雨巫女と天候の国

もも野はち助

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20.護衛の存在

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 アイリスが襲われた事で会場の警備担当者達は慌ただしく対応に追われていたが、騒ぎの原因は酔っぱらった若き子爵が部屋で暴れまわって室内を滅茶苦茶にしたという事にされた為、その嘘の情報で会場内はざわついていた。
 その隙にアイリス達は馬車に乗り込み、会場を後にする。

「エレン、さっきは本当にありがとう……」
「いえ。あれが本来の私の仕事ですので。それよりもアイリス様……お怪我はございませんか?」
「平気よ。エレンがすぐに助けに来てくれたから」
「申し訳ございません。本当はもっと早くに突入したかったのですが……」

 あの時、エレンは会場に戻る途中のアレクシスから指示を受け、アイリスの後を追っていた。しかしアイリスの姿が確認出来た時には、すでにアイリスはあの男の部屋へと入りかけている瞬間だった。
 すぐに部屋に駆け寄ったエレンだが、その時にはすでに男の手によって扉は内側から鍵が掛けられていた為、魔法で破壊しようとした。だが部屋のどの位置にアイリスがいるのか判断が出来ず、下手に魔法が使えなかったのだ。
 しかし、アイリスが投げつけた花瓶の割れる音でアイリスが扉付近にいない事が分かり、即座に地属性魔法で扉を吹っ飛ばしたそうだ。

「エレンは十分すぎるくらい早く駆けつけてくれたわ! それよりも問題なのは……私の危機感の無さよ……」

 そう言ってアイリスは唇を噛みしめ、先程男に鼻で這われた首筋辺りを穢れでも払う様に乱暴に手で擦った。
 するとエレンが、自身のハンカチを差し出してくれる。それをありがたく使わせて貰いながら、先程アレクシスが呟いた言葉の意味をエレンに問う。

「エレン……。先程アレクが言っていた事の意味って……分かる?」

 その質問にエレンは無言のまま何も答えない。

「分かるのね……。お願い教えて! 『10年も経ったのにまだこういう輩が』ってどういう意味なの!? 10年前の私の雨乞いの儀は何か問題があったの!?」

 懇願するように質問して来たアイリスにエレンが、答えを渋るように長く息を吐く。

「10年前のアイリス様が行った雨乞いの儀には、何の問題もございません。むしろ、完璧すぎたと言うべきでしょうか……」

 気まずそうに眼を泳がせ、エレンが口ごもる。

「完璧すぎって……どういう事?」
「アイリス様、私がサンライズ王家にお仕えしているのは、11年前にアレクシス様が風巫女エリアテール様のご婚約を承諾する条件としてコーリングスターに女性魔法騎士を要求されたという事はご存知ですよね?」
「ええ……。確かその際にアレクがイクレイオス殿下の足元をかなり見る様な勢いで、難しい承諾条件の一つとして女性魔法騎士の要求を提示したと聞いているのだけれど……」
「アレクシス様が女性魔法騎士を望んだ元々の理由は、サンライズとコーリングスターを往復するエリアテール様の護衛要員として、要求されたのです」

 そこでアイリスが目を見開く。

「で、でもエレンは!」
「はい。ですが、私は10年前よりずっと、アイリス様の護衛をしております」
「ど、どうして!?」
「護衛を強化しなければならない優先順位が、エリアテール様よりもアイリス様の方が遥かに高いからです……」

 その返答にアイリスが、狼狽えだす。

「ま、待って! 確かに私は王太子であるアレクの婚約者ではあるけれど……サンライズは小国よ!? それならば大国であるコーリングスターの王太子の婚約者に選ばれたエリアテール様の方が護衛の優先順位は高いはずでしょ!?」

 アイリスのその主張にエレンは、静かに首を振る。

「いいえ。10年前の雨乞いの儀を切っ掛けに身の危険の割合が高くなってしまったアイリス様の方が、エリアテール様よりも護衛の必要性が高くなってしまわれたのです……」
「ど、どうして、そんな事に……」

 エレンの返答にアイリスが愕然としながら、力なく呟く。

「10年前、アイリス様の行った雨乞いの儀は今でも伝説と言われる程の素晴らしいものでした。しかし、その素晴らしい雨乞いの儀を見た者達の中にアイリス様に対して病的に執着する輩が出てきてしまったのです……。その輩は、アイリス様の事を異常なまでに崇拝し、歪んだ愛情を抱く……先程の男のような精神を病んだ者達です」

 その話にアイリスが、かすかに唇を震わす。

「私の歌声は……人を狂わすの……?」
「それは違います! その者達は、アイリス様の歌声を聴く以前から心を病んでいた者達です! アイリス様の歌声で狂った訳ではございません!」
「ならば、どうしてっ!?」

 アイリスが悲痛そうに叫ぶような声を上げる。

「自身ではご自覚されていないと思いますが……。アイリス様のその力強い歌声は、聴き手の者達に勇気とパワーを与えます。ですが……自身でその力を出す事が出来ない心を病んでいる者達にとっては、その力強い歌声は自分達を救ってくれる唯一の光の様に感じてしまう様です……。10年前、アイリス様が行った雨乞いの儀を見た心弱き者達は、アイリス様の事を救世主の様に狂人的に崇拝し出し、そういう輩が後を絶ちませんでした……。その事にいち早く気が付かれたアレクシス様が、私に常にアイリス様を護衛するよう命じられたのです」

 そこまで話し、エレンが小さく息を吐く。
 するとアイリスが青い顔をしながら、恐る恐るエレンに質問をする。

「もしかして……今までも私は何度かそういう人間に襲われそうになった事があるの……?」

 その質問にエレンが複雑な表情を浮かべた。

「はい……。ここ2年程は、ほぼ無くなりましたが…。5年前までは頻繁にございました。その際は私とヒース、そしてアレクシス様のもう一人の側近で同じくコーリングスター出身のセルジオという者が、3人で内密に対応しておりました」

 そのエレンの言葉にアイリスが、更に愕然とする。
 そもそもアイリス自身もいくら王太子の婚約者とはいえ、四六時中対応出来る専属護衛のエレンを付けられた事を大げさすぎると、ずっと感じていたのだ。しかし、心配性の王妃セラフィナの強い意向でと言われ、それで納得していた。だが蓋を開けてみれば、それは全く違っていたのだ……。
 その事を知ってしまったアイリスは、絶対に確認しなくてはならない事を唇を震わせながらエレンに問う。

「それは……私がこの10年間、ずっとアレクに守られていたという事……?」

 いつもは強い光を宿しているアイリスの大きな瞳は、今にも泣き出しそうに揺れている。
 そんなアイリスに向かって、エレンが困った様な笑みを返す。

「そういう事に……なりますね……」

 エレンの言葉を合図にアイリスは俯き、借りたハンカチをぎゅっと握り締めた。

「あの男は……どうしてそういう事を綺麗さっぱり隠し通す事が出来るのよ……」

 そう呟くと、アイリスの両手の甲にポタリと雫が落ちる。
 一度落ちたその雫は、せきを切った様に何度もアイリスの手の甲に落下した。

 アイリスはこの10年間のうち、4年間もアレクシスを徹底的に無視し続けた。
 その後の3年間程、手紙のやり取りが始まったが、アイリスの書く内容はいつも嫌味ばかりを綴ったものだった。そして実際にアレクシスと面会をするようになったのは、3年前の自分が13歳の頃だった。しかも面会に応じるのは極稀で、仮にアレクシスと顔を会わせたとしても皮肉と嫌味を大量に浴びせた。

 しかしアイリスは、この二カ月間でアレクシスの色々な面を知ってしまった。
 アレクシスが望まぬ自分との婚約をサンライズ王家の役割として徹底して取り組んでいる事。
 アイリスの拒絶の切っ掛けとなった雨乞いの儀でアレクシスの発した言葉の陰には、エリアテールの存在があったかもしれない事。
 10年間も辛辣な対応をし続けたアイリスの身の安全に過剰な程、気を配り対策してくれていた事。
 アレクシスは、これらを自分を毛嫌いし続けたアイリスに一切気付かれない様に10年間も陰で取り組み、隠し続けてきたのだ……。

 そして恐らく今回の夜会で起こった騒動の詳細も本当の事は語られず、たまたまそういう被害にあったという体でアレクシスは説明してくるだろう……。それが容易に想像出来てしまうアイリスは、今までの浅はか過ぎる自分自身に対して、怒りと悔しさで狂いそうになる。

「これでは私、物凄く嫌な人間じゃない……」

 自分を全力で守ってくれていた相手に対して、アイリスは10年間も拒絶する姿勢を貫き通してしまったのだ……。たとえそれをアレクシスが勝手にやった事だとしてもこの10年間のアイリスは、アレクシスに対して恩を仇で返すような行動をとり続けていた事になるのだ。
 
 その事に気付いてしまったアイリスが後悔から蚊の鳴くような小さな声で呟やくと、エレンがそっとアイリスの横に移動し、その肩に手を回す。
 それに誘われる様にアイリスはエレンに身を預け、静かに涙を零し続けた。



 それから二日後、珍しくアイリスを心配するようにアレクシスが部屋にやってきた。

「アイリス……。もう平気かい?」
「ええ。それよりもあの騒動の説明をちゃんとしてくれるのでしょう?」

 アイリスがかなりショックを受けているのでは……と心配していたアレクシスだが、以前と変わらぬirisの様子に拍子抜けするように苦笑する。

「君は切り替えが早いね……」
「あんなのいちいち気にしていたら、王妃候補なんてやっていられないわよ!」
「やっぱりアイリスは、強いね!」

 アレクシスのその言葉にアイリスの胸の辺りが、チクリと痛む。

「いいから早く、説明してよ! 『10年経って』ってどういう意味!?」

 聞いてもアレクシスが真実を話てくれない事を承知の上で、アイリスはワザとその事を聞き出そうとする。
 すると予想通り、アレクシスは全く違う内容をでっち上げて説明して来た。

「あの時つい出てしまった『10年も経って』という言葉は、以前にもパフォーマンス性の高い巫女が、ああいう度が過ぎた熱狂的なファンに襲われかけた事件があったんだ。それを切っ掛けに巫女達の警備を強化して、同じような事が起こらないように徹底して対策し、過剰なファン行動をする人間達の封じ込みに成功したはずなのだけれど……。まだそういう輩がいたとは思わなくてね……。思わず口に出てしまったんだ」

 まるで息をするかのように嘘をつくアレクシスにアイリスは目を見張る。
 だが、すぐにアイリスはいつも通りの不機嫌そうな表情を浮かべ直した。

「でも私、雨乞いの儀を公の場で披露したのは10年も前なのだけれど」
「そうなんだよね……。そんな昔の事なのに未だに心酔している人間がいるなんて……。君の雨乞いの儀からは、余程強烈なインスピレーションを受けたのだろうね」

 流れるように嘘を付き続けるアレクシスにアイリスは、呆れる様に息を吐く。
 しかしすぐに表情を引き締め、アレクシスに挑む様な視線を向けた。

「アレク、その私の雨乞いの儀なのだけれど……建国記念日の式典で、どんな歌を歌えばいいか全く思いつかなくて困っているの。申し訳ないのだけれど、もう少し具体的にあなたが希望している歌を教えてくれないかしら?」
「そんなに難しく考えなくてもいいのだけれど……。前回伝えた聴き手に幸福感を感じさせるような歌という要望内容では、頼み方が大雑把過ぎるかな?」
「それだと建国記念日当日の私の機嫌が悪かったら、あなたのご希望に添った歌は披露する事が出来ないわよ?」
「それは……ちょっと困るね……」

 アイリスの言葉を聞き、アレクシスが苦笑する。
 そんな気の緩んでそうなアレクシスをアイリスは見逃さなかった。

「それに正直なところ、今の私からはマイナスのイメージの歌しか出て来ない状態なのよね」
「君、今そんなに機嫌が悪いの?」
「二日前に異常者に襲われかけたのだから良いわけないでしょ!?」
「確かに……」
「だからね、今回は少し違う方法で歌を自分の中に降ろそうかと思って」

 自信ありげなアイリスの表情にアレクシスが、やや怪訝そうな表情を返す。

「そんな事……出来るのかい?」
「ええ。だって私は歌う時は、その歌の世界観に没頭して歌うスタイルだから」
「でも……それは君の気分が乗らない時は、とんでもない世界観の歌が君に降りてくるって事だよね?」
「まぁ、そうね。だから私の気分でない状態で歌えばいいのよ」

 するとアレクシスがますます怪訝そうな表情を深めた。

「ごめん……。ちょっと君の言ってる意味がよく分からないのだけれど……」
「要するに……誰かになり切ってその人の気持ちで歌を降ろせば私の気分に左右された歌は降りてこないって事。ただその場合、なるべく身近にいる人のの気持ちの方が想像しやすいからいいのだけれど……」

 そこまで言い切ると、アイリスは夜会で見せる様なふわりとした笑みを浮かべる。

「だからね、あなたになり切って、あなたの気持ちで歌えばいいのではないかと思ったの!」

 そのアイリスの提案にアレクシスが、驚くように目を見開く。

「でも……君が毛嫌いしている僕の気持ちで歌う方が、マイナスイメージな曲しか降りてこない気がするのだけれど……」
「何言ってんのよ? いつも何考えてんだか分からないヘラヘラした表情しか浮かべてない癖に……。そんな人間から、どうやったらマイナスなイメージの歌が降りてくると言うの? あなたみたいなヘラヘラしている人間の気持ちになりきったら、恐らくお花畑みたいなおめでたい歌しか降りてこないと思うわ!」
「アイリス……今、本人を目の前にして僕の悪口を直接言ってるよね?」
「大体、この建国記念日の式典を一番成功させたいって思ってるのは、あなたでしょう? ならば、その気持ちになって私が自分に歌を降ろせば、より成功率は上がると思うの。そもそも今の私の気持ちで歌を降ろしたら、攻撃性の高い歌や怒りに駆られた歌しか降りてこないと思うわ!」
「君、今そんなに怒りと苛立ちを抱えた状態になっているのかい……?」
「ええ! 物凄く怒っているし、物凄くイライラしているわ!」

 そう言ってツンと顎を明後日の方向に向けるアイリスの仕草にアレクシスが苦笑する。

「分かったよ。それでいいから出来る限り幸福感を受けやすい歌を歌うようにしてくれると助かる。それにしても……そこまで君に怒りを彷彿させるなんて……本当にあのボンクラ令息は、どうしようもない存在だな……」

 そう愚痴をこぼすアレクシスに同意する様にアイリスが静かに口を開く。

「本当。ここまで私の怒りを誘発させるなんて……最悪な男よ……」

 しかしそう呟いたアイリスの視線の先は、今目の前でため息をついているアレクシスに注がれていた。
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