昭和少年の貧乏ゆすり

末文治

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小学校入学-9

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「駆逐本艦」の基地にしている電信柱の側に汲み取りの牛車が止まり、おじさん達が作業の準備を始めるので遊びの勢いがそがれる。「駆逐」の役目で鍔(つば)を横にした帽子を「本艦」並みの真っ直ぐに戻したり、「水雷」の後ろ被りを気に入ってる者はそのままにして集まってくる。
 おじさんらが忙しなく肥桶を担いで路地に入って行く。その隙に、牛車を挟んで車の上の肥溜めに落とさないようゴムまりを投げ合い、時には牛の脚を狙ってボールの跳ね返りを楽しんだりして時間をつぶす。何球目かで手元が狂い、ボールが牛の腹にべちゃっと当たってその場に落ちる。牛はちらっと横目を遣ったが、痛くも痒くもないわい、というふうに口を動かし続けている。拾いに行けない。
 おじさん達の路地の様子を窺い窺い、牛車に架けられた橋板を上り下りして、その揺れ具合を楽しむ。調子に乗った一人がさっさと板を駆け上がって、バンザイをしたりして皆を笑わせていると、おじさんが突然路地から出て来る。おじさんは瞬く間に橋板の下まで迫り、逃げ場を失ったお調子者は車の上で硬直している。板を上ったおじさんは肥桶の天秤棒を肩にしたまま、空いた手でその子の首根っこをつかまえると、顔をぐいぐい肥溜めに向けて押さえ込む。
「こんな悪さをするやつは、ここにはまって自分の出したもんでも始末せえ。どうや!」と怒鳴り声を上げる。捕らわれた子は見境もなく泣きわめき許しを請う。別のおじさんが路地から現れ、真剣な表情で成り行きを見守っている。
 程なく解放された調子者は、顔面蒼白で板を駆け下り、自分の家に一直線に走り去る。牛車の上と下で、おじさんが声を上げて笑い、皆んなも倣ってお愛想する。牛の目も心なしか笑っているように見えるが、変わらず口をもぐもぐさせている。皆んなの心に「駆逐本艦」再開の気は既に無くなっている。
 角から虚無僧が現れ、長屋の軒下に立って徐に尺八を吹き始める。すぐにおばさんが出て来て、小さいがはっきりした口調で「お断り」と言う。虚無僧は尺八を外し、黙って隣の家に移る。尺八を吹いている間は身じろぎしないのを知っての上で数人で付きまとい、袈裟に触れたり、小袖を軽く引っ張ったりして度胸比べをする。無いことに、虚無僧は途中で吹くのを止めゆっくりと振り返ると、深編み笠を頭の上に上げて口を開く。
「悪戯ばっかりしていると、しまいに仏さんの罰が当たって子取りに捕らわれ、家に帰れなくなるぞ」
 想像もしなかった、その浅黒く精悍な顔つきに驚く。
 虚無僧から離れて皆んなで議論を重ねる。
「子取り、子取りってよう聞くけど、本当に子取りって居るんか」「居てる、居てる。ぼくとこのお母ちゃんも言うてた。子取りにさらわれて、サーカスなんかに売られたりしたら一生帰してもらわれへん。そこで無理矢理に芸を仕込まれるんや。そやから悪さしたり、勝手に遠い所に遊びに行ったらあかんねんて」「そもそも、あの虚無僧のおっちゃんが子取りと違うんか。わざわざあんなこと言うのん、おかしいわ。顔が怖そうやったやろ。人が見てない所まで子供を連れて行って、あの尺八で殴って気絶させ売り飛ばすんやで。お布施<お断り>ばっかりで腹立ててるやろうし」
 夜、蒲団に入ってもなかなか寝付かれない。昼間、牛車の上での本気とも冗談ともつかない汲み取りのおじさんの顔や真剣な表情だった男前の虚無僧の姿が浮かんでくる。
「ピー、ピー」もの悲しい笛の音と「チリン、チリン」と寂しげに鳴る杖の音で訴え、あんまさんが通り掛かる。こんなに寒い冬の夜の街を、杖を 頼りに独り行き、どんな所に帰って行くのだろう。早くどこかの家の人が呼び止めてくれないか、と耳を澄ます。冬の重い蒲団が厚いほどにのし掛かる。「チリン、チリン」冷えた音が遠去かっていき、柱時計の振り子が忙しく響く。
 子取りに遭ったら、永遠に家に帰って来れず、お母ちゃんや兄弟とも会えなくなるのか。知らない土地へ連れて行かれて働かされ、ひどい目に遭わされるのだろうか。そして、死んでしまったら・・・・・・、その後の自分はどうなるの。今、こうして考えている、この<考える>ということ自体、どこへ行ってしまうのか。思い至って手のひらが汗ばみ、ますます目が冴えてくる。
 今日に限って、皆んな申し合わせたように早く寝入ってしまっている。突如として、ガサガサッと音立てて天井裏のネズミが駆けっこを始める。これからもっと厄介な事が起きるぞ、と煽るように、いつもよりしつこく往復を繰り返す。体中が熱くなってきて、早く眠らなければと焦るうち、もうこのまま眠ることができないのではという恐怖に駆られ、自然に涙が滲んできて小さく声を上げて泣き出す。
「どうしたん」母が枕元に居る。「いっこも寝られへん」情けない声で応える。「大丈夫、大丈夫」母は温かい手をおでこの上に置いて指を上下に優しく叩く。鼻を鳴らして手の温かみを受けてじっとしていると、今までのことが嘘のように消えていき、もうここで何日も眠り続けているような眠気に包まれる。

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