R18 短編集

上島治麻

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玖々琉とのシーンは順調に撮り終わり本日の撮影は終了ですというスタッフの掛け声によって皆が一斉にお疲れ様でしたと言い合い片付けに入る。陽那岐は今日は疲れただろうから夕飯は俺が何か作ろうと考えながら片付けをしていた時に監督から声をかけられた。
「帰り支度中にごめんなさい。夜見くんって朝田くんと一緒に住んでいるんですよね?」
「はい。そうですけど…」
「これを朝田くんに渡してあげてくれませんか?」
監督が差し出したのはモスローズの押し花で作られた栞だった。それは、とても見覚えのあるもので、一瞬自分が落としたものを監督が拾ってくれたのかと思ったが、直ぐに家にある宝箱の中に入れてあることを思い出す。
「えっと、これを陽那岐にですか?」
「はい。朝田くんのとても大切なものらしいんですけど、楽屋の鏡前に忘れて言ってしまったらしくて…。スタッフの子が発見して慌てて追いかけて行ったんですけど、既に帰ってしまったようで…。いつも大切に持ち歩いていたのに忘れてしまうなんて、よほど八坂さんの扱きがきてしまったんでしょうね。」
陽那岐がこれを大切に持ち歩いていたのなんて全く知らなかった。どういう意図かは分からないが自分にバレないように持ち歩いていたということだけは確実だ。だって皆が大切に持ち歩いていると気づいていたのに1番近くにいた自分が気づかないなんて意図的に俺にバレないようにしたとしか考えられない。
「分かりました。俺から渡しておきます。」
「そう。助かります。ありがとうございます。」
「いえ…。そういえばこれについて陽那岐は何か言っていましたか?」
「え…えっと、大切な人とのお揃いなんですとかそんなことを言っていたかしら。でもなんで?」
「あ、いえ。特に深い意味はないんですけど、監督が陽那岐の大切なものって渡してきたから何か陽那岐から聞いたのかなと思いまして。」
「あぁ、そういうことだったんですね。」
じゃあ、よろしくお願いしますと監督は言うと去って行った。手の元にあるモスローズの押し花の栞を見詰める。これは、俺にとっても大切な人との、お揃いの品だ。

帰り道、マネージャーが運転する車の後部座席に座り監督から託された陽那岐の栞を手に持ってユラユラ揺らす。この栞は、というか正確には自分の持っている方の栞だけど、痛みとともに甘い恋心を思い出させる。
今は若手の中でも演技派として、そこそこ売れている凪月だが、もちろん売れない時期もあった。それは子役としてデビューしてから数年経った中学生くらいの頃だ。子役は可愛いから需要があり、とても売れる。けれども、売れるのは期間限定で凪月もご多分に漏れず子役として売れた後、可愛いとは言い難い年頃になると世間様から見捨てられ、仕事が1件もない日が続いた。売れてから売れなくなるのは、ずっと売れないより遥かに辛く、また多感な時期であったため、売れないということはそれなりに凪月を傷つけた。そんな時に助けてくれたのがモスローズの栞だ。売れてた頃から売れなくなってもずっと一途に愛し続けてくれたファンがくれた栞。そのファンは誰にも価値がないとジャッジされ続ける中で唯一、凪月に価値があると言い続けてくれた人で、折れそうになっていた凪月の心を支え続けてくれた。会ったこともないし、手紙をこちらから渡したこともないけれど、いつからか手紙をくれ続けるファンに心惹かれていったのはある意味自然の流れとも言えるだろう。だって、理想の人だから。いつか春子さんに話した理想の恋人像。春子さんには言わなかったけれど、それはそのファンの子をイメージして伝えた言葉。ずっとずっと、どんな時にも自分の味方であり愛し続けてくれる人。
そんな理想の相手が陽那岐であることは凪月を高揚させた。つまり浮かれていたのだ。
「帰ったら、告白しよう。やっと見つけた。俺の初恋の人。俺の理想の恋人…」
周りの車の音にかき消されて運転するマネージャーに聞こえないくらい、小さな声で呟くと頭を、こてんと窓ガラスに持たれさせて目を閉じる。

「着きましたよ~」
マネージャーの声に起こされて自宅マンションに着いたことに気づく。あのまま、眠ってしまっていたのか…。
くぁっと1つ欠伸を零して車から降りる。
「ありがとうございます。あ、そういえば山城さん。明日の予定ってどうなってましたっけ?」
マネージャーの山城は、えーっとちょっと待ってくださいねと言いながら携帯のスケジュールアプリを開く。
「あぁ、明日はoffですよ。明後日からはまた撮影に番宣と忙しくなるのでゆっくり休んでくださいね。」
「はい。ありがとうございます。…じゃあ、山城さん、また明後日。気をつけて帰ってくださいね。」
「ありがとうございます。もちろん気をつけて帰りますよ。凪月くん、おやすみなさい。」
「はい。おやすみなさい。」
山城が車に乗り込みエンジンをかけるとスムーズに道路を滑り出していった。さすがの運転技術。心の中で今日も拍手を送りマンションのエントランスへと入る。今日は、この栞を陽那岐に渡して自分の恋心と今までの感謝を告げるのだ。緊張からか、いつもよりエレベーターが来るのが早く感じる。いつもはもっと遅いのに。これでは心の準備が出来ないでは無いか。
エレベーターに乗って目的の階のボタンを押す。誤ってひとつ上の階を押してしまったのは少しでも陽那岐の場所にたどり着くのを遅らせるためではない。決して。いや、少しあったかもしれないけども。エレベーターを降り、階段を下る。1歩、また1歩進む度に心臓の音がドクドク音を立てた。音が聞こえるくらいに鼓動が早い。早く、早く陽那岐に会って話したいという思いと、もっと、もっと心の準備をしたいからこの廊下が長ければ良いのにという思いに板挟みになる。けれども現実の廊下が伸びたり縮まったり、凪月の心に合わせてくれることなんてなくて、無情にも鼓動がMAXで速くなっただろうタイミングで己の部屋にたどり着く。鍵を入れ、廻す。ガチャりという音がして扉を力を込めて押す。まるで何百年も昔に作られた古城の扉のように重い。この扉はこんなに重かっただろうか?
「た、ただいま。」
「おかえり。遅かったな。寄り道してた?」
「あ、えっと、ちょっと道路が混んでて…」
「ふーん、そっか。まぁ、いいや。飯食べよ。今日まだ作ってなくてさ。簡単なものでいい?」
「陽那岐、今日疲れたでしょ?俺がたまには作るよ!」
「あはは、まぁ、八坂さんに絞られたのは結構メンタル来たけど、料理くらい作れるよ。というかむしろ作らせて欲しい。……八坂さんへの怒りを込めて。」
最後にポソッと追加された声は聞こえなかったことにしたい。自分の口に入る料理が誰かの恨みによって構成されてるなど、呪物を食べるようなものだ。知らなければ呪物ではなく、己の中ではただの美味しい料理になるはず…。たぶん。とはいえ、陽那岐にとって料理とは俺にとってのサンドバッグみたいなものなのだろう。ならば逆に奪うのはよろしくない。
「うん、そっか。じゃあ、お願いしようかな。」
「おう。」
背を向けて廊下を歩きリビングへと向かう陽那岐の後を追いかけるように靴を脱ぐ。言わなきゃ、言わなきゃと考えてる間にリビングにつき既に陽那岐は料理の支度を開始していた。でも、そんなこと気遣える余裕なんてなくて、リビングの真ん中で陽那岐に声をかける。
「あの!陽那岐!俺の話を聞いて欲しい!」
大きな声に驚いたのか数秒後には乱切りになる予定の人参がとてつもない薄切りで切られる。カンっとまな板に包丁が当たる子気味のいい音がして、それからゆっくりと陽那岐が振り返る。
「びっ…くりしたぁ。どうした?」
小首を傾げながら訊ねる陽那岐の瞳には自分を心配する気持ちが滲んでる。あぁ、優しいなぁ好きだなぁなんて素直に思う。
「いや、その…なんて言うか、その…」
言いたいことは沢山あって、心の中のリハーサルではスラスラと完璧に言えていたのに、いざ言葉を発しようとすると王子様に恋した人魚姫のように声が出ない。陽那岐の瞳が心配の色から訝しむような色に変わっていくのが見えて焦る。早く、早く、早く言わなくては…。
「凪月。落ち着いて。ちゃんと待つからさ。」
「あ…」
陽那岐の温かな手が自分の肩を柔らかく掴み落ち着かせるように声を落として言う。焦るあまり無意識に呼吸を止めていたらしい。新鮮な酸素が入ってきて初めて気づく。
よし、今なら言える。1つ大きく深呼吸して口を発したい言葉の形に成形する。同時にポケットからモスローズの栞を取り出して陽那岐に、そっと差し出した。陽那岐の目の色が驚愕に変わる。あとは、怯え…?
「これ、監督から預かったんだ。忘れて帰っちゃったから渡しておいて欲しいって。陽那岐の大切な人とお揃いのものだって監督から聞いた。…あのファンレターの主は陽那岐だったんだね。」
その沈黙は一瞬のようにも永遠のようにも感じて、まるで使い古された映画のワンシーンだな、なんて現実逃避気味な笑いが込み上げてくる。
やがて、驚愕と少しの怯えのような色を見せていた陽那岐が諦めたように笑う。まるで取調室で決定的な証拠を見せつけられた犯人みたいな笑い方だ。そんなふうに笑わないで欲しい。悲しくなるから。
「そうだよ。凪月にずっとずっと手紙を送り続けたのも、モスローズの栞を送ったのも俺だよ。…あー、やらかしちゃったなぁ。あと少しだったのに。」
そう言うと、今度は自嘲するよう笑う。
「あと少し?」
「そ、あと少し。小さい頃から凪月が大好きで、たぶん恋愛的な意味でも好きで。ずっと追っかけのファンやってたの俺。でも、手紙を出すだけじゃ足りなくなって、栞を贈って、でも、やっぱりそれでも足りなくて。本当はさ、芸能界に入れば少しぐらい話とかできるかなぁとかそれくらいに思ってただけなんだ。だけど共演できるってなって、しかも恋人役でってなって……欲がでた。」
「欲…」
「そう。欲。凪月のファンってバレずに凪月が俺に恋してくれたら恋人になれるんじゃないかって…気持ち悪いだろう?小さい頃からずっと追っかけて手紙送り続けてプレゼントも贈って近づくために芸能界にも入って、あまつさえ恋人になろうとした。」
まただ。陽那岐は、俺への好意を語る度に先程から大罪でも犯したかのような表情をする。
俺に恋することはまるで罪とでも言うように。気持ち悪いと自分のことを評した陽那岐の言葉を聞いても気持ち悪いなんて全く思わなかった。まぁ、第三者から同じ話を聞いたら間違いなく俺の立場の方に、今すぐ逃げた方がいいって忠告するくらいに、中々にヤバいとは思わなくもないが。でも、仕方ないのだ、もう好きになってしまって、好きになると大抵の事は愛おしいに変換されてしまうのだから。気持ち悪いくらいに自分のこと愛してくれて恋してくれるなんて、嬉しいに決まってる。
「期間限定の恋人を持ちかけたのも、そういう下心があって提案した。もちろん、凪月に言ったこの映画を絶対に成功させたいって言うのも本当。だって凪月が主演の映画なのに俺のせいで低評価なんて許せない。自分で自分を殺したくなるくらい。……でも、他にも方法はあったのにあえて期間限定の恋人をもちかけたのは、下心があったから。謝っても許されることじゃないけど、ごめん。」
「そりゃあ、下心100%で提案して実は演技なんてどうでもよかったとか言われたら俺だって怒るよ。ふざけるな!って。でも、そうじゃなくて、ちゃんと成功させたいって想いがあったなら、謝る必要は無いよ。」
それに、多分、下心100%でも許してしまう。ふざけるなってなって映画をなんだと思ってるんだってなって、そこからしょうがないなってなる。どうしたって愛おしさが勝ってしまう。
「今、俺は陽那岐が好きで陽那岐も俺が好きなんでしょ?じゃあ恋人になりましょうでいいじゃん。単純明快、全部解決。違う?」
完全論破だ。陽那岐が俺に対して並々ならぬ好意を抱いているのは栞の件から知っていた。だからこそ、告白してもきっと色良い返事が貰えるだろうと考えていた。それでも、ほんの少しファンとして好きだけどそういう好きじゃないって振られることも考えてたわけで。…まぁ、そうなったら陽那岐の溢れる俺への好意を利用して押せばなんとかなるかなと思っていたわけだけど。でも、陽那岐が俺に対してLoveの方の好意を持っているのだとしたら、こんなに都合がいいことは無い。さぁ、早く言うんだ。恋人になろうって。
「それは出来ない。」
「は?」
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