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「……なんでまだ解けてないんですか?」
しおりを挟むぶ厚くて筋肉質で、ごつごつとした男の手は、自分の手首を掴んでもなお余るほど大きい。
壊れそうな勢いで締め上げられ痛さに歯を噛み締めた。
きっと少し力を入れればこの手首の骨くらい、簡単に折ってしまうに違いない。
「なら話が早い。今すぐ呪いを解いてもらおう……!」
爛々と目を輝かせた男から顔を背けた。
「で、出来ません……っ」
「何故だ!?」
言葉と同じ勢いで立ち上がった男に、握った手首を掴まれたまま引っ張りあげられる。
喉から悲鳴が漏れた。
引っ張りあげられた無様な格好のまま、男ががしりと掴んでいるのは自分の腰だ。
男の体と密着するその体勢に顔が赤くなるのを感じた。
「何故解けないんだ!!」
手首の痛みと怒鳴り声の怖さで目がじわりと潤んだ。
「ま、まだ、私は、魔女の力を全部、もって、ないんです」
「どういうことだ?」
「説明します! だ、だから手を……」
すん、と鼻を啜るとやっと男も自分のしていることに気がついたらしい。
慌てたように手首を離してくれたのだが、既に内出血している。
がっつりと人の手の形をした不気味な痣に、反対の無事だった手で手首を摩った。
触れるだけでビリリとした痛みが走るから、捻っているのかもしれない。
「……私は、確かに呪いの魔女ですが……まだ半人前なんです。だから、呪いをかけることも、解くことも、出来ません」
ごめんなさい、と頭を下げる。
男は黙って聞いていた。
「魔女は、いくつか条件を満たさないと、ほんとの力は得られません」
フィルエシュカはあと一つだけ条件を満たせば一人前の『呪いの魔女』になる。それまでは、簡単なまじないくらいしかできない半人前。
一人前に至る道は、全ての魔女に与えられた試練なのだ。
何らかの呪いを受けているという男は青い顔をしている。きっとフィルエシュカが呪いをかけた張本人だと誤解していたのだろう。
残念ながらフィルエシュカ自身は呪いをかけたことも、解いたこともなかった。
「さっぱりわからん。お前がかけた呪いではないのか」
茫然とする男に、首を振った。
「あなたがお探しなのはーー先代だと、思います」
「先代……?」
フィルエシュカの先代であり、前の生。数百年前の呪いの魔女。
彼女がかけた呪いのせいでこんな風に責められるから、自分はこの森に一人で住んでいた。
「先代はもう、とっくに死んでますけど……知らなかった、ですか?」
男が浮かべた驚愕の顔にやっぱりそうだったか、と嘆息した。
***
魔女とは不思議な生き物だ。
人から生まれ、人と同じ姿をしていて、人にはない力を持つ。
フィルエシュカの場合、それは呪いであり、まじないである。
久しぶりに人と会話をすることによる緊張は、恐怖と涙でどこかへ行ってしまった。
「ご存知ないかも知れませんが、ま、魔女も普通に、死にます」
人と同じように数十年しか寿命はない。病気でも事故でも簡単に死ぬ。
だが必ず生まれ変わる。
男は信じられない、と言わんばかりにこちらを見ている。
「数十年で老いて死んで、土に還って、そしてまた生まれ変わります……記憶を、もって」
ここまで話したら男もやっと落ち着いてきたらしい。腰を固定していた手も外れ、やっと自由にされた。
「……すまなかった。てっきり……お前がかけた呪いだとばかり」
「えっと、お、お気になさらず」
男は疲れたように大きなため息をつきながら、どさりと椅子に腰を下ろした。
がっくりと肩を落とすその姿をよくよく見れば、旅装には年季が入っている。
きっと遠くから時間をかけてここまで来たのだろうと思うと、半人前を理由にただ帰すのは申し訳なくなってきた。
「あの……一人前になれば、先代がかけた呪いでも解けると思うので……あなたにかけられた呪いが何か、聞いてもいいですか?」
先代が現役だったのは数百年前だ。
いまなお続いている呪いがあるとは驚きだが、無い話でもない。
男はまだがっくりと肩を落としている。
「生涯、一人しか女を抱けぬ呪いだ」
「え」
生まれ変わる時、魔女達は皆、前の生の記憶を持っている。
付随する感情や五感の記憶はないし、常に自分の記憶とは別のところにあるそれは、まるで年表だ。
自分とは違う人間に起きた出来事を必要な時だけ引き出して思い出すのである。
だが男が口にした呪いは、わざわざ思い出さなくてもすぐ分かった。
「……はじめの皇帝にかけた、呪い?」
その呪いは、皇帝の血筋の男子にだけ引き継がれるはず。
ということは。
「あなたはーー皇族?」
フィルエシュカは、ぽかんと口を開けて閉じれなくなった。
そしてやっとウォルフリートという名前をどこで聞いたか思い出したのである。
数年前即位した皇太子の、双子の弟。
皇弟、ウォルフリートだ。
自分がちょうどこの森に住み始めた矢先の慶事だったから覚えている。
「そうだ」
まさか皇弟がこんな帝国の端っこまで自分を探しに来るだなんてーーと、背筋が震えた。
「兄上が即位なさる時、予見の魔女、と名乗る老婆がやってきた。その老婆が言うには、兄上の代で皇族にかけられた呪いを解かねば、皇帝の血筋は絶えこの国は滅びるそうだ」
「滅びる……」
どうやら別の魔女が一枚噛んできたらしい。
魔女同士はあまり交流もないし、先代の記憶にも他の魔女に関する情報は少ない。
予見の魔女、と聞かされてもそんな種類もいるんだな、くらいの感想だった。
それにしても滅びるとは穏やかでない。
「だから俺は、兄上のご命令でお前をずっと探していたんだ」
よくぞ辿り着いたものである。
男は先ほどまでとは打って変わって神妙な態度をとっている。
「お前が半人前で、魔女の力をまだ得ていないというのなら、どんなことでも協力しよう。俺に出来ることは何でもする。だから、どうかもう我等を許してくれ。そして呪いを解いてくれ」
(許す?)
何を許すのかと首を傾げる。
しばらく頭を捻って、やっとその意味に辿り着く。
先代は皇帝に、この国に降り掛かる災害を鎮める代わり、妻として愛して欲しいと望んだのだった。
だがその約束は数年で裏切られた。
皇帝は側室を迎え入れ、先代の呪いの魔女を城から追い出そうとしたのである。
(先代もそれは怒るよ……)
そして裏切った男の血に呪いをかけた。渾身の呪いだ。
それほど先代は悲しかったに違いない。
フィルエシュカは彼女のその時の感情までは引き継いでいないから、想像するしかなかった。
(えっと、先代は一生に一人しか女性を愛せないようにしてから、交じった相手には印が出るようにして……あれ?)
呪いの詳細を思い出すうち、おかしな点に気がついた。
じっと男を見る。
「……なんでまだ解けてないんですか?」
「それはどういう意味だ?」
フィルエシュカの方が聞きたかった。
確かに皇帝の血筋にかけた呪いは、強力だ。
けれど何百年と続く代物ではない。
「確かに先代は呪いをかけましたが、反省さえすれば数世代で解けるようにしていた、と思います」
「……は?」
「ちょっと、立ってもらっていいですか?」
頼まれて立ち上がった男の鳩尾の少し下。そこにぴたりと耳をくっつけるように、抱きついた。
体格差がありすぎて背伸びをしても自分の頭はここまでしか届かない。
(ほんとは服がないほうが分かりやすいんだけど)
血にかけた呪いを調べるにはこれが早い。
すると慌てたような声が降ってくる。
「ーー!? おいっ……!」
「お静かに」
フィルエシュカは目を瞑り、男の血の流れに自分の意識を集中した。
ーーとくとくと温かい、その赤い流れ。
血の流れと共に受け継がれてきた呪いに問いかける。
(あなたに何があったの……?)
フィルエシュカが訊ねれば、呪いは小さな声で応えてくれる。数百年分の喜びと悲しみの中に混じる、呪いが返してきた確かな怒りに、嘆息した。
男の体から耳を離して見上げる。なぜかそれで息を呑んだ男に問いかけた。
「もしかして……途中で誰か、変なことしませんでした?」
「変なこと……?」
「えっと……たとえば……呪いを疑って印をつけた女性以外を抱いたとか、呪いを言い訳に女の人を閉じ込めたとか」
思いつく限りの例えを教えてやるうちに、男の顔は青ざめていく。これはやっている。
「……それが原因です。反省して、きちんとただ一人の妻を普通に愛して、添い遂げていれば、呪いはとっくに解けていたでしょう。……まさかこんなに長く残るだなんて……」
この一族は一体何をやらかしてくれたのか。
ここまで呪いの顔付きが変わっていては、例え一人前の魔女の力を得ても解呪には相当苦労しそうだ。
ぶつぶつと独り言をしていたらしい。
絶望したような声が頭上から降ってきた。
「無理、なのか?」
今にも倒れそうな顔色に、可哀想だと思った。
(ーーとりあえず、この人は被害者だよね……)
現皇帝の即位した時といえば五年ほど前になる。それから国中探し回ってやっと辿り着いたのに、解呪も出来ず国が滅びるとなれば、気分も悪くなるだろう。
仕方がない。
フィルエシュカが代償を払うとしても、それが定めならば。
「……無理とは言いません。でも私が一人前になっても、少し時間は頂きます。あと私には確かに、先代の記憶があるにはありますが、全くの別人です。その時の皇帝にも、あなた方にも、なんら思うところはありませんので、その」
いまだに怨んでいると思われたくなくて、目を彷徨わせながらそう言えば理解してもらえたらしい。
「そういうものなのか……」
「そういうものなのです」
会話が落ち着く頃に、じんじんと手首が痛み出してきた。熱をもっている。
それを悟られぬよう、立たせたままの男に再び椅子を勧めた。
「あの……とりあえず、掛けてください。何もないですけど、お茶くらい」
「いや、いい。魔女とはいえ女性の家に長居する訳にはーー」
ハッとしたように、言葉を失う男の目は、痣がくっきり残る手首に釘付けになっていた。
「みせてみろ」
戸惑いながら差し出すと、男は今度はそっと持ち上げ、曲げたり捻ったりしている。途中、痛くて顔を歪めてしまった。
「ーー済まなかった。怪我をさせるなど……」
「そ、そのうち、治ります、から」
幸い利き手ではない。折れてさえいなければ、何とかなるだろう。
今年の畑はもう諦めることにする。
「だが一人暮らしなのに、これでは」
男は深緑の瞳を左右に揺らす。随分と逡巡していたようだが、ややあって、何かを決意したらしい。きっぱりと宣言した。
「ーー決めた。お前が一人前の魔女になり呪いを解くまで、俺は帰らない」
「……はい?」
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