妖精巫女と海の国

もも野はち助

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36.安心出来る場所

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 翌日――――。
 昨夜、そのまま眠りに付いてしまった為、朝から湯浴みをしたアズリエールは、この日は一人で朝食を取った。
 その為、今朝は姉と顔を合わせずに済んだ。
 更に昨日ユリアエールの歓迎会用のドレス選びで、時間を割いて中止となった行儀見習いをアズリエールは、本日行う予定になっている。

 その結果、本日はオルクティスとも顔を会わせずに済む状況なのだが、流石に一晩寝たからと言って、良い対策案が思いつくはずもなく……。
 今日も引き続き、テイシアから出された要望にどう向き合えばよいかと、朝から重い気持ちを抱く事になってしまった。

 そんな状態で、モソモソと朝食を取ったアズリエールは、毎週末に指導してくれている教育係の伯爵夫人の部屋へと向かう。
 ちなみに姉の方は、朝一番にラウルを伴い、港へ向かったそうだ。
 何でも行儀見習いの為、手伝えないアズリエールの代わりに自分が少しでも海兵騎士団の力になりたいと申し出たらしい。
 そしてこの一日で、更に姉は海兵騎士団員達との親睦を深めるはずだ。

 そんな憂鬱になる事を考えてしまったアズリエールは、この日の行儀見習いは開始早々から上の空という感じになってしまった……。
 すると、指導にあたっている伯爵夫人から盛大なため息が漏れる。
 マリンパールに来てから、ずっとアズリエールに淑女教育を行ってくれているのは、三大侯爵家の一つでもある福祉支援関係に力を注いでいるステルマ家の傘下でもあるハリンストン伯爵夫人だ。
 すでに二か月以上、毎週末は共に過ごしていたので、伯爵夫人とは大分打ち解けた間柄なのだが、流石に今のアズリエールの態度は失礼に値する。
 夫人のため息で、自分が失礼な態度を取っていた事に気が付いたアズリエールは、慌てて謝罪を述べる。

「も、申し訳ございません!」
「どうも本日のアズリエール様は、淑女教育に身が入らないご様子のようですね……」

 やや呆れ気味の表情を浮かべた伯爵夫人に申し訳ない気持ちだけでなく、羞恥心と情けなさも抱いてしまったアズリエールは、思わず俯いてしまう。
 これでは自分から、周りの人達の信頼を失う行動をしてしまっている……。そんな悔しさもあり、思わずグッと唇を噛みしめた。
 その様子に教育係の伯爵夫人は責める訳でもなく、まるでアズリエールを労わるように優しい笑みを浮かべた。

「アズリエール様、本日の講義は取りやめに致しましょう」
「え……? で、ですが!」
「勘違いならさないでくださいね? 何もあなた様を見限ってという判断で、この様な事を申し上げている訳ではございませんよ。むしろ……最近のアズリエール様のご様子から、少々息抜きが必要かと勝手にわたくしが判断しての提案になります」
「息抜き……」
「本日、休講に致す事は内密です。ですので、今日一日は、お一人でゆっくりとマリンパールを散策する休息日にされてみてはいかがですか? 必要であれば、わたくしの方で内密に護衛の者も手配いたしますので」
「ですが……」
「正直なところ、アズリエール様はこちらに来られる以前から淑女教育をしっかりなさっていた為、わたくしが指導出来る内容があまりないのですよ……。わたくしが教える事が出来るのは、このマリンパール国の事に関してのみ。ですが、アズリエール様は飲み込みが大変お早いので、そちらもかなり早いペースで進み過ぎているのです。その為、2~3日程お休みしてもあまり支障はございません。それよりも今、気を張り詰めていらっしゃる状況の方が、わたくしは心配なのです……」
「ハリンストン伯爵夫人……」
「オルクティス殿下には、本日のアズリエール様の淑女教育は休講にしたとご報告致しますが、それ以外の方には他言無用でお願い致します。そうでないと、わたくしがアズリエール様の教育指導に手を抜いたと思われてしまうので」

 ほんのりとアズリエールを気遣う優しい眼差しを含んだ夫人が、悪戯っぽい笑みを浮かべる。
 侍女のエルザといい、周りに自分を気遣っているくれる人が、こんなにもいる事に思わずアズリエールの瞳が揺らぐ。

「ハリンストン伯爵夫人、お心遣い本当にありがとうございます」

 そう返したアズリエールの表情は、気遣われた嬉しさから今にも泣き出しそうな笑みになってしまった。


 こうして急遽、丸一日自由な時間を得たアズリエールだが、実際にどのように過ごしていいのか悩んでしまう。
 正直なところ、今の心境ではマリンパールを散策しても思い悩んでいる事が重すぎて、楽しめそうにもない。かと言って、オルクティスに相談すると言う選択肢も選べそうにない。

 今まではこんな状態の時、どのように過ごしていたのだろうか……。

 そんな事を考えていたら、ふと頭の中に毎回落ち込んだり、悩み事を抱えると必ず訪れていた元婚約者の家の近くの草原に生えている大きな木の姿が浮かんできた。

「巫女力を使えば、ここからサンライズまで片道二時間くらい……」

 そう口にしたアズリエールだが、それはマリンパールへ出発する前に王太子アレクシスから、厳しく禁止された里帰り方法だった。
 しかし現状のアズリエールにとって、このマリンパールでは一人で落ち着いて思考を巡らせられる場所は思い付かない……。

 その結論に至ったアズリエールの行動は早かった。
 すぐに城内の屋上庭園へと足早に向かい始める。
 そして到着すると同時にバルコニーの手すりの方へと駆け出し、そこへ勢いよく飛び乗った後、そのまま城壁の外へと身を投げ、何の迷いもなくサンライズへ向かって飛び立った。

 昨日早めに就寝したからか今のアズリエールなら、かなりの速度で両国間を往復しても左程疲労感は出ないだろう。

 尚且つ以前オルクティスより、コーリングスター寄りの上空は危険だと言われたので、その部分にも気を付けて飛行する。
 コーリングスターは、精霊の加護により国民全員が属性魔法のどれかが使える為、うっかりその近辺の上空を飛んでしまうと野党などから魔法で攻撃され、打ち落とされる可能性があるのだ。
 ただしアズリエールの飛行高度では、地上から魔法を放っても恐らく届く可能性は低いのだが。


 そんな警戒心の緩い状態で、ふらりと二時間近くの空の旅に出発したアズリエール。
 馬車とは違い、簡単に山越えが出来る為、30分程で最後に滞在した屋敷辺りまで移動することが出来た。
 その間、特に問題が発生する事もなく、予測していたよりも30分も早い1時間半程で、あっさりとサンライズ領土に到着する。

「これなら三日もかけて馬車で移動する必要はなかった気がする……」

 苦笑しながら思わず独り言を呟いてしまったアズリエールだが……。
 ふとその三日間の記憶を思い出すと、馬車移動もなかなか楽しかった事に気付く。あの三日間で、大分オルクティスの意外な一面が見れたからだ。

 そしてその時に自分が、オルクティスに対して強い安心感を抱く癖が付いてしまった事も再認識する。
 あの三日間の馬車の移動は、自分達の距離をかなり縮める切っ掛けでもあったのだ……。

 だが、今ではそれが良い事だったのか分からなくなってしまっている。
 自分が抱くオルクティスへの感情が、何か特別なものになりかけている気がしてならないのだ。
 もしこれが恋愛感情に発展してしまうと、アズリエールは自身が出した『友人関係での婚約』という条件で、自分の首を絞める事になる……。

 そんな事を考えながら、アズリエールは飛行し慣れたサンライズの上空を駆けるように目的地でもある例の木がある草原へと向かう。
 すると目印にもしていた元婚約者の屋敷が見えてきた。その近くにある草原に例の木は生えている。

 すぐに目的の木まで辿り着いたアズリエールは、毎回腰を掛けているお気に入りの太い枝にふわりと降り立つ。そしていつも通り、その枝から足を投げ出すように腰をおろした。

 今回は昼前に到着した為、毎回眺める事を楽しんでいた黄金色の草原の光景は広がってはいないが、その代わり澄んだ青空と鮮やかな草原の緑が、暗い気持ちになっていたアズリエールの心を少しずつ癒してくれる。

 同時にその光景は、幼少期の楽しかった時間を甦らせた。
 あの爽やかで澄みきった草原の中で、幼かった自分は無邪気に今は縁が切れてしまった幼馴染み達と、楽しい日々を過ごしていたのだ。

 今頃、彼らは何をしているのだろうか……。
 そう考えてしまった瞬間、楽しかった思い出の色鮮やかさが、急に黒みがかった。
 あの楽しかった日々は、もう二度と戻って来ない。
 そしてあの頃の純粋だった自分にも二度と戻る事は出来ないのだ。
 その事を改めて実感してしまうと、胸の辺りがキュッと締め付けられる感覚が起こる。

 もし7年前にあの事件が起こらなければ、今でもこの草原で自分は幼馴染み達と楽しく過ごせてたのではないのだろうか……。
 そんな事を考えてしまったアズリエールは、楽しかった思い出の日々への未練が溢れ出す。

「あの頃に戻りたいなぁ……」

 思わずそう呟くと、何故か瞳からポロリと涙が一粒零れた。それを必死で抑え込もうアズリエールは、袖口でグイっと拭い、爽やかな風が吹き荒れる草原をジッと見つめる。

 もうあの日々は二度と戻って来ない。
 それを壊す切っ掛けを生み出してしまったのは、自分自身なのだから。

 後悔しても起こってしまった事は、どうにも出来ない……。
 ならばもう自分は前に進むしかないのだ。
 今ある問題にどう向き合うか。
 あの忌まわしい出来事が起こってしまった7年前の自分は、その後どうしたらいいのか向き合える強さをしっかり抱けていたのだから。
 今の自分にもそれは出来るはずだ。

 そう自分に言い聞かせながら、少しずつ今の自分の心を整理し、向き合おうと試みる。
 それに応えてくれるように目の前の草原が風に撫でられながら、サワサワと優しい音を奏で始めた。

「よし! もう大丈夫! 私、まだ頑張れる!」

 気合いを入れるようにそう口に出すと、不思議と7年前に強くなろうと決意した昔の自分自身が、少しずつ戻って来る。

 とりあえずマリンパールに戻った後は、早急にテイシアからの要望の件をオルクティスに相談しよう。

 そう決心したアズリエールは、毎回気持ちの整理を手伝ってくれるこの大きな木を感謝の気持ちを込めて、優しく手で撫でた。
 そして気持ちが揺るがないように早々にマリンパールに戻ろうと立ち上がる。
 しかし次の瞬間、どこか懐かしい声が耳を捕らえた。

「ア、ズ……? アズなのかっ!?」

 驚きながら声のした方へと、ゆっくり視線を落とす。
 すると、そこには元婚約者であるリックスが大きく目を見開きながら、アズリエールを凝視するように見上げていた。
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