黄昏の竜王は純白の王を抱く

八陣はち

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竜の言葉

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 もう時間がない。今から陣営にいる全ての兵を逃すのも、攻撃を止めることもできない。

「盾兵、構え!」

 イスティーサの強い声が飛んだ。辺りにいた盾兵たちが一斉に構えたのは、全身が隠れてもなお余裕のある大型の盾だ。しかし、それだけで防ぎ切れるかどうかはわからない。矢には、魔力も感じる。おそらく魔法で強化がされている。
 フィオディークは深く息を吸った。
 今、彼らを守ることができるのは自分しかいない。フィオディークに迷いはなかった。

「土の精霊、風の精霊、我が声に応え、壁となれ」

 フィオディークの声が響くと同時だった。
 どこからともなく金色の風が吹いた。それは砂塵を巻き上げて吹く強い風だった。フィオディークの前、撤退の支度をする兵士たちを守るように、巨大な風の壁が作られた。
 唸る風は、放たれ向かってくる矢と、石と、魔法。それら全てを弾き、落とす壁となった。

「引いてください!」
「全軍、退がれ!」

 フィオディークは声を張り上げ、追ってイスティーサの声が響いた。攻撃は一度では終わらないだろう。フィオディークは次の攻撃に備えた。
 ロアキアの民に犠牲が出ては、おそらく戦争は終わらないどころか、悪化するのは目に見えていた。起きている憎悪の連鎖を止めなくてはならない。このままでは話し合いで済むものが済まなくなってしまう。

「どうして。ここにフィオディークさまがいるというのに」
「何かの間違いではないのか」

 護衛の二人も戸惑いの言葉を口にする。無理もないことだった。もしかしたら、王はフィオディークを消すつもりなのかもしれない。それも、覚悟していたことだった。

 次はもっと大きな攻撃がくるはずだ。詠唱をしている余裕はない。
 再び、イナゴの群れのような影が見えた。王の軍勢より放たれた矢だった。それだけではない。石も、魔術もふくまれている。
 より確実に仕留めてやるという意図が見えた。

「短剣を貸してください」

 フィオディークの声に、傍らにいた護衛のイルフェが戸惑いながら短剣を差し出した。装飾の少ない、護身用の短剣だ。
 フィオディークは迷わず短剣を抜き手のひらを切る。痛みなど、気にしている余裕はない。赤い血が滴り、それが精霊たちへ支払う対価となる。フィオディークの血は多くの魔力を含む。詠唱を省略するには、この方法しか知らない。詠唱なしで素早く、より大きな力を借りるための奥の手だ。
 護衛二人が慌てた声を上げたが、フィオディークはものともしない。傷はすぐに魔法で癒せる。今はロアキアの民を守ることの方が大事だ。

「我が力を糧とせよ。神の名の下に命ずる、壁となれ」

 フィオディークが使うまじないの言葉に、先ほどよりも強い風が吹く。砂塵を含む風は厚い壁となり、飛んでくる数多の矢を落とし、石を落とし、放たれた魔術をかき消す。
 遠く、ざわめきが流れてきた。これで引いてくれるだろうか。フィオディークは川の向こう岸を見た。
 川を挟んだ対岸の気配が引いていく。
 どうやら退いてくれたようだった。フィオディークは胸を撫で下ろす。気が抜けて、その場にへたり込んでしまった。

「フィオディーク様!」

 フィオディークのもとに護衛の二人が駆け寄ってくる。

「ああ、すみません。気が抜けてしまって」

 フィオディークが苦笑いすると、二人の騎士はほっとした顔をした。

「傷は」
「もう大丈夫です」

 赤く汚れた手のひらに治癒魔法をかけると、傷は痛みとともに瞬く間に消えた。

「助かりました。汚してしまってすみません」

フィオディークは短剣の刃を拭うと鞘に戻してイルフェに返した。

「いえ、お役に立てたのなら何よりです」

 差し出された手を取り、フィオディークは立ち上がる。周りでは、盾兵たちがいつまで経っても矢の降って来ない空を不思議そうに見上げていた。

「助かった。あんた、それは、竜の言葉か」

 ゆったりとした足音とともにやってきたのは将軍のイスティーサだった。

「よくご存知ですね」

 フィオディークが使ったのは、神官が使う、古くから伝わる言葉だ。

「北の竜人は竜の言葉を使うってのは本当だったんだな」

 イスティーサは真っ直ぐにフィオディークを見た。

「あんたに免じて、ここは引こう」
「ありがとうございます」

 フィオディークは深々と頭を下げた。しかし、このままでは戦乱を一時的に抑えたに過ぎない。覚悟はしていたが、簡単に交渉できる様子ではなかった。

「どうか、話をさせていただけませんか」
「話、か。ひとまず顔を上げてくれ。礼を言わなければならないのはこちらだからな」

 フィオディークがおそるおそる顔を上げると、イスティーサは何やら考えながら顎を撫で、じっとフィオディークを見た。

「傷はもういいのか」
「ええ、もう治癒魔法を使いましたので」
「あんたとはもう少し話をしたい。ついてきてくれ、場を用意する」

 フィオディークは驚いてイスティーサの顔を見た。まさか、話をさせてもらえるとは思っていなかった。

「命の恩人を、もてなしもせずに帰すわけにもいかないだろう」

 イスティーサの笑みは、穏やかだった。

「うちの兵を助けてくれた恩人に礼をさせてくれ」

 そして案内されたのは、しばらく歩いた先にある野営地だった。物見櫓が建てられ、小さな村のようだった。
 フィオディークが護衛の二人とともに案内されたのは、その中にある大きな天幕のひとつだった。

「こんな手狭な場所ですまないが、ゆっくりしていってくれ」

 促されて椅子に座る。木材と布で作られた、簡易的な椅子だ。
 応接のための場所のようで、向かい合う椅子と、机代わりの木箱が置かれている。
 フィオディークの隣には護衛の二人が、向かいにはイスティーサが座った。

「王をかえろ。お前には従えないと、そう伝えてれ。俺たちは今の王に従うつもりはない。民の忠義は、タダではない。王に従うのは、王にその価値があるからだ。聞けば知恵のある官は皆あちこちに飛ばされたそうだな」

 フィオディークは返事の代わりに俯く。もう、戻れないのか。フィオディークの心に落ちた影は、宿る期待を少しずつ薄めていくようだった。

「今の王に従う価値がないから我々はこうして反旗を翻した。民の声に聞く耳を持たず、民を蔑ろにする王を放っておくわけにはいかない」

「それは、わかります」
「あんたのような王様なら、下につくのも悪くないかもな」
「そんな、私は、ただの神官です」
「だが、その身を挺して俺たちを救ってくれただろう」

 フィオディークはイスティーサの顔を見た。

「民は皆、王を見ている」

 フィオディークも同じ思いだった。

「手狭ですまないが、少し休んでいくといい。必要なものは持って来させよう。あんなことをした後だ、王も簡単に和平交渉が進むなど思っていないだろう」

 イスティーサはどこか悪戯っぽい笑みをフィオディークに向けた。
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