黄昏の竜王は純白の王を抱く

八陣はち

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ロアキアの地へ

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 フィオディークのもとに王より命が下ったのは、まだ冬の気配が色濃く残る春のはじまりのことだった。
 玉座の間に呼び出されたフィオディークに王から直々に下ったのは。思いもしない役目だった。

「フィオディーク、お前を南のロアキアとの和平使節に命じる。ロアキアとの和議を結べ」

 突然下された王からの命に、フィオディークは戸惑うばかりだった。

「私が、ですか」
「お前にしか頼めないことだ。ロアキアの軍はメイエヴァードの南に陣を敷いているとの話だ。お前にはそこへ出向いて話をまとめてもらいたい」

 自分にそんなことができるのだろうかと思う。しかし、フィオディークに断ることは許されない。フィオディークは深く頭を垂れた。

「はい、最善を尽くします」

 フィオディークはすぐに了承した。出発は三日後。護衛として二人の騎士がついてくれるのだという。
 フィオディークは部屋に戻ると支度を始めた。幸い、南の国の言葉はわかる。きっと王はそれを見込んでフィオディークを遣わすのだろう。
 王命に応えるため、フィオディークはティルフィアから譲り受けた国交に関する書物を読み漁った。
 和議の席など初めてのことだ。出発までの時間、フィオディークは交渉の知識を得るため奔走した。

 そして、出発前夜。フィオディークの部屋の窓に夜の帳が下りる。夜の祈りを終えたフィオディークが寝台へ上がる頃、時折トルヴァディアがフィオディークの部屋にやってくるようになっていた。

「フィー」

 寝台の脇の燭台だけが柔らかな金色で部屋を照らす中、甘やかな低音がフィオディークを呼ぶ。
 いつのまにか、フィオディークが寝そべる寝台のそばにはトルヴァディアの姿があった。体を起こそうとするフィオディークを制して、トルヴァディアは静かにフィオディークの寝台の端に座った。

「トル、お久しぶりです」
「変わりないか」
「はい」

 眠りにつく前、少しの時間をトルヴァディアとともに過ごす。フィオディークは今日あったこと、考えていることを少しずつ伝えた。
 寝台に横たわるフィオディークの髪を、傍らに座ったトルヴァディアが撫でる。

「トル、明日、南の国へ和議を結ぶための話し合いに行くことになりました」
「そうか」

 優しい声が降ってくる。眠りへと誘われながら、フィオディークの意識は優しい手のひらを追う。大きな手のひらが白い髪を優しく撫でていく。それだけでフィオディークの胸には安らぎがもたらされる。

「南では戦乱が絶えません。それに、民の不満も増えています。だから」
「お前は民が好きだな」
「はい」

 フィオディークには、この国で暮らす皆が大切だった。皆、仲間だと思っていた。だから、できることなら皆が幸せであっとほしいと願った。一介の神官にすぎないフィオディークには、自分が持つには過ぎた願いだとわかっていても、願わずにはいられなかった。

「皆が、笑って暮らせる国になってほしいのです」
「そうだな」

 トルヴァディアの穏やかな声が響く。重たくなった瞼は自然に落ちてきて、もうフィオディークの瞳はほとんど瞼の下に隠れてしまっていた。

「きっと、お前の望むような国になる。今すぐは難しいだろうが、いつか、そんな国になるだろう」

 トルヴァディアの低く優しい声に安堵するフィオディークの意識はそこで途切れる。トルヴァディアの温もりを感じながら眠りにつくのはひどく幸せだった。

 翌朝。フィオディークは二人の護衛とともにリウストラを旅立った。ひょろりとした長身のイルフェと小柄ながらしっかりした体格のロルカという二人の竜人の騎士が護衛についてくれた。二人とも普段は王城の警護を行っている騎士だ。一行は翼を羽ばたかせ、南へと続く街道を辿った。
 黄昏の大地の南には、小国がひしめいていた。そのうちのひとつ、人間の国ロアキア。王都リウストラの南にあるメイエヴァードからさらに南。メイエフス川を越えた荒地にある小国である。ロアキアは痩せた土地にある国ながら、力のある国だった。
 国王のウェナクはロアキアを属国として扱っていた。
 ロアキアを独立した国として認めろという人間たちの要求を、国王のウェナクは拒絶した。
 王の対応に不満を抱き軍を進める人間たちたちのもとへ、フィオディークは使いとして出向くことになった。

 降り立ったロアキアの荒地は、赤みを帯びた金色の大地に、背の低い草が生えた土地がどこまでも続く。そこに陣を敷くのはロアキアの軍勢だった。
 フィオディークは護衛二人だけを連れて陣へと出向いた。川沿いに敷かれた陣営には、隊列を組んだ兵士の姿が見える。
 フィオディークたちの姿に気がついた兵士が声を上げた。

「何者だ。ここより先はロアキアの陣であるぞ」
「ヴァラナキアの王、ウェナクの命により参りました。神官のフィオディークと申します」

 護衛二人を引き連れたフィオディークは、物怖じすることなく名乗りをあげる。フィオディークの澄んだ声が、荒地に響いた。

「王の使いだと?」

 隊列の奥から低い男の声が響いた。
 ざわつく陣の奥から出てきたのは、鎧姿の屈強な男だった。黒い髪に、日焼けした肌。意志の強さを感じさせる精悍な顔立ちと、逞しい体躯。深い茶色の瞳が真っ直ぐにフィオディークを見据えた。

「将軍のイスティーサだ」

 将軍イスティーサを前に、フィオディークが名乗ろうとした時だった。

「敵襲!」

 突然上がった声に、その場にいた全員が身構えた。
 フィオディークが仰いだ先、王都の方向の空に見えたのは、イナゴの群れのような影。こちらへ向かう、雨のような無数の矢だった。
 王の軍の攻撃だった。
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