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3.愛情は時に人を暴走させるもの

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 セシリアに誘導されながら、人目に付きにくいテラス席に着いたフランチェスカは、俯いたままゆっくりと腰を下ろす。その席はテラスに出るギリギリの場所だったので屋外用のテーブルセットではなく、フカフカの二人掛け用の長椅子のテーブル席だった。
 その為、セシリアもフランチェスカの肩を抱いたまま、その隣に腰を下ろす。

「あの……フランチェスカ様……」

 先程から俯いたままのフランチェスカに恐る恐るセシリアが声を掛けると、更に深く俯いてしまった。その反応にセシリアが思わず口を閉ざす。
 だが、すぐに蚊の鳴く様な小さな声でフランチェスカが口を開く。

「ごめんなさい……」
「え……?」

 深く俯いたまま、急に謝罪の言葉を口にしたフランチェスカにセシリアが、小さく驚きの声をあげる。

「わたくし……本当は分かっていたの……。ウィルフレッド様にエスコートをして貰えるようにお母様にお願いして我が儘が通っても、それはあくまでも『従妹』としての特権だって……。だから今日、エスコートをして貰えても、それは一時の夢のような時間だという事も……」

 ゆっくりと顔をあげながら語り出したフランチェスカは、婚約者がいる男性に無理強いしてエスコートを頼んだ事を自身の『我が儘』だと、しっかり自覚していた。

「でも……ウィルフレッド様が、あまりにもわたくしにとって理想的なエスコートをたくさんしてくださったから……。周りの同世代のご令嬢方からも羨ましそうな視線を向けられる事でも気分が良くなってしまって……。そうしたら、もっと欲張りな気持ちが強くなってしまった時にセシリア様のお姿をお見かけしたんです。本当はウィルフレッド様にデビュタントのエスコートをして貰えただけでも幸福だったのに……。あまりにも理想的なエスコートをして貰えた事で、もしかしたらウィルフレッド様はセシリア様より、わたくしの方を気に入ってくださっているのではと思ってしまって……」

 そこまで語ったフランチェスカは、羞恥心からか再び涙目になり、またしても顔を俯かせてしまった。そんなフランチェスカを労わるようにセシリアは、再び肩を抱き寄せ優しく頭を撫でる。

 恐らく先程ウィルフレッドが放った『リップサービス』という言葉が、相当ダメージになっているのだろう……。もしセシリアが今のフランチェスカの立場でも自身の傲り部分を意中の男性からあからさまに指摘されてしまったら、恥ずかしさのあまり消えてしまいたくなる。

 だがそれは若過ぎる故の失敗の一つであって、誰もが必ず通る道である。
 本日が本格的な社交界への初参加であるフランチェスカにとって、ある意味これが社交界デビュー初の洗礼というところだろう。

 しかもフランチェスカの場合、意中の相手とはいえ、身内であるウィルフレッドが相手だった為、彼女の醜聞は広がる事はない。
 そんな最小限のダメージで済むように配慮されている状況からは、彼女の母であるラザフォード伯爵夫人の娘を思う親心が垣間見える。これがもし全くの赤の他人であったならば、先方がフランチェスカの醜聞を吹聴する危険性があるからだ。

 容姿に恵まれている事もあり、調子に乗り過ぎている娘の鼻を早々にへし折っておかなければ、挑発によって相手を陥れようとする人間が多い社交界では、フランチェスカのように素直過ぎる考えの令嬢など、格好の餌食にされてしまう……。
 そういう意味では、今回のウィルフレッドによるエスコート事案は、彼女に教訓を与える良い機会であったのだろう。

 フランチェスカにとっては、今回は酷く打ちひしがれる状況であったかもしれないが、早々にこういう体験をしておけば、この先同じ失敗をするリスクは大分軽減出来る。そして心を鬼にして若者に敢えてそういう体験させ、その失敗について寄り添いながらフォローするのも人生の先輩でもある周囲の大人達の役目ではないだろうかと、セシリアは考えている。

 だが、今回のウィルフレッドに関しては、少々やり過ぎだったのではないかとも感じている。そんな事を考えながらフランチェスカの頭を撫でていると、先程タオルと飲み物を取りに行ってくれたウィルフレッドが戻って来た。

「セシー……」

 気まずそうな表情をしながら、タオルと飲み物が乗ったトレイをテーブルの上に置いた婚約者の様子にセシリアが苦笑する。

「ウィルフレッド様。しばらくわたくしはフランチェスカ様とお話をしたいのですが、許可を頂けますか?」

 セシリアの申し出にウィルフレッドが、あからさまに安堵の表情を浮かべる。

「あ、ああ……。是非こちらからもお願いしたい。頼めるか?」
「もちろん。ですが、ウィルフレッド様には、少し離れた場所でこちらに殿方が来られないように護衛をして頂きたいのですが、よろしいでしょうか? 女二人でこのような場所でこっそり会話をしておりますと、野心溢れる男性の目に留まってしまいますので」
「分かった。そこは任せてくれ」

 やや苦笑気味な表情をしながら、ウィルフレッドはセシリア達が使用しているテラス席がよく見え、だが会話は聞こえない場所まで移動していった。その二人のやり取りをいつの間にか顔を上げていたフランチェエスカが、不思議そうな表情で傍観していた。そんなフランチェスカにセシリアが、眉尻を下げながら笑みをこぼす。

「ちなみにこのような人目に付きにくい場所で会話をされる時は、必ず護衛をお付けするか、信頼のおける殿方……例えば婚約者の男性の方以外とは、ご利用されないように。特に女性のみで使用していると、野心溢れる殿方のターゲットにされてしまうので」

 急に先輩淑女風を吹かして社交場での危険ポイントを助言してきたセシリアに一瞬、フランチェスカが目を丸くするが、すぐに笑いを堪え出す。

「ええ、今後気を付けます」

 そんな素直に助言を受け入れてくれたフランチェスカだが、その瞳は未だに涙目のままだ。その事に気が付いたセシリアは、先程ウィルフレッドが持ってきてくれた冷えたタオルを差し出す。

「お化粧が崩れないようにご利用くださいね」
「はい。ありがとうございます……」

 タオルを受け取ったフランチェスカは、そっと抑えるように目じり下辺りにタオルを軽く押し付ける。その間、セシリアはウィルフレッドが持って来た飲み物を手に取ったのだが、その飲み物が砂糖多めの果実水だった事に気付き、盛大にため息をつく。

「ウィルフレッド様ったら、また甘すぎる果実水を選ばれているわ……。もうわたくしは子供ではないというのに……」

 思わず愚痴をこぼしてしまったセシリアの呟きを聞いたフランチェスカは、今度は小さく声を出して笑い出す。

「お二人は、ご婚約期間が長いのですよね?」
「ええ。わたくしが10歳……ウィルフレッド様が15歳の時に交わされたものなので」
「でしたら、セシリア様は婚約者である年上のウィルフレッド様に守られながら、安心して社交デビューをする事が出来たのでしょうね……」

 やや明るい表情が戻りかけていたフランチェスカだったのだが、また先程の自身の失敗を思い出してしまったのか、再び暗い表情を見せ始めた。
 だがその表情は、この後のセシリアの返答で驚きの表情に変わる。

「いいえ? むしろ人生で一番ボロボロになったデビュタントでしたわ」
「えっ……?」
「わたくしのデビュタントは13歳の頃です。今のフランチェスカ様より一年早かったのですが、その頃からウィルフレッド様は、ご令嬢方に大変人気がありまして……。その婚約者が5歳も年下の子供であるわたくしだった事に疑問を抱かれていたウィルフレッド様と同世代のご令嬢達から、『こんな幼い令嬢が婚約者だなんて、子守をさせられているウィルフレッド様がおかわいそう』と洗礼を受けました……。その事でわたくしは、ウィルフレッド様に泣きついたのです」

 恥じらいながらそう語るセシリアにフランチェスカが、驚くように目を見張る。
 控え目で温厚な雰囲気をまとっている今のセシリアの印象からでは、『婚約者に泣きつく』という行動をするタイプには、全く見えなかったからだ。
 そんなフランチェスカの心の声が聞こえたのか、セシリアはやや恥じらうような笑みを浮かべながら、続きを口にする。

「すると、ウィルフレッド様がその対策として、先程のような愛情表現を周囲にアピールし始めてくださいました。ですが……今度は『幼さを利用して愛玩されるなんてあざと過ぎる』と言われてしまって……。それがウィルフレッド様に憧れを抱くご令嬢方の間に広まってしまい、社交界デビューをしてから僅か三カ月で、親しい友人としか交流が出来ない状況にわたくしは追い込まれてしまったのです……」
「そ、そんな……。年齢を理由に婚約者扱いされていないと指摘して来たくせに……今度はちゃんと婚約者扱いされ始めたら非難してくるなんて……。どちらにしても、ただ不満を言いたいだけではないですか!」

 何故かセシリアが過去に受けた仕打ちに対して、フランチェスカが怒り出す。
 もちろん、当時のセシリアも今のフランチェスカのように周囲からのその理不尽な扱いに憤りを感じていた。だが、今その当時の事を思い返すと、そんな理不尽な仕打ちをしてきた令嬢達の気持ちにも目が行ってしまう。

「確かに当時は、その事で悩み、精神的に辛いと感じてしまう事が多かったです……。でも今思い返してみると、そのご令嬢方はそれだけウィルフレッド様に対して情熱的で深い愛情を抱かれていたという事ではないでしょうか? 周りが見えなくなる程の盲目的な恋心を……。その相手の婚約者が、政略的な意味合いが強い状況で交わされた5歳も年下の冴えないわたくしだったのですから、愛を告白する機会すら得られない自分達の目の前で幼く能天気なわたくしが、さも当然のようにウィルフレッド様から大事に扱われていれば、その恋心は苛烈さを増していくのは仕方のない事だと思います……」

 そのセシリアの言葉に一瞬、フランチェスカが肩をビクリと震わせた。
 その情熱的な恋心をウィルフレッドに抱いていた令嬢達の姿が、つい先程までの自分と重なってしまったからだ。
 その事に気付いたフランチェスカは、罪悪感と羞恥心を堪えるように唇を軽く噛む。
 第三者の立場で聞くと、その令嬢達の行動は酷いと感じるが、つい先程まで同じような事を犯しかけた自分がその話を聞くと、逆にその令嬢達の気持ちも理解出来てしまうのだ……。

 もちろん、明らかにその令嬢達の行動は非難されるべき行動だと理解はしている。
 だが、そういう行動をしてしまう程、彼女達がウィルフレッドに対して、自分では抑える事が出来な程の情熱的な恋心を抱き、葛藤していた事にも共感出来てしまう。
 その為、フランチェスカには、大手を振ってその令嬢達の行動を非難する事が出来ない……。

 そんな葛藤し始めていたフランチェスカだったが……この後、セシリアが語り出した内容で、その考えが一瞬で吹き飛ぶように深い罪悪感を抱く事になった。

「ですが、仕方のない状況とはいえ理由もよく分からず、その怒りをぶつける対象にされたわたくしは、社交界デビュー半年目にして、心が折れてしまいました……」
「ま、まさか……当時のセシリア様は、その所為で一時期精神的に病んでしまわれたのですか……?」

 穏やかに当時の辛かった事を語ってくれているセシリアの口から『心が折れてしまった』という言葉が飛び出してきた事で、フランチェスカは先程の自分の行動が、相手に対してどれだけダメージを与えてしまうか、改めて深い罪悪感に襲われる。

 だが、真っ青な顔で問い掛けてきたフランチェスカに対して、何故かセシリアは不謹慎にも吹き出してしまった。そんな反応を見せたセシリアに罪悪感に苛まれていたフランチェスカの表情が、怪訝そうな表情へと変化していく。

「ふふ! 今のわたくしから、そのような状態になってしまったと思われますか? 確かに当時のわたくしの心は、ボッキリと折れてしまいましたが……。わたくしの場合、そういう状況になると心を病むのではなく、自暴自棄になるタイプでして……。そんな性格なので、ある夜会でそのご令嬢方から嫌味の洗礼を受けている最中に思わず感情的になってしまい、『そこまでおっしゃるのであれば、ウィルフレッド様に直接、わたくしとの婚約を破棄するようご助言なさってください! その後、わたくしはウィルフレッド様の判断に従います!』と叫んで――――」

 そこでセシリアは何故か、満面の笑みを浮かべながら言葉を溜める。

「そのご令嬢方の前に引っ張ってきたウィルフレッド様を突き出したのです」

 おっとりタイプにしか見えないセシリアの行動とは思えないその予想外の展開にフランチェスカは、驚きと恐怖からビシリと固まってしまった。
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