穏やかで献身的な優しい毒

ハチ助

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2.感情的で矛盾した行動の彼女

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「どういう……事?」

 予想外の行動をエリオスがしていた事を知ったアリアは、澄んだ湖のような水色の瞳を大きく見開く。そんな動揺しているアリアとは対照的にエリオスは、穏やかな笑みを浮かべたまま、落ち着きある声で語り出した。

「君は生理的に受け入れられない相手である僕と過ごす時間が、苦痛で仕方ないのに家の為に必死で耐えている。でも責任感が強い君はご両親に言い出せずに辛そうだから、少しでもその負担を軽減させてあげたいって僕の方から伯爵にお願いしたんだ……」

 労わるような優しい眼差しを向けながらそう語るエリオスに対して、アリアは青い顔をしたまま、小刻みに震え出す。

「何て……何て勝手な事をしてくれたのよっ!! そ、それでは今まで私が隠していたあなたの事を毛嫌いしていると言う事が、お父様達に知られてしまったじゃない!! お父様達は、私が領地経営で苦労しないようにわざわざ優秀だと評判なあなたを婚約者として選定してくださったのよ!? そんな事を相談したら、お父様達を悲しませてしまうじゃない!!」
「そうだね……。確かにご両親のご厚意を無下にしたくなかった君からしたら、僕はとんでもない事をレイファット伯爵に打ち明けてしまったのかもしれない……。でも君のその苦痛は、見てみぬふりをして放置してはいけないものだと思う。レイファット領の主な収入源は領内の鉱山で発掘される鉱石だけれど、現状はそのレートの変動がかなり激しいから、交易窓口を担っている僕の家ならその最新の情報が得られる。僕が君の家に婿入りすれば、長兄を通して常にその最新情報を得た上で、僕自身も家で身に着けた交易取引のノウハウを生かして、現在レイファット領地で取りこぼされてしまっている利益を見直し、拾い上げる事が出来るからね……。だからといって君一人が、その利益の為に犠牲になる必要はないと思うんだ……」

 いかにもアリアの現状に同情して親身になって接しているようなエリオスだが、アリアの目にはそうは映らない。

「それはあなただって同じじゃない!! 望んでもいない婚約を勝手に押し付けられて……。伯爵家との繋がりを持つ為の生贄にされるのよ!? おまけに婚約者からは、こ、こんな辛辣な事を6年間も不満げな態度で言われ続けられて……。そんな状態なのに娘を溺愛している婿入り先の両親に『自分は娘さんに毛嫌いされています』なんてバカ正直に相談するなんて……。あなたは、将来的に自身が婿入りした時に私の両親や屋敷の使用人達から、自分が冷遇されてしまうかもしれない事態を自ら招くような振る舞いをしたのよ!? 冷静に状況判断が出来るあなたが、何故その事に気付かないのよ!!」
「気付いてはいたよ。でもそれ以上に君に苦痛な思いをさせている方が我慢ならなかったんだ。僕の婿入りは、レイファット伯爵の強い意向があって、絶対に撤回出来ない事だって聞いたから……」

 そのエリオスの言葉にアリアが更に顔を青ざめさせながら、唇を震わせる。

「お父様に……私達の婚約解消の打診をした事が……あるの?」

 恐る恐る確認してきたアリアにエリオスが、ゆっくりと頷く。

「うん……。婚約して三カ月くらいの時に一度だけ。初の顔合わせから君が過剰に僕との婚約を嫌がっていたから、こんなに嫌がっているのに無理強いされて君が、かわいそうだと思ったから……。でも、レイファット伯爵には困ったような笑みを浮かべられて『今はお互いにまだ受け入れられない状況かもしれないが、いつかきっと娘は君の事を大好きだと言ってくれる日が来ると思うから』って言い切られてしまって……。それにその時にこの婚約は、レイファット家にとっては、絶対に必要なものだから解消する事は出来ないとも言われたんだ……」

 すまなそうにそう語るエリオスを何故かアリアは、顔を真っ赤にしながら射殺すような鋭い視線で睨みつけた。

「何が……何が『君がかわいそうだと思ったから』よ!! あなたは私の事なんか、かわいそうだなんて少しも思っていないでしょう!? だってあなたは初めて会った時から、ずっと私の事を嫌っているのだから!! 自分が私との婚約を解消したいくせに……。よくも抜け抜けと『娘さんの為に婚約を解消したい』等と言えたものね!! 私がその事に気付いていないとでも思っていたの!?」

 捲し立てるように一気に言い放ったアリアの瞳には、ジワリと涙が膨れ上がっていた。そんな烈火のごとく激怒し出した婚約者の様子にエリオスが、一瞬だけ驚くように大きく目を見開く。
 だが、すぐに悲しげな笑みを浮かべる。

「アリア……。君は勘違いをしているよ? 僕は君を嫌ってなんていない」
「嘘よ!! 初めて顔合わせをした時……あなたとの婚約に対して否定的な態度だった私をあなたは、まるで軽蔑でもするかのように物凄く冷めた視線を一瞬だけ送ってきたじゃない!!」
「確かに……初めて会った瞬間から嫌われてしまったから、途方にくれてはいたけれど……。そんな軽蔑するような視線を君に送った記憶はないよ?」
「絶対に嘘!! その後、何度か顔合わせをした時も婚約に関して不満ばかりを訴えて、あなたを見下すような態度をとっていた私に心の中では物凄く腹を立てていたでしょう!? あなたは昔からずっと私に対して、その穏やかそうな笑みを貼り付けてはいるけれど……。当時はふとした瞬間、本当に嫌そうな表情を浮かべていた事を私は知っているのよ!?」

 今にも零れ落ちそうな程の涙を瞳に溜めたアリアが、鋭い視線でエリオスを睨みつけて来た。しかし、エリオスの方はその指摘に一切動じずに困ったような笑みを浮かべたままだ。
 そんなエリオスの態度が、ますまるアリアの怒りを増幅させた。

「顔合わせの回数を減らす提案だって、本当はあなたが私に会う事を苦痛に感じたから、お父様に打診したのでしょう!? それを……『私の為』ですって!? どの口がそんな事を言っているのよ!! だったら、はっきりと『娘さんの相手をするのが苦痛なので面会回数を減らしてください』って本音を言えばいいじゃない!! あなたが嫌がっている事なのに私の所為にしないで!!」
「アリア……僕は本当に君の負担を考えて、この提案を……」

 段々と興奮気味になってきたアリアを宥めようとエリオスがそっと手を伸ばし、テーブルに握り拳を作っているアリアの手に触れようとした。
 しかし、アリアはそれを勢いよく振り払う。

「そんなの嘘よっ!!」

 エリオスの手を振り払った音が、穏やかな小鳥のさえずりしか聞こえない中庭に響き渡る。

「アリア……」
「嘘つき!! あ、あなたが……あなたがずっと私を憎むように嫌っている事ぐらい、わ、私は……私はずっと前から知っているんだからぁ!!」

 ついにアリアの瞳に溜まっていた涙が、堰を切ったようにボロボロと溢れ出す。それを隠すように俯いたアリアは、怒りをぶつけるように握りこぶし状態の両手をテーブルに小さく打ち付けた。

 恐らくアリアの中では、いつも穏やかに対応してくれていたエリオスが、面会回数を減らすよう自分の父親に提案した事が自分を拒絶しているように見えてしまい、余程ショックだったのだろう。
 口ではエリオスと顔を会わす事を快く思わないと言っていたが、いざその時間を減らす行動をあからさまにエリオスが始めた途端、これ程までに怒りと悲しみを露わにするアリア。

 誰が見ても今のアリアの言葉と行動の関係性は、明らかに矛盾した状態だ。
 そんな複雑な心理状態に陥っているアリアを前にエリオスも困り果てた表情を浮かべる。

「アリア……。それは本当に誤解なんだ。僕は君の事を嫌ってなどいないよ。むしろ、僕は君の事が大好きなんだ……」

 優しく語りかけるようにエリオスは、ボロボロと涙をこぼすアリアを慰めようと、その頭部に手を伸ばす。しかし、その寸前で再びアリアに勢いよく手を振り払われてしまった。

「な、何が『大好き』よ……。そんな……そんな子供でも分かるような嘘を平然と口にしないで!! この嘘つき!! 嘘つきぃぃぃぃー……!」

 そう訴えながらアリアは、そのままテーブルに勢いよく突っ伏してしまった。その状況にエリオスが悲しさと寂しさを交じり合わせたような表情をしながら、再度アリアの頭部に手を伸ばし労わるように優しく撫でる。

「アリア。本当に僕は君の事を嫌っていないよ? 確かに初めて顔合わせした時は、あからさまに君に拒絶される態度をされてしまって……途方にくれると同時に『こんな子が自分の婚約者だなんて嫌だな』って、思っていた時期があったのは事実だ……」

 エリオスのその告白にアリアが一瞬だけ、ビクリと肩を震わせた。
そんなアリアの頭部をエリオスは、優しく撫で出す。

「でも顔合わせをした三カ月目以降からは、そんな気持ちは一切抱かなくなったんだよ」

 その言葉にアリアが突っ伏してたまま駄々をこねるように何度か首を振り、テーブルに向って更に深く顔を埋めた。

 初顔合わせから三カ月目くらいの頃、実はその時に二人にとって、それぞれ違った意味合いで忘れられない出来事があったのだ。
 その頃の事をふと思い出したエリオスは、今目の前で泣き伏している婚約者の前では不謹慎な程の幸福そうな笑みを浮かべた。
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