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第一章
タンベット男爵家からの救出、そして保護3
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そうやって案内された部屋はこれもまた広く、レインの住処だった厩なんて両手の指以上に入ってしまうような豪奢なものだった。趣味のいい、素人目にもわかる高価な調度が当然のように配置され、床にはふかふかの絨毯が敷かれている。
レインはユリウスの手からメイドの手に移動させられ、人生で入ったこともないあたたかな湯につけられた。猫足の白いバスタブは、レインが湯に入るとあっという間に濁ってしまう。何度も何度も湯を変えて、信じられないようないい匂いのする石鹸をこれでもかと使って洗われ、それだけで一生分の湯を使ったと思うくらいだったのに、仕上げに薔薇の香油を塗り込められた。
レインは爪の間まで洗い上げられ、仕上げにふかふかの白いタオルで拭われて、そしてこれまたはっとするような手触りのワンピースを着せられて、レインはユリウスとアンダーサン公爵の待つリビングに通された。
どうやって絨毯を踏めばいいのだろう、なんてことを思っていると、メイドは直接ユリウスの腕の中にレインを戻すから、レインはまた目をぱちぱちと瞬いた。
「うん、温まったみたいだね。薬を飲んで寝ようか」
「ユリウスさま、公爵様、ありがとうございます……私、こんなことしていただくの、はじめてで……あの、あの……」
レインがもじもじと体の前で手を握る。
それを優しく見下ろして、ユリウスとアンダーサン公爵は笑った。
「いいんだよ、レイン。君が受けるべき当然の待遇がこういうものなのだから」
「薬湯をお飲み、レイン。はちみつを入れて甘くしてあるから、少しは飲みやすいはずだ」
ユリウスが柔らかくレインの髪を撫で、アンダーサン公爵がマグカップに入った琥珀色の薬湯を差し出してくる。
少し甘苦いそれをゆっくり、ゆっくりと飲みほすと、おなかの中がポカポカしてきた。
瞼がゆるりと重くなる。
まもなく、広い広い天蓋付きのベッドにうつされたレインは、優しく髪を撫でられながら、うとうととまどろみの中に入り込んだ。
アンダーサン公爵がなにか話すことがあると言って、侍従とともに部屋の外に出て行ったから、この部屋には今、ユリウスとレインのふたりっきりだった。
あたたかい、やわらかいベッドは、あの干し草の寝床とはまるで違う。
向けられる気持ち、言葉の種類だって。
それを改めて自覚したとき、レインはその眦から涙を一筋、こぼした。
「レイン」
「これは、夢なんですよね」
「……レイン?」
「これは、きっと素晴らしい夢。やさしいひとが、私を助けて、頭を撫でてくれる、夢。覚めてほしくないけど、きっと覚めてしまう……」
ぽろぽろとあふれる涙を止めることができない。レインはずっと胸の奥にわだかまっていた不安が急に形を成したのに気づいた。
――そっと、手を握られる。
「夢じゃ、ないよ、レイン」
「ユリウスさま……?」
「僕の手が強く握っているのを感じる?あたたかいかな、それとも冷たい?」
「少し、ひんやりしてます」
「熱、ちょっと下がったかな。……温度を感じて、この手を感じて、そうして今、レインはここに横になってる。……大丈夫、夢じゃないよ」
ユリウスの言葉に、レインは赤い目を潤ませた。
あたたかい……それは、レインがもうずいぶん感じていなかった温度で、と同時に、ずっとずっと欲しかった温度だった。
「ユリウスさま、わがままを、言ってもいいですか」
「もちろん」
「手を……」
「手を?」
「握っていてくださいますか。私が眠るまで」
「うん――うん。いいよ……」
ユリウスの手が、レインの手と絡められる。指の一本一本をきゅっと絡められて、レインはほっと息をついた。
うとうととまどろむレインに、ユリウスが子守唄を歌うように告げる。
「君は、これから僕の妹になるんだ」
「……いもうと?」
「そう、君は、レイン・アンダーサン。アンダーサン家の令嬢……アンダーサン家の愛される姫君になって、幸せに暮らすんだよ」
「ふふ、おとぎ話みたい」
レインは知らず、唇に笑みを浮かべていた。それは、レインがここ数年間、まったく覚えなかった感情だった。
「ほんとうに、そうなら、いいな……」
レインの意識がゆっくりと落ちていく。こんな幸せなことはきっと、世界を探しても見つからないわ、と思いながら。
レインの言葉に、ユリウスの目がすっと細められ輝く。
「……レイン。君をもう二度と失わない。……何からも守るよ」
その言葉は、レインの耳に届くことなく――静かに夜の闇に吸い込まれて消えていった。
この後、レインはアンダーサン公爵家の養女として、正式に受け入れられることとなる。
今まで触れたことのないやさしさに包まれながら、レインは公爵家の長女として育つ。
そうしているうちに、風のうわさで、タンベット男爵一家が断罪されたと聞いた。
けれどレインの生活は、そんな噂で波風を立てられるものではなく、どこまでも穏やかで、優しいもののままだった。
レインはユリウスの手からメイドの手に移動させられ、人生で入ったこともないあたたかな湯につけられた。猫足の白いバスタブは、レインが湯に入るとあっという間に濁ってしまう。何度も何度も湯を変えて、信じられないようないい匂いのする石鹸をこれでもかと使って洗われ、それだけで一生分の湯を使ったと思うくらいだったのに、仕上げに薔薇の香油を塗り込められた。
レインは爪の間まで洗い上げられ、仕上げにふかふかの白いタオルで拭われて、そしてこれまたはっとするような手触りのワンピースを着せられて、レインはユリウスとアンダーサン公爵の待つリビングに通された。
どうやって絨毯を踏めばいいのだろう、なんてことを思っていると、メイドは直接ユリウスの腕の中にレインを戻すから、レインはまた目をぱちぱちと瞬いた。
「うん、温まったみたいだね。薬を飲んで寝ようか」
「ユリウスさま、公爵様、ありがとうございます……私、こんなことしていただくの、はじめてで……あの、あの……」
レインがもじもじと体の前で手を握る。
それを優しく見下ろして、ユリウスとアンダーサン公爵は笑った。
「いいんだよ、レイン。君が受けるべき当然の待遇がこういうものなのだから」
「薬湯をお飲み、レイン。はちみつを入れて甘くしてあるから、少しは飲みやすいはずだ」
ユリウスが柔らかくレインの髪を撫で、アンダーサン公爵がマグカップに入った琥珀色の薬湯を差し出してくる。
少し甘苦いそれをゆっくり、ゆっくりと飲みほすと、おなかの中がポカポカしてきた。
瞼がゆるりと重くなる。
まもなく、広い広い天蓋付きのベッドにうつされたレインは、優しく髪を撫でられながら、うとうととまどろみの中に入り込んだ。
アンダーサン公爵がなにか話すことがあると言って、侍従とともに部屋の外に出て行ったから、この部屋には今、ユリウスとレインのふたりっきりだった。
あたたかい、やわらかいベッドは、あの干し草の寝床とはまるで違う。
向けられる気持ち、言葉の種類だって。
それを改めて自覚したとき、レインはその眦から涙を一筋、こぼした。
「レイン」
「これは、夢なんですよね」
「……レイン?」
「これは、きっと素晴らしい夢。やさしいひとが、私を助けて、頭を撫でてくれる、夢。覚めてほしくないけど、きっと覚めてしまう……」
ぽろぽろとあふれる涙を止めることができない。レインはずっと胸の奥にわだかまっていた不安が急に形を成したのに気づいた。
――そっと、手を握られる。
「夢じゃ、ないよ、レイン」
「ユリウスさま……?」
「僕の手が強く握っているのを感じる?あたたかいかな、それとも冷たい?」
「少し、ひんやりしてます」
「熱、ちょっと下がったかな。……温度を感じて、この手を感じて、そうして今、レインはここに横になってる。……大丈夫、夢じゃないよ」
ユリウスの言葉に、レインは赤い目を潤ませた。
あたたかい……それは、レインがもうずいぶん感じていなかった温度で、と同時に、ずっとずっと欲しかった温度だった。
「ユリウスさま、わがままを、言ってもいいですか」
「もちろん」
「手を……」
「手を?」
「握っていてくださいますか。私が眠るまで」
「うん――うん。いいよ……」
ユリウスの手が、レインの手と絡められる。指の一本一本をきゅっと絡められて、レインはほっと息をついた。
うとうととまどろむレインに、ユリウスが子守唄を歌うように告げる。
「君は、これから僕の妹になるんだ」
「……いもうと?」
「そう、君は、レイン・アンダーサン。アンダーサン家の令嬢……アンダーサン家の愛される姫君になって、幸せに暮らすんだよ」
「ふふ、おとぎ話みたい」
レインは知らず、唇に笑みを浮かべていた。それは、レインがここ数年間、まったく覚えなかった感情だった。
「ほんとうに、そうなら、いいな……」
レインの意識がゆっくりと落ちていく。こんな幸せなことはきっと、世界を探しても見つからないわ、と思いながら。
レインの言葉に、ユリウスの目がすっと細められ輝く。
「……レイン。君をもう二度と失わない。……何からも守るよ」
その言葉は、レインの耳に届くことなく――静かに夜の闇に吸い込まれて消えていった。
この後、レインはアンダーサン公爵家の養女として、正式に受け入れられることとなる。
今まで触れたことのないやさしさに包まれながら、レインは公爵家の長女として育つ。
そうしているうちに、風のうわさで、タンベット男爵一家が断罪されたと聞いた。
けれどレインの生活は、そんな噂で波風を立てられるものではなく、どこまでも穏やかで、優しいもののままだった。
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