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「ウォル、少し屈んでください」
しおりを挟む翌朝、いい匂いがして目が覚めた。
なんでこんなにいい匂いがするんだろうと寝惚け眼を擦っていると、だんだん記憶がはっきりしてくる。
ーーそういえば皇弟殿下がいたんだった。
匂いに誘われて寝巻きのまま寝室を出た。小さな食卓にはどこから出てきたのかと思うくらい、立派な朝食が並んでいた。
昨日の猪肉の香草焼きは付け合わせの焼き野菜が増え、久しぶりに見るパンにスープまで並んでいる。
フィルエシュカ一人の時には考えられないような、ご馳走。
「パン!! ふわぁあ……」
食卓に並ぶパンを間近で見ようと身を屈める。
夢じゃない、本物のパンだと感動していたところへ水を差したのは、男の声だった。
「こら。娘がそんな格好で歩き回るな」
(ーーお父さんか!!)
この人もやっぱり夢じゃなかった。
男はーーウォルフリートは、くどくどと口うるさい。
けどそのやり取りが、抱いていた緊張を解いてくれた。
「髪もぼさぼさじゃないか。朝飯にするからきちんと着替えて来い」
「はーい」
「返事ははい、だ」
着替えてくると、ウォルフリートも椅子に座って食卓についていた。
どこから椅子が出てきたのだろうと覗き込むと、早く席につけと言われる。
「冷めないうちに食べろ」
「い、頂きます」
そしてその朝ごはんは、一人暮らしになってから食べた朝ごはんの中で一番美味しかった。
男はその大きな体格からは想像出来ないほど美しい所作で、しかもフィルエシュカより早く食べ終えた。
食後は向かいに座る自分をじっと眺めてくる。
「……美味いか?」
「はい」
「ちゃんと噛めよ」
あまり行儀の良くない自分に早く食べろでも、綺麗に食べろでもなく、ちゃんと噛めと言ってくることにほっとする。ごくんと飲み込んでから、ウォルフリートに礼を言った。
「美味しいです。作ってくれてありがとうございます」
「ああ」
残念ながらその顔に昨日見せてくれたような笑顔はなかった。でも、もうそれほど怖くはない。
あまり気負わず家族が増えたと思えば、さして大変ではないのかもしれない。作ってくれるご飯がすごく美味しいし。呪いを解くまでだし。
こうしてフィルエシュカの家に奇妙な居候が増えたのである。
絶品の朝ご飯を頂いてまったりしていると、ウォルフリートが手首の薬草を取り替えてくれるという。素直に手を差し出して好意に甘えることにした。
「痛むか?」
昨日と同じく跪いて手当てする男の表情はあまり変わらない。けれど少し気にしているのかもしれない。
声が強張っていた。
痛くない、と答えるとその眉間に深く皺が刻まれる。
「ーー本当に悪かった」
気にしないでと言っても、手当てしてくれてありがとうと言っても、一向に眉間の皺が取れる気配がないので、そのままにしておくことにした。
骨には問題ないのだ。いずれ治る。
治ればこんな怪我のこと、この人だってきっと忘れるだろう。
手当ての間は暇なので一晩で増えた物の数を数えていた。
(椅子に食器にーーこの食材、どこから持ってきたの?)
この家にはなんでも自分一人分しか無い。余分な物は置いていないのだ。
まさか元から持っていたのだろうか。
そう聞くと布を巻き終わった男はフィルエシュカの手首を離して立ち上がった。
「椅子は昨夜作った。小麦と食器は元々俺が持ち歩いていたものだ。野菜は畑から食えそうなものを持ってきた」
「それは……貴重なものを、すみません」
小麦は村か町まで行けば手に入るが、こんな森の奥では貴重品といえる。
「大したものではない」
そして忙しなく洗い物、繕い物、薬草の処理などに動き回る。
随分と働き者の男だ。本当に皇族なのかと疑うのは何度目になるだろう。
全ての仕事を奪われた以上、フィルエシュカに出来ることは動く男を眺めることだけだった。あっという間に部屋の中の仕事を終えた男はこちらに向き直る。
「今日は畑を直して、残りの食えるものを救出する。農具はどこだ?」
「小屋の裏の物置です」
ありがたやありがたやと、ついつい男を拝みそうになる。今のこの手では畑を直すのは無理だっただろう。
怪我はさせられたが、もうそれ以上の償いはしてもらった、と思う。
自分の畑なのだから何もかもさせるのは申し訳ないと腰をあげた。しかし目敏く、座っていろ、休んでいろと言ってくる男は、フィルエシュカが働くのを許さない。
(畑、畑……あ、そうだ)
思いつくと、その大きな体に近寄って服の袖を引いた。
少し恥ずかしいが残された自分に出来ることといえばこれくらいだ。
「ウォル、少し屈んでください」
「こうか」
何も疑わず腰を曲げて頭を下げた男の頬に唇を寄せた。
(ダニとノミと蛭がくっつきませんように)
念じてすぐ唇を離す。
男の体がほのかに光の薄衣を纏っているのを見て、これでよしと頷いた。
「なーー」
「これでダニとノミと蛭には襲われませんよ。畑をよろしくお願いします」
頑張って直してくれという気持ちを込めて笑いかけると、背筋を伸ばした男にごつんと頭を殴られた。
「ひゃん!」
「百年早い!!」
そしてぷりぷりしながら出て行ってしまった。
(なんで怒るの?)
自分の頭を摩りながら、納得いかない気持ちでいた。恥ずかしいのを我慢してまじないをしてあげたのに怒られる理由がよく分からない。
でも手加減はしてくれたのだろう。痛みはすぐひいた。
やることがそれでなくなったので、お気に入りのガラス窓の側に椅子を持っていく。
そこからは畑を直すウォルフリートの姿がよく見えた。
見れば見るほど、彼は立派な風采をしている。
雲が数え切れないほど流れていく間、眺めていた。まだ自分の家に皇族がいるだなんて信じられない。
(……早く呪いを解いてあげなくちゃ)
ウォルフリートはその為に五年も旅してきたのだ。
これ以上待たせるのは気の毒すぎる。
窓辺に腕を置き、その上に顎を乗せた。
動き回る姿を眺めるうちに寝てしまったのだと気付いたのは、戻ってきたその人に揺り起こされた時だった。
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