R18 短編集

上島治麻

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元々自分の物をほとんど持たない神官にとって神殿長室の受け継ぎは金の刺繍の入った長い襟を置き飲み残したワイン三箱を取りに戻る、それだけだった。

コーヒー片手に寝台の端に腰を下ろし先に横になっていた大公を見下ろせば青白い両手で襟無しの神官服の襟元を取られた。そのまま絡ませた舌はまだ冷たかった。

エラルドは焦茶に暗い緑とアザミ色の細い縦線の入るタータンの毛布を引き寄せ大公の肩にかけた。

首の前でしっかり布と布を合わせて胸の中抱きしめてやると胸元を爪先で軽くひっかかれた。

「一緒なら風呂に長めに入れるかな?」

「やだ。抱いて。魔法をかけて。僕を愛して。今」

「、、私の小さな魔物。まだ殿下の氷魔法の影響が残っている、汗をかいて体を冷やすべきではない。

それにね、治癒魔法もたくさんかければいいってものではない。自己治癒力の回復を待ちながら、、具合が悪くなればある程度治す、その繰り返しだ。いい子だから一緒に風呂で暖まろう」

「また服のまま湯に浸かったら怒るからね」

「ちゃんと全部脱ぐよ。昨晩は抱き上げたら氷のように冷たかったからもう離したくなくなったのだ。、、まるで渡ってしまった患者のようだった」

「僕の死に目に遭うことなどないくせに。今日こそ、解いてもらおうか。自らの命と引き換えに僕を一度だけ冥界から呼び戻し完全なる肉体の再生を果たす、そうして僕を一人だけこの地上に取り残す。

そんな治癒魔法は頼んで無い。いい加減にしないと僕、先生のこと嫌いになっちゃうよ。」

「、、殿下に本気で氷漬けにされて不安になっちゃったんだよね。もうだいじょうぶですよ。」

「神官みたいに話さないでよ僕の魔物」

「生きてさえいるなら嫌われようが捨てられようが憎まれようが自分が死のうがどうでもいいよ私の小さな魔物」 

肩のあたりを両手で軽く突き飛ばされて後ろを向かれてもエラルドはその細い手首を取って引き寄せた。そして背後から小さな魔物の両肩を捕まえた。

部屋にはローズマリーとミントの湯気が漂いはじめた。魔導具の給湯器があるので神殿と違って水を汲んだり薪を焚く必要は無かった。

「ほら、抱きあげて運んであげるから一緒に体を温めようね。自分で、薬を選べるかな」

大公が摘んで来たローズマリーの束が浮かべられた風呂でエラルドは大きさや色が少しづつ違うオレンジとまだ細かな若葉ばかりの摘まれた薬草のカゴを彼に渡した。大公はうつむいたまま無言で籠を受け取った。

オレンジは全て黒曜石のナイフで半分に切って浮かべられて行った。薬草は一種づつ手に取りそれぞれに違う強い芳香を吸い込んだ。多めのヨモギとずしりと重い水晶柱を風呂のへりに広げたガーゼに軽く積んで生地を結び湯に沈めた。

エラルドは肩や頭に時折湯をかけてやりながら振り返っては口付けを求める小さな魔物を前へと向かせ膝に座らせた。

「、、肩まで、ちゃんと浸かろうね。神官としては氷魔法に当たったばかりの患者におすすめしたくはないが、、フォルトがバニラアイスを置いて行った。シナモンと生姜とカルダモンをかけさせてほしい、あと食べた後また風呂に入るか茶を飲むか、、」

「食べる!!!」

筆頭庭師は激しく戦ったあとは体内魔力が不安定になってなかなか食欲が戻らない、そんないつもの様子を知っているフォルトは差し入れにアイスクリームを持ってくる。

ワイバーンに乗るため身軽でありたいと普段から質素な食事しか取らない筆頭庭師に火の魔力の回復のため充分な栄養を摂らせようとエラルドとフォルトは密約を交わしていた。

何か褒賞は、とたびたび国王に促されても何も受け取らない筆頭庭師が唯一無条件に目を見開いて手を伸ばすのがアイスクリームだった。

服飾ギルド長であるフォルトの努力で男の身だからと遠慮がちだが可愛らしいお洋服も近頃はそれ欲しいな、と小声で教えてくれるようにはなったけれど。

「風呂に入りながら?しょうがないな私の小さな魔物」

エラルドはパレオを一枚腰に巻きながら部屋奥の入り口まで行くとドアの横の小窓を開けた。

アイスクリーム、それからスパイス数種をメモに走り書くと窓の外厨房まで繋がったワイヤーにピンチのついたフックでメモを吊るした。初めはゆっくり、それから流れるようにメモはピンチに付与された風の魔法で一人でにワイヤーの下を進んだ。

突き当たりの厨房の古くは庭先で新鮮なハーブを摘むための勝手口には古い小鍋が吊るされていてメモが突き当たるとピンチが鍋底を叩いてカランと音を立てる。

筆頭庭師の棲む城の地下と厳重な警備が敷かれている厨房とは地下道で間近に繋がっている。王族が口にするものを調理する厨房は狙われやすいので衛兵局と隣接している。

厨房の者と衛兵達は城内でも刃物を携えることが許可されていた。庭師とは王族達の個人的に過ごす王塔直近の裏庭を主に庭園管理を装って警備に着く衛兵だった。

衛兵の中でも精鋭の集められた諜報部員である庭師達は必要とあらば丘の上の王城から王都へと降り立ち治安維持に努める。特に、激しい戦闘が予想されるような取り締まりや急な凶悪事件において。

そんな戦場において筆頭庭師は常に先頭に立って来た。夜の闇の中、魔物さながらに炎の魔法を振るって。

さらには昼までも公爵だからと誰もやりたがらない名誉だ権威だ権益だのの伴わない書類仕事に明け暮れる日々、だった。

麗しい微笑の陰で常に大公を見守っていた彼のいとこにあたる心優しい王弟殿下がついに牙を露わにしたのも仕方がないとエラルドは思った。

昼も夜も無く国民への奉仕に奔走する彼はたびたび過労で魔力暴走を起こし月に一度は神殿に入院していた。そして回復しきらないまま事件があったからと野良着を羽織って出かけて行く。

神官の自分までいい加減に大公を甘やかさないでください先生と殿下に怒られた。鍛錬では一滴の甘さも与えているつもりは無いし王弟殿下もまた自分の医術の生徒だったのに叱られる側になるとは本当に頼もしくなられた。

エラルドは大公が子供の頃から治療だけでなく魔力の通り道である経絡を鍛えるべきと神に捧ぐ舞を厳しく教えてきた。公爵になられたのだから呼び捨てで良いと言っているのに今も先生と呼ばれている。

珍しく癇癪を起こした殿下に自分まで責任を取れと神殿長の首を飛ばされた。とりあえず1週間は王城に詰めて本気の氷魔法をかけた大公の予後を診ていてと頼まれた。

神殿での仕事を放り出してきたのだから何かしら心が痛むべきだがなんとも思わなかった。元からそうだったのかもしれない。神の御心のままにと。エラルドが神を信じられないのはただ一点、大公のことだけだった。

なんで抱いてくれないんだと完全に不貞腐れていたのに満遍の笑顔でアイスクリームを口に運んでもらうのを待つ顔を見ていると本当に子供の頃から何も変わっていないように思えた。

入院中でも毎回神殿を脱走し何一つ言うことを聞いてくれないところも。小柄で細身なままのところも。

子供の頃は多い火魔法持ちでも大人になれば誰もが火の魔力を忘れてしまう。

そうして後天的な体外魔法無しで魔法を使えなくなる者がほとんどだ。風や水や土の魔法を使える者は上級魔法でもそれなりにはいて多くが城で仕えているが。

上級火魔法持ちともなれば片手で数えるほどしかいない。

ごく短時間に放てる魔力量としては王族の中でも随一で、唯一無二の攻撃力を誇る。

普段は戦闘で魔力が燃え尽きたまま目を細め城の片隅でミルクジャム入りコーヒーをすすり紙束と格闘しながら体外魔法無しのままいつ戻るともわからない魔力の回復を待つ。

腕力があるなら持たざる者のため使うのは当たり前と大公が戦の大地の女神に身を捧ぐのをエラルドは、直視出来ずにいた。神殿の奥深くで彼の加護を祈る、それだけが精一杯だった。

にもかかわらず王族の表の顔を保つにせわしない自分の分まで神殿長を辞して大公が無茶しないよう見守っていろだなんて。なぜ私の生徒達はこれほどまでにわがままなのだろう。
こんなのは耐え難い。なぜ魔物だとバレてしまったのだろう。気づかないふりをしてくれていたっていいじゃないか。

聖杯のような少々大盛りすぎるのではというアイスクリーム皿を奪われ鼻先にスプーンを出された。

「そろそろ神官の顔はやめて舌を出し、爪を伸ばして。僕の魔物に戻って、大好きなエラルド先生?」

「、、元気になってからだよ。私の、小さな魔物」
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