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「毒だ。食うな」
しおりを挟む「ウォルフリート。どうかお前が行ってくれないか」
即位式の翌朝。前日に晴れて皇帝となった兄の表情は重く沈んでいた。
それは二人の魔女のせいだった。
一人は長年皇族の男を呪い続ける、呪いの魔女。
もう一人は、兄の心と未来に、インクのような黒い染みを一つ残して去った予見の魔女である。
ウォルフリートは皇帝である父とその妃である母の元に双子として生まれた。
兄とは双子なのに髪の色も目の色も違う。
兄の色彩は賢帝と名高い祖父にそっくりの、真紅の髪に金の瞳。
一方の自分は祖母に瓜二つの髪と目だった。
市井出身の祖母はその人柄で、今なお民から根強い支持をうけている。
高齢になり病を得てからは祖父とともに離宮で余生を謳歌しているが、会う度にウォルフリートをとても可愛がってくれる、優しくて、温かい方だ。
もしかしたら政務で忙しい父や滅多に会えない母よりも親しみを感じていたかもしれない。
皇帝一家は冷え切っている、というほどではないがお互い関わる時間が少なかったと思う。
父は幼い頃から貴族達に貧民の血をひく賤しい皇子と言われ続けていたためか、その貴族どもを善政によってねじ伏せんと仕事に邁進している。
母はその父に年がら年中、半ば監禁のような扱いをされているため、父の同席なしで息子達と会う機会はない。
早くから皇太子と定められた兄は、次期皇帝としての政務と勉学で忙しかった。
兄は何をさせても卒なくこなす。一方で、ウォルフリートは勉学も剣も、兄の倍は時間をかけねば習得できなかった。
完璧な皇太子である兄の予備として、常に完璧に。
求められる域に至れない自分が、悔しかった。
その兄が成人の十八になると同時に父は譲位を発表した。これからは皇妃である母と過ごす時間を増やしたいからという馬鹿げた理由で。
恐ろしいのは、誰もそれに異を唱えなかったことである。
「呪いのせい、でございましょうか。私がお仕え申し上げた皇族のどの方も、口を開けば妃に会いたい、政務などどうでもいいと仰っておいででした」
そう語ったのは昔から宰相として腕を奮ってきた宮廷の生き字引だ。別に珍しくありません、と続く。
政務さえ無くなればずっと妃と一緒にいられる。だから退位したい。
父だけでなく祖父もそうだったと聞けば、途端に兄が心配になった。
譲位発表からは、城の上から下まで大忙しだ。兄の婚約者である姫君を迎え入れる準備やら、婚礼の支度、各国への通達。即位式の段取り。
嵐のような城の中で、自分の周りだけが穏やかだった。誰も彼も、ウォルフリートが兄と同様に成人したことなど気にも留めない。
こんなものか。という乾いた感想しか湧かなかった。
そして迎えた兄の婚礼式。国中から祝福の言葉が寄せられる。即位式はそのまま諸外国の賓客の前で執り行われた。
華やかで壮麗。素晴らしい式。
皇族の列の端に並んでいると、兄との間に透明な壁のようなものを感じた。
隣国から嫁いできた妃を見る兄の目は、見たことがないほど優しい。新皇帝の立ち居振る舞いは成人したばかりとは思えぬほど立派だった。
(もうあのように仲睦まじいなら、子もすぐだな。そうすれば俺は)
不要になった予備はどうなるのだろう。
そんなことを考えていた、式の終盤のことだった。
突如として現れた杖をついた老婆は、自らを予見の魔女だと名乗り、しわがれたその声でこの国の滅亡を予見したのである。
「紅き月の皇帝に予見いたしましょう。貴方様の治世は祝福と平穏に満ちたものとなられます。しかしそれは御身にかけられた呪いを解けばの話。その呪いがある限り、この帝国は次の皇帝を得られぬまま、血の海に沈むでしょう」
「予見の魔女殿。それはどういうことか」
ほ、ほ、と嗤いながら魔女は答えず、用は終わったと言わんばかりに踵を返そうとする。
兄は兵士に命じて、その場でその魔女を捕らえさせた。しかし。
「死んでおります……」
魔女は捕らわれてすぐ、息を引き取った。眠るように。
そこからは即位式どころではなかった。
賓客達は他国の大使や王族だ。その彼らの目の前で、この国は遠からず滅びると予見されたのだから。
用意していた式典後の舞踏会も何もかも流れ、すぐに兄は譲位したての先帝である父と、隠居していた祖父を集めひっそり相談を始めた。
その結果、ウォルフリートに白羽の矢がささったのである。
「ウォル、この実は何ですか? 美味しいですか?」
「毒だ。食うな」
いま、自分の隣にはあの日から五年も旅して探し求めた魔女がいる。正確には、半人前の魔女が。
旅は嫌いではなかったし、むしろ城の中よりも自由で息がしやすかった。
様々な人に会い、魔女の情報を求め、国中をまわった。その中でやっと掴んだのは、森の中に住むという呪いの魔女の噂。
その噂を辿りやっと着いたボロ小屋は見た目には到底人が住んでいるとは思えないような荒れ方で。
猪が大きな腹を出して小屋の前で眠る姿を目にした時は、まさかもう死んでいるのではないかと冷や汗が流れたものだ。それで焦って敷地に入れば、弓をひく娘がいた。
それがフィルエシュカだった。
夜明けと共に小屋を出て村に向かう道すがら、フィルエシュカは無邪気にあれこれ訊ねてくる。
彼女が着ている外套は袖も丈も短く足りていない。どうやら昔手に入れてからそのままらしい。村で布を調達できたら足し布でもしてやろう、と頭の中に書き付ける。
(チーズと小麦が手に入るといいが。流石に無理か。あとはフィルエシュカの手袋と帽子を編むのに毛糸が欲しい。それから……)
ウォルフリートは今日の商品である猪の毛皮や二人では消費しきれない肉を荷車に載せてひいている。出来ればこれらと交換したいものを頭に浮かべていた。
隣を歩く娘は、そんなことも知らず呑気なものだ。
「毒なんですか? どのくらいまでなら食べても死なない毒ですか?」
美味しそうなのに、と残念がる口を摘む。
「食うなと言っただろうが! 一粒で死にいたる猛毒だぞ!」
「ひぇ……! なんですかそれ! 怖い!」
森に生える毒物の見分けさえつかないでよくぞ今まで生きていたものだ。皇弟である自分よりも生活能力の劣る娘に呆れ返るのも恒例になっている。
けれどちっとも嫌な気分にならないのは、何故だろうか。
くるくる動く表情で、懐いた雛鳥のように後ろを付いてまわる。
怪我をさせた詫びのつもりで冬越えの支度や家の修繕をする男を興味深そうに見てくる。
振り返れば、顔を上げればいつもそこにいた。
にこにこと、毒も邪気も、何ひとつない顔で。
その顔を見る度、自分を叱りつけねばならなかった。
これはまだ子供なんだぞ、と。
「ウォル、村に着いたら別行動でいいですか?」
「駄目に決まってるだろう」
「やっぱり……」
この能天気で危機感のない娘は、これから行く村で村人全員に口付けしてまわるという。
まじないをかける為だろうが何だろうが、そんなこと許せるはずもない。
(村人全員、脅してでも、締め上げてでも、絶対にやめさせてやる)
それを聞いてから苛々がおさまらず眠れなかった顔には、きっと隈が出来ている。小屋には鏡がないから確認しようもないが。
憮然とする娘に、家を出る前から何度も口にした言葉をまた繰り返した。
「いいか。俺の目の届くところにいろ。うろちょろするな。食い物で釣られてもついて行くな。知ってる大人でも簡単に信用するな。落ちてる物を拾って食うな」
「はーい……」
口を尖らせるフィルエシュカの顔を見て、確信した。
絶対この娘は分かっていない。
しかも、まだ何か隠している。
荷車の持ち手を握る手に知らず力が籠っていく。
村はもうそこまで、見えていた。
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