悪魔と呼ばれる辺境伯様の溺愛が原作世界を壊す

千見るくら

文字の大きさ
9 / 26
第1章 悪魔の辺境伯

08.あんな阿呆、比べるまでもございません。

しおりを挟む
執務室の扉を軽く叩くと、中から「入れ」と短い声が返った。
相変わらず、低くて落ち着いた声。

「失礼いたします、シルヴァン様」
「……貴方か。何か用か」

机の上には書類の山が積まれている。
シルヴァンは眉間に皺を寄せながら、一枚ずつ丁寧に目を通していた。

私は胸の前で両手を組み、意を決して言葉を口にした。

「あのっ! お、お仕事を手伝わせていただけませんか? こうして何もせず過ごすのは、どうにも落ち着かなくて……」

ペンを握る手が止まった。
彼が静かにこちらを見やる。赤い瞳が、わずかに驚きの色を帯びた。

「仕事を?」

「はい。皇都では、皇太子妃の教育を受けておりましたから。書簡の整理や文書の分類くらいなら、お役に立てるかと思います」

一拍の沈黙。

しばらく考えた後、シルヴァンはため息をひとつついた。

「……書類の整理くらいなら、頼もう」
「ありがとうございます!」

机の端に積まれた未分類の書類を手に取り、内容を確認する。
報告書、命令書、請願書――それぞれを素早く分け、順に並べていく。
皇都でやっていた実務と、ほとんど変わらない。

「……驚いた」

ふいに、シルヴァンが呟いた。

顔を上げると、彼は素早く仕分けされた書類の山を見て、きらきらと目を輝かせていた。
思わず笑みがこぼれる。

「皇太子妃教育は、礼儀作法だけじゃないんですよ。政治文書の扱いも一通り学びますから」
「……なるほど」

赤い瞳が、ふと私の手元に落ちる。
ペンを走らせる指先を見つめながら、彼がぽつりと呟いた。

「仕事ができるのに……なぜ」
「……あー、殿下との婚約破棄のことですか?」

苦笑いを浮かべながら答える。

「相手があまりにも横暴で、傲慢で、我儘で、救いようのないほど頭の沸いたうぬぼれ野郎だったので、愛想を尽かしまして」
「え」
「あ」

いけない。ついうっかり。一切オブラートに包まれない直球が飛び出してしまった。

はっとしてシルヴァンを見る。驚いている。

「……殿下は、そんなに酷い人なのか」
「はい」
「え」
「あ」

……いけない! ついうっかり即答してしまった!
どれだけあの阿保を嫌っているんだ私は。

(やばい……完全に引かれた……)

冷や汗が背筋を伝う。
せっかく少しずつ距離が縮まってきたと思っていたのに。
どうしよう。空気が重い。完全にやらかした。

沈黙の中で、カタ、と、ペンが置かれる音がした。

シルヴァンが小さく息を吸い、ゆっくりと顔を上げる。
赤い瞳が、まっすぐこちらを向く。

「……私は」
「え?」

「私は……その、幾分かは……マシだろうか」

少し視線を逸らしながら、硬い声でそう言う。
まるで、自分でも何を言っているのかわからないとでも言いたげな表情だった。

その仕草に、胸がきゅっと締め付けられた。

「マシどころか! 比べものにならないほど素敵です!!!」
「――っ」

シルヴァンの目が驚きで見開かれる。

……またやらかした。全力で叫んでしまった。
慌てて口を押さえ、気まずそうに書類で顔を隠す。

沈黙。

しばらくして、恐る恐る書類を下げて彼を見る。

シルヴァンはペンを握ったまま、うつむいて固まっていた。
その頬はかすかに赤みが差し、耳の先まで染まっている。

「……うるさい。仕事の邪魔だ」

かすかな独り言。

聞こえなかったふりをして、私は頬を押さえた。

(はい! 本日も1ツン、いただきました!!)



---



その日を境に、私は本格的にシルヴァンの執務を手伝うようになった。

最初は書類の整理だけだったのが、日を追うごとに報告書のまとめ、文書の清書、返信の代筆――と、少しずつ仕事が増えていった。

シルヴァンは最初こそ遠慮していたものの、いつの間にか、書類の半分が私の机の上に積まれるようになった。
それでも、彼は感謝の言葉ひとつ口にしない。

「おそい」(はやい)
「見づらい」(わかりやすい)
「余計なことをするな」(ありがとう)

もはや、逆さ言葉で彼の本音が理解できるようになっていた。

慣れってすごい。聞き流しってちゃんとリスニング力がつくんですね。
ツンデレリスニング検定たるものが存在するとしたら、1級程度は楽に取得できる自信がある。

(なんかもう、わかりやすすぎて素直な子に思えてきたな……)

なんて、この時の私は完全に余裕ぶっていた。

けれど、そんな油断を見透かしたかのように――ちょっとした事件が起きたのだった。

しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

目覚めたら大好きなアニメの悪役令嬢でしたが、嫌われないようにしただけなのに全員から溺愛されています

月影みるく
恋愛
目を覚ましたら、大好きだったアニメの世界。 しかも私は、未来で断罪される運命の悪役令嬢になっていた。 破滅を回避するために決めたことはただ一つ―― 嫌われないように生きること。 原作知識を頼りに穏やかに過ごしていたはずなのに、 なぜか王族や騎士、同年代の男女から次々と好意を向けられ、 気づけば全員から溺愛される状況に……? 世界に一人しかいない光属性を持つ悪役令嬢が、 無自覚のまま運命と恋を変えていく、 溺愛必至の異世界転生ラブファンタジー。

悪役令嬢に転生しましたが、全部諦めて弟を愛でることにしました

下菊みこと
恋愛
悪役令嬢に転生したものの、知識チートとかないし回避方法も思いつかないため全部諦めて弟を愛でることにしたら…何故か教養を身につけてしまったお話。 なお理由は悪役令嬢の「脳」と「身体」のスペックが前世と違いめちゃくちゃ高いため。 超ご都合主義のハッピーエンド。 誰も不幸にならない大団円です。 少しでも楽しんでいただければ幸いです。 小説家になろう様でも投稿しています。

生まれ変わりも楽じゃない ~生まれ変わっても私はわたし~

こひな
恋愛
市川みのり 31歳。 成り行きで、なぜかバリバリのキャリアウーマンをやっていた私。 彼氏なし・趣味は食べることと読書という仕事以外は引きこもり気味な私が、とばっちりで異世界転生。 貴族令嬢となり、四苦八苦しつつ異世界を生き抜くお話です。 ※いつも読んで頂きありがとうございます。誤字脱字のご指摘ありがとうございます。

モブ転生とはこんなもの

詩森さよ(さよ吉)
恋愛
あたしはナナ。貧乏伯爵令嬢で転生者です。 乙女ゲームのプロローグで死んじゃうモブに転生したけど、奇跡的に助かったおかげで現在元気で幸せです。 今ゲームのラスト近くの婚約破棄の現場にいるんだけど、なんだか様子がおかしいの。 いったいどうしたらいいのかしら……。 現在筆者の時間的かつ体力的に感想などを受け付けない設定にしております。 どうぞよろしくお願いいたします。 他サイトでも公開しています。

幽霊じゃありません!足だってありますから‼

かな
恋愛
私はトバルズ国の公爵令嬢アーリス・イソラ。8歳の時に木の根に引っかかって頭をぶつけたことにより、前世に流行った乙女ゲームの悪役令嬢に転生してしまったことに気づいた。だが、婚約破棄しても国外追放か修道院行きという緩い断罪だった為、自立する為のスキルを学びつつ、国外追放後のスローライフを夢見ていた。 断罪イベントを終えた数日後、目覚めたら幽霊と騒がれてしまい困惑することに…。えっ?私、生きてますけど ※ご都合主義はご愛嬌ということで見逃してください(*・ω・)*_ _)ペコリ ※遅筆なので、ゆっくり更新になるかもしれません。

【完結】名前もない悪役令嬢の従姉妹は、愛されエキストラでした

犬野きらり
恋愛
アーシャ・ドミルトンは、引越してきた屋敷の中で、初めて紹介された従姉妹の言動に思わず呟く『悪役令嬢みたい』と。 思い出したこの世界は、最終回まで私自身がアシスタントの1人として仕事をしていた漫画だった。自分自身の名前には全く覚えが無い。でも悪役令嬢の周りの人間は消えていく…はず。日に日に忘れる記憶を暗記して、物語のストーリー通りに進むのかと思いきや何故かちょこちょこと私、運良く!?偶然!?現場に居合わす。 何故、私いるのかしら?従姉妹ってだけなんだけど!悪役令嬢の取り巻きには絶対になりません。出来れば関わりたくはないけど、未来を知っているとついつい手を出して、余計なお喋りもしてしまう。気づけば私の周りは、主要キャラばかりになっているかも。何か変?は、私が変えてしまったストーリーだけど…

【完結】溺愛?執着?転生悪役令嬢は皇太子から逃げ出したい~絶世の美女の悪役令嬢はオカメを被るが、独占しやすくて皇太子にとって好都合な模様~

うり北 うりこ@ざまされ2巻発売中
恋愛
 平安のお姫様が悪役令嬢イザベルへと転生した。平安の記憶を思い出したとき、彼女は絶望することになる。  絶世の美女と言われた切れ長の細い目、ふっくらとした頬、豊かな黒髪……いわゆるオカメ顔ではなくなり、目鼻立ちがハッキリとし、ふくよかな頬はなくなり、金の髪がうねるというオニのような見た目(西洋美女)になっていたからだ。  今世での絶世の美女でも、美意識は平安。どうにか、この顔を見られない方法をイザベルは考え……、それは『オカメ』を装備することだった。  オカメ狂の悪役令嬢イザベルと、  婚約解消をしたくない溺愛・執着・イザベル至上主義の皇太子ルイスのオカメラブコメディー。 ※執着溺愛皇太子と平安乙女のオカメな悪役令嬢とのラブコメです。 ※主人公のイザベルの思考と話す言葉の口調が違います。分かりにくかったら、すみません。 ※途中からダブルヒロインになります。 イラストはMasquer様に描いて頂きました。

ヒロインしか愛さないはずの公爵様が、なぜか悪女の私を手放さない

魚谷
恋愛
伯爵令嬢イザベラは多くの男性と浮名を流す悪女。 そんな彼女に公爵家当主のジークベルトとの縁談が持ち上がった。 ジークベルトと対面した瞬間、前世の記憶がよみがえり、この世界が乙女ゲームであることを自覚する。 イザベラは、主要攻略キャラのジークベルトの裏の顔を知ってしまったがために、冒頭で殺されてしまうモブキャラ。 ゲーム知識を頼りに、どうにか冒頭死を回避したイザベラは最弱魔法と言われる付与魔法と前世の知識を頼りに便利グッズを発明し、離婚にそなえて資金を確保する。 いよいよジークベルトが、乙女ゲームのヒロインと出会う。 離婚を切り出されることを待っていたイザベラだったが、ジークベルトは平然としていて。 「どうして俺がお前以外の女を愛さなければならないんだ?」 予想外の溺愛が始まってしまう! (世界の平和のためにも)ヒロインに惚れてください、公爵様!!

処理中です...