透明から、恋をする

すもも

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「随分酷い顔をしてる」

明るい喫茶店のなか、目の前に座っている日野灯先生の言葉になんのことですか?と笑顔を貼り付けた。すると彼女の警戒色が強くなり、資料をぱさりとテーブルに投げて、整っていた紙がずれた。

「家庭のこと?....それとも、深月先生と何かあったの?」

鋭い観察眼に心の中だけで舌打ちをする。今1番会いたくなかった相手だ。だが、呼ばれれば行くしか無い。

「……そんな話をしに来たわけじゃない」
「だったら、仕事の顔をして。…それに、仕事の上では「比嘉健」を信用しているの。けど今は、別人の顔してる」

腕を組み、足を組む、拒絶の行動に、俺は気づかれない程度に一度深呼吸をする。

「少し、寝不足なだけだ。仕事に支障はない」

その言葉に日野先生は探るようにこちらを見て、ひとつため息をついた。

「……深月先生、作風は純粋そのものだけど、その中にも折れない芯は感じたわ。あなたがどうこうしなくても、必ず這い上がれる子よ」

関係のない話を振られ、コーヒーカップを持つ指先がぴくりと跳ねる。

「日野先生には…、彼女のことは分かりませんよ」

ぽつりと出た自身の言葉に舌打ちしそうになる。今日は最悪だ。日野先生の口角が少し上がったように感じた。彼女の目が観察者になったことに気づいて気分が悪くなる。

「へぇ…まるで自分は分かってるっていう素振りね。深月先生、可愛いもんね。もう抱いたの?」
「…っ」

分かってる、日野先生はわざとこちらを揺さぶって怒らせようとしている。俺は手を開いて閉じてを繰り返して極めて冷静な声を出した。

「……、どうでもいい話はそこまでにしよう」
「へぇ、……まだなんだ。既婚者であることを気にしてるようで、あなたはそれを盾にしてるだけ、…彼女はあなたに絶対的な信頼を置いているように見えたわ。可愛くてたまらないでしょう?」

ふふっと妖艶に日野先生が笑う。彼女の人間観察眼は鋭い。作品ではそれがよく生かされているからこそ、生き生きとした人物描写が出来る。…が、それが自分に向けられるのは気分が良くない。それに俺から感情を引き出そうとしてくる。いつもの軽口を叩く日野灯とはまるで別人だ。

「………」
「彼女も満更じゃないと思うわ。ベッドの上の深月先生きっとかわいい。想像してみてよ、まだ精神のあどけない彼女が、ベッドに横たわってあなたを潤んだ瞳でじっと見つめるの。指先ひとつで触れるだけで、彼女はきっと、」

がしゃんとコーヒーカップを思わず乱暴にソーサーに置いた。

「変な想像するな」
「あはは、でもたけるっちも想像したでしょ?……ふふ、うん。仕事としては進まなかったけど、いいもの見たわ」

楽しげな視線を向けられて、俺は居心地が悪くなる。今日は最悪だ。


そのままオフィスへと戻ると、お疲れと何人かに声をかけられて返す。カバンの中には月子の原稿。どうしようかと一瞬躊躇い、自分の椅子に座って、もう一度ゆっくりと読むことにした。…、深月月子の原稿はあまりにも深月月子だった。一文を指でなぞる。彼女の描く男女はあまりにも綺麗で、こうして触れれば月子自身に触れているような気にすらなってくる。日野先生の言葉が蘇って指先を外した。ひとつため息をつく、物語は悪くない。

「あー駄目だね、駄目。やっぱり月子ちゃん、このまま公募落ちかね。てか、君よくこの原稿でOKだして持ってきたね?」

編集長の前で俺は罰が悪そうに視線を逸らす。

「彼女なりに…頑張っていますので、」

編集長の顔が歪められ、俺も自らの発言に顔を歪めた。

「おいおいどうした。頑張ってるなんて、そりゃみんなそうだ。みんな頑張ってる。でもふるい落とすものもふるい落とさないとならんだろ」
「や、………、そう、ですね…、でもまだ時間はあります。まだ、早計な判断かと」

声が震える、自分は何を言っているんだ。何故あの原稿でいいと思うなんて口にした。OKを出した時の彼女の顔が忘れられない。じっと耐えていると、すっと編集長の瞳が細められた。

「………、比嘉君。私は君を買っていたが…、そうか。少し、深月先生とは距離を取りなさい。仕事のためにも、…家庭のためにも、ね」

ぎくりと肩が跳ねる。

「別の担当をつけよう。もう行っていいよ」
「………はい」

なんとか頷いて、オフィスを出るとふらつく足取りでエレベーターのボタンを乱暴に押した。

「何やってんだ…俺は…」

声は空気に溶けていった。


その日帰宅すれば、記入された離婚届が置いてあって、俺は殴るようにして隣に記載した。

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