼないと思うように王妃教育の際に説明はされていたはずよ?」
「で、ですが……そこまでとは……」
先程まで怒りで顔を真っ赤にしていたハルミリアだが、今は羞恥心で顔を赤くし、モジモジしている。
そうやってハルミリアを黙らせたテイシアが、今度はアズリエールの方へと視線を向けてきた。
「アズリル達もそうよ? 影からの報告では、まるで兄妹のように仲睦まじい間柄と報告が入っているわ。健全なお付き合いをしているという部分では評価出来るのだけれど、婚約者同士の関係としては、その関係はどうなのかしら?」
テイシアのその言葉にアズリエールが固まる。
先程の婚約者を姉に変更するという提案だけでも頭が真っ白になっているのだが、それ以上にアズリエールを追いつめるのは、婚姻後の跡取り問題と、まるで兄妹のような雰囲気でしかない自分達の関係だ。
もしオルクティスの婚約者が姉に変更になった場合、アズリエールは風巫女としてマリンパールへ派遣される風巫女という契約になる。当然、派遣費用が発生するので、今現在の婚約者としての立場の方がマリンパールにとっては、コスト面が抑えられるのだが……。
だが、もし姉がオルクティスと婚姻する事になれば、身内贔屓という扱いでアズリエールのマリンパールへの派遣費用は、若干下げる事が出来る。
同時に長女の役割として必ず子を成さなければならないユリアエールは、アズリエールのように巫女力を維持する必要がない上にその子供は、マリンパール王家の血も引く事になるので、将来的にはマリンパールへの派遣風巫女として、通常の場合よりも派遣費用を大幅に抑える契約も可能なのだ。
その為、長いスパンで考えた際、今のアズリエールを婚約者にしている状態よりも姉をオルクティスの婚約者にした方が、マリンパールにとっては出費が抑えられる。
処女性を失えば風巫女の力を失い、更に子供にその力を受け継がせる事が出来ないアズリエールを婚約者にしておくよりも、姉を第二王子と婚約させて巫女力が強いアズリエールを派遣巫女として費用を抑えれば、通常よりも派遣費用を抑えられるだけでなく、風巫女を二人も確保出来る。
更に将来的にはテイシア好みの容姿を持つ孫の風巫女を身内の特権で、抑え気味の費用で派遣契約をする事が出来るので、テイシアはその方にメリット見出したのだろう。
だが正直なところ、この間の姉とオルクティスの間には、恋愛的な感情が生まれている雰囲気は一切感じられなかった。姉はともかく、オルクティスの方がその提案を受け入れないはずだ。
そのアズリエールの考えを見透かしたのか、更に笑みを深めたテイシアがゆっくりと口を開く。
「実はね。先程あなた達が席を外した際、ユリアエール嬢にオルクの印象を伺ってみたの。そうしたら頬を染めながら『とても素敵な方だと思います』とおっしゃられて。どうやらユリアエール嬢も息子に好印象を抱いてくださっているようなの」
そのテイシアの報告にアズリエールとハルミリアの顔色が更に青くなる。
だが、その事に真っ先に反論したのはハルミリアだ。
「お義母様! 例えユリアエール嬢がオルクに好意を抱いていたとしても、あの子がアズリルを選べば、そのご提案は成り立ちませんわ!!」
「そうなのよねぇ……。あの子、かなりアズリルの事を気に入っているようだから。だからね、アズリルにお願いしたい事があるの」
「お願い……でございますか?」
茫然としたままアズリエールが聞き返すと、まるで獲物でも捕らえたかのような笑みをテイシアが浮かべた。
「あなたからオルクに婚約者をお姉様に変えて貰えないか打診して欲しいの」
「えっ……?」
「だってあなたの好意は、あの子を兄の様な存在としての親しみしかないのでしょう? 恋愛感情が無いのであれば、婚約者をお姉様に変更しても問題ないわよね? そもそもその方が、あなたはオルクの本当の義妹になれるのだから、そちらの関係の方があなた達にも良いと思うの」
テイシアのそのお願い内容にアズリエールの動きが完全に止まる。
その反応を味わいながら、テイシアが最後の一押しのうように優雅に微笑んだ。
「婚約者をあなたからお姉様に変更するようにオルクを説得してくれないかしら?」
まるで死刑を宣告するかのようなテイシアの言葉で青ざめたアズリエールは、この時は必死で瞳に涙が溜まらないよう堪える事しか出来なかった……。
その行動にアズリエールが、不安そうな表情を浮かべる。
「オルク、あの……」
そう呼びかけると同時にオルクティスは、近くの空いている客室らしき部屋へとアズリエールを引きずり込み、そのまますぐに扉の鍵をかけた。
「えっと、すぐに確認しなきゃいけない事があるから執務室へ行くんじゃ……」
「あれは嘘。ああでも言わないと、あそこからアズリルを連れ出せなかったから――」
そう言ってアズリエールの全身を眺めた後、盛大にため息をついた。
「アズリル……母の要望でも嫌な事は拒否して構わないって、僕は言ったよね?」
「…………」
「アズリルは今着ているその紫色のドレスを気に入っているの?」
「それは……」
「もし君が気に入っているとしても僕は、そういうドレスを君に着て欲しくはないのだけれど?」
「で、でも! 外交関係を担っている第二王子の婚約者としては、こういう華やかなドレスも着こなせた方がいいかと……」
「華やかというよりも僕にとっては、目の毒だ。そんな艶っぽいドレス姿の君を間近でエスコートする身にもなって欲しい。正直、前回よりも更に目のやり場に困る」
「ご、ごめん……」
しゅんとしながら項垂れるアズリエールにオルクティスが、もう一度盛大にため息をついた。
「ごめん。一番、問題行動をしているのは僕の母なのに。君の事を責めてしまって……」
「私の方こそ、ごめん……。テイシア様のご要望でも、しっかりとお断りすればよかったのに。また顔色を窺って、流されるような返答をしてしまったから……」
お互いに謝罪し合うと、重苦しい沈黙が二人の間に伸し掛かる。
それを払拭するようにオルクティスが、短く息を吐いた。
「とにかく、二週間後の夜会に着るドレスは、僕が選んだものしか着させないようにするから、君は母に何を言われても僕の所為にして断っていいからね?」
「うん……。本当にごめんね? 何か手間掛けさせちゃったみたいで……」
「僕が頼って欲しいと言ったのだから、アズリルは気にしなくていいんだよ?」
そう言って、少し困った表情を浮かべながら、オルクティスがアズリエールの頭を撫でだす。しかし、その手の動きは急にピタリと止まった。
「オルク?」
「そのドレス……本当に目の毒だな……」
ポツリと呟きながら、再びオルクティスがアズリエールの全身へと目を這わせる。
「出来れば、あまり目線を向けないで欲しいのだけれど……」
「僕もそうしたいのだけれど、これはちょっと不可抗力だと思う……」
先程とはまた違った気まずい沈黙が訪れるが、その空気を切り替えるようにオルクティスがアズリエールの頭をポンポンと優しく叩く。
「この後、母の元に戻ったら、また無理難題的な事を言われると思うけれど、適当に流すようにね?」
「一応、頑張ってはみる……」
自信なさげに答えるアズリエールにオルクティスが苦笑した。
「無理そうなら、すぐに僕を頼って」
いつも以上に優し気な表情を向けられたアズリエールは、一瞬目を見開いた後、少し照れながら大きく頷いた。
しかし衣裳部屋に戻った後、その安心感はすぐに失われる事となる。
「失礼致します。途中で抜けてしまい、大変申し訳ございませんでした……」
「まぁ! あの子は本当にその格好のあなたを執務室まで引きずって行ったの!?」
「え、ええ……」
「本当に仕方のない子ね!」
衣裳部屋に戻ると、プリプリ怒るテイシアにハルミリアが苦笑した表情を向けていた。
しかしアズリエールの方は、そんな二人の様子よりも先程部屋を出て行く前と違う状況に首を傾げる。
「あの……姉は何所へ?」
「ユリアエール嬢には、ドレスのサイズ調整の為、別室でサイズ寸法をして貰っているの。あなた達、顔立ちは瓜二つなのに体型は微妙に違っているのね」
確かに顔の作りなどは姉とほぼ同じだが、肌の色や筋肉の付き方は微妙に違っている。
その一番の違いは、胸囲だろう。
姉が試着したドレスは、アズリエールのサイズで作られた物だ。
身長や大体の体型はほぼ同じだが、胸囲だけは筋肉の付き方の関係で、ややアズリエールの方が豊かだ。
恐らくその辺りに直しが入っているのだろう。
「ユリアエール嬢のサイズ調整が終わるまで、わたくし達は先にお茶でもしながら待とうと思っているのだけれど……。もちろん、アズリルもお付き合いしてくれるわよね?」
「はい。喜んで」
そう答えたアズリエールに何故かテイシアが、目を細めながら笑みを深める。
「それではわたくし達は先に部屋に戻っているから、あなたは着替えてから来てちょうだいね」
「はい」
一瞬だけ、意味ありげな表情を浮かべたテイシアの反応が少し気になったが、先程のオルクティスの言葉を思い出し、その不安を頭の隅に追いやる。
もしテイシアから無理難題を言われても、すぐにオルクティスに相談すればいい。
そう思うと、今までテイシアから受けていた不安が少し和らぐ。
少し落ち着きを取り戻したアズリエールは、早々に着替える事にした。
そして着替えを手伝ってくれた侍女にテイシアの部屋へ案内される。中ではすでにハルミリアと一緒にお茶を始めていた。
「アズリル、早くいらっしゃい」
「はい」
誘われるまま、テーブルの席に着く。
「それにしても、あなた達双子姉妹は、本当に飾り甲斐のある素敵な容姿をしているわね」
「そのような事は……」
「あら、謙遜などしないで頂戴。事実だもの。特に――」
そう言いかけたテイシアは、瞳に悪戯でも企んでいるような光を浮かべる。
「ユリアエール嬢は、わたくしにとっての理想の娘そのものだわ!」
テイシアのその言葉にアズリエールだけでなく、ハルミリアまでもビクリと体を強張らせる。
「お、お義母様! それはわたくしとアズリルでは娘として満足出来ないと言う意味に聞こえるのてすが!?」
「嫌ね……勘ぐり深い子は。そんな事あるわけないでしょ? あなたもアズリルも可愛らしいわたくしの本当の娘のような存在よ。でもね、ユリアエール嬢は特別! もうわたくしの理想そのものなの! 容姿の素晴らしさは、もちろん。柔らかで優雅な所作と清楚な雰囲気! 何よりも守りたくなるような儚げな印象は、全力で愛情を注ぎたくなるわ!」
珍しく興奮気味でテイシアが、うっとりとした表情を浮かべる。
その様子から、何故か嫌な予感を抱いてしまったアズリエールの顔色が、少しづつ色を失っていく。
「でも残念だわ……。一ヶ月後にはサンライズへと、お帰りになってしまうなんて……」
そう呟きながら、何故かテイシアはチラリとアズリエールに視線を向けた。
しかし、すぐに何かを閃いたようなに顔を輝かせ始める。
「そうだわ! オルクの婚約者をアズリルからユリアエール嬢に変更すると言うのは、どうかしら? そうすれば二人ともこの国に長く滞在出来るわよね!」
冗談なのか分からないテイシアの突飛な提案にアズリエールが大きく目を見開き、更に顔色を失う。ハルミリアなど、白いどころか顔を真っ青にしてワナワナと小刻みに震え出していた。
「お……お義母様!! ご冗談だとしてもこれは許されないレベルです!!」
「あら? 冗談など言っていないわよ? だってアズリルとオルクの婚約は、元々政略的な要素が強いのだから、お互いに恋愛感情等ないはずでしょ? ならばアズリルはオルクの婚約者ではなく、派遣的に風巫女として来て貰って、ユリアエール嬢をオルクのお嫁さんにした方が良いかと思って」
「そ、それでは折角、アズリルの風巫女としての派遣費用を抑えた意味がなくなるではありませんか!!」
「確かにその部分ではデメリットだけれど、先を見据えた場合、ユリアエール嬢がオルクと婚約した方がメリットが多いと思ったのよ」
「「先を見据えた場合?」」
思わずハルミリアと声を重ねてしまったアズリエールにテイシアが、にっこりと深い笑みを浮かべる。
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「お義母様、酷過ぎるわ!! そんなアズリルとユリアエール嬢を簡単に取り換えられる物のような言い方をなさるなんて!!」
「ハミ、あなたこそ、そのような解釈するだなんて酷いのではなくて? そもそもアズリルにとってオルクは、気の合うお友達という感覚なのでしょう? むしろそのような関係性の二人に男女の営みが必須となる夫婦という役割を押し付ける方が酷いと思うの。だからと言って、折角深まった友情を壊すのも心苦しいわ……。何よりもわたくしは、ユリアエール嬢とアズリル二人をわたくしの傍に置きたいの。ならば婚約者をユリアエール嬢に変えた方が、全てが丸く収まると思って」
「それはお義母様にとってという意味ですよね!? それではアズリルとユリアエール嬢のお気持ちを蔑ろにするご提案ではありませんか!!」
珍しくハルミリアが正論で、テイシアに食ってかかっている様子に茫然としてしまったアズリエールは、口を挟む事をすっかり忘れてしまっていた。だが、そのテイシアの提案には大きな穴がある。
「あ、あの、テイシア様。仮に姉をオルクティス殿下の婚約者に変更されても問題が……」
「問題? どの部分で?」
「姉は長女の為、エアリズム家を継ぐ人間となります。サンライズの巫女の家系は、長女のみがその巫女力を次世代に伝承させる事が出来るので、仮にオルクティス殿下と夫婦となった場合、殿下は我がエアリズム家に婿入りして頂く形になってしまうのです……。そうなれば殿下に公爵位を与え、国内の侯爵御三家を抑える御役目が出来なくなってしまいます」
「その心配はないわ。その件は、特に急ぎではないから。そもそも将来的にハミとティスに子供を二人以上産んで貰えばいいのだもの。時間は少し掛かるけれど、その子に公爵位を与えればいいのよ」
「そ、そんな! わたくし、まだお世継ぎすら授かっていないのすよ!? 急に二人もだなんて……」
「だからあなた達には、もっとお世継ぎ作りに励みなさいと、わたくしは何度も言っているでしょう? 仲は良いのに何をやっているの!?」
「そ、そんな事を急におっしゃられても! ノクティス様は日々の公務で夜はお疲れでして……」
「あら~? わたくしの方では、あなたが恥ずかしがって消極的だと報告を受けているのだけれど?」
「ほ、報告って……そのような夫婦のプライベートな部分までもですかっ!?」
「当たり前じゃない。あなた達は王太子夫妻なのよ? 影達の護衛もそうだけれど、プライバシーはほぼないと思うように王妃教育の際に説明はされていたはずよ?」
「で、ですが……そこまでとは……」
先程まで怒りで顔を真っ赤にしていたハルミリアだが、今は羞恥心で顔を赤くし、モジモジしている。
そうやってハルミリアを黙らせたテイシアが、今度はアズリエールの方へと視線を向けてきた。
「アズリル達もそうよ? 影からの報告では、まるで兄妹のように仲睦まじい間柄と報告が入っているわ。健全なお付き合いをしているという部分では評価出来るのだけれど、婚約者同士の関係としては、その関係はどうなのかしら?」
テイシアのその言葉にアズリエールが固まる。
先程の婚約者を姉に変更するという提案だけでも頭が真っ白になっているのだが、それ以上にアズリエールを追いつめるのは、婚姻後の跡取り問題と、まるで兄妹のような雰囲気でしかない自分達の関係だ。
もしオルクティスの婚約者が姉に変更になった場合、アズリエールは風巫女としてマリンパールへ派遣される風巫女という契約になる。当然、派遣費用が発生するので、今現在の婚約者としての立場の方がマリンパールにとっては、コスト面が抑えられるのだが……。
だが、もし姉がオルクティスと婚姻する事になれば、身内贔屓という扱いでアズリエールのマリンパールへの派遣費用は、若干下げる事が出来る。
同時に長女の役割として必ず子を成さなければならないユリアエールは、アズリエールのように巫女力を維持する必要がない上にその子供は、マリンパール王家の血も引く事になるので、将来的にはマリンパールへの派遣風巫女として、通常の場合よりも派遣費用を大幅に抑える契約も可能なのだ。
その為、長いスパンで考えた際、今のアズリエールを婚約者にしている状態よりも姉をオルクティスの婚約者にした方が、マリンパールにとっては出費が抑えられる。
処女性を失えば風巫女の力を失い、更に子供にその力を受け継がせる事が出来ないアズリエールを婚約者にしておくよりも、姉を第二王子と婚約させて巫女力が強いアズリエールを派遣巫女として費用を抑えれば、通常よりも派遣費用を抑えられるだけでなく、風巫女を二人も確保出来る。
更に将来的にはテイシア好みの容姿を持つ孫の風巫女を身内の特権で、抑え気味の費用で派遣契約をする事が出来るので、テイシアはその方にメリット見出したのだろう。
だが正直なところ、この間の姉とオルクティスの間には、恋愛的な感情が生まれている雰囲気は一切感じられなかった。姉はともかく、オルクティスの方がその提案を受け入れないはずだ。
そのアズリエールの考えを見透かしたのか、更に笑みを深めたテイシアがゆっくりと口を開く。
「実はね。先程あなた達が席を外した際、ユリアエール嬢にオルクの印象を伺ってみたの。そうしたら頬を染めながら『とても素敵な方だと思います』とおっしゃられて。どうやらユリアエール嬢も息子に好印象を抱いてくださっているようなの」
そのテイシアの報告にアズリエールとハルミリアの顔色が更に青くなる。
だが、その事に真っ先に反論したのはハルミリアだ。
「お義母様! 例えユリアエール嬢がオルクに好意を抱いていたとしても、あの子がアズリルを選べば、そのご提案は成り立ちませんわ!!」
「そうなのよねぇ……。あの子、かなりアズリルの事を気に入っているようだから。だからね、アズリルにお願いしたい事があるの」
「お願い……でございますか?」
茫然としたままアズリエールが聞き返すと、まるで獲物でも捕らえたかのような笑みをテイシアが浮かべた。
「あなたからオルクに婚約者をお姉様に変えて貰えないか打診して欲しいの」
「えっ……?」
「だってあなたの好意は、あの子を兄の様な存在としての親しみしかないのでしょう? 恋愛感情が無いのであれば、婚約者をお姉様に変更しても問題ないわよね? そもそもその方が、あなたはオルクの本当の義妹になれるのだから、そちらの関係の方があなた達にも良いと思うの」
テイシアのそのお願い内容にアズリエールの動きが完全に止まる。
その反応を味わいながら、テイシアが最後の一押しのうように優雅に微笑んだ。
「婚約者をあなたからお姉様に変更するようにオルクを説得してくれないかしら?」
まるで死刑を宣告するかのようなテイシアの言葉で青ざめたアズリエールは、この時は必死で瞳に涙が溜まらないよう堪える事しか出来なかった……。
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