悪魔と呼ばれる辺境伯様はツンデレ溺愛がすごい

千見るくら

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07.ギャップが、すごいです。

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翌朝。
朝食を終えたあと、私は屋敷の中を歩いていた。

屋敷に来てから数日が経った。
穏やかな日々は心地よいけれど、特に仕事もせず、毎日もてなされているだけ。

(……これじゃ、ただの客人だわ)

人に役割を振るにも、準備や段取りがあるだろう。
突然押し付けられた婚約者に、屋敷の人たちも困っているに違いない――そう思って、しばらくはおとなしく様子をうかがっていた。
けれど、いい加減そろそろ何かしなければ。
屋敷の皆が天使のように良い人たちばかりなので、余計に申し訳ない。どうか働かせてほしい。

廊下を進むと、掃除をしている使用人たちが見えた。
その中心に立つ、白髪の執事――使用人長のアダンに声をかけた。

「おはようございます。皆さん、お仕事お疲れさまです」
「おはようございます、シェリー様」

みんな一斉に頭を下げ、動作が揃っていて気持ちがいい。
アダンが柔らかく微笑んだ。

「なにかご用でございますか?」
「はい。私に、何かお手伝いできることはないかと思いまして」
「お手伝い、でございますか?」
「ええ。お掃除でも書類の整理でも、なんでも構いません」

私の言葉に、アダンは少し困ったように眉を下げる。

「お気持ちはありがたいのですが……。ご婚約をなされたばかりです。まずは環境に慣れていただくだけで充分ですよ」
「でも、シルヴァン様は毎日お仕事が大変そうです。少しでも早くお力になりたくて」

その言葉に、アダンは小さく目を見開いた。
驚いたように私を見つめ、それから穏やかな笑みを浮かべる。

「お優しい方でいらっしゃいますね」
「そ、そんな……ここの皆さんがとても親切にしてくださるからです」

言いながら、自分でも少し照れくさい。けれど、それが本音だった。

「少しでも、お返しができたらと思って」
「お返し、でございますか」

アダンが目を細める。
その表情には、長年仕えてきた者の持つ落ち着きと温かさがあった。

「そのように言ってくださるとは……この館に来てくださったのが、シェリー様で本当に良かった。旦那様も、私どもも感謝しております」
「感謝だなんて。私、まだ何もしていません……!」
「いいえ」

アダンは静かに首を振った。

「旦那様のそばにいてくださるだけで、十分でございます。あの方は、長いあいだ……ずっとひとりでおられましたから」

アダンの声は穏やかだったが、どこか遠い響きを帯びていた。
私は小さく息を飲む。

窓越しに見える庭のラベンダーが、柔らかく揺れている。
その紫の色が、妙に胸に沁みた。



---



この世界の物語――前世で読んだ恋愛小説の中で、彼のことが書かれていたページは、ほんのわずかだったと思う。

《 国境を護る、悪魔と呼ばれた辺境伯 》

彼は、かつて戦で目覚ましい功績をあげ、この辺境の地を領地として賜った。
それが、グランヴェール辺境伯家の始まりだった。

彼は元々、辺境に領地を持たない下級貴族の次男として生まれた。
十五歳で敵軍の指揮官を討ち取り、一夜にして英雄として名が広まった。
その功績を見た王が、彼を特例として叙爵し、辺境防衛軍の副将に任命。
十九歳で正式に辺境伯の地位を与えられる。

以来、彼は王国の北端を守る防衛線の指揮官として、数々の侵攻を退けてきた。
国境に流れる血の多さから、“国境の悪魔”と呼ばれるようになったのだ。

(さらっと書かれてたけど、リアルに考えたら、これってかなり凄い事よね……)

もしかしたら、悪魔という異名は、彼の人離れした強さと、それを妬む者たちの嫉みが混ざった結果なのかもしれない。

物語の終盤で、この国は隣国の侵攻を受ける。

皇太子レデナンが先陣を切り、功績を上げて帰還。
その褒美としてプリシアとの婚約を皇帝に願い出て、結ばれる。そんな筋書きだった。

好きな女性と結ばれるために命を賭けて戦場へ赴くなんて、
あの阿呆にそんな気概があるのかは心底疑わしいけれど……まあ、一応は男主人公だ。
やる時はやる男なんだろう。知らんけど。

その戦いで、シルヴァンも王国軍として駆り出される。
そのとき、物語の中で彼の名が少しだけ書かれていた。

“国境の悪魔”、“進撃の将軍”、“王国最強の剣”、“破壊神”

ぞろぞろと異名たちが登場する、癖つよ王国四天王の紹介回みたいなのがあった気がする。
今思うと破壊神ってなんだ。意味わからんすぎてちょっと会いたいわ。
恋愛小説の戦パートなんてエッセンスとはいえ、どう考えても適当すぎる異名モブたち。

「でもまさか、癖つよ四天王筆頭がこんなにも魅力的なキャラだったとは露ほども思わなかったわ。
 ――ふぎゃっ」

考えながら歩いていたら、不意に何かにぶつかった。
体がよろけて倒れそうになったのを、ぐっと腕を掴まれて引き戻される。

見上げると、驚いたように私を見つめて立ち尽くす、シルヴァンがいた。
鼻を思いっきり胸板にぶつけてしまった。

「シ、シルヴァン様!」
「ぼーっと歩いて……大丈夫か」

穏やかだけれど、少し困ったような声。
ぱちぱちと瞬く彼の赤い瞳が、近すぎて心臓が痛い。……間抜けな姿を見られた。恥ずかしい。

シルヴァンの腕には、書類の束が抱えられていた。
驚いた拍子に力が緩んだのか、ずるりと滑り落ち、床に散らばる。

「あっ」

慌ててしゃがみ込み、書類を拾おうと手を伸ばしたその瞬間――指先がぶつかった。

はっとして顔を上げる。視線が交わる。

シルヴァンは一瞬だけ動きを止め、すぐに視線を伏せた。
わずかに頬が赤い。

(う、初心……!)

ラベンダー畑でのあの一件から、こうして些細なことで胸が鳴る自分がいる。
彼の不器用さは、どうしてこうも私の平常心を削ってくるのか。

(ん……?)

散らばった書類の一枚に、ふと目が止まった。

――字が、意外だった。

几帳面な人だと思っていたのに、書類の文字はどこか大雑把で、少し荒い。
まるで、まっすぐすぎる性格が紙の上に滲み出たようだった。
姿勢も佇まいも完璧なのに、筆跡だけが妙に幼いとは。なんというギャップ。

私がつい見入っていると、彼はハッとしたように手を伸ばし、隠すように書類を取った。
指先が震えている。顔がほんのり赤い。

「……」

無言のまま、散らばった紙を一枚ずつ拾い集めていく。
私はその背中を見守りながら、そっと思った。

(き、気にしてる……? 見られてちょっと恥ずかしいのかな)

手元に残った数枚の文字を見やる。
文法や言い回しもどこかぎこちなく、書き慣れていない印象を受けた。

そういえば、シルヴァンは下級貴族の次男出身で、幼くして戦場に出た設定だ。
剣と軍略でのし上がった人間で、学問や宮廷文化とは無縁の人生を歩んできたのかもしれない。

(……もしかして、執務室にこもってばかりいるのって、仕事が多いからじゃなくて――デスクワークが、苦手だから?)

シルヴァンは書類を抱え直し、早足で廊下の奥へ消えていった。
その背中を見送りながら、胸の奥に小さな温もりが残る。

そして――気づいたときには、彼の背中を追っていた。

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