昭和少年の貧乏ゆすり

末文治

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小学校入学-1

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 講堂内のざわめきも次第に引いていき、すっかり静まりかえって、いよいよ小学校の入学式。「い組」「ろ組」「は組」と、すでに決められた学級ごとに整列する。「ろ組」に並ぶ。両隣に面構えのしっかりした二人に挟まれて、「気をつけ」の姿勢にも力が入る。
 パーマネントに眼鏡をかけて小太り、その辺に居るおばちゃんみたいな人が「ろ組」の前で微笑みを浮かべ立っている。「女の先生で良かった」心の底から安心する。もうちょっと若い人の方がいいけれど、ぜいたくは言ってられない。他の二組は男の先生だ。それも一人は、ごっつい身体で見るからに怖そうな感じがする。あんな先生に当たった「い組」の子らを心底気の毒に思う。
  演壇で挨拶をする校長先生の浅黒い顔を見続けていると、後ろに張られた日の丸の赤い色がダブってきて、しきりに目をしばたかせる。こんなにじっとしていなければならないなんて、生まれて初めてのことだ。これが小学生になるということか。
 後方で見守る母親達の白粉臭い匂いが生暖かく漂ってくる。もう母と弟と、朝からは家で遊ぶことができない。これからずっと学校に来なければならない。そいうことなんだ、小学生になるということは。何もかもに突き放されたような、改めての思い。
 講堂の隅で配られた真っさらの教科書を風呂敷にしっかりと包み込み、「一年ろ組」の教室に入る。ずらっと並んだ机と椅子が、学校生活の夢を誘う。
 「席順は次の日に決めます。きょうは出席簿の順に座っていって下さいね」
 おばさん先生が、居並ぶ父兄に笑顔を振りまいて、えんま帳の名前を読み上げていく。「はーい」「はい」照れたり、緊張気味の声が続いていって、生まれて初の「儀式」も終了。
 「い組」からも「は組」からも大人と子供が溢れ出てきて、解放感に満ちた歓声が渦巻く。顔の火照りを感じつつ、よそ行きの顔をした母と一緒に校門をくぐる。

              ***
 白い犬を大きく刷り込んだぴかぴかの黒のランドセル。鼻を近づけると、なんとも甘~い匂いがする。両手で抱え込んで真新しい匂いを思いっ切り吸い込み、辺り構わず嗅ぎ回って堪能する。嬉しい。ランドセル。
 新品の筆箱や下敷き、帳面に教科書と入れたり出したりして、収まり具合を何度も確かめ、初めての勉強用具に酔いしれる。中身を詰め込んだままランドセルを背負ってみる。思った以上の重さが両肩に掛かってきて、気が引き締まる。
 今夜から、兄二人に倣って、時間割を合わせたランドセルを枕元に置いて寝るにだ。この「小学生になった証し」が、誇らしくも毛恥ずかしい。
 
              ***
 一年生の時は、先生に言われるままにして済んでいたが、学級委員も二年生にもなると、結構煩わしい。皆より一足先に教室に入り、「昨日の天気」を板壁に押しピンで留めた模造紙に記す。晴れの日は赤、雨の時は緑、曇りが灰色と決めて、真ん丸に切り取った色紙を張り付ける。
 順次、登校してくる男の子、女の子が取り囲み、「昨日は曇りか。そうやったかな。あっそうや、そうや、」と納得し合っている。その光景を見て、”与えられた”役目にこそばゆい快感を覚える。
 月に一、二度の「爪の検査」も学級委員の役割だ。伸び放題で黒い垢がびっしり詰まった爪は「×」、まずまず清潔そうなのは「△」、短く切ってきれいなのが「○」と名前の横に印をつけていく。女子には女子の委員が担当する。
 両手を後ろで結んでむっつりした子の手を無理矢理つかんでほどく。爪どころか、手筋にまで垢が黒い線を描いている。問答無用の「×」だ。
 「じぶん、×ばっかり三個も続いてるで。先生に怒られても知らんからな」
 忠告すると、すぐさま俯くのでかわいそうになるが、これも「役目」だから仕方ない。その代わりといっては何だが、仲間内のは少々伸びていても、友情の印「○」を入れておく。

              ***
 放課後の掃除当番、女の子達はさっさと箒を使っている。男どもは、教室の片方に寄せられた机の上を舞台にして跳び回り、空間の出来た所で相撲を取命中ったりと悪ふざけ。注意する女子に容赦なく白墨を投げつけ、黒板消しまで放り投げて一人に命中、白い粉が飛び散るのを見て歓声を上げる。
 「先生に言い付けるよ」かわいい顔をして睨んでくる子に竹箒を振り回す。「もう、やめてよ」甘えたような声を出しながら校庭へ逃げ出すのを、面白がって追いかける。キャッキャッ声を上げて駆けるのにもすぐに追い付くと、「ごめーん、ごめーん」と笑い声で叫んで赤紫色の毛糸のパンツ丸見えでしゃがみ込む。
 「参ったか」小柄なその子の後ろに回り込んで、ぐいぐい背中を押し付ける。「もう先生に言い付けるなんて言わへんから、かんにんして」。ぺしゃんこになって、荒い息を立てながら許しを請う。背中のセーターからも息遣いが伝ってくる。猫のようにふにゃふにゃで温かく、一人占めにしているような嬉しさと疚しさが入り交じる。

              ***
 休み時間の終わりしな、先生の姿がまだ見えないのを確かめて、Nと二人で校舎の廊下を思いっ切り駆ける。古い板のクッションでスピードがよく乗り、校庭で走るのとは違った体感が堪らない。風圧で窓ガラスがびりびり鳴っていくのが面白く、他の組の教室の子らが何事か、と顔を向けてくるのも愉快だ。
 その廊下も、保護のため何か月かに一度「油引き」される。その翌朝登校すると、廊下はびっしり暗褐色に染められていて、昨日までとは違った、しっとりとした佇まいを見せている。まさしく油臭い匂いが鋭く鼻をつついてくる。
 「また油引きよったんか。この前引いたとこと違うんか」「やっぱり臭いな。この匂い、嫌いやわ」混み合う下駄箱の前で草鞋(わらじ)に履き替えて、油の乾き切っていない廊下を滑らないよう一歩一歩、両脚に力を入れて教室に入る。
 休み時間、女子達が居ないのを見計らって、面倒な「二足制」の禁を破る。校庭で遊び回った埃まみれのズックのまま、まだ湿っぽい廊下に踏み込み、歩くままに白い足跡を付けていく。
 「土足のまま上がった形があるけど、まさか、うちの組のではないでしょうね」
 先生が教室に入って来るなり、Nと予測し合った通りの言葉が飛び出し満足だ。Nが素早く笑顔を送ってくる。応えようとして、先生がNを見ているようなので、そっと下を向く。

               ***
 給食の時間、係のおばさんがどっちのミルクを運んでくるのか、気が気でない。錫色の厚手のバケツいっぱいに薄黄色のミルクが湯気を上げているのを見ると、胸を撫でおろす。このミルクは、ほんのりと甘酸っぱく香りも良い。食パンを浸して味わったりして給食も楽しく進む。
 問題なのは週に一、二度運ばれてくる、ちょっぴり茶色がかった灰色のミルク。アルマイトの容器に装われたしり
から、どぶのような匂いが立ち、それに劣らない絶望的な不味さ。一口、二口は啜ってみるが、全部を飲んでしまう
勇気なんてない。食べ残ししてないか、先生が見回りに来る前に処分しなければ。回りの子は、注意されまいと大人しく飲み続けているのが信じられない。
 先生の動きを窺いながら口を動かしているから、せっかくの給食も味気ないことこの上ない。いよいよ先生が食べ終わり、食器を配膳箱に仕舞いに行く。その一瞬を突いて立ち上がり、校舎の前の溝に臭いミルクをぶちまける。辺りの呆気に取られた表情を意識して、焦りつつも澄ました顔で席に戻る達成感は、なかなかのものだ。
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