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夜会

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 馬車専用のロータリーに入るのを待つ馬車がずらりと並んでいた。母ジュディが、子窓を開け、ひそひそと従者に話しかけていた。すると、馬車は左に抜け、並ぶ馬車を横目に優雅に進んでいく。

「お、お母様?」
「優越感ー! 素敵ねぇー!」

 立派な扇を口元に当てて、ジュディがたおやかに笑う。何を言っても笑みを浮かべるだけのジュディに見切りをつけ、アリアナは外を覗く。バジリオに至っては、ずっと黙ったままだった。明かりのつけられた王城はいつもよりも光り輝いていた。二度と帰ってくることなどがないと思っていた場所。

(……ひと目だけでも見れたらいいな)

 この城の、国の頂点に立つであろう人物を思い浮かべ、アリアナは小さくため息をついた。


□□

 何故か優先的に馬車止めに入ることのできたジュディとアリアナは、御者の手を借りて城門前に降り立つ。少し前まで働いていたとは思えないほど、遥か遠い場所に来てしまったような気がした。

「アリアナ。行くわよ」
「はい。お父様、お母様」

 エスコートはない。必要ないとバジリオが行ったからだ。周りを見渡せばどの令嬢も誰かしらのエスコートを受けているようだ。その中をアリアナは一人で歩かなければならない。

(大丈夫。私にはこのドレスがある)

 ルドルフが考案したという薄布を使用したドレス。エミリーが土産として持参したものだが、細い細い糸でルドルフと繋がっている。それがアリアナの勇気となった。

「うん、と目立ちなさい。誰の目にも止まるように。あなたは美しいわ。自信を持って」
「……え?」
「貴女が今日の主役よ」
「……はい。お母様」

 意味がわからなかったが、母の気圧に押され返事をする。声が震えていた。緊張からか、足が少し震えている。城の入口で、正装の男性が、グラティッド家の名を高らかに読み上げた。

 ここに入ってしまえば、もう前世の記憶を持って生まれ変わったなどという言い訳は通用しない。アリアナは、唇をきゅっと一文字に締め、光り輝く扉の中へと一歩踏み出した。

 
□□

 妖精だ。

 しん、と静まり返るホールで誰かがそう呟いた。しかし、緊張しきったアリアナの耳には入らなかった。
 薄茶の細い髪は、後れ毛を残して緩くまとめられていた。アリアナが歩くたび、後れ毛が夜の灯りに照らされ、光の筋をふわふわと描いた。前を向く表情は緊張が見え隠れするが、それがまた初々しさを強調していた。城の乾いた荒野を彩る新緑の瞳は生命力に満ち溢れている。ハッキリとした赤が引かれた唇は、妖艶さも持ち合わせていた。隣のジュディと話をする時に見える赤い舌の奥を暴きたいと思った異性は、少なくはなかった。瞳と同じ新緑のドレスは太陽の光を吸い取ったのか。それとも月の光を浴びたのか、如何様にも見る人を楽しませる色の変化をもたらした。そして極めつけは、アリアナの首元を彩る、冬の空のように澄み渡った青い宝石。希少なサファイアだとニーナがはしゃいでいた。バジリオ予定には無かったサプライズに、アリアナは素直に喜んだ。
 透けるようなサファイア。
 まるで、あの人の瞳のようだ。
 バジリオの意趣返しなのか、アリアナを思ってか……どちらかは分からない。けれども、この青は、アリアナに勇気がくれた。ドレスと青い宝石。ルドルフとの繋がりである、細い、細い糸に守られていた。アリアナは言いようのない安堵感に包まれていた。
 その想いがアリアナの表情に出ていたのだろう。緊張のため真一文字に結ばれていた口元が緩む。

 身分の高い夫人も、既婚者の男性も、未婚の子息も、若いデビューしたての子女も。

 全てがアリアナに釘付けになった。正式なデビューをしていないアリアナは、顔を隠すための扇子を持たない。そして、隣にはエスコートをしている人物も見当たらない。それはすなわち、アリアナがまだ誰のものでもない証拠だった。妖精と謳われたアリアナをエスコートしようと、独身の男性陣が階段下に集まってきていた。

「……お母様」
「前を向いて! ゆっくりと進むのよ! 大丈夫」

 バジリオのエスコートを受けたジュディが先に階段を降りていく。ここからアリアナは一人で歩いていかなければならない。決して軽くはないドレスの魅力を損なわないよう、アリアナはゆっくりと階段を降りていく。本人は転ばないように、落ちないように、そう意識しているためか必然的に歩みが遅くなる。しかし、本人にはその意志がなくとも、アリアナの歩みはある種の焦らしのように思われていた。初々しさと女性ならではの強かさ。階下で待つ男性陣はすっかりアリアナに魅了されていた。
 アリアナの動きに合わせて、ドレスが踊る。夜に眠っていた花たちが目覚めるように、ドレスが美しい色彩を見せた。

 やっとのおもいでホールに降りたアリアナに、男性陣が詰めよろうとした。

「もし、そこのお嬢様。宜しければ私にエスコートをさせて頂きたい」
「いやいや。僕が。貴女のお名前を知る権利を頂きたいのです」
「どけ!」
「おまえこそ!」

 何を争っているのかとアリアナは意味がわからなかった。バジリオとジュディの姿を探す。すぐに見つかったものの、どうやら高位貴族に話しかけられてしまったようで助けは期待できなかった。自分でどうにかするしかないと悟ったアリアナは、日本でセクハラを受けた時に発揮したさりげなくその場から立ち去るスキルを発動しようとした。なおも男性陣は言い合いをしており、気付かれる気配もない。そっと人塊を抜け出しその場をやり過ごそうとした。

「あっ! 待ってください! 妖精姫!」

 その中の一人に気が付かれてしまい手を取られる。無意識のうちに手を振り払うと相手の男の表情に怒りが浮かぶ。

「……おまえ! 伯爵家である私の手を!」

 アリアナが謝罪すると男の怒りは治まらないようだ。男がアリアナに詰め寄ろうとした時だ。
アリアナと男の間に一人の女性が入り込む。その人物が男の動きを止めた。大きな扇子を開き、男を威嚇している。

「申し訳ありません。わたくし、ある方からアリアナ嬢をお守りするように言い付かってますの。お引き取り願います?」

 アリアナは驚きに目を見開いた。アリアナの前に立っていたのは、アリアナに嫌がらせをしていたリリアーネ・ガロン伯爵令嬢だった。
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